三章の1 売るもの、売られるもの
異世界生活29日目、春の73日。
ウィアクルキスでの一件以降、旅は順調に進んでいる。途中大きな街にも立ち寄ったが、特段見咎められることもなく出発することができた。南方に来たためか、気温は随分と高くなり、厚手の服だと汗ばむ。日が真上に来たころ丁度良い木陰を見つけてゲラシムを止め、切ったパンと芋を四人で口に運んでいると、ふと見上げた青空に大きな生き物を見つける。
ゆっくりとした動きから、かなりの高度を飛んでいるようだが、それにしてはその姿は大きく映った。
「お父、あれ……」
「ありゃあ……テルミナス大鳥ってやつか! でっけえなー!」
「あれが? あ、テルミナス大鳥ってのはね……」
知らない単語が出てはアルフィリアに教えてもらうというのは、すっかり定番の流れになりつつある。最近ではこちらから聞く前に、率先して解説してくれるようになった。今回の「テルミナス大鳥」とは、その名の通りテルミナス周辺に生息する巨大な鳥で、家畜化されており、人を一・二人程度なら平気で乗せて飛ぶらしい。その能力から、軽量貨物の高速輸送……要するに郵便などに使われるそうだ。
「鳥に乗って空の旅、きっと気持ちいいでしょうね……イチローもそう思うでしょ?」
「ですが、自分で操るんでしょう? 相当な訓練が必要だと思いますが」
「ふん、夢がないやつ」
「イチロー、空飛ぶの怖い?」
「まあ……得体のしれない鳥よりはゲラシムの方がまだ信用できます」
「はっはっは! 褒められてるぞー、ゲラシム!」
実際、このゲラシムの能力は相当なものだ。本来の棲息地よりずっと南に来ているはずなのに、まるでバテた様子は見せず、今ものんびりと草を食んでいる。道中、一度野犬の群れに遭遇したこともあったが、その巨体で突破してみせた。荷台に乗っていたこっちはたまった物ではなかったが。
「……その、テルミナス大鳥と言うのが見えるということは、もう近いのでしょうか?」
「そうね、あと二、三日程度じゃないかしら」
「じゃあ……アルフィリアとイチローは、そこでさよなら……?」
「ミーリャ、そりゃあ仕方ないことだ。俺たちは荷をさばいたら、新しい荷を仕入れて戻らなきゃなんねえ。二人は……どうするんだ?」
「ウィアクルキスで、私たちの事訳アリだって言ってたわよね。それは合ってるの。だから、新天地で色々手探りでやってみるつもりよ」
「そうかぁ……いや、深いわけは聞かねえ、二人は俺の恩人だからな。残り少ない道中だが、気を引き締めて送り届けるさ!」
「お父、着いてもお酒は駄目だからね」
「わ、わかってるって……」
この他愛ない会話もあと少し。道中トラブルの種になりはしたものの、彼らのおかげで旅の時間を大きく縮めることができた。そう考えれば、アルチョムを助けたアルフィリアの判断も、間違ってはいなかったのかもしれない。
異世界生活31日目、春の75日。
丸一日かけて森を抜けると、荷台の中を吹き抜ける風に、なにかの匂いが混じり始めた。今まで嗅いだことのない匂いだが、その正体はすぐにわかった。大地が途切れ空には一本の線が走っている。その線の下には、空よりも一段濃い青が広がっていた。
「(潮の香、ってやつか……)」
「あ、ほらイチロー! みえてきた!」
「あれが……商業都市、テルミナス……」
圧倒される光景だった。海から突き出た高い断崖の島、そこにみっしりと建物が集まっていて、中央に塔らしき建造物が見えた。島からは巨大な橋が伸びており、多くの人が行き来しているのが見えた。そして自分達もまた、その橋へと向かう。橋に近づくにつれ周囲には農作物を乗せた牛車や、荷物を背負って歩く人々が増え、宿や酒場、ちょっとした出店が道沿いに並びだし、店員の呼び込みが左右から聞こえてくる。それらを抜けて橋の袂に来た時には、その大きさが明らかになった。
幅は馬車が十台は並べるほど広く、道の中央には一段高い歩道までついていた。馬車よりも大きい石のブロックが無数に並んでできたその橋は、地球の物と比べても遜色ないか、それ以上の物にも思える。アーチ式の橋は高く、複数のマストを持った帆船がその下を行き来していた。
「こんな巨大建築が存在したとは……」
「凄いわよね……話には聞いてたけど、実物の上を走ると……」
アルフィリアと二人、その威容に圧倒される。ミーリャも荷台から身を乗り出し、その光景に目を奪われていた。海風の吹き抜ける橋を渡り切ると、街との境目には大きな門を備えた街壁が島を取り囲んでおり、こちらを見下ろしている。
「……じゃ、私たちはここでお別れね」
「ああ……それじゃあ、達者でな」
「お父の事、ありがとう……」
「ま、当分この街に居るだろうし、また来たら会うかもしれないじゃない。そっちこそ、今度は変な事件に巻き込まれたりしないようにね」
門の前に一度停まり、荷台から降りて二人に別れを告げた。ゲラシムはそのまま中に消え、自分達もまた、歩道を歩いてその中へと入る。
中は広間になっており、門の脇には兵士が左右一人ずつ……ウィアクルキスの衛兵と違い、金属の部分鎧で手足や胸を覆い、斧と槍が一体になった武器、ハルバードを体の横に立て、佇んでいた。
そんな中、外から入ってきた人たちは列を作り、広間の一角にある部屋へと入っていく。自分たちもその列に並び部屋に入れば、長机とその向こうに綺麗な服をまとった男が三人。そのうちの一人、どこか神経質そうな印象を受ける、眼鏡をかけた中央の男が、事務的に口を開いた。
「市民証か通商許可書を」
「(入国審査……みたいなものか?)」
「……無いわ、初めて来たの」
「なら、荷物をすべて机の上に」
「大したものは無いわよ。自作の薬に、食べ物や毛布なんかのキャンプ用品。あと、細々したものに……奴隷が一人」
二人で持っていた荷物を机の上に並べると、左右の比較的若い二人の役人が、天秤やら本やらを机の下から取り出して、荷物を調べ始めた。アルフィリアの薬を手に困惑している様子だったが、それに目もくれず、中央の男が矢継ぎ早に質問を繰り出す。
「名前と出身地は?」
「名前はアルフィリア、出身は王都」
「滞在の目的は?」
「うーん……移住、になるのかしら?」
「何か生計を立てる当ては?」
「薬師としての腕はかなりの物だと思ってるけど。あと、ちょっとなら魔法も使える」
「このクロスボウは?」
「イチロー……この奴隷の私物。武器もなしに旅なんてできないもの」
「この薬はどんな物で?」
「胃腸薬、傷薬、解熱剤、後は薬草なんかの材料もあるわ」
ここまで質問した辺りで、左右の二人が中央に耳打ちをする。それを聞いた中央は眉をひそめ、小声で何やら話していたかと思うと、咳ばらいを一つして再びアルフィリアと向かい合った。
「では、入市税及び関税として金貨2枚と銀貨27枚、向こう十年分の住民税に金貨20枚を収めてください」
「な、なにそれ。関税はともかく住民税まで先払いさせるわけ?」
「これはあなたと言う人物の『信用料』とお考え下さい。街に入り、商売をし、先人たちが築いたものを自由に利用できる。見たことも聞いたこともない人間がそれだけの権利に値する人物かどうか。それを証明するための物です」
「もし払わないって言ったら?」
「ご自由に。入市税と関税を支払えば滞在は自由です。ですが定められた地区で営業する宿屋以外では宿泊できず、就労もできません。また、市場での一時的な物以外は商店の出店も制限されます」
「住民税を払わない限り『お客様』のままってわけね……もし途中で死んだりしたら?」
「遺族のどなたかに税の免除と言う形で還元されます。居ないのでしたら……死んだ後のことなど考える必要はないでしょう?」
「……わかった、払うわ。物納はできるんでしょうね?」
「釣銭は出ませんが。それにここにある品物では……」
「あるじゃない、奴隷一人」
「……え?」
口を出さずに役人とのやり取りを見守っていたが、ここで聞き捨てならない言葉が飛び出した。物納ということはつまり……
「ま、待ってください! 私を売るつもりですか!?」
「まあ、そうともいえるわね。物納なんだし」
「……こちらの方は、本当に奴隷なのですか? たまに、世間知らずを騙して連れてきて奴隷にしようとする輩が居るのですが」
「ええ、正真正銘。ほら、ちゃんと奴隷の証もあるでしょ」
言うが早いか、アルフィリアはこちらの襟首をつかみ、ズリ下げる。およそ一月前。奴隷馬車から出た時に知らされた事。自分の首には、異界人に入れられる魔法の入れ墨がある。それはつまり……
「異界人……なるほど、確かに奴隷ですね。では物納ということで」
「……最初から、こう言うつもりだったと」
「騙されたなんて思ってるなら、見当違いよ。あんたは私の奴隷になることに同意したし、私はここに来るまで怪我の手当てもした、宿賃も食料も、全部出したわ。奴隷の主人として、十分に義務は果たしてる。だから、あんたも奴隷らしく買われなさい」
「では、奴隷はこちらで引き取ります。いくつか証明書を発行しますので、それを持って市庁舎で諸々の手続きを済ませてください」
一方的に言い切ると、アルフィリアは役人との話に移ってしまう。咄嗟に入ってきた扉を振り向くが、そこには兵士が二人立っていて、抵抗する間もなく両腕を掴み取られてしまう。
「ま、希望を捨てずに生きることね」
その言葉を最後に、頭に袋が被せられて視界が暗くなる。抵抗を試みた物の、両腕を抑えられていてはどうにもならず、腹に一撃を食らうだけだった。苦悶している間に首を締め付けられ、意識が暗転する。何かアルフィリアが叫んだようにも思えたが、それが何と言っているのかは聞き取ることはできなかった。
 




