十九章の2 上流階級の生活
給水塔を西側へと回り込み、一般市民が住む住宅街を通り過ぎ、徐々に住宅の密度は下がる。島の中心近くにある高級住宅街へと近づいているのだ。アルフィリアの新居も豪華に見えたものだが、この辺りとは格が違う。やがてそれらの家のうち一軒……高い鉄柵に囲われた、日本にあれば恐らく美術館か何かだと思うであろう大きな館の敷地へと馬車が入っていく。
「おっきなお屋敷……」
「豪邸とは、こういう物を言うのでしょうね」
狭いテルミナス、流石に門から屋敷が見えないほどの広大な……とはいかない物の、刈りこまれた庭木と、何かしら彫像らしいものが、赤みを強めた太陽に照らされていた。
「さ、どうぞお坊ちゃま。お客様方も」
屋敷の正面玄関に馬車が止められ、側面の昇降口が開かれる。煌々と明かりの灯った玄関がフィリッポの手で開かれ、そこに足を踏み入れると、磨き上げられた床と、天井に施された彫刻と模様、そこから吊られた煌めくシャンデリアが出迎える。
「坊ちゃまがお帰りです! ああ、クロエ。お客様が来られました。客間にご案内して」
「かしこまりました。どうぞお客様、こちらへ」
「僕は服を着替えてきます。遠慮なく、くつろいでください」
手近にいたメイド……だろうか。濃紺のワンピースに白いエプロンを身に着けた女性が玄関ホールに並ぶ扉のうち一つを開けると、立派な応接室が出迎えた。一歩踏み込めば赤い絨毯に足が沈み、土足で踏んで良い物かどうか迷いを覚える。暖炉には火が灯り、晩秋の夕暮れにもかかわらず快適な温度を維持していた。
「どうぞ、おかけください。外套はこちらへ」
勧められるままコートを脱いでかけ、アルフィリアと二人でソファに腰掛ける。間違いなく快適その物の部屋なのだが……どうにも落ち着かない。あまりに部屋が華美で、まるで自分はそこにできた染みだかカビだかのように思える。サクラも慣れない匂いがするのか、顔を上に向けて、しきりに部屋を嗅いでいた。
「なんていうか……上には上がある物なのね……」
「産まれた時からこれだけの豊かさを享受していれば、性格も良くなろうというものですね」
「またそう言うこと言う……でもそうね、たしかにちょっとこれは、うらやましい……」
格差という物をまざまざと見せつけられながら、待つ事しばし。応接室のドアが開き、フィリッポが姿を現した。
「お待たせしました。坊ちゃまが是非、皆さんを夕食にお招きしたいと……」
「夕食かあ……きっと、ご馳走よね!」
「上流階級特有の『もう帰れ』の言い回しだということは……」
「考え過ぎよ……よね?」
「そのような意地の悪いことは致しませんとも! さあどうぞこちらへ」
客間を出て、フィリッポに続き屋敷の中を歩くが……教養の欠片も無い自分にでも、その辺りの物が高価な品だと判断できる。壁の一部を窓状にへこませ、そこに彫刻を置くなどいかにも金持ちらしい廊下を少し歩き、両開きの扉が開かれると……おそらく2階まで吹き抜けの高い深紅の壁と、白い布で覆われた長いテーブルが顔を出す。そこにはすでに2人の人物が着席していた。
「さあ、どうぞ座って下さい」
1人はデメトリオ。彼の勧めに応じて、食器が用意されている席へ着く。そしてテーブルに着くもう1人……こちらが、父親だろうか。白髪交じりの黒い頭髪はやや薄く、贅肉が付き、端がカールした口ひげ、身に着けているものは黒地に金の刺繍の服から、大きな宝石のはまった指輪までどれも高価な物なのだろうが……どうにも着られている感が否めない。
「この度は、息子が世話になったようでどうも。急なことで大したものもありませんがどうぞお召し上がりを」
一応礼は言われたものの、文面程には歓迎されていないようだ。夕食時の急な来客と言うことで元々歓迎したくないのはわかるが、それ以上に……怪しまれているような感じを受ける。
「(まあ、どうせ今日一日の付き合いだし、スルーでいいか)」
あまりいい空気ではないが、食卓がそう言う雰囲気なのは慣れている。黙って口に物を詰め込めばいいのだ。問題はそれよりも……
「あの、アルフィリアさん……どうぞおくつろぎになって下さい。外套を着たままでは、食事にも不便でしょう」
「あ、えーっと、これは……」
やはり、必然的にこういった流れになる。マナーなど二の次な探検者地区界隈と違い、ここは上流階級の家。深くかぶったフードで髪を隠し続けるのは不自然極まりない。かといって外せばそれはそれで、だ。デメトリオは気遣いで言ったのかもしれないが、アルフィリアとしては、困っているに違いない。
「すいません。彼女は薬師として未熟な時に薬の扱いを誤り、頭に酷い火傷を負ったのです。女性がそのような姿を人前に晒したくないという心情、ご理解ください」
「そ、そうとは知らず……! 大変、失礼しました」
「え、え? あ~……ううん、いいのよ、うん」
予想していたからには当然対策も考えている。アルフィリアも上手くそれに乗り、青髪を見せることは回避できた……代わりに空気が微妙になったが、その時最初の1皿が、カートに乗って部屋へと入って来た。運んできたのはフィリッポと、複数のメイドやボーイ……1人だけ明らかに歳が上で、デメトリオの父の後ろに付いた者はいわゆる執事だろうか。彼らの手によって、ドーム型の覆いが付いた皿が自分達4人の前に置かれる。自分たちが普段使う木製の物ではなく、白い陶器、金色の縁取りや絵があしらわれた皿は、覆いを取り除かれ……
「前菜でございます」
執事が前菜と言ったそれは皿の上には小さな、20度ほどの扇形をしたタルト状の物。大きさは手のひらほども無い。普段であればそのまま手に取って食べる所だが……
「(流石にそれはマナー違反か……?)」
デメトリオの方を見ると、ナイフとフォークで少し切り取っては口に運んでいる。主人の方は、ボトルからグラスへと酒が注がれていた。
「食前酒でございます」
できれば飲むかどうか聞いてもらいたかったが、注がれてしまったのでそのままグラスを置いておく。ひとまず、デメトリオをまねて料理を切り取り口に運ぶと……
「これは……」
「お、おいしい……!」
食べ応えはともかくとして、味はこれまで食べた料理の中でも……地球を合わせても一番を狙えるのではないだろうか。タルト生地部分は軽い菓子のような食感で、口の中で溶けるように崩れていく。具の部分は、食感としては卵焼きに近い……しかし挽肉や玉葱らしい野菜、チーズが使われた濃厚な味で……一息に食べてしまうのがもったいなく感じられる。
「気に入られたかな? まあ、当家ではごく普通の夕食なのですがな」
主人の見下したような口調は聞き流す。酒も良い物なのだろうか。口に含んだアルフィリアはそのまま一息に飲み干してしまった。
「ぷぁ……私、そんなに食通じゃないけど、これ絶対高いお酒よね……」
「なに、大したことは有りません。我が家の酒では下から数えた方が早いような物です」
アルフィリアの感嘆に気を良くしたのか、自慢話など始まる……やれ身一つでどれだけ苦労しただの、商売のコツはどうだの、やれあの壁にかかっている絵は何だの……興味の湧かない話に適当に返事をしつつ、前菜を平らげた。余韻が薄れたところで、一応酒にも口を付ける……味はまるで葡萄のジュースのように感じ、飲みやすいのだが……やはり、アルコールで喉が熱くなる感覚はあまり好きではない。
「一品目、揚げラビオリでございます」
西洋風の餃子と言った品。きつね色に揚がったそれにはクリーミーなソースがかけられて、香ばしい生地と中の具材が合わさり、満足感のある一皿になっている。
次に出てくるのは肉料理とサラダ……骨の付いた肉がハーブやスパイスをまぶされ、焼きあげられている。黒みすら帯びた濃い赤のソースは、甘味と酸味が調和し肉のうまみを引き立てている。残った骨はお座りの姿勢を取っているサクラが噛み砕き、スナック菓子のような音を立てる。料理の合間合間にはそれぞれ違う酒……自分には今一理解できないが、アルフィリアは2杯3杯とお代わりしているので料理に合って美味しいのだろう。
それから口直しに薄切りのチーズ、デザートに硬いシュークリームのような菓子が出て、食後の茶になった。
「ふあぁ……美味しかったぁ……」
「ご堪能されたかな? 我が家ではごく普通の夕食なのですが」
「これが!? お金持ちって、凄い……」
「はっはっは、確かに私は金持ちですが、テルミナスでは誰もが私のようになる機会がある。実に寛容で機会に溢れた街だ、そうは思いませんか?」
「……僕は、少なくともこの街が寛容だとは思わない」
主人の話の腰を折ったのは息子のデメトリオ。生まれついての金持ちにも、言いたいことは有るらしい。
「いくら機会があったって、それに挑むことすらできない人がたくさんいる。そんな彼らを貧民街に押し込んで蔑んで、それが寛容なはずがない」
「デメトリオ! お前の意見は聞いていない!」
「でも父さん! 生まれた家が違うだけで、生活はまるで天と地だ! 貧しい家に生まれたっていうだけで、文字すら読めずに働かされる、それのどこに機会があるっていうんだ!」
「お前は子供だから世の中のことを何もわかっとらんのだ! 貧民街のカス共にほだされおって! あんなところへは行くなと言っておいたはずだぞ、たまたま助けられたから良いものの! フィリッポ! お前が付いていながら!」
「も、申し訳ありません旦那様! しかしまさかご子息を縛り付けるわけにも行かず……!」
「やめてよ父さん! フィリッポは悪くないだろ!」
「ああ、悪いのはお前だ! だがそれを止められなかったフィリッポにも責任はある! ただでさえ今は……」
親子喧嘩は、こちらが帰ってからにして貰えないものだろうか。アルフィリアは困り出したし、サクラは尻尾と耳を立てて警戒態勢に入っている。席を立って抜け出すべきかと思い始めた時、食堂の扉が開いた。
「あらまあ、2人とも……お客様の前で喧嘩だなんて、みっともないわよ?」
入ってきたのは、ゆったりした服を身に付けた女性。長めの黒髪を背中に流し、その腹は不自然に膨らんでいた。
「母さん……」
「お前! 駄目じゃないか寝ていなくては! いつ陣痛が始まってもおかしくないんだぞ!」
「大げさですよ、あなた。それに息子を助けてもらって、礼の一つも言わずに横になっているなどできましょうか」
それなりに歳はいっているはずだが、それを感じさせない……ありていに言えば貴婦人と言うのか。その彼女はメイドに付き添われながらも、うやうやしく頭を下げる。
「デメトリオの母でございます。息子の命を助けていただいたと聞きました、なんとお礼を申せばよいやら……」
「あ、いえそんな……ちょっと暴漢をやっつけただけで」
「まあ、謙虚なお嬢さんですのね……それなのにこの2人ときたら」
「ああ……わかった、わかったよエルダ! 親子喧嘩は止めよう。お見苦しい所をお見せした!」
「すいませんでした、こちらから招いておいて……」
妻や母には弱いのか、言い争っていた2人は大人しくなる。柔らかな物腰は外向けの物で、実際は恐ろしかったりするのだろうか……とりあえず、不毛な争いが発展することは回避されたようだ。
「まあ……家族と言うのは色々あるのでしょうから。もう時間も遅いし、失礼しましょうか。泊りになってもご迷惑でしょう」
「あ、そうね……それじゃあ、お暇します。夕食、ご馳走様でした」
「あらまあ……それじゃあ、馬車でお送りしましょう。もう夜も遅いですし、最近はこの辺りも安心できませんから……」
「わかった、わかったよ母さん。ほら、部屋に戻って……フィリッポ、頼めるかい?」
「はい。では奥様、私がお2人をお送りいたします。ささ、馬車を回しますので玄関でお待ちください」
美味い食事で満腹になった体を持ち上げ、玄関まで戻って馬車に乗り込む。住所を伝えれば、後は到着を待つばかり。金貨ではなかったが、ちょっとした小競り合いの報酬としては充分満足できる物だった。
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