十八.五章の1 冬に備えて
お小遣いという物は貰ったことが無いけど、それでも貯金をすることはできた。おにぎり二つ分と言って渡されたお金を一つ分だけで我慢したり、値下げされてる惣菜を買ったり。そうして貯めたお金……何に使うか悩んだけれど、お母さんにプレゼントをすることにした。寒くなってきたから、手袋を。
「あ~? はいはい、手袋ね、ありがと」
喜んでもらえたんだと思う。ありがとうって言われた事なんて、お父さんに捨てられて泣いてるとき以外に無かった。
だけど、その手袋をつけている所は一度も見たことが無くて。冬の寒い日、タンスの裏で埃にまみれているのを見つけた。
「(あったかい、のに……)」
ほこりを払い、その手袋をはめる……冷たい。指先が全然あったまらない。ダメな手袋だったんだ、だから捨てられたんだ、それが当然……かじかむ指を体に近づけ、粗い目のシーツが体にまとわりつき……まだ薄暗い中、目が覚める。
「……寒……」
そう一言、口から漏れた。
異世界生活203日目、秋の67日
朝起きて、食堂へ向かうが……今日の空気は相当に冷たく、残り30日を切った秋の終わりを感じさせる。すっかり冬毛に生え代わって見た目が膨らんだサクラに、もともと外套が標準装備のアルフィリアは平気そうだが……こちらにとっては、少々厳しい寒さになってきた。
「(秋の終わりでこれなら、真冬は流石に何か服が要るな……)」
凍えていては、ろくに動くことも出来ない。今日は依頼探しを休み、買い物をすることにした。服屋に足を運ぶということは普段ないのだが、幸い自分は職人の知り合いがいる。自称天才の彼女であれば、服を仕立てることも出来るのではないだろうか。なにしろ服も鎧も着る物、必要な技術も似ているはずだ。
職人街にあるヘルミーネの自宅兼工房を訪れたが……ノックをする前に、中から喧騒と激しいハンマーの音が聞こえてきた。
「ほら! 温度が下がっとる! もっと気合い入れんかい!」
「き、気合いでどうこうなったら魔法は苦労しません……これだから脳筋のモンシアンは……」
「やかましわ! 銭もろたんやったらキリキリ働き!」
「うう……暑いぃ……こんなに汗出たらしぼんじゃう……」
「ちょっとくらいしぼんどけ! 無駄にでかい乳してからに!」
「少しは感謝の気持ちって物を持ってくださいよぉ……はぁ、こんな粘金の塊、一体どこから……」
「さあなあ、何や色々自慢しとったけど……金と材料持って来られたら受けんかったら職人の名折れやさかいな。こうして人の手を借りてでも。何とかするんや。ほれ! 魔法続け!」
「ふええ……」
どうやら修羅場の最中のようだ。さすがに今用事を追加するのは空気が読めていないという物だろう。賑やかな工房を後にし、一度組合前の広場へ行ってみることにした。
「(さて……どうしたものか)」
こういう時は普段利用している雑貨屋を訪れているのだが……服は不定期入荷らしく扱っていなかった。行く当てを無くしてしまい、広場から伸びる通りの一つを歩く。様々な店が立ち並ぶが……どうにも、衣類店と言うのはどこを選んだものかよくわからない。何しろ値段にデザインやらブランド名が関わってくる世界だ。さすがに探検者地区に高級ブランド店などは無いだろうが……
「(どれも似たような物に見えるからな……)」
看板の文字は大分読めるようになったが、それは所詮売り文句でしかなく。実物の良し悪しを見分ける助けにはならない。と言うか、服の良し悪しを考えたことが無い。一番安い物を買うのが決まりだった……が、それは安い服が何時でも手に入るからできた事であって、この世界では難しい……何しろ、工場で大量生産される服という物が存在しないのだ。どれもこれも、それなりの値段がする。
「(表通りだからか……? 少し裏に入ればもうちょっと安い店でもあるか……)」
「あらあ? 誰かと思えば……」
普段あまり入らない細い路地の方に目を向けていると、背後から声をかけられた。振り向くとそこには長い栗色の髪をした女性。普段は組合のカウンター越しでしか会わない、マリネッタの姿があった。
「やっぱりイチローさんでしたあ。奇遇ですねえ、イチローさんもお買い物ですか?」
「ええ、まあ……」
「マリネッタ……大型犬じゃあるまいし、急に走り出すのは止めてちょうだ……おや」
挨拶を返している所へ、小走りに近寄って来るのはアデーレだった。お互いにこの出会いは予想外だったのだろう。『こんな所で何をしているんだ』という表情が読みとれた。
「もしかしてイチローさんも、あのお店へ行くんですかあ?」
「あのお店……ですか?」
「はい! 新規開店の服屋さんなんですよお、この前チラシが入ってて、アデーレさんと一緒に行こうと思って!」
「断っておきますが……私はしつこく誘われて仕方なく来ただけですから」
「もー、アデーレさんってば素直じゃないんだからあ」
どうやらこの2人、プライベートでも交友があるようだ。女性同士のショッピングと言うのは、この世界でも一般的な休日の過ごし方らしい。
「それで……イチローさんも行くんですかあ?」
「その店の事は知りませんでしたが……冬用の外套を買おうと思いまして」
「なるほどお……じゃあ、一緒に来ませんか?」
「ちょっとマリネッタ……?」
「いいじゃないですか、2人より3人の方が楽しいですよ、きっと?」
「組合員と組合職員が必要以上に仲良くすることは好ましい事ではないのよ? マリネッタ」
「アデーレさんは極端すぎますよう、あ、どうぞどうぞイチローさん、遠慮しないで一緒に行きましょう」
「は、はあ……」
何故か、組合の女性職員2人と服屋を訪れる流れになっている。別に迷惑と言う訳でも無いが、普段接する限り普段この2人は対照的な人物と言う印象を持っている。それが一緒に居るというのは、意外な取り合わせに思えた。
「アデーレさん、お仕事はすっごく出来るんですけれど、全然遊んだりしないんですよお。だから、私がこうやって連れ出しちゃうんです」
「休日に何をしていようと勝手でしょう、もう」
「駄目です~、そんなこと言って、やってるのって仕事の準備とか勉強とかじゃないですか。そんなことしてたらお嫁に行けな……いひゃいれふぅ」
マリネッタの頬がつねられた。普段座っているためあまり意識はしなかったが、大型犬と称された彼女は女性にしてはかなり背が高く、自分と同じか少し高いくらいだ。それがアデーレに頬を引っ張られ、下に傾きながら歩いている。
「そう言うあなたも未婚でしょう。人のことを言えた義理?」
「私に見合う人が居ないだけですもん。良い人が居たらグイグイ押して結婚まで持って行っちゃいますう~」
「私は別にそんな積極的に恋愛やら結婚やらをしたいわけではないの」
どちらもそんなことを言っているうちに歳を重ねそうなタイプだと思うが、それを口にするのは危機管理意識の欠如という物だろう。
「もう~、アデーレさんって本当は優しいんですから、その辺押して行けばすぐに良い人出来ると思うんですよねえ。イチローさんもそう思いませんかあ?」
「(優しい……か?)はあ……そうかも、しれませんね」
「ですよねえ! 普段は結構厳しい態度ですけど、ジーノ君のことも可愛がってますし、探検者の皆さんの支援に一番熱心なのもアデーレさんなんですよお」
「それが私たちの仕事でしょう。取り立てて喧伝するようなことではないわ」
「そう言う所ですよアデーレさん! 新しい探検者さんの名前を一番に覚えるのも、依頼で何かあった時に一番に動くのも、私が仕事溜まって泣きそうなときに助けてくれるのもアデーレさんじゃないですかあ」
「もう……」
「(今、一つ個人的な理由が入ってたな)」
とにかくこの2人は仲がいいということはわかったあたりで、マリネッタたちの目的である店へと到着した。表通りから少し奥まったところにある、1階部分が店舗、2階以上が住居となっている、テルミナスでは一般的な様式の商人の家。緑と黒の文字で書かれた看板は『小さな二人の衣装屋』と読める。玄関をくぐると……アパートの食堂より少し狭い程度の部屋に、マネキンが肩を寄せていた。
「いらっしゃーい!」
そのマネキンの影から、小さな人影が姿を見せた。ウサギのそれを横にしたような特徴的な耳……ヘルバニアンだ。子供のような見た目と声のため判断をつけにくいが……糊の効いたシャツ、黒い背広を着ていることから、男性のようだ。
「当店は誰でもご歓迎! 私みたいな小さな人から天も突かん巨大な異界人まで、必ずやお似合いの服をご用意しますよ!」
「わあ、珍しい。ヘルバニアンさんなんですねえ! それじゃあ早速、私とアデーレさんに冬用の可愛い手袋と耳当てを見繕ってくれますか?」
「はいはい、手袋に耳当て! わが故郷、南部大草原から届いた綿と毛をたっぷり使った、最高の一品をご用意させていただきます! そちらの方は……?」
「私は……全身覆う防寒具を」
「ふむふむ、そちらも色々ありますよ。革製品ではニクシアンに一歩ゆずりますが、織物で作ったマントもありますので~」
「マントですか……」
マントと言うとどうも背中にかけているイメージだが、全身を覆うように着ることで防寒具として機能もする。構造が単純なためか、服に比べて安いというのも利点だろう。マネキンに着せられたマントの中から丈の合う物を探してみるが……隣にアデーレが立った。
「賢い選択とは言い難いですね。腕を布の下に隠して、咄嗟の襲撃などへどう対応するつもりですか? ましてや荷物を背負って歩くのなら、多少高かろうが袖のある物を選ぶべきでしょう」
「それは……確かに」
「加えて言うなら、野外で雑に扱っても破れたりせず、手入れしなくても大丈夫な物が良いでしょうね。そこまで気を配る余裕は、まだ無いでしょう?」
「……おっしゃる通りです」
「ほうほう、もしや探検者さんですね? 中々難しいご注文ですが~……お客さんは運が良い! 私の家内はモンシアンでして。彼女らの使う材料を、私特別に仕入れてございます!」
「モンシアンとヘルバニアンの夫婦ですかあ! 看板の『小さな二人』ってそういうことなんですねえ」
「ええ、そういうことなんですよ! それではまず、手袋と耳当ての方をご用意させていただきますね」
店員と盛り上がるマリネッタ。一方のアデーレは再び沈黙し……展示されている服の丸い綿飾りを指先で弾いている。
「アデーレさんは何色が良いですか? 私は濃い目の色が合うんじゃないかなと思うんですけど!」
「あなたが選ぶならきっと大丈夫でしょ、任せるわ」
「はあい! じゃあ黒と……私は橙で……」
注文を詰めていくマリネッタを見るアデーレは、どこか複雑そうな表情に見える。
「……何か?」
「いえ……仲が良いのだなと思いまして」
「まあ、探検者時代から数えて、かれこれ8年近い付き合いになりますので。いつしかお互いの好みもわかるようになっていました」
「8年……いや、それよりも。あなたも探検者を?」
「組合職員の半分近くは元探検者ですが、ご存じありませんでしたか?」
「あまり、そう言ったことは調べないもので」
「あ~、2人で内緒話ですかあ?」
戻って来たマリネッタが、アデーレに耳当てを付ける。恐らく何かしら動物の骨か角で出来た柄に、羽毛で飾りを施された分厚い生地が縫い付けられた、どこかヘッドホンのような形の物だ。
「別に、私たちが前は探検者だったという話をしていただけ……あったかいわね、これ」
「ああ~懐かしいですねえ。私が盾で前に出て、アデーレさんが魔法で吹っ飛ばす! 私たちは無敵だ~って思ってましたあ」
2人は前衛後衛のコンビだったらしい。8年のつきあいと言うが、2人はどう見ても20代。下手をすれば自分より若い時から探検者をしていたことになる……
「お待たせしましたお客さん! 外套ですが、丁度大きさが合いそうな物がありましたよ! どうぞどうぞ、羽織ってみてくださいな」
2人の過去に考えをよぎらせたところで、こちらが頼んだものをヘルバニアンが持ってくる。背が低いため、床に擦れない様に畳んで頭上に掲げられたそれは、濃い灰色のコート。丈は長く、膝下まである。ベルトで留めるタイプで、肩や腰にストラップが備えられており、地球で言うトレンチコートに似ているように思えた。
「これはモンシアンが探鉱の時に着る物でして、色んな道具をこの紐につり下げられるようになっております! ポケットは大き目で全部蓋つき! もちろん頑丈で保温性も抜群! 今ここでしか買えない掘り出し物ですよ!」
「特別な素材と言っていましたが……一体何なのですか?」
「はい~、モンシアンたちが掘る鉱石の中には、まるで糸のようにほぐせる石があるんです。それを紡いで織った布で作ったのがこちら! どうです? お仲間に自慢できますよ!」
「自慢できるかどうかはどうでもいいのですが……」
ほぐせる石とは変わった物もあった物だが……何か、頭の隅で引っかかる。何か、そんなものをどこかで聞いたことは無かっただろうか。この世界ではなく、地球で……
「……アスベスト?」
「おお? お客さん物知りですね! そう、石綿なんですよ! これで作った服を買える店はテルミナスと言えどそうそうありません!」
得意げなヘルバニアンの店主だが、アスベストと言う単語に良いイメージは無い。肺がやられたというニュースを耳にしたことがある……
「(いや、でもそれは……吸い続けたら、だったか?)」
少なくとも、長期的な影響よりは短期的な効果を優先すべき場合ではあるのかもしれない。そのニュースでは、あまりに有用な素材のため多用されたとも言っていた……
「ちなみに、値段の方は?」
「はい、新規開店記念価格で、金貨8枚となっております!」
価格としてはこの手の衣類の平均程度。やや奥まったところと言う立地のため、多少安くはなっているのかもしれない……それでも、高いことに変わりはないが。
「(気軽に出せる金額じゃない……しかし今なら出せる金額でもあるか……)」
「いかがですか~? これほどの物は早々見つからないと思いますけど……」
良い物ではあるのだろうが、値段が値段だけに躊躇する。判断に困り、女性陣の方に目を向けると……マリネッタはマフラーやらケープやらでアデーレを着飾るのに夢中のようだ。着せ替え人形と化しているアデーレはいつも通りの顔で、視線だけをこちらに向ける。
「『躊躇する理由が値段なら買え』とは言いますね……まあ、もっと都合の良い物があるはずだなんて思う人は大体大損をする物ですが」
「もう~、アデーレさんも素直に言えばいいのに」
相変わらずの後ろ半分だが……ひとまず、そのコートを手に取る。やはり鉱物のためか見た目よりは重い。だが、動きを阻害するというほどでもなく……その他の荷物の分を考えれば、誤差の範囲に収まるだろう。
「では……これを頂きます」
「ありがとうございます! ご一緒に手袋や襟巻などいかがでしょう?」
「(ポテトやシェイクじゃあるまいし……)」
適当に流そうとしたとき……棚の端に赤い手袋を見つけた。親指だけが別れたミトン型の物。手首部分だけが白く、他は赤い色合いのそれはひときわ目立っていた。
「お、これが気になりますか? これもモンシアンの材料でして、首長羊の毛を使ってるんですよ。これから寒くなりますからね~、普段使いにもってこいです!」
「……」
やわらかい毛の手袋など、到底探検には持っていけない。今の分厚い皮手袋が最適……なのだが。結局その赤い手袋を買ってしまった。コートはその場で着て帰ることにして、手袋だけを包んでもらう。一連の流れを済ませたころ、アデーレ達も買う物を決めたようだ。マフラーや手袋を着た2人は、次に行く店の相談など始めている。
「それじゃあ、また組合でお会いしましょうねえ~!」
「お友達の皆さんも……まあ、活躍をご期待しています」
偶然出会った組合員2人は、まだ街歩きを続けるようだ。こちらはもう用事を済ませたので、帰るだけだが……その前に昼食を食べていくことにした。
買い物
コート:金貨8
赤い手袋:銀貨10
今週も最後までお読みくださり、ありがとうございます。
ブックマーク・評価も是非お願いいたします。
お時間ある方は、ぜひ感想もお寄せ下さい。




