十八章の4 基礎訓練
異世界生活194日目、秋の58日
湾を回り込んで、島のほぼ最南端。海に面した、潮風が吹きつける小高い丘の上にその建物はあった。整然と横に並んだ石造りの大きな建物は、見ようによっては倉庫にも見える。だが糞と餌の臭いが混ざった独特の臭気、時折聞こえる短く連続した鳴き声が、そこに動物がいるということを物語っていた。
「ここが大鳥厩舎かあ……」
強い風にフードをまくられないように抑えたアルフィリアが辺りを見回す。鳥の乗り方を教わりに行くと言ったら、興味を持ったらしくついてきてしまった……勝手に増やしてアルマが機嫌を損ねなければよいのだが。厩舎の入り口まで来たところで、羽ばたく鳥の絵が描かれた大きな木製アーチの脇に、ウーベルトの姿を見つける。
「おお、旦那……に薬師殿も」
「おはようございます。アルマさんは?」
「まだ来てねえようですな。もうとっくに4時は過ぎているはずですがねえ……」
アーチの下で周囲を見回すと、丘の下から一頭の馬が駆けて来るのが見えた。またがっている人物は全身を金属の鎧で固めている……どうやら時間はあまり気にしないほうらしい。少なくとも装備にかける情熱よりは。
「すまぬ、待たせたな! むっ? その白い服の娘は……?」
「初めまして、あなたがアルマ? アルフィリアよ。イチローとは友達なの。テルミナス大鳥に乗るっていうから、どんなものか見てみたくて」
「ふむ、なるほど。良いだろうアルフィリアとやら。2人も3人も同じこと、そなたも来るが良い!」
人数が増えたことは軽く流された。アルマは馬をアーチに繋ぐと、厩舎に向け歩いていく。良く言えばおおらか、悪く言えばいい加減な性格なのかもしれない。一々古式がかった口調も気になるが……他の2人が気にしていない辺り、自動翻訳の調子が良くないのだろうか。
それはさておき、近くで見た厩舎は予想よりも大きい物だった。二階建ての住宅よりもさらに高い程度。奥行きは学校の体育館ほどもあるだろうか。アルマは建ち並ぶそれら……ではなく、手前にある事務所のようなところへ足を向けた。
「頼もう! 主任殿は居るか?」
「おや……アルマ様。本日も遠乗りでしょうか?」
全身鎧で入るなり役職で呼び、それにあっさり応答があるあたり、アルマは来慣れているらしい。どちらかと言えば直営酒場の店主と同類に見える主任、とやらが大分下手に出ているあたり、何かしらコネがあるのだろうか。
「いや、今日はこの3人に騎乗の練習をさせる。練習台を借りるぞ」
「ええ、構いませんとも。案内は入用ですか?」
「不要だ。さあ3人とも付いてくるが良い」
事務所を出て、アルマに続く。厩舎の前に差し掛かると、餌の時間なのか猫車に満タンの魚が厩舎へと運び込まれていき、けたたましい鳴き声があたりに響きだした。中を覗き込むと……
「これが……テルミナス大鳥、ですか」
「おや、旦那は間近で見るのは初めてですかい?」
「ええ、時折上を飛んでいるのを見るばかりですね」
「私も私も……おお、でっかーい……!」
厩舎の中は柵で区切られ、一つのスペースに一匹、巨大な鳥。うずくまるような姿勢のためはっきりした大きさはわからないが、地面から頭までの高さだけでも3mはあるだろう。天窓からの太陽光に照らされた羽毛は茶色と白に分かれ、餌を欲しがっているのか突き出された嘴は曲がって尖り……全体的なフォルムとしては鷹や鷲のように見える。
「(いや、島に棲む鳥なんだから海鳥なのか……? 餌も魚だし)」
「飛んでるのを見ても大きいって思ってたけど、近くで見ると……」
アルフィリアは馬房ならぬ鳥房の前に行き、もっと近くで見ようとして……
「びゃっ!?」
……顔を嘴で挟まれた。
「あだだだだ!? 痛い! これ痛い!?」
「何やってるんですか……」
「ははははは! アルフィリアとやら、よほど美味そうだったと見える!」
アルマと二人がかりで嘴をこじ開けると、アルフィリアは顔面に二筋の赤い痕がついていた。
「うぅ~……」
「うむ、血は出ていないようだな。年頃の乙女の顔に傷がついては……む?」
傷の様子を見ようとしたアルマが顔を覗き込み、その動きを止める。噛まれて抜け出そうともがいたアルフィリアは、フードから一房、その青い髪が見えていた。
「え、えーと、その……」
「なに、気にするな。私は弱きを守る正義の騎士たらんと心がけている。髪の色如きでそなたを悪く言うつもりなど欠片も無いとも!」
「あ、ありがと……」
「いやはやご立派ですなあ! 偏見なんざ気にも留めない、まさに正義の騎士様だ!」
「ははは、よせよせ! 褒めても何もでんぞ!」
事なきを得た。少なくとも、アルマはこの世界の一般的人物より良識と言うべきものを身につけているらしい。そう言った意味でも、少し世間からはずれているようだ……そのアルマは、敷地の一角にある物置を開けると、中から台車に乗った奇妙な……オブジェのような物を引っ張り出してきた。
「これを使うのは何日ぶりか……懐かしさすら覚えるな」
「えっと、これ……なに?」
「ジェットコースター……でしょうか?」
「何ですかい? それは」
「私の世界の……いや、まあ違うでしょう」
落ち着いて、細部を観察する。まず目を引くのはリング状の構造物。ジェットコースターと言う印象の要因でもあるそれは、高さ約2m強。内側の部分に座席が据え付けらており、そのリングの下には手回しハンドルとその脇にレバーが付いた土台。デパートの屋上にでもあれば、遊具の一種だと断定しただろうが……
「見ての通りこの鞍はテルミナス大鳥に使う物と同じ物、本物に乗る前にまずはこれにまたがって練習と言うわけだ。まあ、聞くよりもやってみる方が早かろう、イチロー、まずは貴公からだ!」
「やってみる、と言われましても……」
指名を受け、前に出るが……鳥はおろか馬にもまたがったことは無い。ひとまず座席にまたがり、頭まである背もたれに体を預けるが……どうにも足の座りが悪い。足置きは有るのだが、妙に高く……足を乗せようとすると体育すわりのような姿勢になってしまう。
「違う違う! 馬や牛とは違うのだぞ。鳥には翼がある、またがることはできん! こうだ、こう!」
姿勢を矯正される。正座のまま足を広げたような、お世辞にも楽とは言い難い姿勢だが、これが正しいのだという。確かに膝が上手く足置きに収まり、姿勢は一応の安定を見た。
「まず、体をしっかりと鞍に固定する! これを怠ると空中で放り出されて死ぬほど痛い目を見るからな」
「(痛いで済むのか……?)」
疑問を浮かべるこちらをよそに、アルマは鞍に多数付いたベルトで体を固定していく。両肩を通して二本。腰を回るように一本。両脚に一本ずつ。分厚い革と頑丈そうな金具で出来たベルトが通され、かなり強く締め付けられる。
「よし、では……ウーベルトとやら! その取手を回すのだ!」
「へえ、そいじゃあ、ちょいと失礼をして……」
台座部分に付いたハンドルが、ウーベルトの指が足りない両手で回される。すると、リング状の部分が回転し……そこに固定された座席も一緒に上へと昇っていく。
「(……本当にジェットコースターだな)」
「こいつは、結構、重いですな……」
「なるほど……こうやって、傾きとかに慣れたりするのね」
「そういうことだ。イチロー、鞍の前に持ち手があるだろう! そこを掴み、傾きに耐えるのだ!」
持ち手と言うよりは、大き目の突起と言った程度の物、バットやラケットの握り手だけを逆さに取り付けたというような感じだが、それでも無いよりはずっとマシ……と言えたのも、逆さまになるまでだった。
「(これは……きつい……!)」
足と片手で鞍にしがみつくがそれだけでは支えきれず、両肩のベルトが食い込む。全身に力を入れて自身の体重に耐え、頂点を過ぎようかと言うあたりで……アルマはハンドルの脇にあるレバーを引いた。瞬間、一瞬の浮遊感。次いで急停止、体の中身が前に飛び出しそうな感覚を覚える。
「こうして、急降下や急制動に慣れることも出来る! まずはこれをひたすら交代だな!」
「へ~……イチロー、なんか蛙が踏まれたみたいな声出してたけど大丈夫?」
「やるならやると、言ってほしかったです……」
「それでは練習にならんからな! では三人で交代して練習しておくように。私はやることがあるので帰らねばならんのでな!」
「ええっ ですが、来たばかりですぜ」
「私とて暇ではないのだ! 明日も同じ時間にここに来るから、それまでに体を固定できるようきちんと練習しておけ! いいな!」
言うが早いか、アルマはどこか慌てたそぶりで走り去ってしまう。確かにベルトを着けて逆さまになるだけなら教えるも何もないのかもしれないが……それにしても、少々無責任ではないだろうか。
「ね、ね、次私!」
自分とウーベルトと違い、アルフィリアはまるでアトラクションの順番待ちをする子供のような顔をしている。確かにジェットコースターめいた……と言っても遊園地の類など足を踏み入れたことは無いが。そう言った遊び道具のようにも思えるのかもしれない。
「旦那あ、次回すのはお願いしやすぜ。こいつは中々骨でさあ」
「では……交代しましょうか」
鞍にまたがりベルトを身に着けるアルフィリア。その体重がかかった重いハンドルを回し、頂点まで来たところでレバーを引いて一気に下まで降下させる。
「おおお~~~~……これ、結構楽しいかも」
「ううむ……若い女子の感性ってのはどうもわかりかねますなあ」
アルフィリアの次はウーベルト、続いて再び自分……その順で繰り返す。途中ベルトの絞めが甘く、頭から落下すること数回。日が傾いたころには、ベルトの着脱は問題なくできるようになっていた。
「……さすがに飽きたわね」
「まあ、遊んでるわけでもありやせんが……」
「いい加減……腕が限界です……」
結局、この日は道具を物置に戻して解散となる。ハンドルを回し続けて感覚が消えかけた手を『水晶の湯』で癒し、アパートに戻った……
異世界生活195日目、秋の59日
「よし! どうやら落ちる心配はなさそうだな! 正直これもできないようだと流石に諦めるしかないかと思ったが安心したぞ!」
今度は遅刻せずに現れたアルマは、今度は機材のセッティングをこちらにやらせ……一人ずつ一回転させるとそう言い放つ。もう不要とばかりに機材を引っ込めると、自分達3人を厩舎の草地に座らせ、前に立った。
「さて! では今日は実際飛ぶにあたって必要になることを教える! それは……」
「それは……!?」
「……話し方だ!」
「話し方?」
ためを作ってから『話し方』ときて、前のめりになっていたアルフィリアが肩透かしを食らったと言いたげな表情を浮かべる。
「話し方を舐めるな! 常に風の中を移動する上、鳥は羽ばたく分、お互いの距離が馬などより遠い! あと冬場は寒いので耳当てなどが必須だ! 常に言葉が届くとは限らん中、離れた相手と確実に意思疎通ができなければならないのだ!」
「ふうむ、なるほど、道理でやすな」
「と言う訳で。空中では言葉を使わずに意思疎通できなければならない。具体的には……手と光だ」
アルマは物置からランタン……自分たちが持つ物と違い、全体が金属製で小さな窓が開いているそれを掲げた。
「特に光を使ったやり取りは夜の飛行では必須になる! 手信号と合わせて、完璧に暗記するように! 私も大層苦労した!」
「勉強することが多いですね……」
「まあ、何しろ空を飛ぶわけですからなあ」
別に免許のような資格があるわけではないらしいが、人が乗れるような生き物は当然値段も高い。それなりの能力を身に付けた、と紹介なり何なりして貰わないと貸してもらえない、会員制のようになっているそうだ。
「まず手信号から行くぞ。腕の振り方と指の形でその意味は変わる、しっかり覚える様に!」
アルマはチョークを使い、物置の壁を黒板代わりにし授業を始めた。手信号は多岐にわたり、『続け』『加速』『減速』といった基本的な物から、『上昇しろ』『下降しろ』と言った空を飛ぶ動物ならではの物と……概ね、飛び方に関する物が多い。その他の細かい意思疎通は発光信号を用いるとのことだ。こちらは文字一つに付き発光のパターンが決められており……いわゆるモールス信号と似たような物として使われる。そこまでは理解できた……が。問題は、そもそも自分が普通の読み書きですら勉強中だということだった。
「今日はこれまで! 各自しっかり勉強しておくように!」
「やれやれ、まるでガキの時分の手習いみてえだ」
「ふふふ、先生と呼んでも良いぞ?」
一応今日は丸一日付き合っては貰ったが……それでも各種のやり取りを覚えきることはできなかった。よって、アパートに帰ってからも復習になるが……
「ちーがーう。それじゃあ『耳が聞こえない』になっちゃうでしょ『目が見えない』はこうよ」
「は、はい……」
完ぺきとは言わないまでも、使用頻度が高い言葉くらいは使えないと話にならない。居間兼食堂で、解禁されたストーブに当たりながら、既に信号を習得したらしいアルフィリアに教えを受ける……
「しかし……何でまた、あなたまで飛び方を習いに?」
「ん? だって楽しそうだし……それに、あんたが鳥で遠出するって時に私も付いていけた方が良いでしょ?」
「それは、まあ」
「でも、あんたが飛べないんじゃ話にならないからね。ほら、勉強勉強」
どこかで拾って来た木の枝を指示棒よろしく扱い、発光のリズムを線で表すアルフィリアの姿はどこか楽しそうにも見える。まさか異世界に放り込まれてから、資格の勉強をさせられることになるとは思わなかった……興が乗ってきたらしいアルフィリアに厳しく指導され、おそらく、日付が変わった頃。ようやく解放される。
「(だいぶ遅くなったな……)」
しばらくこんな勉強の日々かと思うと、探検で身の危険を冒すのとは別のベクトルで気が滅入るが……東の空に昇る赤と青の月。そして時折空を流れる星。そこを飛んで行くというのは、確かに、アルフィリアの言う通り楽しい物……なのかもしれないと思えた。
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