十六章の1 呼び出し
学校で自分の名前をどうして付けたのか聞くっていう宿題が出た。親が子供に渡す最初の贈り物で、未来への希望や子供にかける願いや、そんなものを込めているんだって。家に帰って、お昼のお皿を洗いながら聞いてみた。
「ねえ、お母さん」
「何よ」
「一郎って名前どうして付けたの?」
「はあ?」
「えっと……学校で、宿題が出て……名前をどうして付けたか聞くって」
「そんなもん適当よ。野球選手から取ったとでも書いとけば?」
「……うん……」
「ったく、本物のイチローみたいに稼げたらこんな所……」
家で野球を見ることは無いけど、超有名選手くらいは知っている。作文ではお母さんが野球好きだということにしておいた……なんだか、体が重い気がする。いや、気がするのではなく重い。何か乗っているようで、手で触り……それが、着たまま寝ていた鎧だと気付く。窓から薄く差し込む日光が、夜明けを告げていた。
異世界生活156日目、秋の20日
リンランは今の所姿を見せてはいないが、彼女との間で交わしたのは口約束とすらいえないような物。いつ寝込みを襲われるかもわかった物ではない……かといって、そんなことを相談もできず、動くに動けない状態が続いていた。引きこもるわけにも行かないので、直営酒場へと何か依頼が無いか見に来たのだが……
「おう、イチローか。お前を指名した依頼が入ってるぞ」
「指名、ですか?」
「ああ、評判が良かったり、依頼でいい結果を出して受けて気に入られたりしたらそういうこともある。勿論受けるかどうかはお前の自由だがな」
確かに、それなりに依頼をこなしては来ているが……そこまで気に入られるような相手は居ただろうか。
「依頼人と依頼内容は?」
「依頼内容は護衛だそうだ。依頼人は便利屋のリンラン、ここらじゃそこそこ古参だな。知ってるか?」
「……ええ、それなりに」
「なら、話は早いな。金貨2枚出すそうだがどうする?」
これが単なる依頼とは考えられない……選択権の無い類の話だろう。引き受けるほか、なさそうだ。
「請けます。日時と場所は……」
「お、旦那。次の仕事でやすかい? あっしは何時でも大丈夫ですぜ」
「あ~、悪いが今回はイチロー1人を所望だそうだ」
「えええ? そりゃねえでしょう。あっしと旦那は最初の仕事からのつきあいなんですぜ」
「すいません、依頼人の意向とあっては……」
「はあ、仕方ねえですな……旦那、次は頼みますぜ」
次があれば、だが。指定されたのは翌日の朝、ベスティア大橋の前だった。そこから、以前自分達が調査隊を捜索したあの谷の方へと向かうという。必要になりそうな物品を買い集めるが……正直な所、もっとも必要なのは遺書なのではないかという懸念は頭から離れなかった……
「(……いったい何をするのかもわからない以上、出来るだけの準備はしておかないとな……矢の補充、それから……イルヴァの付与術も)」
アパートからやや南寄り、小さめの住宅が並ぶ中の一軒に、『イルヴァの魔法事務所』……とは本人の談。そんな看板を出したイルヴァの自宅兼仕事場がある。ここに居なければ、大体はベスティア行きの門で付与術の営業をしているが……ノックすれば、中から気配がしてドアが開いた。
「あ、いらっしゃい……今日も付与術を依頼で?」
「ええ。また5本お願いします」
「ちょっと前も使ってましたよね……おかげで儲かります」
「例によって、夕方取りに来ます。それと……」
「はい?」
今回の仮想敵には、リンランを入れておいた方がよさそうに思えた。しかしあの素早さに対して自分では敵わない。そこで手っ取り早く可能な対処法として思いつくのが、彼女の付与術でこちらも対抗しうるだけの素早さを得る事。相談を持ち掛けようとしたその時。
「おいこらあ! このインチキ魔術師が!」
「ぴゃあっ!?」
けたたましくドアが開け放たれると同時に、男の怒声が響いた。何事かと振り返ればそこには探検者。鍛えられた体と鋲打ちされた革の防具には最近できたらしい傷が多数刻まれている。
そんな人物に怒鳴りこまれたイルヴァは……奥の寝室に隠れてしまった。そこから顔を半分だけ出している……
「な、な、なんなんですか一体……」
「なんなんですか、だとお? てめえいい加減な術をかけやがって! 素早くする術を頼んだのに何だあれは!? 木にぶつかるわ石でこけるわ剣は空ぶるわ、散々じゃねえか!」
「そ、そんなの当たり前じゃないですか……付与術は体を強化できても頭までは良くならないんですから……」
「俺の頭が悪いってか、ああ!?」
男は部屋を突っ切って寝室へ……イルヴァはドアを閉めて立て籠もった。
「出て来い! こらあ!」
「い、イチローさん、助けてください……」
「えぇ……」
イルヴァは喧嘩を売っていると取られても仕方ない物言いだったが……実際売っていたのかもしれないが、まかり間違って彼女の仕事ができなくなっては困る。ドアを蹴破りそうな剣幕の男へ、背後から声をかける。
「失礼、あまり大声を出さないほうが……玄関も開けっ放し、下手をすれば強盗か何かで通報されかねません」
「ちっ……! だがこっちだって引き下がれねえぞ! こっちは大金払って、危うく死にかけたんだからな!」
「……イルヴァさんも、扉が蹴破られる前に、わかりやすく、丁寧に説明した方が身のためかと」
「うぅ……」
扉をほんの少し開けて、イルヴァが覗き見る。そして小さな声で説明と言うか言い訳と言うか、申し開きを始めた。
「だ、だから、付与術は肉体を強化できても……頭までは強化できなくて……」
「その辺りをもう少し、わかりやすく……」
「えっと、つまり……手足の力を上げて速くはなれるけど、その速さに頭が追い付くかは別の話で……普段と違う速さで動き回れば、目が追い付かなくなるし、早い分ちょっと躓いただけでも転倒しやすく……」
落ち着いて話を聞けば、もっともな話だ。物理的な力を強化するのは言ってしまえばエネルギーの問題、外部から補強するのは比較的容易いだろう。しかしそれを制御し、戦闘の時に必要な判断を下すのは経験や勘と言った部類の話、そう簡単に外から付け加えられれはしない。自転車に乗れるからと言って大型バイクを運転できるわけではないようなものだろうか。
「(普通に説明すればいいものを……)」
「そ、そう言うことは先に言いやがれ!」
「言わなくたって考えたら普通わかる……」
「わからなかった俺の頭が普通以下だってかあ!?」
「ぴいっ!」
結局そのままイルヴァの立て籠もりは続き、探検者側にも非があったということで、やがて怒りは一応の収まりを見た……と言うよりは根負けしたという方が近いだろうか。とにかく彼が帰って行ったのを確認してから、イルヴァはようやく寝室から姿を現した。
「うう……やっと帰った」
「最初にきちんと説明すれば、こうならずに済んだのでは……」
「言いました……単純に走るだけとかならともかく、複雑で激しい動きは相当慣れてないと無理って……そしたら『俺を素人扱いか』って……」
「ああ……」
「はあ……反省するならまだしも、逆恨みするなんて……これだから馬鹿な人って」
「(この物言いにも少なからず原因は有りそうな気がするけどな)」
「……あ、さっき何か言いかけてましたけど……なんです?」
「……いえ、別に」
「……?」
当てが外れてしまった。素早さは魔法でもそう簡単には補えないとなると、リンランのそれに対抗するのは難しい。ひとまず矢の付与術だけ頼むことにしたが、とうとう、別の良い手は思い浮かばないままだった。
購入物 数量 出費 現在数
矢 22 銀貨22 13→30
イルヴァへの付与術依頼 5 銀貨15 0→5
帰宅後、出発用の荷物をまとめる。武器防具のみならず、ハンモックにペン、チョーク、方位磁針にノート、食器……
「(矢毒は……あと1回分ってとこか)」
「イチロー、今日の晩御飯だけど……」
エプロンをしたアルフィリアがノックも無しに顔を出す。傷薬を頼んでおこうかと思ったが、在庫がまだあるのでそれは止めておくことにした。
「……私が着替えでもしていたらどうするんですか」
「鍵かけてないそっちが悪い。あ、次の仕事入ったの?」
「ええ、明日の朝出ます。前に行った谷の方へ行くそうですが……」
「そっか。私もついていこうか?」
「いえ、先方が1人だけとの要望を出していまして」
「あら、そうなんだ……ねえ、イチロー」
「何でしょう?」
「気が進まないなら、断っちゃえば?」
「はい?」
無論そんなことをするわけには行かない。検討するまでも無く却下なのだが……
「なぜ、気が進まないと?」
「ん~……雰囲気? そこそこつきあいも長くなったし、なんとなく考えてる事わかるようになって来たって言うか」
「サクラと同列ですか……」
「何言ってんの。サクラは可愛いじゃない」
「(サクラ以下か……)」
「とにかく……行くなら良いけど、気をつけなさいよ。あ、それから……」
「それから?」
「あの谷に行くんだったら、あの赤い結晶あったでしょ? できたら、持って帰ってきて。なるべくたくさん。結晶だけじゃなくて、似たような色の石があったら、それでもいいから」
「あれは……水銀、でしたか?」
「うん、あれはあれで使えると思うのよね。だからお願い。あと……」
「あと?」
「晩御飯の準備、手伝え」
「はあ……」
荷物の準備もひと段落していたところなので、夕食の用意に取り掛かる。出来上がった食事には大家であるサンドラも同席するのだが……
「(リンランとは知り合いなんだよな……)」
このアパートを紹介したのもリンランだ。彼女の事を知っているかもしれない。しかし……あまりにリスクが大きく感じられた。もしリンランの真実を知ったうえでの関係なら、下手な情報収集は最悪の結果を招きかねない。結局、前情報なしでリンランの依頼……と言う名の、実質的な呼び出しに臨むことになった。




