十五章の8 最終弁論
サロンの空気は幾らか落ち着いてきているものの、やはりアルフィリアには厳しい視線が向けられている。サクラが居なければ、石や食器でも投げられていそうだ。そしてその敵意の筆頭、一等法官の前に立つ。
「素人の悪あがきは済んだか?」
「まあ、素人なりにやれることはやらせてもらいました。幸いにして、見つかりましたよ……真犯人の存在を示すに足る証拠が」
法官の前で宣言すると同時に、サロンがざわついた。視線がアルフィリアからこちらへと集中したのを感じる……正直なところ、こういったシチュエーションは苦手だ。しかしそうも言っていられない。幸いにして今回の事例はただ事実を述べればいい。
「まず第一に、事件現場の浴槽でこのような陶器片を発見しました」
「ほう、なんだそれは」
「事件現場となった個室の裏……浴槽に湯を送る管が破壊されていました。これはその破片です」
「何だと……?」
「第二に、毒を受けた経路が判明しました……湯です。被害者の浸かっていた湯が毒に汚染されていました」
「それに関しては俺も確認した。オルデキタスの名のもと、保証するぜ」
「ふん……だから何だ」
「第三に、この建物の地下にある排水口……そこの鍵が壊されていました」
ざわめきが広がる。外部からの侵入の証拠。これはつまりアルフィリアの疑いが一気に薄れたということでもある。従業員の一人が声を上げた。
「そんなバカな、昨日見た時には確かに鍵はかかっていた!」
「証言ありがとうございます。つまり鍵が破壊されたのは今日ということになります……排水口は、伏せて進めば充分通れる太さでした。つまり犯人はまず、被害者がどの個室に入るのか観察し……」
衛兵までも、視線をこちらに向けている……名探偵と言う物は、よくこんなプレッシャーに耐えられるものだ。
「その後一度退店、下水道へ入り、街の下に張り巡らされた下水網を使って店の下へ到達、錠を破壊して、配管通路を使い、事件現場のすぐ後ろまで見つかることなくたどり着いたのです」
これ以外に、外部犯が可能な手順は無い筈だ。このまま、最後まで行く。
「そして犯人は配管を破壊し、そこから毒物を混入。毒物の詳細は不明ですが……恐らく皮膚か肛門あたりから吸収される様な物なのでしょう。被害者2人を死に至らしめた。そして来た道を通り、悠々と脱出したのです」
「え、どういう事?」
「あの『幽鬼』は犯人じゃないっていうのか?」
「じゃあ、犯人はもう逃げて街に居るの?」
「なんてこった、次はどこに毒を入れられるかわからないぞ!」
ざわつきが一気に大きくなった。どうやら自分の推理も、そう捨てたものではないらしい。そもそもの法官の方が雑すぎたきらいもあるが。
「一等法官どの! いま、地下と配管通路を確認しましたが……そのものが言う通り、破壊された錠と配管が……」
「外部犯の犯行であることは明らかでしょう。速やかに、彼女への不当な拘束を解除するよう求めます」
「……なるほど、どうやら私が見誤っていたようだ」
法官はゆっくり呟く。それは重々しいと言いうより……苦々しい、という響きに聞こえる。だが、ここまで証拠が揃っているのなら認めざるを……
「よもや、異界人と言うのがここまで愚かだとはな」
「……どういう事ですか」
「貴様、ここを抜け出してこそこそと何かしていただろう。何をしていたのか? 聞くまでも無い。錠を破り、配管を破壊し、まるで外部犯が居たかのように偽装していたのだ!」
「なっ……」
確かに……衛兵の目を誤魔化して抜け出たことは確かだ。だが……
「(こういう反論をできるように、見逃していたのか!?)」
「犯人をかばうために細工をしようなど言語道断! 貴様も処罰は免れんと思え!」
「は、反論にすらなっていません、都合の悪い事はこちらの工作だと? そんなものが通るなら」
「黙れえい!!」
「っ……!」
一気に声量を上げる法官に言葉が詰まる……立場をかさに着て、大声で恫喝してくる相手は、苦手だ……いっそ暴力で解決すれば済む分ベスティアの方がまだやりやすい。
「(これ以上は無理か……? そもそも権力を相手取ること自体無理な事だったのか……)」
「もう議論は不要だ。衛兵、連れていけ!」
「は、はあ……」
「……そこまで言うのでしたら」
「まだ何か言うつもりか?」
こういう、声と態度が大きくておまけに権威がそれを保証する人間と言うのは地球にも沢山いた。しかし……そういう人間が必ずしも、言い負かせないわけではないことも、地球の情報化社会と言う物は教えてくれた。
「法官殿にお尋ねしましょう。彼女が、どのようにして被害者を毒殺したというのか。その方法を」
「何……?」
「現状、彼女が毒殺したという証拠は何一つ出ていない筈。『幽鬼』だろうが……殺人者と断じるからには、相応の根拠と言う物を示すべきです」
「ふん、何を言いだすかと思えば……良いだろう、その茶番に乗ってやる」
正直、これも『そんな必要はない』と切って捨てられればそこまでだった。だがこの法官も、人前でこちらを叩き潰したい欲でもあったのか……自身の推理を披露する。
「そこの『幽鬼』は殺人をしようと思い立った……昨今、人の生き血や精気を吸うという『幽鬼』についての伝承は間違いだという学者もいるが……まあ、動機はどうでも良い。事実こそが肝要なのだ」
「(良くない……って言っても聞かないんだろうな)」
「毒を持ち込み、哀れな犠牲者が来るのを待った……女の身であれば隠すところも多かろう」
この際、細かい失言は無視する。そこを突いたところで、大してこちらの得点にならない。下手をすればかえって失点になる。
「そして客のそぶりをして奥の個室へと向かう……毒を盛ったのはこの時だ」
「被害者の姿すら見えていないうちから、毒を盛ったと?」
「そうだ。この女の居た部屋は、現場となった部屋に向かって左側……つまり現場の前を通ることになる。その時……扉の持ち手に、毒を刷り込んだのだ!」
つまり無差別殺人だったとこの法官は言いたいらしい、しかし……
「あまりに確実性に欠ける、誰も来なかったらどうすると……」
「何も起こらなかったのなら、悠々と店を出て次を待てばよい。だが、不幸にも……この女にとっては幸いなことに、犠牲者はその部屋を使ってしまった。そして手に付いた毒が湯に溶け出し、命を奪ったのだ」
「なら、毒を仕込んだ後、その隣で暢気に風呂に入っていたというのですか?」
「すぐに出てはかえって怪しいと考えたのだろう。適当に時間を潰して、騒ぎになる前に立ち去る魂胆だったのだろうが……愚かにも寝入ってしまったようだな。そしてことは発覚し、あとはここに居る皆が知る通り、と言う訳だ」
当然これは事実と異なる。しかし……崩す切り口が見当たらない。最低限、理論として破たんはしていないのだ。
「(何か……何かないか……!)」
この浴場で起こったことを、思い返す……事件現場で起こったことの情報は殆どないが、状況から予想できることもあるはずだ。被害者は2人、特別室を使うと決めて来店し……法官の説によれば、入室した時点で手に毒が付着した。そして……
「……そうだ、事件現場に酒を持って行ったのは、どなたですか?」
「え、俺だが……」
「その時、被害者とは会いましたか?」
「ああ、確かに渡した」
「その時刻は覚えていますか? その時、被害者の服装は? 体は濡れていましたか?」
「ええと……タオルを腰に巻いていただけだった……体は濡れていたな。もう1人も、湯の中に浸かっているのが見えた。時間は……7時、70分くらいだ」
「ありがとうございます。つまり……2人は湯に浸かりながらも、長時間健在だったことを意味します」
「だからどうしたというのだ。毒の効きが遅かっただけのことだろう」
「いいえ、ネズミで実験した際、死ぬのに1分とかからなかった……ネズミと人の差はあれど、これほどの差が出るとは考えにくい……この毒は明らかに即効性です!」
この際、実際のところどうなのかは無視だ。相手の論のほころび、そこを徹底して攻撃する。
「毒が即効性である以上、あなたの言う犯行は不可能! 彼女が毒を入れる機会など、無かったのです!」
「ぬ、ぐ……! ならば、毒が何かしらの理由で変質したのだ!」
「それを証明できますか?」
「なっ……」
「なるほど、あなたは法律と事件の専門家かもしれません。しかし薬学においては素人の筈。毒の性質に関して、判断できるような知識は無いでしょう!」
ざわめきがサロンを支配する……この場に薬学の専門家は居ないようだ。ドメニコも医者ではあるが、薬は他所から買っている。つまりこの場で最も薬物に関して知識があるのは……
視線が彼女へと集まる。もはや隠す意味も無くなった、空のような青い髪をなびかせ、立ち上がった彼女は緑色の目を閉じて静かに語りだす。
「……専門家の端くれとして言うなら……高温や湿気で薬剤が変質するということは、ある」
「ふん、聞いただろう。これで」
「けどその場合……普通効能は劣化するわ。ここは湯も普通の水みたいだし、効果が数十倍にもなるような劇的な強化なんて……まあ、ありえないわね。そんなことが起こるなら、薬師はみんな薬を風呂の湯で溶くわ」
「……ええい! 容疑者に意見を求めるなど、愚かだとは思わんか!」
「手のひら返しも大概にしていただきましょうか。彼女は専門家として誠実に返答した、それに対する答えがそれですか? 法を預かる身なら、今この瞬間も毒殺犯が逃げていると言うことこそ、急ぎ対応すべきことでしょう!」
「くっ……おのれ、異界人の分際で……!」
法官は憎たらし気な目線を向けてくるが……それ以上の反論は無い。衛兵達の隊長らしい人物が、法官に近づく。
「……僭越ながら、一等法官殿。速やかに下水道の捜索を行うべきかと考えますが……」
「ええい、わかっておる! 急ぎ手配しろ!」
「はっ!」
衛兵達が走っていく。そしてその隊長らしい人物はサロンの中心に立った。
「皆さん、大変お疲れさまでした! 帰宅していただいて結構です! 毒殺犯は目下逃走中と思われますが、我々が全力で捜査し、必ずや捕縛いたしますのでどうぞご安心ください! また、後日再び事件に関してお話をお聞きするかもしれません、その時はご協力願います!」
その宣言は……事態の決着を意味していた。恐らく、こちらの望みうる最良の形で。




