十五章の4 疑わしきは……
「そんなことが……」
「大分騒ぎになっていましたが……完全に寝入っていたんですね」
「うぅ、だって気持ちよかったもん」
どうにか着替えを終えた彼女を中庭に連れ出し、事情を説明する。不承不承と言った様子ではあるが、一応事情を納得はしたようだ。なお、サクラは幾らか白さを増し、個室の隅でごろ寝しているのを無事回収した。
「え~、皆さん! ご迷惑をおかけして申し訳ありません。先ほど、当浴場にて……誠に遺憾ながら、お客様が2人お亡くなりになりました」
中庭とサロンに集まった客の前で支配人が事態の説明を始めた。ざわめきが広がり、状況の説明を求める者やいつ帰れるのか尋ねる者が、支配人に詰め寄る。
「お、落ち着いてください! すでに衛兵を呼んで捜査をして貰っています! 大変恐縮ですが、皆さまもご協力をお願いします!」
言うべきことを言い終えた支配人に代わり、衛兵だろうか。厚い布の防具と警棒を持った男が前に出た。
「お聞きの通り、この浴場で2人の命が失われました。また、我々はこれを事故ではなく……事件であると考えています」
「それって……」
「殺人事件ってことかよ!?」
「お静かに! これから皆さんに浴場でいつ何をしていたかお尋ねします。どうぞ、全て包み隠さず正直にお答えください」
かくして、殺人事件の捜査が始まった。と言っても、自分達は単に事情聴取に答えるだけだが。
数人ずつ衛兵隊に何をしていたのかを尋ねられ、アリバイの確認などをされていくが……結局最後の1人に至るまで、犯人を見つけ出す助けにはならなかった。
「いつ帰れるのかしら……」
「犯人が捕まるか……捜査が一段落するまでは無理でしょうね」
衛兵の……おそらく隊長が見張りに付いていて、帰るに帰れずサロンで時間を潰す。そんな折、医者として検死の手伝いを頼まれていたドメニコが隊長に耳打ちをした。
「なに、毒?」
「まあ、十中八九間違いないだろうな」
「よし……皆さん! 犠牲者の2人が、毒物により死亡した可能性が高いとの報告が上がりました! 何か怪しい物を見た人はいませんか?」
そんなことを言われても、毒物など見つけていたらとっくに伝えているだろう。相変わらずサロンはざわつくばかり……かと、思いきや。
「なあ、あいつ……」
「ああ、最近勢いづいてる……」
不穏な囁き声が徐々に広がる。人々の視線が徐々にこちらに……否、アルフィリアに集まっていく。
「薬師だってよ……」
「異様に効くんだって……」
「組合にも所属しないモグリだって……」
「毒も作ってるってよ……」
囁きは広がるごとにその大きさを増し、やがてざわめきに、やがてはっきりした疑いの目へと、その姿を変えていく。
「え、な、何よ……私は犯人じゃないわ! 私、お風呂で寝ちゃってたもの! 事件があったなんて知りもしなかった!」
「そんなの、おかしいだろ! あれだけの騒ぎになってたんだぞ!」
「やましい事があるから、そんなもので顔を隠しているんじゃなくて!?」
「え、あ、う……」
一つ失念していたのが、ここがアルフィリアにとってはアウェーだという事……つまり彼女の薬品で恩恵を受けている人間が殆ど居ない。それ故彼女の技量などより……ぱっと見の印象の方が、優先されてしまう。
「まあまあ皆さん、落ち着いて。あなたもその風貌では怪しまれても仕方がないでしょう。どうぞ、そのフードを取って下さい」
「え、あ、待って……!」
言葉こそ丁寧だが、衛兵は承諾も得ぬままにアルフィリアのフードを掴む。その行動は、丁寧な言葉遣いがアルフィリアではなく、客……つまりタダ券など使わなくともこんな所に来れる様な金持ちに対して気を使った物であるということを如実に示していた。抵抗間に合わず、フードが剥ぎ取られ……ざわめきが、大きくなった。
「『幽鬼』……!」
「生き血を啜り、精気を奪って生きるって言う……?」
「あいつだ! あいつに間違いない!」
アルフィリアの周りの人間が引き、人の輪ができる。その中に居るのは自分と衛兵。そしてサクラのみ。
「これはこれは、『幽鬼』がこんな所に来るとは。おまけに薬の扱いにも長けている、と。詳しい話を聞かせてもらう必要がありそうですな」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 確かに私は薬を売ってるし矢毒も扱うけど! それとこれとは別でしょ!? そんな『ちょっと怪しいから』で一々連行されちゃたまった物じゃないわ!」
「……通常、個人を拘束するためにはそれ相応の手続きや令状が求められるはずです。職業や外見を理由にそれを省くのは……」
この世界の司法制度に関して詳しい事はわからない。しかし……現場の判断で怪しいと思えば即逮捕では、かえって秩序に混乱をきたしかねない。支配階級にとっても、都合の悪い司法の動きを制限できるような仕組みは作っておくはず、人の逮捕には何らかの事務手続きが必要なはずと見た。実際衛兵の手は止まり……
「その心配はない、私が手続きをしよう」
「ん……? おお、これは、一等法官殿!」
群衆から名乗り出たのは顎ひげを蓄えた壮年の男。服装こそ他の客と同じような物だが、法官と呼ばれた……ということは。
「略式ではあるが、逮捕令状を発行する。この『幽鬼』を殺人の容疑者として拘束したまえ」
「はっ、直ちに! さあ、来るんだ!」
「え、やだ! ちょっと、痛い!」
「(何て、間の悪い!)」
法官がメモ書きのように書いた紙一枚で、衛兵が動き出す。腕を掴み連れ去ろうとする衛兵に、最初に反応したのは……サクラだった。主人の危機に牙を剥き、吠え、その体に桜色のラインが輝く。
「あの犬、光ってるぞ!?」
「魔獣よ、魔獣だわ!」
「何て恐ろしい! 魔獣を連れた『幽鬼』!」
「(まずい……!) サクラ! 待て!」
サクラの姿は動揺を煽るばかりか……衛兵に飛び掛かりでもすれば、事態は決定的な物になってしまう。それは避けねばならない。サクラの動きを手で遮り、その場に押しとどめる。
「まったく、子供に見えてなんて奴だ。さあ来い!」
「ま、待って! 待ってよ! 私じゃない!」
「犯人はみんなそう言うんだ!」
「私の浴場で人殺しなど! さっさと縛り首にされてしまえ!」
完全にアルフィリアが犯人と言う空気だ。ウィアクルキスでのアルチョムへの一件を見るに、おそらく捜査の手法には拷問も含まれている。
「待ってください、ろくに調査もしない間から犯人と決めつけるなど、いくらなんでも……!」
「止すんだ旦那! いくらなんでも相手が悪い!」
法官に抗議をしようとしたが、背後からウーベルトに止められる。彼とてアルフィリアの薬に救われた人物だが……
「しかし、明らかに……」
「相手は一等法官なんですぜ! 中央から派遣されたお偉いさんだ! 裁判もできるし、衛兵に指図することだってできる! 相手がその気になりゃ、あっしらなんて羽虫みてえなもんだ!」
「なら、その法官が間違っていたらどうするんですか」
「そりゃあ……もう、あっしらにはどうしようもねえことでさ……間違ってる間違ってないじゃねえ、法官のいうことが正しいんでさあ」
周辺には安堵の空気が広がりつつある。確かに、法官と言う職業の言葉は重いらしい。すでに彼女が犯人と言う空気が出来上がってしまっている……
「(世の中ってのは、こんな物だよな……)」
社会と言うのは得てして少数の人間に犠牲を強いることがある。合理性や正当性よりもその場の秩序が優先され、それでうまく回るのなら良しとする。それを悪しき習慣と取るか、理不尽な世の中で社会を回すために必要な物とするかは議論の余地があるにしても……少なくとも『その場で少数派に味方すること』はしてはならないことだ。
「(法律の専門家がやることだ、法的にも問題ない事のはず。場の空気も最悪……大人しくしている方が絶対に良い)」
既に市民権は取得し、彼女の奴隷と言う身分は脱している。彼女が何かしら処罰されたとて、こちらにまで飛び火することは無い筈だ。彼女には運が無かったのだ。たまたま引いたクジに当たり、ここに来て、たまたまその日に事件が起こった。ここまでくると運命のような物だ。諦めて受け入れた方が楽、そう言う物なのだ。彼女を失うのは痛手ではあるが……
「イチロー……!」
アルフィリアが引っ張られていく。緑の瞳が、こちらを向く。いつも自信を湛えた、砕けない宝石の様なそれは、今はあまりにも弱弱しく見える。
「……助けて……」
ざわめきの中、その消え入りそうな声が妙にはっきりと、耳に残った。




