十五章の2 浴場……欲場?
夕前にアパートを出て、『水晶の湯』とやらへ向かう。旅支度の代わりに着替えとアルフィリア手製の石鹸を持ち、島を南へ。埃っぽく粗野な空気漂う探検者地区から、綺麗に整えられた商業地区へ入る……
「時間が変わると雰囲気も変わる物ね……」
「昼と夜中にしか来ていませんでしたからね……」
明るい時には賑やかさのある地区だが、この時間になると落ち着いた空気を醸し出し、観光客も家族連れが少なくなり、代わって男女のペアが増えているように見える……
「えーと……ほら、あれよあれ!」
下り坂になった大き目の通り、その先をアルフィリアが指さす。周りと比べ頭一つ抜けた高さの大きな建物は『水晶の湯』の名の通り……多数の窓を始め、天井など建物全体にガラスを多用し、内部からの明かりが周囲に投げかけられていた。オレンジ色の明かりが通りに投げかけられて、どこか幻想的な空気すら漂う。
「(なるほど、何というか……高級そうだ)」
「前から来てみたかったのよね……ほら、行きましょサクラ」
「……本当に大丈夫なのですか?」
風呂と言えば人間の物だが……今回、アルフィリアはサクラも連れてきてしまった。浴場と言う衛生が重要視される場所へ、果たして動物を連れてきてよかったのか……そもそも入れるのかどうか。そしてもう一つ……入浴する以上、服は脱ぐ。つまりそれは、アルフィリアが普段隠している青髪……差別の要因となるそれを衆目に晒すということでもある。
「大丈夫よ、ほら、裏面に『入場料無料、個室浴は別途料金が必要です』ってある」
「はあ……しかしサクラは」
「ほら、あれ」
アルフィリアは『水晶の湯』の壁を指さす。そこには宣伝文句らしいものが書かれており……
「『小さな家族、一緒に……動物風呂、個室に限る』?」
「ん~、60点てとこ? まあ、意味はつかめてるみたいね」
「(こっちの世界の風呂屋も、色々やるんだな……)」
ともあれ、問題が無いというのであれば……特に入場を渋る理由も無い。正面に開いた大きな入場口へと足を進めた。
「おお~……」
「中から見るとまた、違うものですね」
中に入るとそこは、浴場の入り口と言うよりはホテルか何かの受付のようにも見えた。さすがにスーツで固めていたりはしないが、高い天井からはランプの明かりが降り注いでおり、高級感ある石造りの床を小気味良い音とともに歩けば受付カウンターと男性従業員が出迎える。
「いらっしゃいませ、ご利用は初めてですか?」
「ええ、はいこれ」
「はい、招待券ですね……そちらの方とお二人ですか?」
「うん、私は個室で……この子も一緒に入れるのよね?」
「勿論。追加料金がかかりますのでご了承ください。お連れ様の方は……」
「私は普通に浴場で」
「かしこまりました。では、お荷物こちらでお預かりします。当『水晶の湯』では……」
システムの説明に入る受付。手荷物はここで預け、代わりに数字の書かれた手のひら大の預り札を受け取る。受付を向いて右手が女風呂、左が男風呂で、それぞれに大浴場、小さ目の数人で入る浴槽が複数、さらにサウナなども備えているらしい。共通のサロンなどもあり、設備としては地球のそれとあまり変わらないようだ。
「じゃあ後でね。先に上がったらサロンで待ち合わせましょ」
「ええ、わかりました。それでは」
アルフィリアとは別れて、つい立てが置かれた通路の方へ。右手は売店になっており、タオルや石鹸、あとは香水……だろうか。他にも色々と入浴グッズを販売している。今回は全て持参しているのでそのまま通り過ぎ……4,5mも行くと脱衣所になる。鍵付きのロッカーが並ぶ光景は地球と大差ない様に見えるが、そこで……見覚えのある物……否、者を見つけた……
「(ボッグザッグ!?)」
忘れようにも忘れられない。山賊を率いていた岩の肌を持った異界人、ボッグザッグがそこに居た。荷物を手放し腰に手を当てようとして……武器は受付で預けてしまったことを思い出す。
「ん、どうされましたお客様」
岩を詰めた袋をゆすった様な声。しかし記憶にあるそれと今聞こえるそれは、若干トーンと言うか雰囲気と言うか、そう言う物が違うように感じる。
「(落ち着け、ボッグザッグは確かに死んだはず……じゃあ……同じ種族の別人?)」
「どうぞ、無くなった物は有りませんか?」
落ちた荷物を集めて手渡してくる姿は、やはり別人の雰囲気……受け取りながら、一応は確認しておく。
「どうも……失礼ですが、あなたは?」
「私? 私は見張りです。ここで服を脱いで頂きますが、高価な服や装身具など盗む輩が居ないか見ておくのですよ。私この通りこの世界の人々とは似ても似つかぬ姿ですが、こういった場所ではかえってそれが良いのだとか」
納得のいく話だ。こんな異形が居る所でわざわざ盗みを働きたいとは思わないだろうし、脱衣所と言う場所を鑑みれば、人と大きく異なった姿の方がかえって気にならないのかもしれない。
小さな鍵の付いたロッカーは、着替えを入れておくには十分な大きさ。中にはハンガーも用意されている……そこに服をかけ、靴を仕舞う。タオルと石鹸を手に、入り口から正面にある木の扉を……
「お客様、そちらは従業員用通路となっております。浴場はあちらです」
「ああ、すいません」
警備の男は入り口から右手にある扉を指す。そちらの方をくぐれば……
「(……思ったより、広いな……!)」
熱く湿った空気が満ちた浴場は、2階部分を丸ごと吹き抜けにしたかのようで、そこへいくつもの大きな照明が鎖で吊るされている。そのさらに上にはガラスの屋根があり、薄暗くなり始めた空が見えていた。
床は整然と並んだ黒い石のタイルで、滑らないためだろうか、ややざらついた感触を受ける。左手の壁際には洗い場があるようだが、カーテンで仕切れるようになっているようだ。プライバシーに配慮、とでも言うのだろうか。
そして浴場の半分近くを占める浴槽。ざっと見て、学校のプールを若干小さくしたほどの大きさ……そのうち3分の1程が仕切りで区切られ、そこに看板が立てられている。
「(『←毛無し 毛有り→』……?)」
ごく単純な一文。左右を見てみれば、それの意味するところは自然とわかった。左側が自分達の様な、いわゆる普通の人間型。右側は毛皮があるような種族向けらしい。浸かっている人種が明らかに分かれていた。
「(それじゃあ……)」
浴場に置かれている手桶を取り、湯を浴びてから、たっぷりと湛えられた湯に体を浸ける。この街は水こそ只ではあるが、大量の湯を沸かして風呂に入るというのはあまりしない。これまで泊まった宿も、浴室と言う物は無く……体を洗うと言えば少量の湯を沸かして布を浸し、それで擦るくらいだった。少なくとも日本人の感覚では、あれを風呂とは呼べない。
「(ざっと半年ぶりの風呂か……)」
タオルを桶に乗せ、湯に浮かべながら肩まで浸かり、息を吐き出す。足を延ばせる浴槽は修学旅行以来だ。しばらく湯の中で力を抜いていると……
「おお、やはり旦那じゃありやせんか。奇遇ですなこんな所で」
「その声は……」
湯気の中から見知った顔が現れた。今更名前を確認するでもないが、ウーベルトだ。
「旦那も秋の夜風を避けてここですかい? たまにやあパッと金を使わねえと、探検者稼業なんざやっていけやせんからなあ」
「くじ引きでタダ券が当たっただけです。出費はしていません」
「ははは、そいつぁ入るだけのことでやしょ? ここの楽しみはそれだけじゃあありやせんぜ」
「追加料金で色々あるとは聞いていますが……」
荷物の預札は紐で手首に止めるようになっており、表面に番号、裏面には蝋が塗ってある。場内で追加のサービスを受けるときには、裏の蝋を削って料金をツケておき、帰りに清算するのだそうだ。説明では食事やマッサージ等があると言っていたが……
「お、ほらほら来やしたぜ」
「……は?」
ウーベルトが指さす方から、薄い服一枚を羽織っただけの女性が10人弱、姿を現した。風呂場の縁をゆっくりと歩き、入浴客に声をかけている。
「あれは……」
「個室は別料金になりやすが、大体銀貨5枚で体を隅から隅までじっくりと洗ってくれやすぜ。8枚ならそれどころか舐めとって来たりするんで! 20枚も出せば……うへへ、皆まで言わせんで下せえ旦那!」
「(呼び込みのオッサンか……)」
「こんにちは。お兄さん初めて見る顔ね? ど~お? 私と一緒に楽しいひと時を過ごさない?」
多少呆れていると、こちらにも女性の1人がやってくる。女性は屈みこみ、肢体を見せつけるようにしながら誘いの言葉を投げかけるが……
「生憎、そう言うことをしに来たのではありません」
「あら、そんなこと言わないで? 私と少し過ごせば、もう離れたくないって思う筈よ?」
「他を当たって下さい」
「ふん! なにさ、この童貞不能野郎!」
「どっ……」
客にならないと見るや、さっさと行ってしまった。風俗の事を俗に風呂屋とは言うが……まさかそんな文化まで輸入したわけではあるまい。それにしても……
「(童貞っぽく見えるのか……)」
「旦那~、少しは遊びって物を覚えた方が良いですぜ? 酒は飲まねえ女は買わねえ、そんな坊主みたいな生活してたら潰れちまいまさあ」
「財布が金貨で満タンになったら考えます」
「いやはや、倹約家ですなあ旦那……あっしは不真面目なもんで、ちょいと失礼して……」
湯から上がり、娼婦に声をかけるウーベルト。お客とあって娼婦側も愛想よく接しているが……
「……あなた妻帯者では?」
「もう別れてるんで問題ありやせんぜ、旦那。そいじゃ、あっしはこれで……」
奥の個室がある方へ2人で向かうウーベルト……まあ、何をしようと本人の勝手だが。こちらも湯から上がり、洗い場の方へ向かう。石鹸……地球の様な塊ではなく荒い粉状のそれをタオルに塗り広げ、体を洗う。さすがにシャワーこそ無いものの、体の汚れがこそげ落ちていくような感覚は、随分と久しぶりに味わう物だった……




