二章の4 名作は世界を越えて?
異世界生活12日目、春の56日。
荷台に乗って出発早々、アルフィリアに読み書きを教えてもらえないか尋ねてみた。この世界の識字率は解らないが、低いにせよ高いにせよ文字を知っておくことは絶対にプラスになる。問題はその気があるかどうかだが……
「教えるったって、書く物もないし読む物もない。これでどうしろってのよ」
「(……それ以前の問題だったか)」
「読む物、あるよ……?」
向かい側に居たミーリャが、持っていた本を差し出した。表紙にはタイトルらしい文字、それ以外の装飾は無いシンプルな物。随分と痛んで、汚れなのか色あせたのか、変色が目立つそれがこちらに差し出される。
「これ、子供向けの童話集?」
「お父が、街で買ってくれた……」
「そうなんだ、もう読んだの?」
「うん……」
「それじゃ、ちょっと借りるわね?」
本を受け取り、表紙を開くとまずは扉。次のページから本文が始まる。このあたりは地球の本と同じらしい。
「そ・れ・じゃ……字の読めない可哀想なイチローのために、私が読み聞かせてやろうじゃないの」
なぜかアルフィリアは楽しそうだ。童話が好きという歳でもないはずだが。
「森の中を一匹の狐が歩いていました」
「狐はとてもお腹を空かせていました……」
「ふと狐が上を見ると、そこにはブドウがなっているではありませんか」
「(……ん?)」
どこかで聞いたような話の内容だ。そのまま聞いていれば、案の定狐はブドウを取れないまま、どうせそれは酸っぱいんだと言って去っていく。
「ん~……馬鹿な狐ね。もう少しで、ブドウが食べられたのに」
「……いえ、この狐は賢いんだと思います。手に入らない物は手に入らないと諦めて、無駄なことをせず、別の物を探しに行くんですから」
「ええ? どこがよ。そんなの手の届かなかった自分を誤魔化してるだけじゃない。私だったら、踏み台を探すなり何なりするわ」
「あるかどうかもわからない踏み台を探している間に、動けなくなってしまうかもしれません」
「じゃあ、木登りよ! ブドウは木になるんだから、それを登ればいいわ」
「狐は木登りが得意とは聞きませんが……それに、届かないほど高い場所からもし落ちたら、骨を折って動けなくなり、死んでしまうかも」
「……もう! なによケチばっかり!」
「喧嘩は、だめ……」
ミーリャに諭されてしまった。確かに、お伽噺の解釈で喧嘩など情けないにもほどがある。なぜこの話がこちらの世界にあるのかは気になるところだが……
「(ミーリャの前で地球の事を話に出すのはまずいしな……それに、今は……)」
「……それじゃあ、文字の勉強ね。ほら、片方持って」
少し膨れっ面のアルフィリアと、本を半分ずつ持って紙面を覗き込む。主に直線で構成され、線の密度も低いその文字は、英語の大文字に近い印象だ。この本は子供向けの物だというし、おそらく読みやすく書かれているはずだが、それでも初めて見る異世界の文字は、一目で眉間にしわが寄るのを感じた。
「じゃ、私に続いて読んでみて。『森の中を……』」
「森の、中を……」
文字を指でなぞりながら声に出して読み上げる。単純な勉強方法だが、書く物が何もない以上、見て覚えるしかない。よちよち歩きの子供に戻ってしまったような気分だったが、今の自分の立場は、それとさほど変わらない物であるというのも、否定できない事実だった。
そのまま数日は、同じような日が続いた。移動中はミーリャの本で文字を勉強……童話集形式でいくつかの物語が書かれているのだが、そのどれもが地球で知った物だった。それがなぜかは、大体予想が付く。自分と同じような立場で、手持ちの物が何もなく、それでも生活をしないといけなくなった場合、使えるのは自分の体か頭の中身ということになる。きっと過去の異界人……それも地球出身の人物が、自分の知る物語を財布の足しにしようと考えたのだろう。おかげで中身のわかっている物語で文字を学べるため、多少はやりやすくはある。
そして夜は弩やナイフ、鉈の練習。ニクシアンは弓が得意だというので、食事中アルチョムに話を振ってみたのだが、彼はそれほど得意と言うわけでもなく、そもそも彼らの弓とはいわゆる普通の弓矢のことであって、弩を使う者は殆ど居ないらしい。結局自己流を続けることになっているが、幸いそれを実地で試すようなことにはならなかった。




