二章の3 異種族の行商人
異世界生活11日目、春の55日。
「おーきーろ!」
狼に襲われてから一夜明けたこの日は、足を蹴られて目が覚めた。見下ろす緑色の目と、視線が合う……
「おはようございます……」
「ほら、御飯早く作って。今日は塩漬け肉が食べたい」
昨夜見せた気遣いはみじんも感じられない、まるで通学路で友人に会ったかのような表情で、朝食を要求するアルフィリア。リクエストの塩漬け肉を荷物から取り出し、包みをほどく。硬い干し肉とちがい、塩漬け肉はまだ比較的肉らしい柔らかさを持っている。その分かさばるため多くは持ち歩けないぜいたく品だ。
たき火の燃え残りに枝を足し、フライパンで肉を焼く。少し臭うその肉は、山羊の物なのだとか。それと同じく火を通した玉ねぎをパンで挟み、サンドイッチにして出せば、アルフィリアは満足げにそれを頬張った。自分も齧ってみたものの、強い塩味の肉と甘みのある玉ねぎが程よく組み合わさっているのだが、臭いと硬さがどうにも気になる。
「(まあ……ハンバーガーと比べるのが悪いのかな……)」
「ん~、やっぱりたまにはお肉食べないとね! ……こらイチロー、何不満げな顔してるの」
「あ、いえ……地球では肉と言えば豚や牛、後は鳥だったもので……」
「あ~……あの村じゃ山羊しか飼ってなかったもんね。けど慣れたらそんなに悪い物でもないけど」
「……こっちでも、豚や牛は食べるんですね」
「うん? 食べるけど。それがどうかしたの?」
「地球では、肉を食べることを禁じる宗教もあるので……」
「ええ? そんな面倒くさいこと言う奴がいるの?」
村で見た山羊や、昨日襲ってきた狼……例によって、厳密には
「らしきもの」が後ろに付くが、それを見る限り、やはりこの世界の生物は地球と似通っているらしい。なので豚や牛が肉として食べられるものでも不思議はないが、イスラム教やヒンズー教のようなものがあるかもしれないと思ったのだが、アルフィリアの言では、そういったものは無いとのことだった。
「神様に詳しくは無いけど、大き目の街に行けば二つ三つは何かしらの神殿があるわよ。場所によって置いてる神様は違うみたいだけど」
「多神教、ということですか?」
「だから、あんまり詳しくないってば。神様なんて興味持ったって、どうせ苦しい時には助けてくれないし」
「それはまあ、確かに」
「でしょ? ほら、そんなどうでもいいこと言ってないで、出発するわよ」
アルフィリアは、そもそも宗教に否定的なようだった。神様を当てにしないというのはこの世界の一般的な認識なのか、それとも彼女個人の物なのかはわからないが、少なくとも神に祈って立ち尽くされるよりは、狼に蹴りを入れる彼女の方が旅をする上で頼りになるのは間違いないだろう。立ち上がり、服の砂を払う彼女に続いて、こちらも荷物を背負い出発した。
昨日の狼の件もあり、弩は出したままで街道をゆく。隣を歩くアルフィリアも、どこか警戒の色を強めているようだ。そんな状況が昼まで続き、移動しながらドライフルーツで昼食を済ませようとしたとき、街道上を後ろから何かが追いかけてくるのが見えた。距離が近づくにつれて、それがどうやら馬車らしいとわかる。
「イチロー、あの馬車に乗せてもらいましょう」
「乗せてもらえるでしょうか?」
「駅馬車なら空きがありゃ、運賃出せば乗せてくれるでしょ。とにかく、止めて話をしないと」
アルフィリアは髪をまとめて、こちらは敵意が無いことを示すため、弩を荷物の中に仕舞う。そのまましばらく待っていると、徐々にその輪郭がはっきりと見えてきた。先頭に居る動物は馬ではない……鹿だ。馬車の横幅と同じくらいの、巨大な平たい角が左右に生えている。
「おーい! とまってーー!!」
アルフィリアと二人で大きく手を振ってその馬車、あるいは鹿車に呼びかける。その声が届いたのか、鹿は自分たちの目の前でその足を止めた。
「(大きい……!)」
奈良で観光客から煎餅をもらっているような、日本の物とは違う。灰色と茶色が混ざったような色の毛皮をした、馬よりも巨大なその鹿が、ワゴン車ほどもある荷台をたった一頭で牽引していた。そしてその荷台から、男の声がする。
「おおい、あんたら! そんなとこに居たらあぶねーだろ!」
御者台に座っているのは、短い金髪に白い肌をした男。半袖のシャツを着たその腕は肉体労働で鍛えられたものか、がっしりした筋肉が付いていた。
「悪いわね! 私たちテルミナスに向かってるの。お礼はするから、もしよかったら乗せてくれない?」
「テルミナス? 俺たちもそうなんだ! あ~、そうだな……」
男はしばしこちらを見定めるように見つめる。顔は精悍とは言い難いが目鼻の筋が整っており、背が高いため全体的にスラッとした雰囲気を持っている。年齢は良く解らないが、そんなに歳はとっていないようだ。喋り方はやや間延びしたおっとりしたもので、総じて、田舎の温厚な少年がそのまま大人になったような印象を受けた。
「よーし、旅は道連れだ、乗りな!」
「助かるわ。ほらイチロー、乗るわよ!」
ヒッチハイクに成功したアルフィリアは、幌のついた荷台の後ろ側からよじ登る。その荷台には、胸ほどの高さがある樽が並んでいた。こちらも荷台に上ると、樽は荷台の後ろ三分の二ほどを埋めており、残ったスペースに毛布などの旅道具がまとめられていて……そしてそのスペースの中央には、一人の女の子が座っていた。
一見して7~8歳ほど。ひざ下まであるワンピースを着ており、肩までの金髪と、抱え込むように持った本、そして乗り込んできたこちらに向けられる疑心の目が印象的だ。御者の妹にしては、歳が離れているようにも見える。ということは……
「……お父、知らない人を簡単に乗せていいの?」
「ミーリャ、世の中助け合いだ。誰かを助けた縁は巡り巡っていつか戻ってくる。それに、大勢で居た方が安心だしな。途中で狼の死体を見たろう?」
「そうだけど……」
やはり、この二人は親子のようだ。それにしては、母親の姿が無いのが少し気になるが。
「……で、あんたらは何者なんだい?」
「私たちは……旅人よ、うん。ちょっと新天地ってやつを目指してるの。私はアルフィリア、こっちは荷物持ちのイチロー……多分そっちの見た狼の死体ってのは、昨日私たちが倒したやつね」
「へえ、まだ若いのに大したもんだ! 俺はアルチョム。見ての通りの行商人だ。その子は娘のミーリャ。こいつは相棒のゲラシムだ」
ゲラシムと呼ばれた鹿は、手綱の指示に従い歩き出す。馬と比べると少し足が遅いように感じるが、大きな荷台を引いていることを考えれば、むしろ力は馬よりもあるように思えた。
目的地が同じである以上、あとはこのまま乗せてもらっていればいい。変に気分を損ねないよう、荷台で大人しくしていればそれで済む話なのだが……アルフィリアの考えは別のようだった。
「あなた達……ニクシアンよね? 狩猟生活が主体で、北の森からほとんど出てこない種族だって聞いてたけど」
「まあ、そう言う奴らも多いけどな。やっぱり、交易で手に入るもんはなんだかんだ喜ばれんだ」
「それでテルミナスに、ってわけ? でも北からなら皇都の方が近いんじゃないの?」
「それがなあ……最近皇都近くは砂糖の値段が下がってんだ。なんでも、異界人が蕪から砂糖を作る方法を見つけたとか……」
「ふーん、それでもっと南へ、ってこと?」
「ああ、蕪は寒いところの物だからよ」
「……お父」
「ああ……すまんすまん。商売の種をペラペラしゃべっちゃなんねえ、だろ?」
「もう、私たちは別に商人じゃないんだけどね」
「ミーリャは俺に似ずしっかりした子でなぁ、けどちょっと人見知りなんだ、気にせんでやってくれ」
御者台に顔を出していたアルフィリアは、荷台に引っ込んでこちらの隣に座る。旅をしていてわかったことだが、彼女は意外とおしゃべりが好きなようだ。山奥の小屋で一人暮らしをしていたし、最初こちらを助けることにも否定的だったし、村での騒動も関わりたがらなかったから、てっきり人嫌いなのかと思っていたが、いざ一緒に行動するとなると、天気の話や飛んで行った鳥の事など他愛ない話を始めることもあるし、こちらの問いかけには真摯に答えて来る。人嫌いなのではなく、トラブルを嫌っているだけなのかもしれない……それにしてはヒッチハイクをするなど、リスクに対する姿勢に疑問が残らなくはないのだが。
「……ご主人様、ニクシアン、とは?」
その彼女に、先ほどの会話で気になった単語を尋ねてみる。やり取りの内容から、何かしら人種のようなものを指す言葉だということは推測できるが……
「ああ……ニクシアン(雪人)。北の寒い森に住んでる種族よ。耳が小さくて尖ってるのが特徴。弓矢が得意で、森の恵みを利用するのが上手いって聞くわね……あと、一般に美形になるらしいわよ」
言われてみれば、確かにミーリャもアルチョムも、耳が丸い形状ではなく、三角形に近い形をしている。それを除けば人と変わらないように見えるが、異人種というのはえてしてそんなものなのかもしれない。
「他には、岩場や山に住んで、背が低いけど力が強く、金属加工や建築が得意なモンシアン(山人)だとか、南の大草原地帯に棲んでる、小柄で長い耳のヘルバニアン(草人)だとか、そういうのが居る。会ったことは無いけどね」
「友好的なんですか? その人たちは」
「まあ、私たちが遭遇するような奴は大体そうじゃない? そうでないなら、わざわざ人間のテリトリーまでは入ってこないでしょ」
「(つまり、そうでない人はどうかわからない、と)」
この世界に来て(現地人としては)初めて遭遇した、異人種。それがひとまず友好的な相手だったのは幸運だった。そのまま荷台で揺さぶられながら街道を進んでいると、やがて木々の密度は薄まっていき、周囲の風景は一面に短い草の生えた草原へと移り変わっていった。荷台の中を風が吹きぬけ、それに合わせて草が波打つ様は雄大で、荷台の揺れもしばし忘れてしまうような光景だった。
「ん~、風が気持ちいい……あ、あそこ、宿場ね!」
フードを手で押さえながらも、荷台から体を乗り出して外を眺めていたアルフィリアが、突然前を指さす。その先、街道の行く手には数軒の建物が見えた。まだ空は青い時間帯だったが、野営を避けたいのはアルチョム達も同じだったのか、ゲラシムをそこに止め、宿を取ることにする。北に棲む異人種との遭遇と言う、なんともこの世界のファンタジーらしさを増してしまった一日が、終わろうとしていた。
「部屋を二つ、安いのと普通の。食事もね。あと水と塩漬け肉があれば出発するときに頂戴」
自分は金を持っていないので、店でのやり取りは必然的にアルフィリアが行うことになる。こちらに言づけても良さそうなものだが、どうも自分でやりたいらしい。カウンターに立つ中年女性に、銀貨三枚と銅貨数枚を手渡し、引き換えに鍵を一つ受け取った。こういった宿で言う『安いの』とは大体が物置、悪ければ馬小屋に間借りすることを言う。今回は前者で、蜘蛛の巣が張った部屋の中、雑多な箱などをどかして寝るスペースを作ってから、夕食の時間までは外で過ごすことにした。
ここは交通量が比較的多いのか、宿は2,3軒が広場を囲むように立っており、馬車もそれぞれに一台ずつ程度停まっている。その中の一つ、自分達が乗ってきたものもまた宿の横に止められていて、引いていたゲラシムは解放され、草を食んでいる……アルフィリアに触られながら。
「おお~……結構ザラザラしてるのね……」
「今は夏毛だかんな。冬だったらもうちょっと柔こいぞ」
どうやら彼女もまた、外で時間を潰すことにしたようだが……ゲラシムがどことなく迷惑そうなのは、気のせいだろうか。
「……何してるんですか」
「ん? 見ての通りだけど」
「大人しいだろう? ゲラシムは賢いからな、初めて会った相手でもこの通り落ち着いて……」
「お父、ゲラシム嫌がってる」
「えっ?」
「あ~、ああ……俺はどうにも他人や動物の……機微ってのか? そういうのが苦手でな……」
「(商売人としてそれはどうなんだ……?)」
「……そんなだから、お母に逃げられるの」
「ミ、ミーリャぁ……」
親子で移動しているのに母親が居ないのはそういうわけだったらしい。アルチョムは嫌がられていると知って離れたアルフィリアと二人で苦い顔をする。
「で、でもあれよ、死んだわけじゃないならまた会えるじゃない?」
「そ、そうだぞミーリャ! この取引で一山当てたら、きっと母ちゃんも帰ってくる!」
「うん……」
「(これは、あんまり期待してないな……)」
微妙な空気になってしまった。だが他人の、それもたまたま街道で出会っただけの相手の家庭問題に首を突っ込むつもりは無い。いったん三人と別れて、街道の脇で腰のナイフに手を添えた。
狼との戦いで咄嗟に使ったそれだが、やはり矢を外すとこれか鉈のどちらかが頼りということになる。こちらも練習しないわけにはいかなかった……が。
「(……ナイフでの戦いって、どうやるんだ……?)」
ナイフの刃はそれなりに鋭いが、形はあくまでも作業用の物でしかない。相手に大きな傷を負わせるには突き刺さないといけないが、それにはどうすればいいか。普通に持てば、いったん手を引いて突き出す。逆手なら殴り掛かるようにして刺す。この二通りになるが、そこまで持っていくのが簡単じゃない。獣相手にそれができるような距離に近づけば、こちらも反撃を受けて大けがをする可能性が高い。
「(となると……こっちか? ナイフよりはリーチも長いし)」
今度はリュックに括り付けている鉈を抜き放つ。ざっと40cmはある分厚い刃からズシリとした重みが手に伝わり、軽く振れば空気を切る音がする。これならば、切るだけでもそれなりに効きそうだ。
「(けど、咄嗟に持ち替えるにはちょっとな……付けてる場所が悪いか?)」
鉈の鞘を外し、左の腰に下げるようにしてみる。右のナイフと合わせて、左右に刃物を下げる形になった。これが中々、悪くないように思える。鉈は右手で抜きやすいし、ナイフはとっさに逆手で抜くことができる。
これでようやく実際に使う練習に入るが、ナイフでの戦闘はたまに映画で見た程度だし、鉈に至っては戦闘術があるのかどうか。そもそも鉈で戦う人物など、どこぞのホッケーマスクくらいしか知らない。
「(……やっぱり、素振りかな)」
鉈を手に、縦、横、斜め、色々な振り方で空を切る。なにがしかの『正解』となる型がある、あるいは自分で編み出さなければならないとして、まず基本をしっかりしておかなければならないのは同じはずだ。
正直なところそれが正しいのかどうか自信は無いが、誰も教えてはくれないのだから、自己流でやるほかない。かかっているのは、自分の命なのだから。
「……踊りの練習でもしてるの?」
素振りを続け、空が赤みを帯びた頃、背後から軽くからかうような声が聞こえた。振り向くと面白い物を見たと言いたそうなアルフィリアが片手を腰に当て、たたずんでいる。
「一応、接近戦の練習のつもりです……」
「見りゃわかるわよ。晩御飯、あんた待ちなんだから早く来なさい」
呼びにきた彼女と共に宿に戻ると、アルチョムとミーリャがテーブルで待っていて、テーブルの上には人数分の皿と大きなパンが並んでいた。
「悪いわね、うちの荷物持ちが待たせちゃって」
「いやいや! それよりいいのか? 本当にご馳走になっても」
「構わないわよ、運賃代わりだと思ってちょうだい」
「すまねえなぁ……実を言うと、持ってきた保存食ばっかりで飽きが来てたんだ」
「ありがとう……」
頭を下げる二人に、アルフィリアはちょっと照れたような顔で席に着き、皿に目を落とす。キャベツか何かの葉野菜と芋が、スープの中に浮かんでいる。パンの塊をナイフで切り分けスープに浸して食べる、ここまでの宿でよく見た食事を……意外にも最初に食べ終えたのはミーリャだった。保存食ばかり食べていたというし、普通の食事がおいしかったのだろうか。
「ミーリャ、ほら、これも食べろ」
「いい……お父がちゃんと食べないとだめ」
食事を譲り合う親子二人。できれば運転担当のアルチョムに食べていてもらいたいのだが、ここまで保存食で保っていたのだから、今更問題になることもないだろう。
「(麗しの親子愛、ってやつだろうし、好きにして貰えばいいか……)」
結局、ミーリャはパンを一切れだけ受け取った。それを頬張る姿を、アルチョムは目を細めて眺めている……親と言うのは、こういう表情を子供に向ける者なのだろうか。
食事が終われば後は寝るだけになるが、この日はもう少し素振りをしてから休むことにし、再び離れた場所で鉈を振るう。朱色だった空が濃紺になった頃、宿に戻ると、アルフィリアが広場と宿の敷地を区切る柵に座り、空を見上げていた。
「……どうしたんですか?」
「別に。どうせ明日は荷台で揺られるだけだし、ちょっとくらい起きてても平気って思っただけ」
「これまでの宿では、すぐに寝ていたと思いますが……」
「あ~……まあ、考え事とかで眠くない日もあるってことよ。あんただって起きてるじゃない」
「ええ、まあ……もう寝ますが」
「……そ、おやすみ」
少し不満げな表情を浮かべたが、それ以上特に何もなく、そのまま空を見上げている。
考え事、というのはアルチョムに関連したことなのだろうか。もし、親子の様子を見て長く離れている自分の親を思っているというのなら、少し彼女を見る目が変わるかもしれない。
「(まあ……かと言って、こっちが何かするような話でもないけど……)」
アルフィリアの内面がどうあれ、こちらの面倒を見てくれている間に、できる限りこの世界の事を知り、生きていく方法を見つけなければならないのは変わらない。なら、下手に踏み込んで地雷を踏む危険を冒すよりは、ある程度の距離を保っていた方が長続きするはずだ。
「(人間関係はさておき……明日は便乗だからその間に何かできる事……)」
物置で横になりながら、明日の事に考えを巡らせる……までもなく、やることはすぐに決まった。それは……




