『慎重なる審査の結果、今回は不本意な結果となりました』
「じゃあ……あんた、私の奴隷ってことで」
狭い山小屋の中、早朝の空を思わせる青灰色の長い髪を揺らし、少女は言った。彼女の背後にある姿見には、自分が映っている。ずぶ濡れの粗末な服を着て、顔は憔悴しきった様子、それを差し引けば、日本国内のコンビニを四~五軒も回れば、一人はバイトに居そうな容姿。倍以上年上の女性からは「可愛い」と言われることもあるが、あえて形容するのであれば「大人びた」という言葉が当てはまりそうだというのは、自分自身へのひいき目だろうか。
そんな自分に対して投げかけられた、奴隷になれというその言葉。「イエス」と答えるような人間はそう居ないだろう発言だが、今の自分には選択する余地は与えられていなかった。
事の起こりは、大よそ四日前。この『異世界』に放り込まれた最初の日から始まる。
最初の記憶は、自分がどこか……窓一つない、石造りの小さな部屋で、服の一枚も着ずに粗末な木の椅子に座っているところ。目の前にはテーブルがあり、そこに置かれた蝋燭が、ゆらゆらと頼りない明かりを放っていた。もう一つ、何か光を放つオブジェのようなものがあったが、それが何なのかはわからない。そして、テーブルを挟んで向かい合った位置に一人の男が座っている。
「まず、あなたの名前と年齢、出身地を教えてください」
その男が発した第一声が、これだった。起き抜けの、どこかぼんやりとした意識の中で、問われた内容を答える。自分の名前、歳は十七、いや今年で十八になる。出身は地球、日本という国のある地方都市。
なぜ「地球」とまで答えたのか……この時の自分の意識としては、特に何も意識しなかった、というのが正直なところだ。丁度、夢の中では不合理なことが起こっても、特段気にしないのと同じように。
「では、春日一郎さん。あなたの特技を教えてください。あるいは習得した学問でも構いません」
特技、と呼べるほどの物は無い。21世紀の日本人なら、大体の人間ができることしかできない。あえて言うのなら、気になったことは調べる癖があって、微妙な雑学なら多少は詳しいかもしれないが、これは学問とは違う。こういった場で言う学問とは、大学や専門学校で習うようなものを言い、自分には当てはまらない。何せ、高校も出ていないのだから。
それを伝えたところ、男は嘆息して、言い放った。
「外れだ、次」
それと同時に、男はクルクルと指で空中に円を描く。その指先は蛍のような光を放ち、光は空中に残って何かしらの図形を……
ここで、この世界での最初の記憶は途絶えた。次の記憶は、ゴトゴトとした突き上げる衝撃で目を覚ますところ。大勢の「ヒト」と一緒に運ばれている所だった。
蹄の音がするので、馬車なのだろうとは思う。しかし乗り心地以前に、そもそも人を乗せるように作られていないようだ。自分たちは椅子が無いどころか、ただの箱でしかない荷台に詰め込まれていた。背丈より高い板で囲われていたが、天井部分だけは格子状になっており、そこから見える木々で、今自分たちが森の中を運ばれているのだということがわかる。
手足は木製の枷でつながれており、着ているものは麻か何かの、袖すらついていない粗末な上下。自分も含め、荷台に居る全員が同じ格好だった。意識を失っている間にこの服を着せられ、馬車に乗せられて運び出されたのだろう。
「おい、お前。こりゃどういうことだ」
真正面に居る狼のような男が、こちらを見て話しかけてくる。狼のようなというのは比喩ではなく、本当にそうとしか表現できなかった。鼻は長く、全身が体毛に覆われていて、三角形の耳が頭の上についている。人が猿からではなく、狼から進化したらこんなふうになっていたかもしれない。その他にも豚のような者、肌が苔色をした者……まるでファンタジーに出てくるような人間……らしきモノが、この荷台の同乗者だった。
「おい、お前に言ってんだよ! そこの猿顔!」
「あ、す、すいません! けど、なにも、わからないんです!」
「ちっ……」
こちらに詰め寄ってくる狼面の男へ反射的に謝り、目線を落とす。そう、何もわからない。ここはどこなのか、いつなのか、そもそも現実なのかどうか。
昨日布団に入るまでのことは、しっかりと覚えている。服もちゃんとしたものを着ていたし、目覚ましもセットしていた。今の状況は、夢の続きを見ている以外に説明をつけられない。しかし夢にしては、体に伝わってくる振動、枷の重さと硬さ、そして胃をねじられる様な空腹感は、あまりにも現実感が溢れている。同乗者も同じような状況なのだろうか。お互いに相手の様子をうかがいながら、押し黙っている。
どの位そうしていただろうか。馬車が止まり、御者台の方から人が後ろに回り込む気配がした。軋んだ音を立て、荷台の後ろ側が開いていく。
外には、三人の男が立っていた。その佇まいはまだ馬や槍で戦っていたような時代の、西洋の兵士そのもの。鎖帷子、というものだろうか。服型の金属の網を着て、その上に白い外套を被せている。そして腰のベルトには、鞘に入った剣が吊り下げられていた。
「食事だ!」
その言葉とともに放り込まれたのは、乾いた音を立てる、手より少し大きい程度の、焦げ茶色をした板状の物。手に取ってみれば、硬く、意外とずっしりしていて、それがパンの一種だと気づくのに少し時間がかかった。次にもう一つ。大き目の革袋が入り口に一番近い男、豚のような顔の男に渡された。中で液体が揺れる音がして、その中身が飲み水なのだろうとわかる。戸惑いを覚えながらも、その男たちに自分たちが今どういう状況に置かれているのか、聞こうとした……だが、それをする前に、さっきの狼男が、兵士たちにくってかかった。
「おい、お前ら! 俺を一体どうするつもりだ!? この俺が誰だかわかってんのか!?」
大声に驚く自分たちに目もくれず、脚のバネだけで兵士の一人に飛び掛かり、わめきたてる。
「てめえらもあの猿顔と同族か!? こんな木の枠程度でこのヴォラウを止められると思ってんのか、牙も爪もな
そして、ヴォラウと名乗った狼顔の男の声は、途中で中断された。両脇に突き立った剣が引き抜かれ、二度、三度と、飛び掛かられなかった二人が、めった刺しにしていく。赤い雫が飛び散り、錆の臭いが鼻を突き、くぐもった声がだんだん弱くなっていって……やがて、消えた。下敷きになっていた兵士が這い出し、忌々しげにヴォラウを蹴り転がす。
「おい、大丈夫か!?」
「ああ……! クソ! どんな蛮人だよ! 剣と鎧が見えなかったのか!?」
「これだから、城勤め共は……選定くらいちゃんとやれってんだ」
兵士たちは悪態をつき、そしてこちらに向き直って言った。
「いいか! 貴様らは偉大なる陛下の慈悲により、この世界へ招き入れられたのだ! その大恩に唾吐く者は、こうして報いを受ける! わかったか!」
返り血を浴びた兵士は、そう宣言すると馬車の扉を閉めてしまった。後には水袋とパン、そして嫌な沈黙が残った。それを打ち破ろうとするためか、だれからともなく、ボソボソと会話が始まる。
「なあ……招き入れられた、って言ったか?」
「あ、ああ……けど、招いたって言うような、丁寧な扱いじゃない、よな?」
「そもそも、お前たち何なんだよ。どいつもこいつも……妙ちきりんな恰好しやがって」
「お前らこそ……いや、まてよ……外に居た連中、あいつと似てないか?」
周囲の視線が、一斉にこっちを向く。確かにあの兵士たちは普通の人間に見えた。とは言っても、知り合いでもないし、人種も日本人、というかアジア人ではなかったように思える。だが、その割には話しているのは日本語だった。もっとも、それを言うのなら荷台の人間には見えない面々も同じなのだが……結局、今自分達がどういう状況に置かれているのかは、何もわからない。
「え……!? あ、いや……! その……こっちも、多分同じような状況、だと思います……石造りの部屋で、いろいろ聞かれて、気が付いたらこの馬車で……」
結局、緊張と恐れの混じった声で、しどろもどろになりながらその事実を伝えるしかなかった。疑いの目、落胆の溜息。馬車の中に重い空気が澱んでいるように感じた。それ以上、だれも、何も語ることなく、やがて一人が木の床に転がるパンを拾い、口にする。二人、三人と、一枚ずつパンを取り、自分もそれに続く。
「(硬い……)」
木の板に塩と小麦粉を練り込んだら、こんな感じになるのではないかというような硬いパン……ビスケットといった方が近いかもしれない。とにかくそれを歯で削るようにして食べ、水で流し込む。食欲は、はっきり言って湧かない。不味いということもあるが、さっきの光景が、目に焼き付いている。縁もゆかりもない初対面の相手、怒りや悲しみといった感情はない。ただ……恐らく荷台の全員が、恐怖と共に同じことを考えていた。
「(何のためらいもなく殺した……自分たちも、反抗したらああなる……)」
生殺与奪を相手に握られ、手足には枷、そして檻にすし詰めで運ばれる……さすがにここまで来れば、状況は飲み込める。自分たちは、奴隷にされているのだ、と。囚人という可能性もあるが身に覚えがないし、兵士たちの言った「選定」や「招き入れ」という言葉とかみ合わない。ならやはり、奴隷と考える方が自然だ。しかし……なら当然の疑問が頭に浮かぶ。
「(……いや、自然もなにも。どうしてこんなことに……? 選定とか、招き入れとか、それが関係してる……? そういえば、何か……面接みたいなこと、されたな……)」
招き入れられ、選定され、期待外れだったから奴隷として使う……そう考えると辻褄は合うようにも思える。しかし……あまりに突拍子がない。それに、何より……
「(……この状況で何考えても、無駄か……)」
たとえそれが合っていたとしても、何だというのだろう。手足に枷がつけられ、歩くことすらままならない。もし、今考えていることが正しかったとしても確かめる方法は無いし、何の行動も起こせはしない。諦観的な思いで見上げる空は徐々にオレンジ色になり、やがて星が瞬き始めた頃、馬車は止まり、外からたき火の音と、談笑する声が聞こえてきた。
「やれやれ、一人減っちまったな。どうする?」
「構うもんか、俺たちの責任じゃねえよ」
「そうそう、どうせ一山いくらの奴隷なんだ」
「しかしあれだな、兵士になって最初に斬ったのが奴隷ってなぁ」
「気にすんなって! 都と炭鉱を往復するだけで給料がもらえる楽な仕事じゃねえか」
「それとも、だ。最近噂の賊でもやってきた方が良いか?」
「賊か……実際どうなんだ、俺たちみたいな奴隷の輸送隊が狙われているらしいが」
「さあなあ。まあ、来たら返り討ちにすればいいだけだろ?」
自分たちは、どうやら炭鉱送りにされるらしい。奴隷の炭鉱労働と言うだけで、どんな扱いをされるか想像はつく。絶望的な思いで顔をうつむけ、膝に埋める。
「(頼むから……目が覚めたら、自分の部屋であってくれ……)」
だがその願いが叶うことは無く、目が覚めたらまた檻の中。それが二日、三日と続く。一日一度投げ込まれるパンと水を口にし、飢えと渇きを誤魔化していく。聞こえるのは啜り泣きや独り言。お互いに会話できればまだいくらかましなのだろうが、外人どころか人ですらない相手と楽しくおしゃべりをするほど、コミュニケーションに長けているつもりはない。他の面々も、同じだろう……
四日目には、独り言や啜り泣きも聞こえなくなった。おそらく、覚悟ができたとかそう言う前向きな理由ではなく、もっとネガティブな理由で。
事はその四日目に起こった。夕方、荷台に突如木槌で打ち付けたような音が2,3響き、直後に兵士が叫んだ。
「襲撃だ!」
馬のいななきと共に馬車が急停止し、荷台が前のめりに傾く。剣を抜く音、あわただしい足音が馬車の左側に回り込む。音が止み、荷台のざわつきと兵士たちの声が聞こえる。
「い、今襲撃って言ったよな!?」
「あいつらの敵ってことは……俺らの味方ってことか……?」
「そんな都合のいいこと……」
馬車の中のざわめきとは別に、外からは慌てた空気が伝わってくる。
「おい! しっかりしろ!」
「い、痛えよ……目が、左目が見えない……!」
「くっそ、賊共め!」
荷台の空気に、動揺と期待が入り混じる。自分もまた、今の状況をどうにかしてくれるのでは、という希望を持たずにはいられなかった。
少しの静寂の後、荷台の右側から足音が近づいていく。それに合わせて兵士たちも動き、勇ましい叫び声が上がった。次に聞こえたのは叩きつけるような武骨な金属音、悲鳴、乾いた木の枝を折ったような音、また悲鳴。一拍置いて、その悲鳴が一つ、また一つと消えた。足音が荷台の左に回り、会話が聞こえる。
「た、助けて……助けて……!」
「鍵はどこにある? 荷台と、手錠のだ」
「ぎょ、御者台の、袋に……」
「そうか、ありがとよ」
「まっ……!」
会話が止まり、水音がした。複数の足音が近づいてきて荷台の周りを歩き回り、やがて、荷台の扉が開け放たれ……
「よお、哀れな奴隷の方々。立ち上がる元気はあるか?」
そこから顔をのぞかせた覆面の男が、軽い口調でそう述べた。
ここまでお読みになって下さり、ありがとうございます。
こういった物を書くのは初めてですので、お見苦しい点多数あるかと思いますが、
今後ともお付き合いくだされば幸いです。
 




