1話 夏休み と 始まり
夏。
とある高校のとある教室。
窓の外からは、自己主張してくる太陽光とハーモニーの欠片もないセミの合唱。
これから8月にかけてさらに暑くなるかと思うと、学校に行くこと、ましてや外に出ることすら億劫になる。まるで誰かが今年の夏を家で過ごさせようとしているかのように。
だが、そんな日々も今日で終わりだ。
1年5組担任、水野先生は言った。
「先程の終業式で校長先生がおっしゃっていた通りです! 生活リズムを崩さず、学生としての本分を忘れずに楽しい夏休みを過ごしてください。それでは、規律、礼!」
『さようならー』
「よっしゃー! 夏休みだー!」
「これからどうする〜?」
教室の至るところから喝采やら歓声が沸き起こる。
そう、今日は7月18日金曜日。
本来は21日からなのだが、土曜日と日曜日を挟むので実質的に明日からということになる。この教室にいる誰もが待ち焦がれていただろう。
ついに夏休みが始まるのだ。
これからの夏休みの計画を立てながら俺、黒野一真は教室を出ようする。すると誰からか、背負っていたリュックを掴まれてしまう。
「おいおい。オレに許可無く帰るとは、良くないんじゃあないか?」
「何故、ただ帰るのにお前の許可が必要なんだよ、煌太」
俺と同じクラスメイトの赤松煌太、中学からの友達だ。
俺は煌太の手をリュックから引き剥がそうと試みる。
「それよりも今すぐその手を退けろ! そして俺が家に帰るのを止めるな。俺はこれから『夏休み快適ライフ』を送るんだ!」
俺の頭の中は、すでに引きこもりライフのことでいっぱいだ。
「どーせ家で引きこもりながらアニメかゲーム三昧なんだろう?」
心を読まれているだと・・・!?
これだから煌太の勘の鋭さはバカにできない。
「ちっ、ばれたか・・・。だがしかし! この計画は誰にも止めることは出来ない!!」
体をねじり、何とか煌太の拘束から逃れる。
拘束を解かれ、驚いている煌太を横目に急いで教室を出て階段を駆け下りる。
「よし、黒野一真。君の勝利はすぐ目の前だ!」
無駄にカッコいい台詞を並べた俺は、靴を履き替え、学校の門を出ようとした瞬間、再びリュックをつかまれてしまった。
「ちょっとは人の話を聞けって・・・。例のゲームのことだぞ」
全力疾走した俺に息一つ切らさず追い付く煌太。さすが元運動部、万年帰宅部の俺には無いものを持っている。
とりあえず話がゲーム関連だったので、煌太の話を聞いてみることにした。
赤松家。
「おじゃましまーす」
場所は煌太の部屋。俺は今、冷たい麦茶と涼しいクーラーでおもてなしされている。
「それで? 例のゲームとはあのゲームのことで良いのか?」
「あぁ、勿論。MSOだ」
<My Story Online>通称MSO。今年の7月4日から正式稼働したVRMMO最新作。
まだサービス開始から2週間しか経っていないのに、既にログインしているプレイヤーは優に1万人を超えている。
たしか、キャッチフレーズは『君がこのゲームの主人公! 世界に一つしか無い自分だけの物語』
なんというか名前のまんま過ぎて、頭から離れなかったから良く覚えている。
βテストの時から話題になっていて、ゲーム好きな俺はもちろん抽選に参加したのだが、残念ながら落選。なのに煌太は、正式版優先購入権が特典のβテストに当選。実に羨ましい限りである。
ちなみに正式版は販売開始前から並んでいたのに、俺の前の人で売り切れ。他のお店を回っても全て売り切れており、ネットオークションではなんと10万円! そこらの学生が手を出せる額では無い。
神は俺に言っている。
「買うな、諦めろ」と。
はい、諦めます。
え? 諦めるなだって? いやいや、さすがに10万は無理でしょう。だって10万だよ? 10万。
煌太が楽しくMSOのβテストやっている間に俺は、旧作のVRでひたすらレベル上げをしたり、録っておいた深夜アニメに心をぴょんぴょんさせていたのだった・・・。
嗚呼、神よ、私は一体何のために生まれてきたのでしょうか?
ゲームをやるためじゃないって? そんな殺生な!?
「おーい、話がそれてるそれてる」
俺の思考を読んだのか、完璧なタイミングで煌太のツッコミが入る。
「はっ! いつの間にか話しが逸れた。これは機関からの妨害か・・・。」
「どうしたいきなり。暑さにでもやられたのか?」
煌太が呆れた表情でこちらを見た。
俺が若干中二病とかそんなことはどうでもいい。今はMSOについてだ。
「それで、そのMSOがどうしたんだ?」
そう急かす俺に煌太は、何やら得意げな顔をしながら勿体ぶった。
「どうしよっかなぁ、教えちゃおっかなぁ」
「」
その態度がなんかうざく感じてしまったので、とりあえず帰ることにした。
「おじゃましましt「まってぇぇ! 帰らないでぇぇ!」
帰ろうとする俺の足に煌太が抱き着いてくる。気持ち悪い。
「ならさっさと教えろよ」
「OK。実は懸賞でMSOがもうひとつ当たってさ、オレひとつ持ってるからあげるよ。てかこのあと一緒にやんね?」
「・・・・・・何だと!?」
俺は衝撃を受けた。
てかこいつ運良すぎね? 神さま、人類皆平等って何ですか?
俺は平静を装いつつ(全然装えてない)彼に問う。
「その話はどこまでが本当でどこまでが嘘ですか?」
「全部本当だ」
「マジで?」
「マジで」
「・・・・・・あざす」
このあと俺は、煌太にめちゃくちゃ感謝した。
黒野家。
「煌太に借りができたな、このお礼はいつか精神的にしよう」
時刻は午後2時。学校が午前中に終わってから、かなりの時間煌太と話し込んでしまった。
MSOについて色んなことを教えて貰ったし、早速始めようと思うのだが。
「うん、お腹空いた」
それもそのはず。なにせ昼食を食べていないのだから。
でもその前に、煌太が時間が掛かると言っていたインストールを先にやってしまおう。
2階に上がり、自室へ。
MSOのゲームパッケージからカードをを取り出して、記されているシリアルナンバーを入力。俺のVRギアにインストールする。
自室を出て今度は妹の部屋へ、ドアの前に立ち一言。
「おーい、光梨。起きてるかー?」
・・・へんじがない、ただのしかばねのようだ。
妹の部屋を通り過ぎ、階段を降りて1階のキッチンへ。冷蔵庫の中を見て簡単なメニューを考える。調理時間は約20分。
「よしできた」
黒野家特製の親子丼。この親子丼には、ニンニクが細かく刻んで入っている。これが鶏肉とよく合うのだ。ぜひやってみてくれ。
親子丼ふたつをリビングに運ぶと、たちまちニンニクとダシの香りがリビングを支配する。
すると、2階から階段を滑り降りる音がした。そして、リビングのドアが勢いよく開かれる。
俺の妹、光梨の登場である。それも大変ご立腹な様子で。
腰まである栗色の髪の毛、平凡な俺とは似ても似つかない綺麗に整った顔。雑誌やらのモデルに引けを取らない完璧なプロポーション。ここに『兄を慕う心』が追加されれば俺の描いた理想の妹なのだが、どうやら現実はそう甘くないようだ。
「おにぃ~ちゃん! 遅いっ! お腹空いた!」
「居たなら返事ぐらいしてくれよ、光梨」
「お兄ちゃんがあまりにも遅いから潜ってたんだよ。それよりも、今日はお兄ちゃんも終業式だけだったはずなのになんでこんなに遅いの?」
「学校が終わった後に煌太の家寄ってたらこんな時間になったんだよ。悪かった。ほら、ごはん冷めるぞ」
「むぅ、・・・いただきます」
「いただきます」
光梨は、基本的に家事全般をしない。というか面倒くさがってやらない。
両親は仕事の都合でいつも夜遅くに帰ってくるので、仕方なく家事は俺が請け負っている。
そんなダメ妹でも外からの評判が気になるのか、家の外や友達のまえでは、態度を一変させ、たちまち完璧超人になる。
容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群の三拍子。学校では人気者らしく、男子生徒達からの愛の告白はお得意の愛想笑いで華麗にスルー。通知表は5段階評価でオール5。部活動には入っていないが、色んな部から助っ人を頼まれるらしい。
だがしかし、家に帰ってくるとすぐ元通り。
俺に向かってわがまま言いたい放題の甘えん坊。さらには、部屋に籠ってアニメやゲーム。全く、誰に似たのだろうか。
光梨は今夢中で目の前で特製親子丼にパクついている。何とも良い食べっぷりだ。口の中にご飯を頬張り過ぎて、餌を口に溜めたリスのようになっている。食事のマナーとして急いで食べるのは、あまりよろしくないが、ここまで嬉しそうに食べてくれると、作った側としては嬉しい限りだ。
食べてる最中に付いたのか、ほっぺたにご飯粒が付いていたので取ってやる。
「もぐぐ、もぐもぐ!(ありがと、お兄ちゃん!)」
可愛さ半減。口の中を空にしてからしゃべりなさい。
何はともあれ、こうして兄妹二人で少し遅い昼食が行われた。同じ食卓を囲み、ごはんを食べる。これが俺たちのルールになっている。ただでさえ家では自室にひきこもり体質な俺と光梨だ。これ以上悪化しては兄妹の会話がなくなってしまうと考えた俺が光梨に提案したのだ。
食事中の会話の内容は、二人の趣味が共通しているので自然とアニメかゲームに絞られる。
「なぁ光梨。今季のアニメ何見る?」
「『ご注文はウーパールーパーだと!?』の2期は絶対見るよ」
「あぁ、『ごちウパ』な。1期は萌えた」
つづいての話題はゲームだ。もちろん、あのビッグニュースを伝える。
「そういえば聞いてくれよ! 実はな、今日煌太からあの超人気ゲーム『MSO』を貰ったんだ。どうだ? 羨ましいだろ?」
今年一番のどや顔を作り、妹に自慢する兄の図。
「え? お兄ちゃん今頃始めるの? おっそーい。あたしはもうレベル34だよ。βテストの時に得た知識と経験を活かして、某ビーターの剣士様みたいに攻略最前線で絶賛活躍中だよ?」
「・・・なん・・・だと?」
ピコン。
『インストールが完了しました』
こうして俺とVRゲームの波乱な夏休みが始まる。