第一章 五話c
「オイ、大丈夫か?」
不意に間近で感じられた声がアヴェニールを現実へと引き戻した。
突然のことに驚いたアヴェニールは反射的に腕を振る。その手は丁度トールの頬を叩いた。しかし「いたっ」と悲鳴を上げたのは、叩いた彼女の方であった。
「人の顔、叩いて被害者ヅラすんなよ」
「ごっ、ごめんなさい」
さっきまで強気だったアヴェニールだが、募る不安が彼女を弱気にさせた。自分でも驚くほど弱々しい声に驚く。しかし、彼女はもう一度自らを奮い立たせるために、トールを罵倒する。スミがいない状況で彼に弱みを見せては何をされるかわからない。
「なんで勝手に近づいてるのよ、やらしい!」
胸を手で隠し、精一杯の力を込めて拒絶する。
「あんなー、いくらなんだって、時と場合は選ぶぞ? エロにはシチュエーションが大事なんだ。顔真っ青にした女の胸なんかもむ気になるかっつーの。馬鹿たれ」
その言葉に彼女の不安を増大させた。
トールにとって彼女の価値は胸にしかない。そして今はそれすら無価値であると。
つまり今の彼女はトールにとって不要な存在なのだ。
彼女の嘘を見抜く能力は森の生活では役にも立たない。その力が必要とされなければ、彼女はただの足手まといだ。
それに彼女に他人に不幸をまき散らすことを考えれば厄介者でしかない。
「(そんなのは嫌……)」
これまでの生活で自分がひとりで生きていくことが出来ないことは身に染みている。
できることが増えたからといっても、生きるために必要な最低限の食事すら自分では用意できない。
スミは自分を守ってくれると言ったが、本当に彼は彼女を守れるのか。それ以上に彼は自身を守りきれるのだろうか。トールとていつまでも無事でいられるとは限らない。
アヴェニールは血がにじみそうなほどの力で自分の身体を抱きしめ、震えた声で誰ともなしに問いかける。
「私……どうすればいいの」
「どうすればって、なにがだ?」
独り言のような呟きにトールが尋ねる。
「ここじゃ何もできない、役立たず」
「なら別になにもしなくてもいいんじゃね?」
混乱するアヴェニールの問いに、トールはあっけらかんと応えた。
「そんなわけないじゃない、もう子どもじゃないのよ。自分で食べる分くらい自分でなんとかしなきゃ、できないなら仕事をしなくちゃ」
「それこそなんでだよ? 別に働かなくたって、食えるならそれでいいだろ。おまえの食い扶持くらいなんでもねーよ」
「それじゃ不公平じゃない」
「あたりまえだろ、人間が平等だとでも思ってたのか? 世の中には金持ちで美味いモン食えるヤツもいるし、貧乏でなんにも食えないヤツもいる。家畜に生まれれば食われるだけだ。努力なんて関係ねーよ。食えるヤツは遊んでたって食える。そういうもんだろ。だけどおまえのメシは俺とスミが自分の分のついでに用意すればいいだけ。それだけの話だ」
「だからどうして、そんなに考えが浅いの!」
ヒステリックな声が洞窟に響く。
「おまえこそそんな窮屈な考え方してどうなるんだよ。言っとくが間違ってるのはおまえの方だぞ。悩まなくていいことで悩んでウジウジしてどうなる? それでメシが美味くなるか? 同じモン食うなら美味く食ったほうがいいじゃねーか。それこそ馬鹿なことだ」
「でも……」
いつまでも納得しないアヴェニールにトールは声を強める。
「でもでもでもでも、っていつまで続けるんだ。いい加減にしろ! そんなタダメシが嫌なら景気よくおっぱいもませろ。人が真面目に受け答えしてる目の前でプルプル可愛くふるわせやがって!」
「なっ、さっきはシチュエーションが大事っていってたじゃない!」
「シチュエーションは大事だが『ここじゃはマズイっ』て場面でこそ、燃えるのが男心ってもんなんだよ!」
変身が解けた自分が裸でいることを強烈に意識する。それも服を変身で破かないようにと、トールの前で堂々と脱いだのだ。頭に血が上っていたとはいえ、なんという大胆なことをしたのだろうか。今更ながらに顔が熱くなる。
「だいたい、私に触れたらどうなるか身をもって思い知ったでしょ!」
「知らねーなそんなこと、男ってのはロマン《おっぱい》のためなら命のひとつやふたつ賭けるもんなんだよ」
「だからって」
「ちょっと黙ってろ!」
アヴェニールの口に太い指をつっこみ黙らせる。
「いいか小娘、ついでだからちゃんと教えておいてやる。この森はオデ様の王国だ。ここに住むことになったテメーはすでにオデ様の民なんだよ。それも唯一の女だ。そいつためならオデ様は身体を張っても守ってやる。絶対にだ」
一通り言い終えると指を抜き提案する。
「そんなにタダメシが不満なら、歌でも踊りでも覚えろ。ちなみにポールダンスが俺の好みだ」
「踊り…そんなことでいいの?」
「いいんだよ。女が楽しく踊ってれば男はそれだけで幸せなんだから」
あまりに当然のように言い切るトールに、アヴェニールはしばし呆然とし、そして小さく笑いはじめた。
自分が殺しかけたことを気に病んでいるのに、当の殺されかけた本人はこれっぽっちも懲りていないのだ。それも生活の対価に要求するのは歌や踊りだという。これでは悩み損ではないか。
「なに笑ってんだよ」
「ごめんね、トール」
「ん? なにがだ」
「いろいろと。それとありがと」
「んん?」
なぜ礼を言われたのかわからぬトールは、にわかに混乱する。
「それとお願いがあるんだけどいい?」
「言うだけ言ってみな」
機嫌が直ったことを察すると、トールの物言いも以前のように強気なものに戻る。
「杖と服をとってきて欲しいの。この指輪、連続しては変身できないみたいだし、杖なしじゃ上手く外を歩けないから」
「なんだそんなことか。よっし、まかせろ」
そう言うと、トールはアヴェニールの身体を抱きかかえる。
「えっ、あっ、きゃ。ちょっと待ってトール、私に触れたら」
「なに、さっき顔を叩かれたじゃねーか。いまさらだ、いまさら」
「そのくらいなら平気よ。ほんのちょっとじゃない。早く降ろして」
「いやなこったーい」
暴れるアヴェニールだが、バランスを崩し落ちそうになると、あわててトールにしがみつく。
「うひょひょ、良い感触」
「トールの馬鹿っ、死んじまえ! 林檎みたいに全身の皮をクルクル剥かれて苦しみながら死んじまえ!!」
罵倒されながらもトールはゲラゲラ笑う。
アヴェニールはトールの腕の中で必死に身体を隠そうとする。しかしトールが見つめているのはそこではなかった。
「胸だけじゃなく顔もいいんだよなおまえ。笑えばだけどな」
その言葉は羞恥に身を染めるアヴェニールには届いていなかった。




