⑰『初めての騎馬は、匹夫之勇?⑰』
【前回までのあらすじ】
新宿歌舞伎町のネットカフェからシミュレーションゲームの世界へと転生されてしまった藤堂、酒田、竜馬の三人。OK牧場の地下に眠る「銀の鉱脈」を巡り、藤堂が率いる遊撃隊とパラケスが指揮を執る疫病調査団が繰り広げた激戦から、はや二週間が経過した。
元の世界へ戻るため、仲間と一緒に戦乱の続くアメリア大陸統一を目指す藤堂だったが、シミュレーションゲームの基本は何と言っても内政拡充が基本。
彼が思いついたのは、生まれ故郷のベリハム村に【スライム王国】を建設し、大陸中から観光客を呼び集めて軍資金を調達するという途方もない計画だ。
その『村興し』のために解決すべき三つの内【交通手段】と【宣伝広告】を何とかクリアした藤堂は、最後の難関を突破すべくマウントパーソンの町役場へ向かった。
天空を駆ける太陽はすでに頭上まで差し掛かっている。ルーベル印刷工場を後にした藤堂達が、マウントパーソンの町役場を目指して中央通りを歩いていく。
印刷工場のあった小さな集落と違い、さすがにここは人通りが多い。人込みで溢れかえる繁華街の雑踏を掻き分けるように遊撃隊一行が進む。
道路の両側にはゲームの世界ではお馴染みの武器屋、防具屋、道具屋、魔法屋、酒場、宿屋以外にも家具屋、食料品店、理髪店など様々な店が軒を連ねている。
「見て見て、剣一? ほら、あそこに屋台が出ているよ。あー、美味しそうな匂いね」
そう言いながらシスターのタニアがクンクンと可愛い鼻をひくつかせる。何故か目を閉じ両手を大きな胸の前で組んだかと思うと、何かを悟ったように大きな眼を見開いた。
「ほむほむ。キシリトール様、これは牛串焼きの香りですね。え、まさか? 遊撃隊の未来が? 分かりました。ありがとうございます。これぞまさしく神のお導き……」
ハート型にくり抜かれた黒を基調としたキシリトール教の見習い聖女が身に着ける修道服。大きな胸の谷間に埋もれた銀の十字架の前でタニアが神妙に両手を合わせる。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
「お前なあ! 仏教なのかキリスト教なのか、どっちかに統一しろ!」
「何を言っているの? 剣一。これはキシリトール教の正式な作法だよ」
「あー、相変わらずグダグダな宗教観に付いていけそうにないぜ」
「そんな事よりたった今、御神託が降りたわ。私達、あの屋台ですぐに牛串焼きを食べないと不幸になるよ。ほら、この芳醇な香り。香ばしい肉の焼ける匂い。じゅるるるる」
神に仕えるシスターの澄んだ瞳がだんだん半開きになって目が座り始める。エヘヘと恍惚の表情を浮かべながら流れ出る涎を修道服の袖で拭う。
「どこが御神託だ? 単に食い意地の張ったお前の食欲本能だろ? 神様のせいにしたら罰が当たるんじゃないか?」
「ハッ。そ、そうね。申し訳ございませんキシリトール様。いかに教義とは言え、空腹に迷いが生じました。貴方様の従順な仔羊、悩める見習いシスターをどうかお許しください」
深く目を閉じて両手を合わせるタニアの背中に後光が差す。頭に天使の輪、背中に白い羽を付けた幼女エンジェルが数人、螺旋を描いて舞い降りてくるかのようだ。
「うん。これでOKだよ剣一。キシリトール様のお許しを頂いたから。仏罰だって大丈夫」
「仏罰って……そこは神罰にしておけよ! ったく、神も仏もあったもんじゃねーな」
「だって、お腹空いたんだもん。キシリトール教では空腹が【絶対悪】なんだから。シスターの私は神の教えに背くことはできないの」
「いや、そういう意味じゃないんだが。まあいい、とにかく今日はもう一か所行かなきゃならいんだ。昼飯は役場で最後の難題を片づけてからでいいだろ?」
「えーーー? 酷い、剣一ったら、タニアを殺すつもりなの? 純情可憐な幼馴染の彼女を餓死させるなんて、それでも遊撃隊のチームリーダーなの?」
よよよ、と膝から崩れ落ち藤堂の膝に縋り付く。
「ううっ、牛串焼き。食べたいよーーーー」
「いや、だから時間がないんだって。役場でタヌキ親父を待たせてあるんだ。それにベリハム村から、もうそろそろアイツが到着しても良い頃だし……」
「イイじゃない、副町長なんて。牛串焼き食べさせてくれないなら、泣いちゃうよ?」
地面に横たわるタニアが藤堂の膝下から上目使いに見上げた。北欧の湖を想わせるグレイの瞳に大量の涙が浮かぶ。
「あ、馬鹿よせ。泣くな、女を泣かせる奴は男のクズ……」
慌てふためく藤堂に絶大な効果を発揮するタニアの最終兵器【女の涙】がポロリと一滴零れ落ちようとした瞬間。
――ググー、グー、ググッググーーーーッグ――
「やだ、お腹の虫が先に泣いちゃった」
「それを言うなら【鳴いちゃった】だろ! 分かったよ。じゃあ、牛串焼き一本だけだぞ?」
そう言いながら藤堂は肩をすくめる。
「ったく、遊撃隊の軍資金は今、結構苦しいんだぞ。【村興し】で東奔西走しているのは、一体何のためだと思って……」
自分たちの財政状況を語り始めた藤堂が彼女に視線を向けるが、そこには誰もいない。
「あれ? どこへ……」
キョロキョロと辺りを見回すとすでに牛串焼きの屋台の周りには遊撃隊のメンバーが蟻のように群がっていた。
「王子の許可も出た事ですし、私がまず毒見で一本いただく事にしましょう」
「ロビン様、素敵……。では、アタシも一本いただきますわ」
「オイラ、二本ね」
「僕は三本貰うっす」
「何よ、みんな。少しは遠慮したらどうなの? じゃあ、タニアは五本ずつね」
屋台のガラスケースに並べられていた焼き立ての牛串焼きが、まさに飛ぶような勢いで売れていく。
――ムシャムシャ、ガツガツ――
スパイスの効いた串焼きから滴り落ちる肉汁で団員達の口の周りはベトベトだ。
「これは美味しいですね」
「ロビン様、トレビアン」
「ヤッベ。オイラ、コレまじでヤバイよ」
「いけるっす。いけるっす」
「じゅるじゅるる。んとよね。OK牧場のBBQも美味しかったけど。シンプルな串焼きも。ムシャムシャ、ごくん。どうしてどうして侮れないわ。パクパク、んっがくっく」
一瞬の出来事に我を忘れ、呆然と仲間の激しい喰いっぷりを見つめていた藤堂がようやく我に返る。
「ハッ。お前達、一人一本ずつって言っただろ? ロビンまで一緒になって。コラ! 鉄平。誰がお代わりしてイイって言った? タニア、お前両手に何本串を持っているんだ」
そう言いながら藤堂が屋台にへばり付いて離れない遊撃隊のメンバーを一人一人引きはがす。ようやく全員を屋台の前から遠ざけた王子がため息を一つ付いて店主に注文した。
「……ったく。オヤジ、俺にも牛串一本、頼むよ」
「申し訳ありやせん、旦那。今あちらのシスターにお渡ししたのが最後でして。今日の分は残らず売り切れでさ」
「あんだと?」
済まなさそうな店主の言葉に藤堂がパッと後ろを振り返る。大きく口を開けたタニアが、天にも昇る表情で竹串の肉にかぶり付くところだ。
「あーん、ぱくっ。もきゅもきゅ。ごきゅん。あー美味しかった。ん? どうしたの剣一?」
「あ、あ、あ。お前、俺の……。牛……串……が……」
がっくりうなだれる王子キャラの背景が、マウントパーソンの中央通りから徐々に禍々しい暗黒面へと変わっていく。おどろおどろしいBGMに混じって藤堂が呪詛を呟く。
「お、俺の……。ぎ、牛……串……」
「ま、まずいっす。こ、こ、この雰囲気はヤバいっす。せ、先輩が本気で怒ると……」
「と、藤堂の兄貴? オ、オイラ知らないよ。さ、さ、先に行ってるから」
まさに機を見るに敏。逃げ足にかけては天下一品の竜馬が、ビューっと疾風を巻きながらマウントパーソンの役場に向かって走り去った。
「あ! 竜馬一人だけズルイっす」
「私も軍師として先に役場へ行き、根回しなどの工作を進めておきましょう」
「ロビン様、ワンダフォー。アタシもお供します」
「何、何、何? 役場まで競争? タニアこう見えても伯爵令嬢だから足早いのよ」
戦闘宙域をダッシュで離脱していく団員達。そんな仲間達をぽっかりと空いた虚空の眼窩に映し出しながら藤堂が呪文を唱える。
「牛串……、装着!」
藤堂が装備した武器はいつものショートソードではない。なんと仲間が食い散らかして残していった牛串を両手の指の間に五本ずつ挟み込んだ。
竹の串がまるでアダマンチウムで出来た鋼鉄の爪のように、両手の拳からニョッキリと生えている。
「ウ~ル~ヴァ、リ~~~~~~~ン!」
口の端から意味不明なマジックスペルを吐き捨てる藤堂の追撃戦が始まった。
「てめえら、待ちやがれ!」
――■――□――■――□――■――□――■――□――
遊撃隊一行はまだマウントパーソンの町役場に到着できずにいた。大通りの一角に出ていた別の屋台の前でたむろしている。
「もう、剣一ったら。そんなに怒る事ないじゃない、子供みたいに食い意地張っちゃって」
「少なくともお前にだけは言われたくねえ!」
「でも、良かったわね。牛串の屋台がもう一店出ていて」
「ふん、お前ら全員命拾いしたな。もし俺が牛串を食べられなかったら今頃……」
――へい、お待ち。牛串焼きの塩コショウ一本。焼き立て熱々だから気を付けて――
鉢巻を巻いた屋台の店主が、赤々と燃える炭火の上に被せられた金網から牛串を摘み上げる。串に刺さったサイコロ状の牛肉から湯気が立ち上り何とも言えぬ芳醇な香りが漂う。
「剣一、ほら。タニアがフーフーして食べさせてあげるから。機嫌直して……ね?」
「いいよ、自分でやるから」
「だーめ。口の中を火傷すると美味しくご飯が食べられなくなるよ。これはキシリトール教の経典【アッカン・ベーダ】にも載っている大事な教義なんだから」
「何が経典【ベーダ】だ。ったく、今度はバラモン教かよ。大体、キシリトール教ってどれだけ宗教が混ざり合っていれば気が済む……ん……だ」
―― フー、フー、フー ――
牛串を摘まむ白い指。ピンクに色付く小さな唇。美少女シスターが目を軽く閉じたまま熱々の牛串に息を吹きかける。
そんな一枚の絵画のような光景に思わず見とれていた藤堂は、言葉を失って恥ずかしそうに目を逸らす。
「……タニア、もういいって」
「んふふ、もう食べ頃に冷めたかな。ハイ、剣一。あ~~~~~んして?」
「ば、馬鹿。やめろって。みんな見ているじゃねえか」
「駄目、駄目。ほら、幼馴染の言う事は聞くものよ。あ~~~~~んして!」
いつの間にかシスターに左腕を絡め捕られていた。大きな胸の谷間が肘の辺りに押し付けられただけで藤堂は身動き一つできなくなっていた。
「あ~~~~~ん」
目の前に迫る牛串。タニアに呪縛された藤堂は、雛鳥のように大きく口を開けてかぶり付いた。
「どう? 美味しい?」
「ああ、ムシャムシャ。確かに旨いな」
憑き物が落ちたように身体の自由を取り戻した藤堂が牛串に舌鼓を打つ。それを見ていた団員達が「何だよ、しょうがないな」とばかりに囃し立てる。
「ヒューヒュー、熱いっすよお二人さん」
「オイラにも誰か、あーんして食べさせてくれないかな?」
「仲良き事は美しきかな、ですね」
「ロビン様、ミディアならいつでもフーフーして差し上げますわ」
「お、お前ら……今度こそ許さん。装着!」
ほんわかラブラブモードが一転して修羅場に舞い戻る。
「ゲッ、今度はショートソード装備したっす! 先輩、本気っす」
「オ、オイラ。ごめん、だって……」
「では、王子。私は軍師の職責を全うするため一足先に御免!」
「ロビン様、アンビリーバボー。お待ちになってーー」
「待ちやがれ、ゴルァ!」
ワーッと蜘蛛の子を散らすように逃げ出す仲間を再び藤堂が追い回す。決死の追撃戦第二幕が切って落とされた。
「もう、剣一ったら本当に子供なんだから。パクッ、もひもひ。ゴキュン。あーそれにしても、何本食べても美味しいわね。うふ」
藤堂がひと口かじっただけで食べ残した牛串を一気に平らげる。タニアは本番の戦闘場面さながらの鬼ごっこを楽しそうに眺めていた。
――■――□――■――□――■――□――■――□――
太陽が傾き始めた頃、遊撃隊はようやくマウントパーソンの町役場へと到着した。
剣士の藤堂、シスターのタニア、女戦士の酒田、盗賊の竜馬、アーチャーで軍師役のロビン。そして新たに戦力として加わった騎馬兵のミディア。
タニア以外、何故か全員が疲労困憊でヘトヘトだ。
白い土壁でできた町役場庁舎の正面玄関の回転扉が開き、そんな一行を出迎える者があった。
「マスターってば遅いピョン。フェアリーもう待ちくたびれて……。どうかしたピョン? まさかここへ来る途中、ランダム戦闘にでも巻き込まれたピョン?」
ペットボトルサイズのウサギ妖精フェアリーが、トンボのように透き通った四枚羽をきらめかせる。心配そうに藤堂の頭上を飛び回る。
フェアリーは、何者かの手によってこの世界に転移させられた藤堂の後見役と称する老執事チュートリアルによって異次元の彼方にある古の王国から召喚された妖精である。
シミュレーションRPGの世界において指揮官クラスだけが所持できる軍事、日常両面における言わばサポートキャラだ。
「いや、別に。まあ、戦闘の方がマシだったけどな」
「ふーん。まあ、いいピョン。それよりも早く、早く。みんなお待ちかねだピョン」
ウサギ妖精と言うより小さなバニーガールにしか見えないフェアリーが、透過光にきらめく軌跡を空中に描きながら役場庁舎の玄関へ飛んで行く。
その後を追うように藤堂達が庁舎の回転扉をくぐり抜けるとそこは広い事務室だ。総務課、税務課、水道課、保健課などの各課が詰め込まれるようにして机を並べている。
「あれ? 何だか雰囲気が違うっすね」
「ホント。オイラも前に来た時とイメージが変わったような気が……」
藤堂、酒田、竜馬の三人で前回役場を訪れた際に感じた怠惰な空気は影をひそめ、役場職員が全員ハッキリとした目的意識を持って職務に専念している。
――課長、今日中に決裁をお願いします――
――おい、自治会長との面談に書類を間に合わせろよ――
――発注工事の完了期日、もっと早くするよう業者に打診しろ――
所属ごとに配置された事務所の机上が見事に整頓されている。空港の滑走路のように広々とした盤面には必要最低限の書類しかなく、役所でお馴染みのアレが見当たらない。
「……ふっ、ファイリングか。さすが爺さん、やるな」
「ファイリング? 先輩、何でしたっけソレ? どこかで聞いた事があるような……」
「鉄平、お前なあ。ファイリングは今やサラリーマンの基本だぞ」
「はぁ」
「ったく。ぶっちゃけ書類整理の事だ」
「ああ、それなら分かるっす。書類に二つ穴を開けて黒い紐で綴じるアレっすよね?」
「お前も古いな。確かに昔はな。だが、今はもっと進化している。鉄平、事務机の上を良く見てみろ。何か気が付かないか?」
「机の上? そう言えばこの前来た時より何だかスッキリしているっすね」
「そのとおり。書類を綴じて整理する青い背表紙の文具。通称【王様ファイル】が片づけられたんだ」
藤堂の言葉どおりこの間まで机上の半分以上を占拠して並んでいた分厚いファイルの簿冊が、綺麗さっぱりなくなっている。対面に座る役場職員同士の顔もお互いよく見える。
「なるほど。でも、書類が綴ってある【王様ファイル】を他所へ片づけちゃうと、いざ仕事って時に、その書類を探しに行くのって結構面倒じゃないっすか?」
「手元に置いておくのは、ここ一年分の書類で十分さ」
「どうしてっす?」
「利用頻度の問題だ。何年も前の書類をめくり直す事なんてそう頻繁にあるもんじゃない。仮にあったとしても、せいぜい一年の内で数回だ」
「ああ、確かにそうっすね」
「だったら、そんな書類は裏の倉庫にでも放り込んでおけば良いだろ? それよりも最近の書類を項目ごとに分けて整理した方が効率も上がる」
「あー、言われてみたら僕の下宿部屋が正にソレっす。何かの書類を探そうと思った時だったかな。必要な資料は全然見当たらないのに、どうでもいい物ばっかり出てくるっす」
「まさに時間の無駄って奴だな。役場とか会社でもそうだが、何年も前の文書まで後生大事に机の上に飾っているサラリーマンは仕事ができない証拠だ」
「ううっ。先輩の話を聞いていると鼻が痛いっす」
「馬鹿、耳が痛いだろ」
「……で先輩、町役場のこの変貌ぶりは、どうしてこうなったっすか?」
「なあに、すぐに分かるさ」
意味深な笑みを浮かべて藤堂が正面玄関前の受付に歩み寄る。若い受付嬢がスッと立ち上がった。両手を腹の辺りで組み、微笑みながら軽く会釈する。
「お待ちいたしておりました、藤堂王子様」
紺色のワンピースに膝丈のスカート。コンパニオン帽子を目深に被り首にはライトイエローの小粋なスカーフを巻いている。
「あれ? オイラの苦手なあのオバちゃんは? ひょっとして受付を馘首になった?」
竜馬がこの前受付で気だるそうに新聞を読み漁っていた嫌味満載な老婆の事を思い出していると受付嬢が右手を開いて事務所の奥を指し示した。
「いえ、あちらに……」
なんとあの老婆は【総務課長】の札が立った事務机で熱心に書類を読んでいる。もちろんそれは新聞や雑誌の類ではなく、新年度予算に関する要望事項だった。
「総務課長、よろしいですか。総務課長、……総務課長?」
若い受付嬢が何度も声を掛ける。ようやく自分の事だと気が付いた老婆が顔を上げた。
「はい、イヒッ?」
受付に王子の姿を見つけた途端、老婆の総務課長がすっ飛んできた。深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べる。
「申し訳ありませんでした、藤堂王子様。その節は大変失礼いたしました」
「まあ、いいさ。あの時はアポなしだったからな」
「いやーー。それにしても藤堂様もお人が悪い。一言、【俺は第四王子】だと仰っていただければ。あの後町長から話を聞いて、私もう首を括らないといけないかと……」
老婆がポケットからハンカチを取り出して汗を拭く。どこの馬の骨かと思い舐めきっていた若造がこの国の王子と分かった途端、手のひらを返したようなへりくだりようだ。
「馘首にならず、逆に出世したみたいだな」
藤堂がどこかのサスペンス劇場に登場するルポライター探偵気取りで皮肉を言う。
「おかげさまで。これもひとえに王子様のお口添えがあったからこそ」
「フン、まあな。それで副町長は?」
「ハイ、私がご案内いたします。どうぞこちらへ」
老婆の総務課長がハンカチ片手に止まらない汗を拭きながら廊下の奥へと先導する。
「ねえ、藤堂の兄貴? オイラどうしてあのオバちゃんが出世したのか分からないよ」
「まあ、アノ手のお局様は職場の生き字引みたいなのが多いからな。役場の事務を隅から隅まで知り尽くしている人材を【総務課長】に抜擢したのは悪くない人選だと思うぜ」
「『思うぜ』って、兄貴の仕業じゃないのかい?」
「いや。恐らく爺さんの差し金だろ」
藤堂と竜馬がヒソヒソ話を続けながら老婆の後に続く。タニア、ロビン、ミディアの三人は、初めて訪れたマウントパーソン町役場の庁舎内を物珍しそうに見て歩く。
廊下の奥のコーナーを曲がって副町長室にたどり着く。老婆の総務課長が【副町長室】とプレート表示された扉をノックする。
――コンコン――
「失礼します」
「どうぞ」
部屋の中から返事が聞こえると同時に総務課長が恐縮したように両手でドアを開け、遊撃隊メンバーを副町長室へと招き入れる。中へ入った藤堂達が思わず声を上げた。
「ゲッ!?」
「め、目が痛いっす」
「ふぇーん、剣一。何だか眩しいよ、この部屋」
室内は黄色で統一されていた。壁には黄色いクロスが貼られ、床にはアラベスク模様の黄色い羊毛絨毯。大きな執務机と応接セットまでがライトイエローというこだわりようだ。
天上の豪奢なシャンデリアからは黄色い灯りが照らされ、部屋の隅に置かれた黄色いサイドボードには高級酒のボトルが数多く並んでいる。
物置部屋のように質素だった町長室とは大違いだ。入ってきた王子の姿を見てこの部屋の主がよっこらしょとソファから立ち上がる。
「いらっしゃいませ、藤堂王子様。お待ちしておりましたぞ」
信楽焼のタヌキの置物そっくりな副町長だ。いつもどおりキングサイズの灰色スーツに大きく張り出した下腹部を無理矢理に詰め込んでいる。
「遅れてすまない。ここへ来るまでに色々と難題を片づけてきたからな。ところで町長はどうした? OK牧場の一件以降、アイツ今どうしている?」
タヌキ親父の甥であるバートレイ町長は、OK牧場の敷地内に眠る銀鉱山を手に入れようとした疫病調査団とグルになり、遊撃隊を追い出そうと裏から手を回して画策した。
彼の野望、それは口やかましく鬱陶しい叔父にワーシントン王国の第四王子暗殺の汚名を着せ、目の上のタンコブであるタヌキ親父の副町長排除を目論んだものだった。
だが、藤堂率いる遊撃隊とOK牧場のカウボーイ達の活躍により、疫病調査団は指揮官パラケスとリーダー格の戦士だけを残して壊滅した。
若い町長が膨らませた黒い野心は見事に潰えたのだが……。
「いくらワシの実の甥といっても藤堂王子暗殺未遂ですからの。いったんは自警団詰所の留置場に身柄を拘束したんですわ。いや、それがその……」
「いったんは? 何だハッキリ言えよ」
「はぁ。逃げられましたわい」
「逃げられた? どうしてそうなるんだ!」
「面目次第もない。留置場に繋がれた町長が実家に着替えを取りに行きたいなどと申したもので。ワシも身内だからと甘く許可したのが間違いの元。ちょっと目を離した隙に姿をくらませてしまいました」
「何だよソレ! アイツのせいでオイラ達がどれだけ苦労したと思っているんだ」
副町長の呑気な物言いに逆上した竜馬が勢い余ってソファから立ち上がる。先を越された藤堂は苦笑いしながら若い盗賊に声を掛けた。
「サンキュウ、竜馬。俺が言いたい事を替わりに言ってくれて。だが、血の繋がった甥っ子を牢屋にぶち込んでおかなければならない副町長の立場も考えてやってくれ」
「そりゃそうだけど……。まあ藤堂の兄貴がそう言うのならオイラは別にいいけどさ」
口ではそう言ったものの、どうにも納得いかないように竜馬が腰を下ろす。
「竜馬さん、今回の一件で疫病調査団のパラケス団長に見放された町長には、もはや後ろ盾がなくなりました。放って置いても別に俺達遊撃隊の支障にはならないと思いますよ」
そう答えたのは応接セットの後ろで控えるロビンだ。その隣でドワーフ族のミディアが相変わらず目をハートマークにしてイケメン軍師を見上げる。
「あー、ロビン様。神をも凌駕する知力、惚れ惚れいたしますわ」
「まあ、うちの軍師が言ったとおりバートレイ町長の件はそれほど深刻な問題じゃない。取りあえず指名手配だけは懸けておいて、後は副町長に任せる」
「おお、お心遣い感謝いたしますぞ」
「じゃあ、本題に入るぜ。副町長、あんた今日から町長に就任しろ」
「え? ワシが? ……あの、本当によろしいので?」
突然の昇進辞令に当のタヌキ親父が目をパチクリさせる。
「先輩、ちょっといいっすか?」
「何だ、鉄平?」
サラリーマン時代からの直属の部下、今では女戦士のアバターに身を窶した酒田が片手を上げた。
「バートレイ町長を放置する件はいいとしても、副町長に責任を取らせるどころか逆に昇進させるのはどうっすか?」
「そうだよ、兄貴。オイラが調べた情報じゃ、確か副町長はこの町の議会からも総スカンを食らっている筈だよ。町の公共事業発注とかで、色々ともめるんじゃないかい?」
「いや、問題ない。そもそも副町長を差し置いて、町長という要職に若いバートレイを担ぎ出したのは議会の方だろ?」
「あ、そう言えばそうっすね」
「OK牧場の一件の黒幕が町長だったって事は、取りも直さずバートレイを指名した議会にも責任があるって訳さ」
「でも、議員連中は藤堂の兄貴の言う事を素直に聞き入れるかな? 副町長と町議会は水と油だってもっぱらの噂だよ」
「それについては別の人事で手を打っておいたから大丈夫だ」
「別の……人事?」
藤堂の言葉に酒田、竜馬そしてタニアが揃って首をかしげる。頭の上にクエスチョンマークを灯していないのは、軍師のロビンとその横顔に見とれるミディアと副町長だ。
――コンコン、コンコン――
その時、副町長室の扉に規則正しいノックが二回響いた。「どうぞ」と告げるタヌキ親父の言葉にガチャリと扉が開いた。
ドアの細い隙間からウサギ妖精のフェアリーが部屋の中に飛び込んでくる。流れるような透過光の軌跡を振り撒きながら天井近くを旋回した後、藤堂の肩で羽を休めた。
「マスター! お待たせ。お連れしたピョン」
ちっちゃなバニーガールのセリフが終わるや否や、開け放たれた扉の向こうから一人の老人が影のように音もなく室内へ滑り込んだ。
「若様、お久しぶりでございます」
相変わらず暗褐色の珍しい燕尾服が板につく老人は、もちろん藤堂王子の執事であり後見人でもあるチュートリアルその人だ。
藤堂がこの世界に転移させられて出会ったあの日と同じく、眼窩には片眼鏡。六個ボタンを前で止めた胴着。白無地のシャツのポケットには青いハンカチーフが覗いている。
「よう爺さん、元気か?」
「若様『元気か?』ではありませんぞ。私が隣村のベリハムで村長と共に【スライム王国】建設の陣頭指揮を執っておりました処に今回の急な出頭命令……」
そう言いながら滑るように移動してソファの前で両膝を着く。老執事の両手が藤堂の右手を握り締めた。ウヘェと顔をしかめる藤堂に手を振りほどかれたのも気にせず老執事は言葉を続ける。
「老体に鞭打って隣村からマウントパーソンの町まで足を運んで来てみれば、町の中心たる役場には職務怠慢な職員ばかり。このチュートリアル、情けないやら呆れるやらで……」
魔法のようにサッと取り出したハンカチで、ワザとらしく涙を拭き始める。
「それにしてはこの短期間で役場事務室の職場ムードが一変していたじゃないか。爺さんの仕業だろ?」
「仕業とはまた心外ですな。すべて若様のご命令どおりにしたまでの事」
「受付のオバちゃんを総務課長に特進させたのもか?」
「はい、適材適所の典型的な事例ですな。あの手の古株は現場よりもむしろ管理職に向いている場合が多いのです。中堅どころの職員は、ああいったお局様に頭が上がらないので事務が迅速に進みます」
「さすがだな、爺さん」
「お褒め頂き誠に恐縮……」
藤堂の言葉に恭しく頭を下げた途端、老執事は人格が変わったように叫んだ。
――執事生活二十五年! ワシャこんなに嬉しい事はないぞい!――
眼窩にかけた片眼鏡は一瞬で安物の丸縁眼鏡になり、燕尾服も灰色の背広に変わっている。鼻の下の口髭を右手の袖口で抑えながらクックックと感涙にむせび泣く。
「おい爺さん、あんた確か執事になって六十数余年じゃなかったか?」
「おや、これは失礼いたしました。何やら古文担当の壮年中学校教師と黄色い平面ガエルが頭の中をよぎりましたので」
「……あのなあ。誰も付いて来られないぞ、ソレ。まあいい。で? 副町長を町長に格上げ就任させる件について、議会への根回しは済んでいるんだろうな」
「無論オムロン。このチュートリアルが誠心誠意を持って若様の意向をお伝えしたところ、議長始めすべての町議会議員に快く了承していただけました」
「へぇー。反対意見とか無かったのか?」
「いえ、最初は確かに突然の申し出故に議会側も戸惑った模様で。即答を避けたいなどと議長がほざくものですから、つい私も年甲斐もなく感情を高ぶらせてしまい……」
好々爺の笑顔がゆっくり闇へと消えていく。窓から差す西日に映る直立不動の老執事の影だけがゆらりと揺れた。影の頭部には二本の角。臀部には三角に尖った尻尾が見えた気がした。
――テメェら! グオら! 税金で飯食ってる奴が寝言ほざいてんじゃねえぞ、ワレ! ケツの穴から手突っ込んで、喉チ○コぷるぷるイワシたろか?――
豪奢な作りの副町長室が一瞬で北国の監獄に早変わりした。ピキッと凍り付く遊撃隊のメンバー。タヌキ親父の副町長などは老執事のあまりの剣幕に縮み上がって小便を漏らしかけている。
――何とか言えつってだろ、議長! そうかダンマリを決め込むっつうんだな。分かった。議員なんざ掃いて捨てる程居るんだぞ。――
魔王も裸足で逃げ出すようなチュートリアルの恫喝が続く。目が点になった藤堂以下誰も老執事の一人舞台を邪魔する者はいない。
――てめえら連帯責任で皆殺しだ。まずは手始めにウサギ妖精の世界へ乗り込んでチュートリアル様の特製究極魔法『火炎滅殺地獄車』でウサギどもを丸焼きにしてやる。――
「ぴょぴょぴょ~~~ん? ど、ど、どうしてそこで妖精界が出てくるピョン?」
凍り付いた藤堂の肩口に止まっていたフェアリーが真っ赤な目を真ん丸に見開いた。パカッと開いたフェアリーの口から白い魂のエクトプラズムがぽわんと宙へ消えていく。
――妖精界を滅ぼしたその後、返す刀で議員全員切り刻んでやる。お前らの真っ赤な血のソースで味付けした「ウサギの姿焼き」をこの町の名物料理にしてくれるわ、ガハハ――
「アワワワ。駄目、駄目、駄目~~~~。ウサギ妖精界に居るお姉様達を殺さないでピョン。フェアリー何でもするピョン」
藤堂の肩の上で身動き一つできないちっちゃなバニーガールが胸の前で両手を組む。小さな顔の半分以上もある大きな瞳から滝のような涙がダーダーと流れ落ちる。
「……と、まあこのようにお互いの立場を尊重し【虚心坦懐】心を開いて歩み寄りましたところ、こちらの申し出を議長以下議員全員に快諾していただけました」
悪魔の憑依が解けたようにいつものチュートリアルに戻る。イケメン軍師を前にした時のミディアのツンデレも相当なものだが、この老執事の変貌ぶりには遠く及ばない。
「……そ、そうか? どちらかと言うと【虚心嘆壊】虚しくなるほど心嘆いて壊れたって気がするが。とにかくご苦労だったな。爺さん」
老執事の暗黒面を十分知っていた筈の藤堂でさえこう答えるのが精一杯だ。
藤堂は副町長の昇格人事要求が聞き入れられなかった場合、この町を遊撃隊の占領下に置くしかないと考えていた。いわゆるシミュレーションゲーム特有のコマンド【占領】だ。
この国の第四王子として王族の特権を発動し、都市を支配して任意の税率を決め軍資金を調達する【占領】をチラつかせれば、副町長の昇格人事に対する議会の譲歩も引き出せると踏んでいたのだ。
それがまさか、ヤクザ顔負けの恐喝で議会の同意を得たとは思ってもいなかった藤堂はため息をついて話を進める。
「そう言う訳で副町長。今日からあんたがこの町の首長だ、いいな?」
「はっ、承知いたしました」
「早速だが大至急取り掛かって欲しい事業がある」
「事業と申されますと?」
「【スライム王国】の支援だ……」
藤堂は町役場に来る前にルーベル印刷工場で語った村興し計画を今度は町長になったばかりのタヌキ親父に初めから説明した。
あまりに途方もない計画に最初新町長も呆然としていたが、OK牧場の【交通手段】とルーベル印刷工場の【宣伝広告】まで話が進むと俄然やる気を出し始めた。
「なるほど。アトラクション仕立ての地下迷宮でモンスターを狩って、一般人のしかも子供のレベルアップを図るとは。さすが藤堂王子、ワシらでは考え付きもしないグッドアイデアですわい」
タヌキ親父がポンッと自分の太鼓腹を打って愛想笑いを浮かべる。
「おべんちゃらは要らねえよ。で町長? 行政マンとしてあんたの意見を聞かせてくれ」
「はい。町役場として現状クリアすべきなのは次の二点ですな。まず一点目は駅馬車の整備。馬はOK牧場から調達するとして問題は馬車本体をどうするか……」
「取りあえず町役場の公用馬車を一台貸してくれればイイ。今のところはそれで十分だ」
「一台でよろしいので? 先ほどのお話では隣村までの往復シャトル運用をお考えとか。ワシが思うに少なくとも最低二台は駅馬車として運用すべきかと思うのですが」
「へぇー、言うじゃねえか。確かにこの町と村を駅馬車の路線で繋ぐとしたら、往復でそれぞれ一台ずつの駅馬車があった方が効率的に客を運べるな」
「幸いな事にマウントパーソン役場には使っていない公用馬車が何台かありますわい。型は古いが、なあに隣村くらいまでならまだまだ十分使えますぞ」
「そうか。じゃあ取りあえず馬車を二台、いつでも使えるように整備しておいてくれ。それであと一つクリアすべき点は何だ?」
「もちろん言うまでもなく【道路整備】ですな」
「だな。実は俺達、隣村のベリハムからこの町まで歩いて来たんだが、あの山道は酷かった。道幅は狭いし舗装もされていない。おまけに地面はデコボコだらけだったぜ」
「そうっすね。あれじゃあせっかく駅馬車を走らせても子供が馬車に酔ってしまうんじゃないかな。スライム王国に着く前に親子共々イメージダウンするっす」
「オイラ思うんだけど、いかにリピーターを獲得するか。これが兄貴の村興し成功のカギを握っているんじゃないかな」
酒田と竜馬の二人。現代世界からの転生組が的を射た意見を口にする。
「そうするとやっぱり町長が言った【道路整備】が必要不可欠だな。まずは路面の整備。駅馬車をスムーズに運用するには、町から村までの山道のデコボコを平らに均さないとな……」
「町長、ひとつよろしいですか?」
それまで皆の意見を黙って聞いていたイケメン軍師が手を挙げる。
「道路補修工事は町役場の土木課あたりの管轄だと思われますが?」
「はい、そのとおりですわい」
「取り急ぎ藤堂王子がおっしゃられた道路整備を進めるにあたって、町の公共事業費予算はありますか?」
「OK牧場の件で皆様にご迷惑をお掛けしておきながら、こんな事を申し上げるのも心苦しいのですが、正直なところ町の財政状況は苦しいですわい」
「アメリア大陸全土にわたる戦乱の最中ですからどこも同じでしょう。しかしながら、この町が藤堂王子の直轄地になれば、今まで王都へ上納していた国税は免除される筈です」
「なんと! それは本当ですかな」
予想外の話にタヌキ腹の町長が飛び上がる。それを見た老執事が自分の出番とばかりに一歩前に進み出る。
「ウォホン、今ロビン様がおっしゃられた事については……」
――執事生活二十五年! このチュートリアルが保証しますぞい!――
壮年教師のような口調で唾を飛ばし丸眼鏡の奥の瞳がニヤリと笑う。
何故だか分からないが遊撃隊のメンバーが全員着ているシャツを片手でめくり、その中にもう一方の手を突っ込む。
酒田と竜馬だけでなくタニア、ロビンそしてミディアまでもが、何かに取り憑かれたようにシャツの中で拳を上下右左にせわしなく動かしている。
どっこい生きてる【平面ガエル】が今にも胸から飛び出してきそうだ。
「……あのなあ。そういう【お約束】はもういいから」
「おや、若様。今日は一段とノリが悪いですな。どこかお体の具合でも?」
げっそりと肩を落とした藤堂の傍にすかさずチュートリアルが歩み寄り、心配そうに王子の手を取って握り締める。
「だぁぁぁぁ! そのスキンシップもやめろ!」
ゾワゾワゾワッと背筋に怖気が走った藤堂が老執事の手を邪険に払いのけた。
「ハァ、ハァハァ……、と言う訳で町長。マウントパーソンの町は、藤堂剣一の名においてたった今からワーシントン王国第四王子の直轄地とする。いいな?」
「ははーッ」
町長に任命されたばかりのタヌキ親父が腰を折って頭を下げる。だが、太った腹がつかえて敬礼しているようには見えない。
「まあ、直轄地といってもそれは王都に対する表向きの措置だからな。行政に対して細かい事を言うつもりはない。自治領ってところだな。今までどおり町長が町を引っ張っていってくれ」
「畏まりました」
「けれど、隣村ベリハムに通じる山道の整備事業は、他の公共工事よりも優先して進めてくれよ」
「承知しております。国税の特別優遇措置が受けられるのであれば是非もないですな。思い切って町予算の予備費を使いますわい。ワシを町長へ任命して頂いたご恩に報いるため。必ずやご期待にお応えして見せますぞ」
「ああ、頼んだぞ。俺が頭に描いた村興し【スライム王国】が成功するか否かは、町長あんたの双肩に掛かっていると思うぜ」
「責任重大ですな」
「ちょっと想像してみろ。観光客がベリハム村の【スライム王国】でレベルアップを目指すなら、この町を通らずにはいられない。この町にアメリア大陸全土から観光客が津波のように押し寄せるんだぜ?」
「おおっ!」
タヌキ親父町長の頭の中にマウントパーソンの町が人々で溢れかえる夢のような光景が広がる。
「なあ町長。ひょっとするとあんた近い将来、このアメリア大陸でも一、二を争う大きな町の首長になっているかもしれないぜ」
「ガハハハ、俄然ワシは燃えてきましたぞ。思い立ったが吉日。さっそく道路整備に着手いたしましょう」
「ああ、頼む。ベリハム村で【スライム王国】建設に奮闘している土の魔術師四人にも手伝ってもらうように連絡しておくよ」
「土の魔術師ですと? ……なるほどその手がありましたか。戦乱続くこの時代、土の魔術師は不遇な者が多い。彼らを率先して登用なさっておられるとは。さすが王子様は目の付け所が違いますわい」
藤堂の言葉を聞いてやる気を出したタヌキ親父に軍師として高い能力を有するロビンがさらにアドバイスを送る。
「町長。役場の広報誌などを使って、道路整備の人員募集をしてはいかがでしょう? もちろん対象者はこの町に住む土の魔術師です」
「なんと!」
「町役場の臨時職員として問題の道路整備事業に土の魔術師を投入すれば、建設会社に事業を丸投げするよりも経費が安く済むかもしれませんね」
「ああん、ロビン様。エクセレントですわ」
愛しいエルフに心酔するドワーフ娘が目をハートマークに変えて称賛する。
「なるほど! 軍師様の言うとおりですわい。しかも町の雇用対策事業にもなりますな。これぞまさしく一石二鳥の政策ですな。がはははは」
タヌキ親父が再びポンッと太鼓腹を打つ。
「よし、これで何とか村興しの目途は付いたな」
ホッと一息ついた藤堂のセリフにそれまで暇そうにしていた爆乳シスターのタニアが目を輝かせて沈黙を破った。
「キャッホー! ね、ね、ね、剣一? 今日はこれで終わり?」
「あん? まあな。後は町を一周する駅馬車のルート選定とか。ルーベル印刷工場に頼んだ【萌え画】の看板を町のどこに設置すると効率が良いかとか……」
「もう、そんなの町長さんと執事さんに任せればいいじゃない!」
「いや、それはそうだが……」
「ハイ、じゃあそれで決まりね」
「おいおい」
「タニアお腹空いたよー。ここへ来る途中で言ったじゃない剣一。お昼ご飯は役場で難題を片付けてからだって」
「なっ、お前な! あれだけ牛串を何本も食ったのに、まだ足りないのか?」
「あら、失礼ね。アレっぽっちで満腹になったら、キシリトール教のシスターなんてとても務まらないんだから」
「何だそれ、どんな基準なんだ!」
「いいから、いいから。ほら早く立って剣一。キシリトール様のお導きによれば、この部屋を出て廊下の突き当たりの向こうからとても良い匂いがするの……」
「ああ、それはきっと役場職員の食堂ですわい。明日の料理の仕込みが始まったんですな」
余計なフォローを入れるタヌキ親父を睨み付けながら藤堂が魂の叫びでタニアに突っ込む。
「どこがお導きだ。神様、関係ねえよっ! お前の異常に研ぎ澄まされた嗅覚オンリーだろ!」
「もう、剣一ったら駄々ばっかりこねて。しょうがないわね。また、タニアが【フーフー】して【あーん】してあげるから、うふ」
「い、いつ駄々をこねた! 何が【フーフー】して【あーん】だ。そう何度も騙される俺じゃない……ぞ……」
そう突っぱねながらも不覚にもまた左腕を絡め取られ、ニッコリ微笑む幼馴染の美少女の唇に視線が吸い寄せられる。
しっとりとナチュラルピンクに色付く可愛い唇がほんの少し開く。真珠色の真っ白な歯が誘いかけるように煌めいた。
「ね? 早く行こうよ、剣一」
「わ、分かったよ。そんなに腕を引っ張るなって……」
ズルズルと引きずられていく藤堂に再び仲間達から囃し立てる声が飛ぶ。
「【フーフー】熱いっすよお二人さん」
「【あーん】オイラにも食べさせておくれよ」
「王子とシスターは本当にお似合いのカップルですね」
「ロビン様、ミディアも相性抜群ですわよ」
「教師生活二十五年! こんなに嬉しいと思ったことはないぞい、ひろし!」
――ビシ、ビシ、ビシ。ビシビシビシビシ――
団員達の冷やかしが耳に届くたび、藤堂のこめかみに【怒りマーク】が次から次へと浮かび上がってくる。
「……そうか。死にたいんだな、お前ら?」
何の抑揚もない藤堂の乾いた声。三白眼に闇の光を灯し「装着!」と呟きながらゆっくり振り返る。
「ゲゲゲッ! 最悪っす。先輩、今度はショートソードと一緒に盾まで装備したっす」
「ご、ごめんよ兄貴。オイラそのボッチだからさ、何て言うか、羨ましくてつい……」
現世からの転生コンビが身の危険を感じ、ズズッと副町長室の壁まで後ずさる。
「では王子、軍師の私は駅馬車ルートと【萌え画】看板の設置場所を視察して参ります。ではお先に……失礼!」
そう言い残したイケメンエルフがパッと身を翻した。次の瞬間、彼の姿は西日が差しこむ窓の外へと消えて行く。
「あ~ん、ロビン様お待ちになって。ミディアもお供いたしますのー」
「やばいっす。こうなったら背に腹は代えられないっす。竜馬、僕が道を切り開くから付いてくるッすよ?」
「えーーー、本気かい酒田の兄貴? 藤堂の兄貴と闘うつもりなの?」
「んな訳ないっす。あんな先輩と遣り合ったら命が幾つあっても足りないっす」
二人は、恐る恐る藤堂に視線を走らせる。地獄の亡者と化した藤堂がジリジリと詰め寄って来る。
――ズリッ、ズリ、ズリッ。ズリッ、ズリ、ズリッ――
藤堂家に代々伝わる古武術【中丞流】の華麗な足捌きではない。副町長室の床に敷き詰められたラベスク模様の黄色い羊毛絨毯が擦り切れそうだ。
「え? でも、さっき道を切り開くって……」
「だから、こうやるっすよ。装着!」
悲鳴にも似た叫び声で愛用の戦斧を装備すると次の瞬間、背にしていた部屋の壁に巨大な武器を何度も何度も叩きつけた。
「……ふんぬ、ふんぬ、ふんぬ!」
アッと言う間に背後の壁はぶち破られ、人が通れるほどの大穴がぽっかりと道を開いた。壁の向こうから突然の出来事に驚いた役場の職員が、あんぐりと大口を開けて酒田と竜馬を見つめ返している。
「さっすが、酒田の兄貴! 遊撃隊のタンクは伊達じゃない。じゃあ、壁役で後はヨロシクね」
「あ、竜馬ずるいっす。先に逃げるなんて!」
脱出口からあたふたと逃げ出す二人の背中に藤堂の怨嗟の声が吸い込まれる。
「今度こそ逃がさんぞ、てめえら。刀のサビにしてやるから、待ちやがれ!」
「ひ、ひぇぇぇぇぇ」
三度始まった命がけの追撃戦はマウントパーソンの町役場を舞台にして繰り広げられ、近隣の住宅街に斬撃音と唸り声と悲鳴が夜も更けるまで続いたと言う……。
――□――■――□――□――■――□――□――■――□
驚天動地の【村興し】にようやく希望の光が差した遊撃隊のメンバーが遊び戯れている頃。
ワーシントン王国と隣国の境界が接する南部戦線では、王弟ガスバル擁するガーネット騎士団が敵国と相変わらず激しい戦闘を繰り広げていた。
そんなガーネット騎士団に数ある小隊の中でも第十三小隊の活躍は目を見張るものがあった。だが、その戦果は軍人、民間人を問わず血で真っ赤に染まり、敵だけでなく味方からも恐れられている。
第十三小隊と呼ぶ者はいない。
誰が付けたか【冷血部隊】彼らを率いるのは、血も涙もない剣士ギシュベル。凄惨な赤い髪と目を背けたくなるような赤い瞳を持った若い【死神】
ワーシントン王国の南部戦線、国境沿いの山奥の村。今では冷血部隊によって廃墟となった一角に濃淡のある緑とカーキ色を織り交ぜた迷彩色の軍事用テントが張られていた。
中から【死神】が現れた。帯剣した大刀が、歩を進めるたびにガチャガチャと耳障りな金属音を奏でる。
「あーあ、退屈じゃん。おーい、豚! 豚はいずこ? ってか? あひゃひゃひゃ」
自分の言葉に腹を抱えて大笑いするギシュベル。
そこへ顔中髭だらけの男が、戦火で瓦礫と化した家屋の一つから姿を見せた。でっぷりと肥えて太ったその体型は、まるで肉の塊に手足が生えたようだ。
「お呼びですかい、隊長?」
「あ? 俺が呼んだのは豚じゃん。んでもって、お前は副官のジャスワントじゃん? あひゃひゃひゃ。マジ受ける、コレ」
「あーそうでしたな。そう言えば昨日襲った村で子豚を何匹か捕獲しましたな。隊長、しばしお待ちを……」
「やめやめ! ったく、んだよ。ざっけんじゃねえぞ。人がせっかく退屈を紛らわそうとしているのに全然気が利かないじゃん? それでもお前、副官?」
「任命されたのは隊長ですぜ?」
「ちっ、分かったよ。で? 敵の部隊はどの辺に居る? ここ一週間ばかり戦闘の【せ】の字もないじゃん。お前、まさか退屈で俺を殺そうっていうつもり? あひゃひゃひゃ」
直立して佇む肉塊の副官の肩をバシバシと容赦なく死神が叩く。呼吸困難に陥りそうなほど笑いこけた後、ようやくギシュベルが気だるそうに顔を上げた。
「退屈じゃん。さっさと敵を見つけてこいよ。さもないと……」
「それが隊長、ちょっとやり過ぎたみたいですぜ。敵の戦線が大きく後退しやがった」
「なんだよそれ? 俺の知ったこっちゃないじゃん」
「ですが、ここら辺りにはもう敵どころか味方……、つーか人っ子一人居やしませんぜ」
「ったく使えない副官を持つと苦労するじゃん。なあ、豚よく聞けよ。俺の前に何か退屈しのぎを持ってこい」
「と言われても急には……。おおっ、そうだ! イイ事を思い出した」
肉塊のジャスワントが何か閃いたようにポンと手を打つ。
「隊長、エドモンドの話に乗るってのはどうです?」
「エドモンド? ああ、我がガーネット騎士団のボス、ガスバル王弟殿下の懐刀と呼ばれてイイ気になっているあの蛇野郎か。奴がどうしたじゃん?」
「ちょっと、隊長。忘れちまったんですかい? ほら王弟殿下の勅命だとか抜かしやがって。北に居るこの国の王子と伯爵令嬢を後ろからバッサリ殺れっていうアレですよ」
「ちっ、分かっているじゃん。忘れたフリをして副官を試しただけじゃん。そうだったな。最初は第五王子の遊芸隊だったか? そいつらを手助けしてやるんだったか?」
「正しくは第四王子の遊撃隊ですが。まあ、基本的は正解ですな」
「ふん、豚のクセに偉そうにするな。けど、いいじゃん。たまには副官の言う事を聞く事も優れた上官の務めじゃん?」
「ではいったん砦に戻りますか?」
「んなの面倒臭いじゃん。このまま南部戦線を国境沿いに移動! 敵を殲滅しながら北上すればイイじゃん。ちっとは楽しませてくれよ、第五王子様。あひゃひゃひゃひゃ」
「……第四王子ですけどね」
肉塊の副官ジャスワントが諦めたようにボソッと呟いた。周りでは早くも冷血部隊の隊員達が撤収準備に取り掛かる。
この瞬間、最悪の災いが遊撃隊に牙を向けた事を藤堂達はまだ知らない。
――タニアの運命を左右する闘いの日が迫る!――
【あとがき】
お待たせしました。カミングスーンのつもりが早幾年。そんなに経ってない? 今回でようやく【東奔西走編】がめでたく終了です。本当にご愛顧いただきありがとうございました。
ちなみに再登場した死神ギシュベルは『王子の村興しは、空中楼閣?①~③』を過去読みしていただけると今回のエピローグの雰囲気が伝わるかと……。(読者全員、宿敵の存在を忘れていること請け合いです)次の章は独さんが一番大事に温めているストーリーになります。ぜひともお楽しみに
こんなストーリーでよければぜひブックマークをポチッと切望します。ブクマして頂くと拙作『シミュレーションRPG狂騒曲サラリーマンが剣士で王子様?』の次回更新が「小説家になろう」様から自動的にお知らせされるのでとっても便利ですよ。




