ACT8 舞台が始まる
劇は順調な滑り出しをみせた。
まずは、第一幕。若山先輩が演じる、良家のお嬢様の家の場面。私はまだここでの出番はないから、舞台袖に控えてじっと見守っているだけだ。
今のところ、台詞のミスはない。みんな練習どおりに、それ以上に、舞台の上で輝いていた。
舞台の真ん中の椅子に腰かけているのは、若山先輩が演じる、おっとりしているけど時に大胆なクラディウスお嬢様。
そのまわりには、執事に、召使い。あと、母親もいる。
場面は、母親がクラディウスに結婚するよう説得しているところだ。
私は、頭の中で脚本を思い浮かべながら聞いていた。
○○
母親:クラディウスや、お前にはたくさんの殿方からお声がかかっているのですよ。その全てを断るなど、まさか馬鹿な事を言うつもりではないですよね?
クラディウス:いいえお母様。そのつもりですわ。
母親:な、なんと! お前、いまなんと言ったの?!
クラディウス:わたくしは、誰とも結婚しません。結婚なんていやでございます。
母親:わがままを言うもんじゃありません! そなたには、いずれ誰かと結婚してもらう。もちろん、我が一族と釣り合う最高の殿方と、ですよ。それがそなたのためでもあるし、我が家のためでもあるのですよ。
クラディウス:わがままなのはお母様ではありませんか! この家のことなど、わたくしには関係ありません! 失礼します!
母親:お待ち! クラディウス。クラディウス!
○○
クラディウスがはけて、つまり、舞台袖に移動して見えなくなって、暗転。真っ暗な舞台の上では、慌ただしく次の場面のセットが準備される。次こそ、私の出番だ。
セットが整って、キャストが舞台に出そろう。そして、照明がつく。
私はその瞬間、舞台の上で生きる別人となるのだ。
場面は玲旺那君が演じる、とある若君の家。
若君ことレオナルドは、椅子に座って窓の外を眺めている。
うーん、さすが玲旺那君。ヨーロッパ風の貴族っぽい衣装も似合ってるし、憂いをおびた横顔がすごくすてきだ。これでまた、玲旺那君のファンになる女の子が増えそうだなあ。
舞台上だというのに、私はほんの一瞬だけ、そんなことを考えてしまった。
舞台には、レオナルド以外にもうあと二人いる。しっかり者の執事と、私が演じる召使いが一人。
○○
レオナルド:手紙は、まだか?
執事:手紙、でございますか?
レオナルド:そうだ、手紙だ! 彼女からの。まだなのか?
召使い:今日、届くはずです。後で、姉と落ち合う約束をしてますので、その時にでも聞いてみます。
レオナルド:ああ、たのむ。
執事:しかし、レオナルド様、いつまでもこのようなことが隠し通せるとは到底思えませんが。
レオナルド:わかっている。それに、彼女の父と僕の父はあまりにも仲が悪いからな。ばれた後、一体どうなる事やら。
執事:この家で、この秘密を知るものはわたくしとこの召使いだけ
召使い:あちらの家では、私の姉だけでございます。姉は随分前からクラディウス様にお仕えしてますから、秘密をもらすようなまねは誓っていたしません。
レオナルド:お前たち姉妹には、危ない橋を渡らせているな。いつもすまない。
召使い:そのようなことはありません。レオナルド様、もったいないお言葉です。このくらいは、当然のことでございます。
執事:実を言えば、わたくしは、最初はお二人の仲に反対でした。しかし、レオナルド様、恋の病にとらわれたあなた様を見ていると、あまりにも痛々しい。これでは、力になるほかないではありませんか。
レオナルド:そう言ってもらえると、心苦しいが、嬉しいよ。
○○
私は召使いの役を一生懸命演じながら、その一方で、冷静に舞台と客席とを見ていた。
うわあ、ほんとすごい人数のお客さんだ。全員の視線が肌に突き刺さってくるようで、ひどく緊張すると同時に、ぞくぞくしてる自分がいる。
舞台に立つこと、照明を浴びること、違う人生を演じることが、楽しくて、とてつもない快感にかわるときがある。今、私はそれを体験してるんだ。
練習は、つらいことがたくさんあった。だめ出しをいっぱい言われたり、引退して様子を見に来てくれた先輩達やヤマセンに、厳しいことを言われたり。めげそうになったこともあったけど、でも、みんなと一緒にここまでやってきたんだ。
お客さんも、たくさんいる。絶対に、成功させよう。
このとき私は、まさか自分の身にあんなことがおこるなんて、想像もできなかった。
でも知っていたとしても、回避する方法なんてなかったんだろうと思う。