ACT7 文化祭
「ほら瑠璃、見てみなよ。お客さんいっぱい入ってるよ」
舞台の袖口から、そっと観客席側を覗き込んでいた知尋がささやく。でも私はそれどころじゃないのだ。だって知尋と違って、数分後には舞台に立たなきゃいけないんだもん。
指先が冷たい。呼吸も早くなってる。ああ、緊張しちゃだめだ。集中しないと。集中しないと。必死に自分に言いきかせる。
「なにガタガタ震えてるのよ。ほら」
いきなり知尋は私の服を引っ張って、緞帳の隙間から観客席を見せる。
「ほら、後ろの席までぎっしり。いっぱい来たねえ。玲旺那君効果かな?」
うわあ、このお客さんの人数、半端じゃない。と、私は目まいを起こしそうになった。
確か体育館の横にあるこの講堂は、一階と二階あわせて五百人は収容可能じゃなかったっけ。今見えてるだけでも、少なくとも一階にはもう人は入りきらないんじゃないかなあ。一体、生徒や保護者が何人来てるんだろう?
「こら、あなたたち。そこにいたらお客さんに見えるでしょ。こっちに来なさい」
ヒロイン役の若山先輩にとがめられ、私と知尋はあわてて上手の奥深くにひっこむ。ちなみに上手と下手は舞台用語で、客席から見て舞台の右側が上手、左側が下手なのだ。舞台に立って客席に向かうとこれが逆になってしまうから、気をつけないといけない。
「わあ、先輩。かわいいです」
知尋が感嘆する。先輩は良家のお姫様役なので、清潔感のある白いドレスを着ている。裾は広がってないけど、歩いたり走ったりするのに邪魔はない、動きやすいタイプのものだ。
髪も先輩が自分で編み込んで、小道具の子がつくったビーズの飾りをつけていた。
その上から、仕上げにふわふわしたレースを被った先輩が、いたずらっぽく知尋に問う。
「それは、私が? それとも衣装が?」
「やだなあ。どっちもに決まってるじゃないですか」
「いいや、私の方がかわいいわよ」
本番二十分前だというのに、先輩と知尋は冗談を言って笑い合っていた。
いいなあ、若山先輩は気楽そうで。私もあんなふうにかまえることができればなあ。
そう思って、二人の会話を羨ましげに眺めていた。やがて知尋は、「私、音響だから音響席にいくね」と言って、ひらひら手を振って舞台袖に消えていった。
私と若山先輩の間に、少しだけ沈黙が降りる。周りは、支度を整えた他のキャストや、最後の仕上げをしている裏方のみんなが、薄暗い空間にひしめいていた。
「玲旺那君、ちゃんと準備できたかな……」
我知らず、私はつぶやいていた。独り言のつもりだったのに、若山先輩は聞き取ったらしく言葉を返す。
「大丈夫よ。月影君は、私よりよっぽど演技がうまいし、度胸もすわってる」
「でも、先輩だって」
そう言いかけて、私は気が付いた。若山先輩は、まるで祈るように胸の前で手を組んでいる。
指が、震えていた。
「もう、私ったら緊張しっぱなし」
若山先輩は、何かを払拭するようにつとめて明るく笑った。
「慣れないんだよね。この本番直前の緊張感。毎回足が震えるの。でも、舞台の上でライトを浴びたとたん、ぴたっておさまるんだ」
若山先輩は、私の方に振り向き、優しく笑いかける。
「大丈夫だよ。今まで練習で培ってきたものを、最大限に出せばいいから。後は、演じることを思いっきり楽しもうね」
「……はい!」
そうだ、今は、全力で頑張ろう。
思いっきり楽しんで。
今出来る限りの、最高の演技をするんだ。
そして熱気で満ちた講堂に、開幕を告げる低いベルが鳴り響いた。