ACT43 少女と少年は向かい合う
自称神様を退治したあとでも、まだ解決していないことがいくつかあった。
ひとつめは、星が私の体の中に入ったままだったこと。ただこれに関しては、あんまり心配するようなことはなかった。
とりあえず今までどおり祈ってみたところ、上手くいったような感覚があったのだ。マルムもエキナセアも、私が祈るたびに体がどんどん楽になって力が満ちていると言っていたから、良い効果があるのは間違いない。
気の遠くなる話になるけど、これであちらの世界が少しでも癒されてくれたらいいな。
ふたつめは、マルムとエキナセアについて。
吃驚したんだけど、二人ともどうにかして地球に来たのはいいけれど、帰る手立てが今のところはない、なんて言い出したのだ。
私も北斗君も、最初にそれを聞いた時は委縮しちゃったんだけど、二人はあまり気にしていないみたい。そもそもカレンデュラの来世である私を探すこと自体、全く当てのない旅だったわけで。
星を渡せただけでもう充分なんだ、とエキナセアは何度も言っていた。
けど私もじっとしてはいられないので、二人がまたあの世界に戻れるように星に祈りを捧げている。
二人は地球での観光をのんびり楽しんでいるみたいだけど、やれることはやってあげたいからね。
そしてみっつめが、玲旺那君のことなんだけど。
どうやら私や北斗君とは全然違って、前世にまつわるあれこれを忘れているみたいなんだよね……。
「マルムったら、その辺で止めてあげたら? 北斗君は次も授業があるのよ?」
「そうですね、じゃあ今日はこの辺で」
平穏を取り戻した二カ月近く後のこと。昼休みの屋上で、北斗君が伸びていた。マルム相手にチャンバラごっこという名のしごきを受けて、ぜえはあと荒い息をついている。その息が白く宙に舞うのを見て、もう冬なんだなというのをさらに実感する。
制服のままで屋上にきちゃったけど、少し寒いかも。コートがあればよかったかな。
冷たい指先をこすり合わせながら、私はエキナセアに質問した。
「北斗君、いつもマルムにこんなことお願いしてるの?」
「そうね、学校が終わった後に公園とかで剣を交えてるわよ。でも最近は全然できていなかったから、今日はマルムの方が誘ったみたいだけど」
ということは、このしごきは北斗君の希望で始まったのか。
やっぱり北斗君、玲旺那君に勝てなかったこと気に病んでるのかな。
北斗君の手にあった剣は、彼が手を一度ふった直後、かき消える。私がまだ祈れるのと同じように、北斗君も剣が出せるのだ。
まだ息のおさまらない北斗君に、ハンカチを差し出した。
「汗出てるよ。あんまり無茶しないでね?」
「ああ、ありがとう」
受け取ってにこりと笑むその表情に、心臓が強くはねる。
あの戦いの時に見た、北斗君の真剣な横顔が頭から離れない。どうしちゃったんだろ、私。
「エキナセア様、俺も手巾が欲しいです」
「持ってないのを知ってるでしょう。何を言ってるの?」
うーん、エキナセア容赦ないなあ。意地悪してるはずがないのはわかるんだけど、全然片想いに気づかれないマルムもちょっとかわいそう。
がくりと肩を落としたマルムに、立ち上がった北斗君がハンカチを渡していた。
「俺のでよかったら使う?」
「いいよ、気持ちだけもらっておくぜ」
今こうしてすねているマルムだけど、時間が経ったらまたエキナセアについて回るし、騎士だからちゃんとお姫様に尽くすんだよね。そこは偉いと思う。
「そういえば、この間瑠璃ちゃんが出ていた劇、面白かったわ」
エキナセアが微笑む。私はちょっと肩を縮めた。マルムも北斗君も、演劇部の冬休み前の公演を見に来てくれたのだ。この話題、ちょっと恥ずかしいな。
「何とか無事に終わってよかったよ。台詞もちゃんと言えたし」
「月の妖精の役でしたっけ、瑠璃ちゃんは? ちゃんと着飾って可愛らしくて、見惚れちゃいましたよ。出番が短いのだけが残念でした」
マルムが褒めてくれるけど、喜びより羞恥が勝る。うう、舞台の上に立つのは楽しいんだけど、この瞬間は隠れてしまいたいなあ。
「なあ、一馬もそう思うよなあ?」
「うん……穂積さん、すごく可愛かった」
「え?!」
私が真っ赤になるのと同時に、北斗君の耳も赤くなる。マルムが北斗君の頭を小突いた。
「おいおい、さりげなくこっぱずかしいこと言うんじゃねえよ」
「恥ずかしくない! ほ……本当にそう思った、んだ」
なんか北斗君、私以上に茹でたタコみたいになってるよ。
「そ、それはそうとっ!! 結局、月影は劇に出れなかったんだな」
「うん、そうなの……」
今回の公演も、文化祭と同じく講堂で行った。
あまり公になってないけど、実は観客動員数が、私達が入学して以来最も少なかったのだ。
原因は、演劇部の部員全員がわかっている。人気者の玲旺那君が降板したせいだ。
あれから二カ月近く経っているけど、玲旺那君は学校に出てきたり休んだりを繰り返している。入院も一度はしたらしい。
おそらくは、自称神様にずっと魂を乗っ取られていた代償だ。しかもソティスだった頃からずっとそんな状態だったわけだから、体へのダメージがかなり大きいんだろう。
星で癒してあげようにも、私の手元に現物がないからどうしてあげることもできない。これも何度か試してわかったことだけど、祈ることはできても、星が在った時と同じように誰かを癒すことはできなくなってしまったのだ。
エキナセアが嘆息した。
「今朝もそっと見に行ったのだけど、つらそうだったわ。寒い季節だからかもしれないけど、熱があるみたいよ」
「そう、なのか……大丈夫かな、月影。繋がりのない俺が、見舞いに行くわけにはいかないし」
北斗君は、玲旺那君にけっこう酷い目に遭わされた割にすごく心配している。まああの悪行は、操られていたせいでもあったわけだからね。
「演劇部でも、限られた人しかお見舞いに行ってないんだ。迷惑になるといけないから。そういえば、部長が言ってたんだけど……」
言葉を切った私に、三人の視線がいっせいに向けられる。
「穂積さん?」
「玲旺那君はこの半年くらいの記憶が、あやふやなところがあるんだって」
北斗君とエキナセアが絶句する中、マルムが頭をかきながら言った。
「さすがにそれは気の毒だな。どうにかなるといいんだけど」
そう、これはけっこう、私にとっては重要なこと。
ここ半年ってことは、六月くらいからってことだ。たぶんその辺りに、玲旺那君は前世のソティスのことを完全に思い出したのかもしれない、と予想がつく。
と、いうことは……。
そこで予鈴のチャイムがなったので、マルムとエキナセアは去っていった。廊下を歩きながら、北斗君が話しかけてくる。
「記憶があやふやってことは、もしかしたら俺たちとの前世の因縁も覚えてないかもしれない、ってことだよな?」
「その可能性が高いと思うの、でも、それ以上に気になることがあって」
「気になること? ……あ」
北斗君が急に立ち止まったので、私は振り返る。
「どうしたの?」
人気の全然ない場所だったけど、北斗君は辺りを確認してから小声でささやいた。
「まさかあいつ、穂積さんと付きあっていたことも忘れてる?」
「そう………ん、んん?」
思わず私は、北斗君を強い視線で見返してしまった。あ、とたじろぐ北斗君に一歩詰め寄る。
「ど、どうして私たちが付きあってたって知ってるの? そんなこと言ったっけ?」
部内恋愛禁止だったから、誰にも秘密にしていたのに。
「いや、えっと……ほら、月影に脅された時に、穂積さんに近づくなとかさんざん言われただろ。そこから俺が勝手に想像しただけだよ」
まだ北斗君は慌てている。怪しいなあ。何かを隠してそう。
でもそんなことよりも。私はがっくりと頭を落とした。
この際だから、北斗君に愚痴めいたことを言ってしまおうか。
「私さあ、玲旺那君が初めての彼氏だったんだ。こんな私に恋人ができるなんて思ってなかったから、すごく嬉しくて。帰り道は何度も一緒だったし、お弁当も一回だけど作ってあげたのに、全部なかったことになるのかって思うと、すごくむなしいし哀しくて」
さすがに喋らなかったけど、ファーストキスの相手も玲旺那君なのだ。
なのに、まだ確定じゃないけど、全部玲旺那君が忘れているのだとしたら……。
いくらなんでも、こんな結末ってひどすぎない?!
それに、もっと恐ろしい仮説が私の中で渦巻いている。
「まだ確かめてないから、これは予想でしかないんだけどさ。ソティスの記憶がある玲旺那君が私を好きだったってことは、その記憶がない玲旺那君は、私に恋愛感情がない、ってことになるかもしれないよね」
自分で言って、自分で両の掌に顔を埋めた。
これはひどい、ひどすぎる。さすがにこれだけは、今からでもソティス本人に謝ってほしい。
こんな初恋の敗れ方、私くらいしか経験してないよね?!
はあー、と息をついたところで、北斗君がぽつりと言った。
「穂積さん、悲しいのはよくわかるけど、君もけっこう残酷なことをするね」
「え?」
目を見開いた先に、いつものように微笑む北斗君がいる。
「好きな人が、目の前で違う男の話をして悲しむの、けっこう堪えるなって思ってさ」
一瞬、驚きで息がつまりそうになった。え、どういうこと?
「で、でも北斗君も、アミアンだったころの記憶があるせいで、私を好きだって錯覚したんじゃないの?」
「最初はそう思ってた。けど今は全然違うって断言できる。俺は記憶を取り戻す前から、ほんの少し穂積さんが気になってた。そのうちアミアンがカレンデュラに対して思ったように、君を守りたいって思いが芽生えたんだ」
北斗君の言葉ひとつひとつが、胸の内に、淡雪のように舞い落ちてしみこんでゆく。
たまらず両手を握り合わせた。
どうして、胸の内がざわつくのだろう。
男の子の誠実さを目の当たりにして、感動しているんだろうか。
それとも北斗君の告白を、軽く受け止めていた自分がいたたまれないのだろうか。
「穂積さん」
今度は北斗君の方が一歩、私に踏み込んでくる。雷に打たれたみたいに、びくっとなってしまった。
「君を困らせるつもりは一切ないんだ。けど、もしもさ。俺のことが、嫌じゃなかったら」
持ち上がった手が、私の頬をなぞる。羽根のようだ。白いのに、繊細でもあるのに、私を守るために剣を握った手。
「いつか、時間がかかってもいいから。初めての恋人を、俺に代えてみない?」
「ほくと、君」
わずか数秒ほどの沈黙だったのに、この世のすべてが集約したような、濃い瞬間。
チャイムが鳴ってしまって、いち早く現実に戻ったのは北斗君だった。
「いきなりごめんね。今の、忘れてくれていいから」
そう言って私をうながして、先に教室に戻っていく。
先生に怒られるの嫌だなあ、とぼやく北斗君の後ろを、距離をあけながらついていった。
遅れてやってきた心臓の早い鼓動に、どうしたらいいのかわからなくなる。
前世からの因縁は、解決したんじゃなくて。
もしかして、新しい段階に入っただけなんだろうか。
前を歩く北斗君の後ろ姿に、私をかばってくれた背中を思い出す。
アミアンも北斗君も、その誠実さはまるでそっくり。
私がときめいているのは、過去の記憶のせいなの? それとも……。
これは時間をかけて、わかることなのかもしれないな。