ACT42 少女は涙し、気に悩む
北斗君が学校に来たのは、それから二日後のこと。
ひどい空腹のせいで体調が良くなかったのもあって、一晩だけ念のため入院したらしいけど、あとは家でのんびりすごしてたんだって。マルムとエキナセアがそう教えてくれた。
そういえばエキナセアがぼやいてたけど、マルムったら戦いが終わった後、緊張感がかなり欠落しちゃったみたいで、この世界をあちこち見学して回っているらしい。
今だって登校する私の後ろをついてきて、みんなをめずらしそうにキョロキョロと見まわしている。
「いやー面白いですね。軍隊でも王宮勤めでもないのに、こうして同じ服が支給されてるんですか。学ぶだけだっていうのに、大仰なことをしますね」
私は反応を返さなかった。一人で何もない空間に向かって話しかけてる、って思われたら嫌だし。
でもいくら他の人に姿が見えないからって、マルムも大胆だなあ。
「おはよう、瑠璃ちゃん」
声がした方をみれば、越乃先輩と若山先輩がいた。
「あ、お久しぶりです。おはようございます!」
元気そうな二人の姿が嬉しくて、にこにこ笑って返事をしたら。
どうしてか、越乃先輩がマルムのほうを一瞬にらんだ。マルムがきょとんとまばたきする。
そして越乃先輩は眼光鋭いまま、若山先輩へ深刻そうにつぶやいた。
「柚子、何か居そうなんだけど?」
「もう、朝から何なのよ?」
あきれて苦笑する若山先輩とは対照的に、私はぴし、と引きつってしまった。
え、越乃先輩、今とんでもないことを言った?
私が脅えたと勘違いしたのか、若山先輩が越乃先輩を肘でこづいた。
「ほら、変なこというから瑠璃ちゃんが吃驚してるでしょ」
「ああ、ごめんね瑠璃ちゃん。でもなんか違和感あったんだよね、その辺りに」
越乃先輩が指差した空中に向かって、私は全力で振りむいた。マルムはもういなくなってる。
「ねえ由香里、朝からそういう話をするのは止めてよ。瑠璃ちゃんもそう思うでしょ?」
私はかろうじて口を動かした。
「越乃先輩って霊感強いんですか? 初めて聞きました」
「全然強くないよ。たまーにだけど変だな、って思うことはあるけど。でもさっきのは久しぶりに強い違和感あったなあ」
若山先輩はこの手の話題に慣れているのか、特に何とも思っていないようだけど。
私の方は無駄に冷や汗をながし、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
そうか、マルムは魂だけの存在だけど、姿が見えなくても何か感じる人もいるんだな。
教室に入ると、人だかりができていた。北斗君の席だ。もう登校していたんだ。
北斗君の周りには、武内君や辺見君以外にもクラスメイトがいる。
自分の席に近づいた私は、北斗君の首を片腕で軽く締めている武内君に吃驚した。お互い冗談だってわかってて、やってるみたいだけど。
「ったくよおー、本当に心配させやがって。お詫びにアイスおごれよ。俺と美臣の分な」
「わかったよ。いくらでもおごるから」
「何か悩み事があるんだったら、今度はちゃんと俺らに話せよ? 約束しないと離れてやんないぞー」
すねたような武内君と私の目が、ばっちり合った。一瞬で、武内君は悪だくみをする悪の組織の手下みたいな顔つきになって、ぱっと北斗君から距離を置く。
あれ、さっき離れない、って言ってたばかりなのに。
なんて思ってたら、北斗君と私を囲むように、みんなが輪を作っていたのだ。え、どうして?
さっきまであんな人だかりができていたのに。
同じように戸惑っている北斗君に、辺見君が声をかける。
「一馬、穂積さんに何か言うことあるだろ?」
そうだ。みんな、私たちの仲をちょっと勘違いしたままなんだっけ。
訂正しようか迷っているうちに、北斗君は律義に立ち上がって私に頭を下げた。
「穂積さん、ごめんなさい。それと、ありがとう」
頭をあげた北斗君は照れかくしなのか、くしゃっと顔を崩して微笑んだ。
目からぽろっと涙があふれる。
もう、脅えなくていい、不安にさいなまれなくていい。
北斗君はもう、誰にも狙われない。傷つけられない。
前世からの因縁は、ちゃんと断ち切られたんだ。
「よかった……本当に、よかったよぉ」
それ以上は言葉にできなくて、朝からみっともなく泣いてしまう。
あわてた北斗君がハンカチを私にくれる。それを見た武内君達が、ハンカチを女の子に渡すなんてカッコつけてるとか何だとか盛り上がっている。
ああ……日常だ。
あたりまえにあったのに、しばらく遠ざかっていた、中学生としての日常。
また北斗君のハンカチを受け取った私は、目尻を拭いながら、こっそりと北斗君に向かって微笑んだ。
「またハンカチ使っちゃって、ごめんね。前借りたものも返せていないのに」
昼休み、私と北斗君は屋上に来ていた。
廊下で話すのは、誰かに聞かれちゃったらまずいこともあるので、避けたかったのだ。
一応教室から出るタイミングはずらしたから、武内君達にからかわれることはない、と思いたい。
「気にしないで。後でまとめて返してくれればいいから」
「いやー、俺も経験してみたいですね、給食ってやつを。品数も結構ありましたよね?」
のんびりと会話に割って入ってきたのは、マルム。その傍らでエキナセアは、眉根をよせて腕を組んでいる。
「マルム、あなたったら、最近私をほったらかして何してるの?」
「もしかして俺がいないと寂しいですか? エキナセア様」
「そうじゃないわ。今までのあなたと全然違う行動だから、妙だなと思っているだけよ」
ああそうですか、とマルムは一瞬うなだれたけど、すぐに頭をおこした。
「俺なりに、星がどこかにないかを探してたんですよ。もしかしたらと思いまして」
「そうだったの? でも何度も説明してるけど、今、星の気配が感じ取れるのは……」
エキナセアは、ゆっくりと私を指差した。
「まだ信じられないけど、瑠璃ちゃんの体の中なのよ。こんなの聞いたことないわ。星が、人の子と融解してしまうなんて」
私もつられて、自分の胸を見おろす。正直、困惑してるというか現実味がない。
カレンデュラの記憶を辿っても、星が人の体に入り、宿るなんて事例は全くなかったはずだ。
星って、超越的な存在だったんだよね。あの世界でも独自の神話があって、動物や人の姿をした神様は何人かいたし、実際に祀られていた。
けれどあまたの神々から群を抜いて崇められていたのが、星なのだ。
理由は単純に、人の子に手を差し伸べ、闇や悪といったあらゆるマイナスなことから守ってくれた存在だから。人間にとってとても良い状態になるように介入した高位の存在は、星だけだって信じられていた。
脳裏に不思議な声がよみがえる。私を、カレンデュラを助けてくれた、正体不明の男性。
あれが星の真の姿だったんだろうか。けど人の身であり、ましてやもうあの世界の存在でない私には確かめる方法はないんだろう。
あの現象のことをエキナセアだけにでも話そうと思うたびに、口がぴったりと閉じてしまう。
私の中に宿る星が、止めているのかもしれない。
代わりに、いろいろと想像をこねくり回した仮説を話してみる。
「星はたぶん、私を助けようとしたんだと思う。けどあの蛇と同じように、星も弱っていたんじゃないかな? だからあの形を保つことができなくなって、私の中に入るしかなかったのかも」
「結局は人ごときにはわからない、ってことですかね」
マルムが両手を頭の後ろで組んで、伸びをしながら空を見上げる。エキナセアが独白するように言った。
「星は私たち人間を助けてくれた。けれどどうしてそんなことをしたのか、誰もその理由をわかってはいない。単なる気まぐれかもしれないし、慈悲の心からかもしれないし、何ならひまつぶしだった可能性だってある。よくもまあ、計り知れない存在とつきあっていたと、今さらながらに思うわ」
「あのさ、疑問なんだけど」
北斗君が遠慮がちに手をあげた。
「どうしたの?」
「星はもう姿はないけど、存在してるってことでいいのかな?」
「そうね、そうだと思うわ」
エキナセアがうなずく。北斗君は数瞬考え込んで、また口を開いた。
「じゃあ穂積さんが祈れば、あの世界は星の力で癒されて、光に満ちるのかな? エキナセアとマルムが来た目的って、結局のところはそれだろ? 星が無くなっちゃって、それが出来なくなったってことはないのか?」
「一馬、心配してくれたのか? 優しいなあ」
マルムが北斗君の側によって、わしゃわしゃと頭を撫でる。けどいきなり、マルムの手が北斗君の頭を貫通した。この現象、自称神様と戦う時に出なくて本当によかったよ。
「そりゃそうだよ。俺は二人にすごく感謝してるんだ。星を持ってきてくれなかったら、俺と穂積さんは月影の毒牙に確実にやられてただろうし」
玲旺那君の名前が出たとき、マルムモエキナセアも複雑そうに互いに目を合わせたんだけど、北斗君は気がついていないみたい。
「今さらだけど、本当に俺、かっこ悪かったなあ……。結局ソティスにも月影にも、負けてばっかりだったな」
ぼやいて、はあとため息をつく北斗君に私は言った。
「カレンデュラも言ってたけど、北斗君もアミアンも全然弱くなんかないよ。男の人は力強さを求めるのかもしれないけど、たとえどんなに強くたって、いつも必ず勝てる保証はないんだし。勝ち負けよりも、側によりそって支えてくれたことの方が大事だったんだよ。カレンデュラにとっては、それが何よりも強力な心のよりどころだったの。勝てなかったことについては……その、気にしないでいるのは難しいのかもしれないけど、あまり落ち込まないで?」
北斗君がゆっくりと目を見開いて固まった後、ふいと顔をそらした。
あれ、傷つけちゃったかな? しまった、北斗君にもプライドがあるのに。
でも北斗君を覗きこんだマルムがにやにやしてるから、とりあえずは怒ってないみたいだ。そこだけはちょっと安心した。
マルムをはたこうとしたらしい北斗君が、空振りしてしまう。マルムは、今にも腹を抱えて笑いだしそうな勢いだ。
北斗君が無理やり話題を変えたいのか、私の方を振り向いた。少し耳が赤い気がする。
「そ、そういえば、月影はどうしてるんだ? ソティスのことについて、何か話してた?」
私はゆっくりと首を横に振った。
「実は玲旺那君、具合が悪くて休んでるんだ」