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ACT39 ゆるしの果て

 最初の感覚は、浮遊感と吐き気だった。こめかみがどくどくと、脈を打っている。


 泥の中に沈んだ意識に、はじけるような叫声が刺さった。


「猊下!!」


 ああ、愛しい彼の声だ。やっとそう思えた私は、薄く目を開けた。


 とんでもない体勢でいるとわかったのは、その直後。私は大蛇の口に咥えられ、宙に持ち上がった状態になっていた。口内の生温かさと流れ続ける血の匂いにおぞましさを覚え、背筋が凍りつく。


 ひとつだけ幸いなのが、気を失いながらも手の中に星を握りしめていたことだろうか。


 地面に視線を落とすと、こちらを見上げているのはアミアンだけ。彼のすぐ傍には、横たわったままのソティス。突き飛ばされ、自失したままなのだろう。


『よくも煩わせてくれたナ、非力な虫けらガ』


 怒りのこもった、けれど押さえられた声。自称神は確実に弱っていることがうかがえる。


 だというのに、こうして窮地に陥ってしまった。腕を伸ばしてみたけど、瞳までは届きそうもない。あともう少しだけ、私の手首もうひとつぶんだけ、どうしても足りないのだ。


『何をする気ダ?』


 牙のこすれる音、体が挟まれる圧迫感に、恐怖が全身をかけめぐった。捕えた私を傷つけない程度に、わざと咬もうとしているのだ。


「い、やぁ……」


 反射的に悲鳴が漏れてしまう。大蛇の瞼が面白げに細められた。


『あれほど威勢のイイことを並べ立てておいテ、いざとなれば何もできぬとは、何と非力で愚かデ、嘆かわしイ』

「カレンデュラ猊下!!」


 気色ばんだアミアンの大声。さっき足を負傷したようだから、自由に動けないのだ。

 優位を悟ったのか、大蛇はくつくつと喉で笑った。


『他愛も無い奴らメ。一時はどうなるカと思ったが、私の勝ちのようだナ?』

「あ……うっ……」


 体全体にかかる負荷が強くなる。身を縮めたけど、骨が砕けるのは時間の問題かもしれない。


 ここまできて、この者に屈するしかないのか。ソティスも解放できず、自らの過去の罪もぬぐうことができないのか。

 恐怖や痛みよりも、悔しさを強く感じる。


「やめろおっ!!」


 血を吐くようなアミアンの悲鳴を合図に、蛇が私を噛み砕こうと、顎に力を込めた。

 その時耳に入ったのが、鮮やかな剣戟の音。


『何者ダ……?!』


 蛇が私を咥えたまま、自らの尾を視認する。胴体を素早く駆けあがってきたのはマルムだった。


 体重など感じさせない軽やかさで私の元に迫り、蛇の喉元を一文字に切りつける。

 大蛇が痛みに口を開けた。危機は脱したけど、私は空中に放りだされ、落下する。


「きゃあっ」


 ますます身を固くし、来るはずの衝撃をやり過ごそうとする。けれどアミアンが受け止めてくれて、互いにもつれ合いながら地面を転がった。


 心臓が破裂しそうなほど、鼓動が早い。くらくらする視界の中で、アミアンがこちらを伺い、ほっと胸をなで下ろしているのがわかった。


「カレンデュラ猊下」


 よほど安心したのか、私の名前を呼んできつく抱きしめてくる。今にも泣きそうな声が、耳元に落ちる。


「危ない目に遭わせたことを、どうぞお許しください。よかった、ご無事で本当によかった……」

「アミアン……私の方こそ、ごめんなさい。重かったわよね?」


 起き上がり、彼の体に星を当てる。アミアンを治療しつつ、私は目線を別の方へやった。


 その先には、気を失ったソティスを抱き起こすエキナセアお姉様と、二人を立って見守るマルムがいる。


 くじいた足も私を受け止めた衝撃も癒えたアミアンは、マルムに話しかけた。


「どうして二人がここに?」

「俺も驚いたんだけどな。突然エキナセア様が、星の力の気配が強くなったっておっしゃってさ。その直後に俺の怪我も少し癒えて、なぜか張られた結界も弱くなって、部屋の中に入れたんだ。エキナセア様の勘をたよりに、ここまで来れたってわけさ」


 確かに瑠璃の祈りが一度成功し、星が応えてくれた。それをお姉様も感じ取ったのだ。


「で、俺も質問していいか? なんでカレンデュラ猊下とアミアンとソティスの野郎がいるんだ? 瑠璃ちゃんたちはどうなった?」

「いや、本当なら僕は一馬のはずなんだけど、どうしてかこの姿になっていて……それよりもマルム、今ソティスの野郎って言ったよな?」


 ややあきれたアミアンに、マルムは鼻を鳴らす。


「男だから野郎で間違いないだろ? 細かいことを言うなって」

「マルム、さすがに態度が悪いわよ?」


 お姉様がやんわりと注意する。お姉様は玲旺那のせいで大変な目に遭ったのに、そのことを怒っていないのだろうか。


「カレンデュラ、ソティス様にとりついていたのはあの蛇なの?」


 私はアミアンを支えながら、皆に近づく。


「ええ、あれが魔物の本体です。あの者がいうには、星と同じような時に生まれたと。私たちのいた世界の始原を知る、神を自称しています」

「そう、あれが……」


 大蛇は、マルムが何度か切りつけたのだろう。創傷が増え、先程よりもさらに弱っている。こちらに手を出したいだろうに、戦力が増えたからか出方を伺っているようだ。


「この方を蝕み、苦しめていたのね。誰にも気づかれず、助けを求められなかった。何とあわれな」


 マルムが、ふんと息を吐きながら腕を組む。


「俺は、エキナセア様のように慈悲深くはなれないですね。こいつが神官たちや上官を殺すのを見ているので、簡単に許したりはできません」


 その言葉に、腹の底がひどくざわついた。


 そう、ソティスを許すということは、操られた彼が行った所業をすべて受け止めることでもあるのだ。


 お姉様が、ソティスの頬にゆっくりと手を添えた。


「そうね。この方は夫であったけれど、私から何もかもを奪った方でもある。激しい憎しみに、体も心も煮えたぎることは何度もあったわ。けれど誰からも傅かれる立場のはずなのに、ちっとも幸せそうではなかった。今思えば、楽しいことなど何もなく、王太子をほぼ完璧に演じるため義務的に生きていらっしゃったのね……私が知っている王族の中で一番、悲しい方よ」


 と、それまでただ息をしているだけだったソティスが、突然咳き込んだ。やがて彼の瞳が焦点を結び、お姉様をとらえる。


 あまりの衝撃に打たれたのか、言葉がしばらくなかった。


「……エキナセア?」


 呆然と呟く年下の夫に、お姉様はやわらかく微笑んで。


「ようやく、本当のあなたにお会いできましたね」

「なぜ、私に笑いかけているのだ?」


 それ以上は続けられず、ソティスはまた咳き込み胸を押さえた。私は彼の元に走り、その背に星を当てる。


 後方で、大蛇が動く気配がした。アミアンとマルムの二人が、剣を構えて私達を守ってくれる。


 手の中で星が熱と光を発する。ソティスが力を抜いて息をつくのを見て、お姉様が目元をなごませた。


「私が早く気づいて差し上げられたら、ここまで苦しむことはなかったでしょうに。申し訳ありません」

「奇妙なことを言う。詫びなければならぬのは私の方なのに。あなたを無理やり妻にしておきながら、何もいたわってやれなかった」

「まあ、少しは後悔されていたのですね。それで充分です」


 ソティスの投げ出されていた片手に、お姉様がそっと自らの手を重ねる。私はそれを意外な思いで見ていた。


 お姉様は亡国の王女として、ソティスに嫁ぐしかなかった。二人の間にあったのは、勝者と敗者という従属関係だけのはずだ。恋愛感情どころか、信頼すらなかったはず。


 ばつが悪いのかソティスは手をひっこめようとしたけど、お姉様はそうさせなかった。


 ふと、背後が気にかかって振り向いた。マルムがちらちらと目線を何度も寄こしている。明らかに、お姉様の行動を気にかけている。


「後悔どころではない。八つ裂きにされても文句を言えない程の、数々の取り返しのつかないことをした」

「もしあなた様をそうやって裁く誰かがいたとしても、僭越ながら、私が庇って差し上げますわ」


 ソティスはまた、先程目覚めた時と同じくらいの衝撃に打たれたようだ。


「エキナセア、あなたは私が憎いのだろう?」

「ええ、否定はしません」

「なのに私を庇うと? 許す、とでも言うつもりか?」

「ええ。あなた様の苦しみを解き明かせなかったのですから、私も一緒に裁かれなくてはなりません」


 不思議だ。お姉様も私とほどんと同じことを言っている。


 本音を言えば、ソティスを心から許すのは難しいのかもしれない。

 彼は私たちの両親を、兄を、信頼していた人たちを、名も知らぬ民たちを、美しい国土を、突然蹂躙し奪い取ったのだから。


 だけど彼がその果てにつかんだのは、重い罪の意識と空虚だけ。

 私たちと同じ人間にすぎない彼は、あの自称神に目をつけられたばかりに絶対的な闇の中を歩き続けるしかなかったのだ。


「……先程、妹君にも似たようなことを言われた。<光の子>というのは、概して心が広いのか?」

「そうなの、カレンデュラ?」


 問うてくるお姉様がとても頼もしく感じた。寝台で伏せっていたばかりの人にしては、瞳に宿る力が強く思える。


 私は深くうなずいた。


「ええ、私の祈りさえきちんとしていれば、ソティス様はこのような目に遭わずにすんだかもしれないですもの。それにこれほどまでにさいなまれ苦しまれたのですから、それは既に裁かれたのと一緒だと思います」


 星の光が弱まったので、ソティスから手を放し立ち上がる。ソティスの回復を、誰より喜んだのはお姉様だった。


「星があなた様を癒したのですね。よかった」


 再びお姉様は、彼の頬に手を伸ばそうとして――ソティスがふいと、顔をそらしてしまった。


「私を許そうとするとは、二人そろって不可解な姉妹だな。」


 それだけいうと立ち上がり、アミアンとマルムの元へ歩いていく。


 首をかしげていた私の後ろで、お姉様がクスクスと笑んでいた。


「面白いわ、きっと照れてらっしゃる」

「え? まさか」


 私に強引に迫ったことのあるソティスが、おしとやかなお姉様に手玉にとられるなんて。

 だけど呑気な感想を述べている場合ではなかった。


 大蛇がソティスに反応したのか、眼前の三人めがけて突進してくる。


「危ない!!」


 ソティスも、アミアンもマルムも、それぞれ別の方向に飛びすさった。

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