ACT38 あがなうために
アミアンは剣をふるい蛇達を薙ぎ払うと、私の手をとり駆けだす。
眼前に、牙をむいた蛇たちが何度も迫ってくる。あまり気持ちのいい光景じゃないけど、その度にアミアンが敵を切り捨てていく。
やっぱり素敵だ――なんてときめいている暇はない。
アミアンもソティスも、私を信じて身を賭しているのだ。
私も、自分に賭けるしかない。
握りしめた拳の中で、星が震えている。言葉で通じ合えることはないけれど、何かを私に伝えようとしているのは明らかだ。
あの自称神の弱点は、一体どこなのだろう。
ソティスを助けた際に胴体に星を押し当てたけど、あれだけでは決定的な痛手にはなってない。他の箇所なのは間違いない。それを早く探しあてなければ。
すがるように、心の中で星に聞く。けれど星は震えるだけ。もどかしさに、歯ぎしりしたくなる。
蛇が飛んでこなくなったと思ったら、ソティスが大蛇と剣を交えていた。何度も噛みつこうとする蛇相手に険しい顔をして剣をふるい、飛びすさって、刺そうと突く。
その一撃が蛇の目に埋まった。瞳に一瞬赤色がはじけ、その大きな体がのたうつ。
よけきれなかったソティスは、こちらまで飛ばされた。
「ソティス様!!」
かけよった私たちは、顔をしかめるソティスを起こした。
「問題ない。ただ、剣を失ってしまった」
恐ろしい咆哮をあげる神を、見上げる。
首を振りまわし、頭を地面に何度も叩きつけている。真っ赤な口腔が血濡れた池のようだ。脅える私をアミアンが片腕で抱きよせてくれた。
幾度も暴れているのに、ソティスの剣が抜ける様子がない。それが蛇を苛立たせているようだ。
ふと、頭が冷静になる。何かをつかみかけている気がする。
「ソティス様、あの剣は特別なもので作られているのですか?」
「我が国ではよくある代物だ。魔物が嫌うと言われている鉱物を少し混ぜてある。しかし、こんなに暴れるのは初めて見た。いつもなら大勢ですぐとどめを刺すからな」
「痛い上に、視界をさえぎられているからでしょう」
アミアンの推測の言葉が、すとんと胸に落ちた。
「目だわ。目をねらえばいいのよ」
「猊下?」
「あの神の一番力が宿るところは、目なのかもしれない」
これまでの光景を思い起こす。
玲旺那が力を行使する際、彼の目には幾度も赤い光が散っていた。
ソティスを蛇のいましめから助ける際に、星を胴体に押し当てた。けれど蛇はすぐに動いて、私を狙った。
そこからアミアンが助けてくれた時、彼は蛇の目を攻撃した。その後蛇は再び私達を攻撃してくるまでに、時間がかかったではないか。
「玲旺那の体に魔物が宿っている時は、彼の胸に黒い痣がありました。あれが魔物の核だったのでしょう。けれど本来の姿に戻った今は、胴体ではなく目そのものが重要なのかもしれません」
思いついたことを前のめりに説明する。ソティスが真っ先に賛同してくれた。
「姫の考えは悪くない。かつてあの魔物に屈服させられた際、鳥の姿をした奴の目から私の体に何かが侵入してきた。魔物本体の目に最も力が宿るというのは、あながち間違いではないだろう」
アミアンも納得してくれたようだけど、すぐに険しい顔になる。
「猊下のお考えが正しいとしても、片目だけの攻撃では足りないということになるのでは? そうであれば、両目を同時に潰さなければなりません」
そう言われればそうだ。アミアンのさっきの攻撃もソティス一突きも、致命傷にはなっていない。蛇はまだ剣が抜けず、暴れている。
頭部が引きちぎれそうなほどに首を振りまわしているので、私たちはソティスをかばいながら後退した。
「これでは、近づくのは難しいですね」
「だが、またとない機会でもある。私の剣が抜けぬ間に、奴のもう片目を潰してみればいい。だがひどい暴れようだ。無理に近づけば……怪我だけでは済まないかもしれない」
私の手の内側が、ひどく湿っているように感じる。
怪我どころか、生死にかかわってくる。ソティスもそれはわかっていて言葉をにごしている。
このままなすすべなく、自称神がソティスの剣を抜くまで待つほかないのか……。重い空気が漂いかけたとき、近くでため息が響いた。
ソティスが自らの袖の下に手を突っ込む。すぐ取り出したのは、私でも扱えそうな小さな懐剣だった。
「それは?」
「護身用に念のため持っているものだ。刺客用だから、使う相手は人間のはずなのだが」
立ち上がったソティスの双眸に、静かな覚悟が浮かんでいる。慌てて彼の肩をつかんだ。
「お待ちください、ソティス様。早まらないで」
「長剣は二本しかない。騎士の持っている剣を、いちかばちか投げてみるか? それこそ、勝算の低い賭けだ。代わりにこの懐剣を投げたとしても、この軽さでは刺さるわけがない。となると私達三人の誰かが、奴に近づいて刺すしかないだろう?」
「いけません! どうか思いなおして!!」
「僕が参ります」
静かに歩み出たのは、落ちつき払ったアミアンだ。
いや、彼の瞳にもソティスと同じような悲壮な決意があふれている。
立ちつくすしかない私をよそに、アミアンは片手をソティスに差し出した。懐剣を受け取るつもりなのだ。
だがソティスが返したのは失笑だ。
「アミアン、と呼んでもよいか?」
「……どうかなさいましたか?」
「そなたの主人は誰だ? カレンデュラ姫だろう? 主人以外の者がどう動こうと、お前には関係ないことだ。そなたのするべきことはただ一つ、あらゆる手段を講じて主人を守りとおすこと。私になど気を配るな」
「では、他の方法を探りま……」
アミアンが言い終えぬ間に、ソティスは一歩踏み出した。
「私は、私一人の命をもってしても償えないあやまちをおかした。この身は、庇う価値などあろうか?」
「ソティス様!!」
止めようと手を伸ばした。その時。
「猊下!!」
頭上から巨大な影と重量が降りてくる。暴れのたうつ蛇の上体が、私たちの方へ倒れ込んできたのだ。
アミアンに抱えられ、飛びすさる。着地に失敗し、何度も地面を転がった。衝撃がおさまったのがわかると、あわてて首を巡らせる。
厚い鱗に覆われた胴体が、すぐ目の前にある。視界の先で、仰向けに横たわる蛇のまぶたに、懐剣を何度も突き立てるソティスの姿があった。
剣が刺さったままのもう片方の目は、ぞっとするほどに真っ赤で充血している。失明しているかもしれない。
蛇が動かないというのなら、私にもできることがあるはずだ。痛む体も呼びとめるアミアンも無視し、駆けだした。
鱗は想像以上に固いらしく、懐剣では傷を少しつけるくらいが精一杯のようだ。私はソティスを押しのけ、震える指先で星を押し当てる。
星がじわじわと熱を発しているのがわかる。大人しかった蛇が、尻尾だけをもぞもぞと揺らし始めた。暴れまわる気力まではないようだ。今のうちに決着をつけるしかない。
「姫……」
呆然とするソティスに、これだけは伝えなければならないと唇をなめた。
「命をもって償えないあやまちをおかしたのは、ソティス様ではありません。この私です」
「何を言う、姫。私が何をしたか、あなたはよく知っているはずだ」
「ええ。けれども自分を庇う価値などない、とは決しておっしゃらないで。たとえ他の誰かが、あるいはソティス様自らがソティス様をなじろうとも、私はあなたを許したいのです」
赤い口腔から噴き出す雄たけびに、びくりと身がすくむ。硬直した私と入れ替わるように、ソティスが薄眼を開けた蛇の白目に懐剣を潜り込ませた。牙をむいた咆哮に、腰を抜かしそうになってしまう。
「お下がりください!」
追いかけてきたアミアンが、くじいた足を庇いながら私を下がらせた。
最後の悪あがきか、身体を折った蛇がソティスを打ちすえ彼方へ飛ばしてしまう。
そのまま、蛇はあやまたず私の方へとびかかり――
突き飛ばされたアミアンがどうなったのかも視認できず、視界は闇に閉ざされた。