ACT36 あなたのために生きたい、あるいは死んでも構わない
恐怖のあまり、心臓を吐きだしそうになった。
赤く目を光らせた自称神様は、片手を空中に掲げ次々と蛇を生みだす。
真っ黒な蛇たちは、牙をむいて北斗君に襲いかかる。様々な大きさの蛇たちを北斗君は切り捨て、あるいは踏みつぶし、次々に消していく。
同時に躍りかかる蛇達は、多くても五匹くらい。北斗君は流れるように剣を振り、敵を退治していく。
玲旺那君にとりついた自称神様の、顔色が明らかに悪い。眉根も寄せられて、どこか苦しそうだ。さっき本人が言っていたけど、この地球の空気が合わないのかな。
ということは、さっさと勝負をつけたがっているはずだ。けど調子が悪いから、蛇を大量にけしかけられないんだ。
でも北斗君だって不利な状況だ。玲旺那君にさらわれ一日中監禁されていたわけで、食べ物を口にしていたのかもわからない。
つまり体力的には二人とも、追い詰められた状態ってことだ。
だからこの、我慢比べみたいなことはすぐに終わってしまうだろう。
私が望むのは、北斗君も玲旺那君も助けること。
自称神様を何とかやっつけて、もうこんな泥沼のような愛憎から抜け出したい。
体がさらに動くようになってきた私は、そっと星にささやいた。
「あの神様のこと、知ってるの?」
手のひらの中で星が震えた。うなずいているように感じる。
自分の感覚が、明らかに敏感になっている。常とは異なる空間にいるせいだろうか。
人間と意思を通わす手段のないはずの星が、私に何かを伝えようとしていた。
「穂積さん!!」
叫ばれ、一瞬で反応した。
北斗君の剣戟から逃れた蛇が一匹、私の足元に着地していた。
嫌悪感を押さえつけ、星を持っている手を突き出す。すると蛇は断末魔に悶え消えた。
同時に北斗君が対峙していた数匹の蛇も、干からびるように縮んで消えていく。
「すごい……<光の子>の威力って、こんなにもすごかったんだ」
北斗君の感嘆に続いて、舌打ちが耳を刺した。
「生意気な小娘ダ。少し大人しくしてロ」
自称神様は私に標的を変えた。太い黒い線が川のように蛇行してこちらへ来たかと思うと、円を描いて私を取り囲む。
無数の蛇達が、じりじりと距離を詰め円を狭めていくのは、正直気持ちのいい光景じゃなかった。
北斗君が円を切り崩し、こちらに来ようとしている。
注意を払っていたはずなのに一匹の蛇に足首を噛まれ、北斗君は顔をしかめた。
「くっ!」
「北斗君!!」
返ってきた強がる笑顔が、ひどく胸をえぐった。
「平気だよ。これくらいでへこたれてたら、騎士なんてやれないから」
自称神様が生み出す蛇も、やっぱり弱っているんだ。
北斗君は痛みを感じてるはずだけど、以前のように苦しんだりしていないもの。
だったら私達にも打開策はあるはずだ。
「どけよ。邪魔だ!」
蛇を薙ぎ払い空いた隙間を飛び越え、北斗君はやってきてくれた。剣を構え、まだ立てない私の傍らで油断なく四方を警戒する。
「ごめんなさい。戦えなくて足手まといだよね」
「そんなこと、思わなくていい。<光の子>の盾となって守るために、騎士がいるんだから」
一匹だけ踊りかかってきた蛇を、真っ二つに切り裂く。北斗君の険しい横顔に、妙に惹かれた。
カレンデュラが一目ぼれした瞬間の、アミアンの真剣な表情を連想させる。
どきん、と心臓が鳴った。
過去の記憶と現在の感情、どちらが由来のものなんだろう。
「これが俺のかつての役割だったんだ。でも途中で投げ出してしまった分、今頑張りたいんだよ……って、勝手な感傷だけどさ」
蛇達の描く線が、私たちのいる中心に向かって小さくなっていく。そして円周が短くなるにつれて、蛇が積み上がる線は高さを増していった。数が増えてきているのもあるんだろうけど、北斗君の胸と同じくらいの高さになっている。
「くそ、頭上から襲って潰すつもりか?」
剣を構え直した北斗君は小さくささやく。
「穂積さん、いざとなったら俺は見捨ててもいいから。とにかく、自分が助かることを考えて」
「え、何言ってるの?」
「君はまだ、やらなきゃいけないことがある。祈りで向こうの世界を救うんだ。だから助かるために、俺をちゃんと利用するんだよ?」
「やめてよ、馬鹿なこと言わないで。私は北斗君も玲旺那君も、助けるんだから!」
やっと立ち上がることができた私は、それでも足に力が入らなくて、北斗君の背に寄りかかるような形になってしまった。彼の二の腕辺りをつかむと、それを見た北斗君の口角がふっとゆるむ。
「アミアンは、ぎりぎりまでカレンデュラのために生きようとした。彼女のために剣をふるうことこそが、自分の使命だと信じてた。それができないとわかったから、自分を刺して死を選んだんだ」
覚えている。あまりに衝撃的で悲痛な光景だった。
ソティスの支配から逃れられないと悟ったアミアンは、ああすることでしか主人を守れないと判断したのだ。
「本当なら、カレンデュラと一緒に生きたかったよ。いずれ引き裂かれる運命だとわかっていても、許される限り恋人でいたかった。それができなければ、騎士として生きる。それも駄目ならば、カレンデュラにとって最大限役に立つことをする。たとえ自分の命をかけることであっても、だ。アミアンの選択肢は、あんまり多くなかった」
「北斗君……」
腕をつかむ手に力がこもる。どうして、そんなことを言うの。
まるで、この世に最後に残す言葉みたいに思えてしまう。
「俺もアミアンと同じ思いだよ。できるなら生きたい。でも、大事な人の盾になっても構わないんだ……さっき、言っただろ? 俺の命と剣を捧げるって」
視界がにじむ。私はたぶん、もう泣いている。
「あれは、最初から決められた言葉だよ。儀式のために用意された、騎士になる人は誰でも言う言葉なんだよ?」
「そうかもしれないね」
蛇の円が、どんどん狭くなっていく。数歩踏み出したら触れそうなくらいに。
北斗君は、自分の手を私の手にそっと重ねてきた。
星を握りしめている方の手だ。星がまた、振えているのを感じる。
何を伝えたいんだろう。私じゃあわからない。カレンデュラだったら、理解できたのかな。
「今度こそ、最後まで守るから」
決意に満ちあふれた言葉。だけど、細かく震える北斗君の手からは、恐れが伝わってきて。
当然だ、私だって怖くてたまらない。けど彼は立ち向かおうと、守ろうとしてくれてるんだ。
じゃあ一体私には、何ができるんだろう――
私たちの身長よりはるかに高くなった、もはや煙突みたいに積み上がった蛇が、頭から大量に降ってくる。
剣を構える北斗君に、抱きついた。
視界がより暗くなる。蛇の不吉な鳴き声、威嚇音に肌が泡立つ。
剣をふるう北斗君にも、彼に抱きつく私にも、蛇達は容赦なく噛みついて。
手を強く握りしめ、私は祈った。
こんな時でさえ、私にできることはたったそれだけ。どこかで絶望しつつ、それでも思いつくことすべてを強く願った。
北斗君の武運と、無事の帰還を。玲旺那君の安寧と、苦痛からの解放を。
かつて守れなかった家族、見知った人々、名も知らぬ民、それらの人々の魂が安らぐことを。
魔物で荒れた国土が、再びいのち芽吹き緑あふれることを。
風が吹き抜ける。草は揺れる。花びらが舞いあがる。小鳥たちは喜びにさえずって、遠く地平線の彼方から雲が流れて去ってゆく。
春の陽光に心が躍り、夏の暑さを避けて涼み、秋の恵みに感謝し、冬は再び太陽が力を取り戻すことを信じる。
萌えいずる植物も、いつかは枯れてしまう。けれど力強く次世代が誕生して、それを繰り返してゆく。
――そうだ、カレンデュラの祈りはこんな感じだった。
神殿から見える花畑が、季節がめぐる度に景色を変え、枯れては咲くを飽きずに行うのを、彼女はずっと自室から眺めていた。
命の絶えまない営みが、どうか祈りの届くすべての人々と生き物たちに、なんの不安もなく行われるように。
力が弱まる中でも、アミアンとの恋に懊悩する中でも、彼女はそれを願っていた。
目を開けると、私と北斗君を襲っていたはずの大量の蛇がいなくなっている。
いや、私達を囲んではいるものの、近づけないんだ。
「穂積さん……」
北斗君の胴に巻きつけていた腕をはなして、自分の手を見る。光が、漏れている。
そっと指を広げると、星が輝いていた。
目に優しい、黄色と橙色が混ざったような、やわらかな光。
よく見ると、スパンコールみたいなのが五つとも、細かく震えている。
「何が起きたんだ?」
北斗君の問いに、私はゆるく首をふった。
「全部はわからない……けどきっと上手くいく。そんな気がするの」
「うん」
北斗君の手をとって、彼の手のひらに星を乗せた。
私たちの体の輪郭を、光が滑るようになぞり、包んでいく。
温かさと癒しが、体中を血のように巡るのがわかる。力の反動なのか、北斗君の短い髪も私の髪も、ふわふわと風にそよいでいた。
やがて北斗君の体から、光の輪郭が消えうせた。けど私の体は、星の力に覆われたまま。
私は星を再び握りしめる。呆然とした北斗君は、思わずといったふうに口にする。
「カレンデュラ……?」
彼がそう言ってしまうのも、無理はなかった。アミアンだった頃、カレンデュラが力を行使する場面を何度か目にしているから、それを思い出したんだろう。
私も不思議な心地だった。カレンデュラの感覚や思いが、これまでで一番、息がふれるほどの近くまできている。
彼女の心が、私の心に重なっているみたい。
「私は、大切なものをことごとく滅ぼしてしまった。誰も救えなかった。」
この懺悔はカレンデュラのものだ。
好きな人の亡骸を抱きしめながら、恋に悩むだけのただの女であったことを嫌というほど思い知った。そんな自分を完全には許せないまま、とわの眠りに旅立った。
そんな過去を、まだ受け入れられないカレンデュラがいる。それでも彼女の目の前には、彼女にしかできない使命がある。
だから、うずくまって嘆いている暇はないのだ。
「そんな愚かな<光の子>であっても、まだ星を使って祈れというのなら、これからもそうするわ。それが、私にできる唯一の罪滅ぼしだと思うから」
星をあつかえる人間が自分しかいないのなら、深い後悔もぬぐえぬ罪も抱えて、やれることをやるしかない。
奇妙な感覚だ。私は穂積瑠璃のはずなのに、この瞬間だけ、異世界で生きていたカレンデュラという女の子でもある。二人の人間の思いが、違和感なく私の内側で同時に存在している。
足が自然に玲旺那君の方へと向かった。北斗君も慌てた様子でついてくる。
追いかけてくる蛇達にむかって、左手を振りあげた。そこから生まれた風に巻き込まれ、蛇達は光にもまれ消えていく。
涼しい顔でそれを見ていた私の側で、北斗君があっけにとられ絶句していた。
瞳を赤く明滅させ、膝まづいてこちらを睨んでいた玲旺那君の表情が驚愕に染まる。
「カレンデュラ……あなたなのか?」
「合っているけど違うわ。あなたは、どう呼んだらいい?玲旺那君、それともソティス?」
玲旺那君はうつむき、自嘲的な笑みを唇に浮かべた。
「罪人に、名前の確認が必要かな?」
「あなたが罪人というなら、私も罪人です。あなたの背負った恐るべき苦痛に気がつかず、あなたを憎んだだけですもの」
虚を突かれたように、玲旺那君は固まった。そしてゆっくりと私を見上げる。
「ソティス様、よくぞ耐えられましたね。人でない者に体も魂も屈服させられ、どれほどの痛みと恐怖を味わったか。気づいてさしあげられなかったこと、どれだけ詫びても詫び足りません。あまりに遅くなりましたが、星の力を借りてあなたを解放します」
「ああ、頼む……殺して、くれ」
玲旺那君は、その場でまた倒れ伏した。彼の体を中心に黒い円が広がっていく。闇の波が、玲旺那君をのみ込もうとしていた。
私は、息を吐いて駆けだした。
「穂積さんっ!!」
叫ぶ北斗君を振り切って、闇の中へ突進した。
死なせたりしない――絶対に、助けるんだ。