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彼の思い、及び回想2

 心臓の辺りに刺すような痛みを覚え、玲旺那は胸を押さえる。


「……っ!」


 不快感はすぐに去ったが、異変に感づかれたかと焦った。

 だが先に部屋に入った瑠璃はまっすぐに一馬の元へ向かったので、何も気づいていないようだ。


「北斗君!」


 悲鳴じみた声をあげる彼女の先にいるのは、ベッドのふちに上半身をぐったりあずけた一馬だ。

 腕も足も縛められたまま眠りの世界にいた彼は、瑠璃の声に瞼を震わせる。


「……あ、穂積、さん?」

「ごめんね、来るのが遅くなって。大丈夫?」


 事前に準備しておいたらしいペットボトルのお茶を、一馬にゆっくり飲ませる。

 憎らしい恋敵は、ほっと息をついた。


「こっちこそ、心配させてごめん。俺がもっとしっかりしてれば、こんなことにはならなかったのに」

「北斗君は悪くないよ。だからそんなこと言わないで」


 自分以外の男への、いたわりの言葉に腹が立った。


 こちらを振り向き強い視線を向けてくる瑠璃に、嫉妬と怒りを隠して甘い笑みを向ける。


 そう、体に不調は残るが、焦る必要はない。

 罠の中に自らやってきた少女を手に入れるまで、あと少し。


○○


 ソティス黒太子はその日、奇跡を起こした。


 怪鳥にさらわれた後、たった一人でその魔物を退治したのだ。


 ただしその際魔物の血を大量に浴びたためか、数日間高熱に苦しんだ。


 回復したソティスは驚くべきことに、魔物に言葉で命じ、使役できるようになっていた。


 魔物を操れる人間は過去に数人いたとされるが、王族という高貴な立場の人間がそれをしたのは、記録に残る限りでは初めてだった。


 そしてソティスは突然開花したその特技を、国土拡大に利用した。

 手始めに、隣国のトゥデヤン国を攻めた。平和ボケしていたかの国を落とすことは、軍と数匹の魔物を使えば造作もないことだった。


 強硬策に異を唱える者たちは、次々に事故や不幸に見舞われた。ソティスの乳兄弟であるルメールもその一人で、ソティスの執務室に押しかけひと悶着起こした数日後、馬車の事故に巻き込まれて出仕できる体ではなくなった。


 反対派を押さえこみつつ、ソティスは二度のいくさののち、トゥデヤン国を滅ぼした。


 もうこの頃になると、彼の魂は神と自称したあの存在とほとんど一体となってしまっていた。ためらいや罪悪感はすでに後方へ捨て置いて、自称神と同じ意見を持ち、賛同するようになっていた。考えを一切変えてしまうことこそが、苦痛から逃れられる唯一の方法だったからだ。


 だが結局ソティスが欲したものは、永遠に彼の手からこぼれおちてしまったのだ。


『姫……』


 破壊され、血と亡骸と呻きに満ちた神殿の奥に、ソティスは立ちつくしていた。


 カレンデュラが、奥まった部屋に逃げたのはわかっていた。だが星の力のためか、ソティスは全く近づけなかったので、操ることに成功したアミアンを向かわせたのだ。


 時間だけが流れ、じらされにじらされた挙句見たのは、変わり果てた恋人たちの姿だ。

 剣を胸から生やした血まみれのアミアンと、それにすがりつくように寄り添うカレンデュラ。


(ひたすらに祈った挙句、力を使い果たし衰弱死したのか。だがあなたが守りたかった国は、私が滅ぼしましたよ。何とも哀れな姫だ)


 そこから踵を返して部下たちの元に戻るまでに、それなりの時間を要した。


 亡霊と等しくなった体に鞭打って、ソティスは様々なことをしなければいけなかった。


 トゥデヤン国の残党対策に、連れてきた魔物が荒らした土地の浄化。亡国の民には基本的にその地での生活を保証し、その代わりやや重い租税を課すことにした。


 またトゥデヤン国を支配下に置く名目として、生き残った直系の王族であるエキナセアを妻に迎えた。


 初夜の寝台で敵愾心を隠そうともしないエキナセアに、ソティスは優雅に微笑み返す。


『そこまで睨まなくてもよいでしょう。残された民の安全を思うなら、私の機嫌をとることを考えたらどうです?』

『かたきであるあなたに、媚びろと言うの?』


 姉妹でも雰囲気が違って、面白いものだと思った。エキナセアは病弱だと聞いていたが、カレンデュラより年を重ねているためか大人の女性の色香がある。


 しかしソティスが彼女の手に自分のそれを重ねると、かすかに震えた。隙をみて肩を押し、一緒に寝台に倒れ込むと、こくりと息をのむ気配がする。


 男に慣れていないというのは、共通しているらしい。


『ええ、それがあなたのためでもある。夫となる私に、従いなさい』


 愚かしいと思いながらも、そっくりな顔にカレンデュラの面影を求めた。


 だが年上の妻と、本当の意味での夫婦になることはできなかった。

 エキナセアは寝間着の下に、あの星を首から下げて隠し持っていたのだ。


『っ……!』


 ふれた瞬間、ソティスの指先に雷撃に打たれたような激痛が走った。


 身を起こし、寝台のふちにあとずさる。


 ばれたか、と一瞬汗が噴き出たが、エキナセアは胸を押さえて呻いていた。発作のようなものを起こしたらしい。


 別室で待機していた女官に侍医を連れてくるよう言いつけ、ソティスはその場を後にした。

 指先には、ひどい火傷のような痕があった。


(なぜだ。なぜあの星をエキナセアが持っている)


 あれは<光の子>であるカレンデュラが所有していたもので、エキナセアの手元にあること自体がおかしい。あの戦乱の最中では、直接でも間接でも渡すことなどできなかったはずだ。


(まさか星自身がエキナセアの元へ、やってきたというのか)


 執務室へ引き返したソティスは誰の目もないことを再三確認し、黒い蛇を指先に這わせる。

 たちまち火傷が癒えた。しかし煮えたぎるような苛立ちは、収まりそうになかった。


 瞳に文字通り赤色を宿しながら、ソティスは憎々しげにつぶやく。


『あの星は、どこまでも私の邪魔をするのか。好きな女をかんなぎにして役目に縛りつけ、妻にしようとした女を守り、私を近づけまいとして!! どこまでコケにすれば気がすむ!!』


 ソティス自身の怒りと、自称神の怒りが混ざりうねり、体中を巡っていく。


 その日以降、ソティスはせっかくめとった年上の妻に触れることはなかった。




 それから五年が経った。ソティスは執務の最中に知らせを受け取った。


『王太子妃様においてはつい先程、おかくれになられました』

『そうか』


 知らせに来た者も執務室にいた部下も、計ったようにエキナセアの訃報を嘆く。


 夫であるソティスは、儀礼的な悲嘆を冷めた目で見ていた。


 結局、彼女が持つ星に害されるのを恐れるあまり、エキナセアにはとうとう近づけなかった。


 しかしエキナセアは何かを察したらしく、幾度もソティスに話し合おうと持ちかけてきた。それを疲れているだの忙しいだのといって避けていたが、彼女は最終的に何をつかんだのだろうか。


 妻の国葬を終えてから間もなく、不謹慎にも新しい妻の候補の話が持ち上がりはじめた、その頃。

 ソティスは数頭の怪鳥が飼育されている厩舎を視察していた。


『順調なようだな』

『ええ、今回は大人しい個体が多く、事故もあまりありません』

『なら魔物をあやつる鍛錬もしやすいだろう。いいことだ』

『はい、しかし最も優れている魔物の使い手は、殿下ご自身でございます』


 ソティスは一番近くの鎖でつながれた怪鳥に近づいた。子供の個体だ。翼を閉じた大きさは、ソティスの身丈とほぼ同じくらいだ。


『お気をつけくださいませ。その個体は最近怪我をしましたので、やや気が立っております』

『問題ない。案ずるな』


 激しい夕焼けのような瞳を見ると、あの日のことを思い出す。


 自称神に体を乗っ取られ、やがては魂も彼と同化した。


 愛しい少女は永遠にこの手をすり抜け、無理矢理めとった妻をいたわれなかった。


 どれほどの血が流れただろう。敵も味方も。軍人も平民も。人間も魔物も。

 変わってしまったソティス一人の存在故に、大勢の運命がねじ曲がってしまった。


 それで誰が、幸せになったというのだろうか。


(ああ、まただ。もはや振り返っても、戻ることもできないのに)


 沸き起こる暗黒の考えに呑まれかけて――その間が、油断につながった。


『ソティス様!!』

『王太子殿下!!』


 周囲の叫び声に我に帰った時には、いつぞやを上回る灼熱の痛みが、肩から腹にかけてざっくりと走っていた。


 怪鳥の嘴にやられたと気づいた直後、ソティスの意識は暗転する。


 そして必死の治癒の甲斐なく、まるで妻を追うようにして、ソティスは二十六歳という若さで命を落とした。


 才気あふれた若者が後世に残したのは、自国と周辺国を魔物で荒らし、世界を混乱に陥れたきっかけをつくったという悪名だけだった。


○○


(だめだ、どうも眠い。あの変な夢のせいだな)


 五月も終わりに近づいていたある日。玲旺那は寝不足の頭を抱えながら部活動に打ち込んでいた。


 先月あった新入生歓迎公演は好評の内に幕を降ろし、たくさん入部した新入生達も演劇部の雰囲気に慣れてくれたようだ。


 今日は既存台本を、いくつかのグループに分かれて読み合わせをするということを行っていた。


「月影先輩、すごいですね」

「ホント、上手ですよね」


 一年の男女二人が、きらきらした目で褒めてくれる。ただ女子の方は、尊敬意外に別の感情がその瞳に見え隠れしていた。


「ありがと。でも、まだまだ満足しちゃいられないよ」

「すごいなあ、その向上心、見習わないと」

「どうすれば、先輩みたいに上手くなれますか?」


 他のメンバーが置いてきぼりで一年二人と会話にもつれ込みそうになったので、玲旺那は目の前の同級生達に視線を転じた。


「多崎さんと穂積さんは、どう思った?」


 いきなり名を呼ばれ、瑠璃の方はびくりと肩を震わせる。


 知尋は手で顎を支えたまま、もう片方の手でくるくる回していたペンをびしりと玲旺那の方に向けた。


「確かにいつも通り上手だったけど、ちょっと活舌が悪いよね? 何か悩みでもあるの?」

「えっ、知尋よく気づいたね?」

「瑠璃はもうちょっと注意を払って聞きなよ。お手本にできる人が近くにいるんだから、じゃんじゃんその技術を盗まないとさ」


 こちらを見た瑠璃が、頬を少し赤くしてうつむいた。

 玲旺那はいつも通り笑みを浮かべて答える。


「最近ちょっと寝不足なんだ。そのせいかな」

「体調が悪いならさ、思い切って部活を休むことも大事だよ。周りを心配させる前に、ねえ?」


 知尋の同意の問いかけは、瑠璃にされたものだった。瑠璃は機械的に首を縦に振る。


「帰らなくても大丈夫なの?」


 気遣わしげな瑠璃に、苦笑が漏れる。


「そこまで大袈裟なものじゃないから、心配しなくていいよ」


 それから知尋と瑠璃がそれぞれ、一年生に対し注意点や良かった点を述べた。


 玲旺那は、さりげなく瑠璃の様子をうかがった。


 彼女への印象は、部活仲間の一人。やや人見知りなところがあり、そのせいか役者志望なのに裏方に回ることも多い。おどおどするのを止めていつも笑顔でいればいいのに、と思うこともしばしばだった。


 なぜか奇妙な夢を見るようになってから、彼女に視線が行くことが増えた。それはほとんど、無意識の行動だった。


 ちなみに奇妙な夢の内容とは、なぜかファンタジーっぽい世界で自分が王子となっている、というものだ。その王子は容姿が壮絶なまでに整っており、頭脳明晰でも武勇もあるのに、自分の人生をつまらないと感じていた。好きな少女には振り向いてもらえず、さらには運の悪いことに魔物に取りつかれてしまうのだ。


 まるで一本の映像作品のように良くできた夢で、感心するくらいだ。過去に鑑賞した作品がごちゃまぜになって、奇跡的にひとつの物語をつくりあげているのだろう。


 と、最初のうちは思っていたのだが。


 ある時から王子が好きだった少女が、瑠璃と同一人物なのではないかという予感がぽっかりと浮かび上がってきたのだ。


 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、こうして視線は瑠璃を追いかけてしまう。


「ん……玲旺那君、やっぱり疲れてるの?」


 首をかしげる同級生に、なぜか心臓が高鳴る。

 王子が求めていた少女は、決して手の届かない異国の王族だ。


(手が届かない? いや、そんなはずはない。だってこうして目の前に……)


「れ、玲旺那君、大丈夫?」


 焦った声音に、はっと我に帰る。


 今、自分は何を黙考していたのだろう。頭の中に、いきなり他者が入り込んでしまったような感覚だ。


 知尋が、再びペン先をビシッと向けてきた。


「これはあれかな、遅れてきた五月病かも?」

「違うよ。でも、ぼうっとして悪かったよ」


 そこでヤマセンが声を上げたので、会話は中断となった。

 次の指示も耳にほとんど入らなかった。背中の奥からじわじわと、嫌なものが這いあがってくる。


 決定的な夢を見たのは、その数日後だ。


 初めて見る光景だった。王子の格好をした自分が、コスプレめいた格好をした瑠璃を追いかけている。


 誰かが自分たちの間に割り込み、剣を振り上げてくる。数度刃を合わせた後、玲旺那は相手を切り捨てた。


 倒れ伏す彼へ、瑠璃が叫ぶ。


「アミアン!」


 夢の中で何度か聞いたことのある名前だ。


 腰を抜かした少女に歩み寄り、顎に指を添えて唇を奪う。震える瑠璃の意思を無視し、そのまま地面に押し倒した。


(は……何やってんだ、俺?)


 思考とは裏腹に、言葉は全く別の思いを紡ぐ。


「カレンデュラ姫、やっとあなたを我がものにできそうだ」


 瑠璃に向かって、全く別人の名を呼んで。再び唇を重ねそうになり――玲旺那は上半身を起こした。


「違うだろ、こんな最低なこと俺はしたくない。していいわけがない!!」


 女の子の気持ちを無視して、こうして強引に迫るなんてどうかしている。


 そういえば夢の中の王子は、好きな少女相手に似たような行動をとっていた。だから嫌われたのだと、人ごとのように思っていたが。


「まさか……あれも、俺がしたことなのか?」


 ヘンテコな思いつきだと、鼻で笑えたらどれほどよかったか。


 いつの間にか瑠璃の姿は消え、代わりにあの顔の良い王子が目の前に立っていた。


「やっと私を思い出したこの時に、あの少女もすぐ近くにいる。こんな幸運を逃してたまるか」

「い、一体何の話だ? 穂積さんが、どうしたっていうんだ?」

「知らないふりをするな。もう、気づいているだろう? お前は私で、私はお前なのだ。月影玲旺那という人間が、生まれ落ちた時からな」


 王子のその瞳が、一瞬だけ赤い光に揺らめいて。


 足元の数匹の蛇が、玲旺那の体を這いあがってくる。

 ぞわりとする感覚からも、蛇からも王子からも、逃げられない。


「やめろ……嫌だっ!!」

「さあ、悲願を叶える時だ。カレンデュラは今の生において、ようやく私のものとなる」


 そして次の日から、玲旺那とソティスの意思と魂は同一化したのだった。

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