少年の視点6
言うべきではない言葉だったのはわかっているのに、とうとう口をついて出てしまった。
「穂積さん、君が、好きだ」
告げられた直後の瑠璃は、驚愕と疑問を目に浮かべていた。
アミアンの気持ちが強いために告白したのだろうと、そう思っているのだろう。
違うとは言いきれないのが悲しかった。
けれどはち切れそうな程に育った想いは、アミアンのことをはっきり思い出す前から、胸の中に蛍火のように淡く灯っていたのだ。
ふいに、瑠璃は倒れ込んできた。抱きとめた彼女は、瞼を閉じてすうすう寝息を立てている。
これまでにも何度かあったことだ。瑠璃はおそらく、カレンデュラだったころの夢を見ている。
一馬が彼女と話しこむこと自体が、瑠璃の過去の記憶を呼び覚ますきっかけになっているのかもしれない。
起こさないように、慎重にベンチに横たえる。
少女の寝顔に手の甲で触れた一馬は、後ろを振り返った。
こちらを貫きそうな視線に、挑むつもりで睨み返す。
「俺の言うことが聞けないのか、転校生?」
「覗き見してたのか。悪趣味すぎるだろ。穂積さんのことがいくら好きでも、どうしてこうすぐにかけつけてくるんだ」
「悪趣味か? 恋心を隠してたお前より、俺の方が正直な分マシだと思うけどな」
一馬はちらりと、周囲を見渡した。
「人通りがやけに少ないな。お前が何かしたのか、月影」
玲旺那は、くっと喉を鳴らす。
「ソティスはアミアンと違って、やれることがけっこうあるんだよ。瑠璃に守られてばかりのお前とは違ってな」
明らかな挑発なのはわかっていたが、一馬は立ち上がった。
「場所を変えよう。この先に広場があっただろ」
「そこを死に場所にしたいなら、お望み通りにしてやる」
先に歩きだした玲旺那をすぐに追いかけず、一馬は再び瑠璃に向き直った。
逡巡ののち、彼女の額に唇を落とす。
(すぐに戻るから、ここで待ってて)
オレンジのタオルハンカチを握りしめた手に、自分のそれを重ねる。
人工芝が敷き詰められた広場まで行き、そこで玲旺那と距離を空けて対峙した。
広大な公園に、人影はもはやなかった。玲旺那が人々を何らかの力で追い出したのか、それとも自分たちの姿が皆から完全に隠されているのだろうか。
「ソティスには、結界でもつくれる能力があるのか?」
「俺が出来ることを、全部知る必要はないだろ? それとも冥土の土産に知りたいのか?」
動かない玲旺那の腕あたりから、矢のような何かが飛んできた。黒い一匹の蛇だ。
極限まで口を開いた蛇が、一馬の眼前にせまる。
それを、右手をふるうことで薙ぎ払った。
「ん?」
玲旺那は眉根をよせる。使役する蛇が地面に叩きつけられのたうったかと思うと、蒸発し消えたせいだ。
一馬は暴れる心臓をなだめながら、右手の剣を握りなおし、構える。
「簡単に殺せると思うな」
その手にあるのは、アミアンが使っていた剣だ。
ソティスとの最初で最後の戦いの際に折れてしまったものとは、違う。騎士として働いていた頃に支給された、よく鍛え抜かれた一級品だ。
「そうか、お前もかなり思い出したんだな。そんな道具が出てくるなんて、考えもしなかった俺も甘いな。でもこれで、お前をますます放置しておけなくなった」
玲旺那の手元に光るものが現れたかと思うと、それも剣の形をとって彼の手におさまった。
「北斗一馬、降参するなら今のうちだ」
駆けてくる玲旺那に、一馬は腰を沈めて重心を低くした。
ガキィンと、聞き慣れない剣戟の音がする。横に構えて防いだものの、玲旺那が力任せに押してくる。それを跳ね返して後ろへ飛びすさった。
一馬を仕留めようと、玲旺那が次々に剣を繰り出してくる。受け止めて押し返し、体をねじってよけ、玲旺那の空いたわき腹めがけて突く。それを止められ、返す動きで下から斜めに切りあげられ、肩をかすめた。
数歩後ずさった一馬は、制服の破れた個所を押さえた。すんでのところで皮膚は切られていない。
「もっとキレのいい動きだったぞ、アミアンは。これくらいで服が切れるようじゃ、<光の子>の騎士の名が泣くな?」
泰然と唇に笑みを刷く玲旺那は、ソティスの感情が強く前面に出てきているのだろう。
(いつからなんだ、月影がこうなったのは)
お互いに間合いを計りながら、一馬はふと疑問に思った。
昔からソティスの記憶を持っていたわけではないだろう。それならば、彼はとっくに瑠璃を我がものにしているはずだ。同じ中学校で同じ部活なのだから、本性を隠して瑠璃を落とす時間は充分にあった。
しかし瑠璃からはっきり聞いたわけではないが、玲旺那と恋人になったのはごく最近と思われる。となると、瑠璃と同じようにある日夢を見て、ソティスのことを思い出したに違いない。
(お互いに、思い出さなければよかったのにな)
そうすれば三人全員、どこにでもいる普通の中学生でいられたはずなのに。
「俺に一度負けているくせに考え事か。余裕だな?」
「……っ!!」
しばらく、激しい剣戟の音が鳴った。何合も刃を合わせ、お互いに意地とプライドをぶつけあう。
だが徐々に、一馬は押され防御一辺倒になりつつあった。
先に力を使えるようになった玲旺那の方が、有利だったのだ。数日前にアミアンの記憶や力を受け止めた一馬とは違い、慣れている。
腕がしびれてくるのを感じながら、勢いの衰えない玲旺那の剣をひたすら受け止める。
(だめだ、これじゃあ体力が尽きてしまう)
深く踏み込んだ玲旺那の剣が、一馬の肩を刺そうと狙う――それが賭けの瞬間だと、反射的に理解した。
体を沈めながらねじっていきおいをため、玲旺那の空いた上半身めがけ、剣先を向けた。
「動くなっ!!」
「……」
玲旺那は視線を下へ動かした。彼の首筋には、ぴたりと鈍色の刃が当てられている。
一馬は肩で息をしながら、体勢を戻し立ち上がった。
「剣を捨てろ」
言葉に従った玲旺那は、ふっと唇を曲げる。
「驚いたな。ちょっと油断しすぎたか」
息を乱していない彼は、獲物が手から離れたのに余裕に満ちている。一馬は歯ぎしりしたくなった。
「で、どうする気だ? 俺を殺すのか?」
身の危険など、髪の毛ひとすじほども感じていないのだろう。一馬はいっそう相手を睨みつけた。
「そんな気はない。俺は、穂積さんと俺の安全が欲しいだけだ」
「じゃあ、俺を殺したほうが確実だ。ソティスはずっと、カレンデュラを追い求める。好きな女を脅しても手に入れようとする男がいて、放っておく馬鹿がどこにいるんだ?」
「ソティスの記憶があろうと、月影は月影だろ。いくらなんでも殺すなんてできるわけがない。穂積さんだって、そんなこと望んじゃいない」
「俺はここ最近お前を殺したくて、たまらないけどな?」
「やってみろよ。今後ずっと、穂積さんに嫌われる覚悟があるならな」
玲旺那が激しく睨んできた。一馬も負けじと視線に力を込める。
腕がかすかに震えてきた。激しい戦いを制したはいいが、腕が剣の重さに悲鳴をあげているのだ。
「なあ転校生、綺麗事を並べただけじゃ、守りたいものは守れないし、欲しいものも手に入らない。お前はまだそれが、わかってないんだな」
一瞬玲旺那の目が赤く光ったかと思うと、それに宿る感情が変わる。焦点がわずかにぼんやりした後、彼は困惑しながら一馬を見返した。
「あ……また、だ」
頭に片手を当て膝から崩れ落ちた玲旺那は、今までと様子が違っていた。
呆然とする一馬の目の前で、どこか泣きそうになりながら訴える。
「確か、穂積さんと同じクラスの北斗、だったよな? なあ、これ一体何なんだ? 六月くらいに突然、おかしくなっちゃったんだ。俺の中に誰かがいて、そいつが穂積さんに近づこうとしてて。何回も止めようとしたけど、できなかったんだ。さっきまでの俺と、何を話してたんだ? 知ってることがあるなら、頼むから教えてくれよ」
抜き身の剣を置き、玲旺那の両肩に手を置く。
「よかった。月影と話ができそうで」
だが安心したのもつかの間だった。
玲旺那の惑う表情が、数瞬のうちに嘲弄を含む笑みに変わる。
「ひっかかったな。こんな単純な芝居なのに。お人好しすぎるんだよ!」
「……っ、おま、えっ!!」
声を上げようとした隙に玲旺那が動き、みぞおちに重い衝撃がめりこんだ。耐えきれずに崩れ落ちる。
「くっ、うぅ……」
薄れゆく視界の中で、自分の剣が消えてゆくのがわかった。
玲旺那に手首をつかまれた感覚を最後に、一馬の意識は闇に落ちた。
○○
痛みの中で、最後の言葉を振り絞る。
『猊下……騎士として、の、務めを果たせず……何と、お詫びすればいいか』
『いいの、もう喋らないで』
カレンデュラは、絶えず血の流れるアミアンの胸を押さえながら嘆いた。ただ叫び続けていただけだった少女は、愛しい騎士の命の残りの儚さに気づいたのか、力なくうなだれる。
『最後にあなたに守ってもらえて、とても嬉しかったわ。だから、自分を責めないで。私は嬉しかったの。本当よ?』
『ああ、カレンデュラ、様……』
感覚が既に途絶えた手を、宙にさ迷わせる。すぐ応えるように、カレンデュラがつかんでくれた。
『愛して、います。去る僕を、お許し、ください。幸せ、に、できず……もうしわ、け……』
○○
(カレンデュラ猊下っ……!!)
目を見開いた一馬の耳に、己の息の荒さが届く。
あまりに生々しい、アミアンの息絶える瞬間の記憶。胸に剣は刺さってないはずなのに、痛みがそこで凝っているような気さえした。
(猊下……いや違う、俺は北斗一馬だ)
無意識のうちに胸に手をやろうとして、気がついた。
両手が、ビニール紐でぐるぐる巻きにされている。手首から肘めがけて、何重にもがんじがらめになっている。
足を動かすと、同じように自由を奪われていた。足首と膝にも、ビニール紐が巻きついていたのだ。
(月影に負けたんだ。こうなるのは、仕方がないか)
そこは見知らぬ天井だった。白い壁紙がカーテンから漏れる光にほんのり照らされ、そのおかげで部屋の様子が見てとれる。
一馬が寝かされていたのは、誰かのベッドだ。体を起こし、部屋を見渡す。他に机と、小さな本棚がある。
目を眇めると本棚の中に、台本とおぼしき物をみとめた。
どうやらここは玲旺那の部屋のようだ、と結論づける。
ふいに一馬は、嫌な焦りに襲われた。
一体どれだけ、気を失っていたのだろうか。
カーテンの向こうから伝わる光は、夕焼けのような激しさがない。暁直後の淡く、おだやかな朝の気配がする。
ベッドから降り、細かくジャンプしながら壁の近くまで移動する。そしてカーテンに手をかけた直後。
「うわぁ!」
見えない力に弾き飛ばされ、反対側の壁まで吹っ飛んでしまった。背中を打ちつけたせいで、一瞬息が止まる。
崩れ落ちて呻いていると、玲旺那が部屋に入ってきた。
「朝から賑やかだな?」
私服姿の彼は一馬の隣にしゃがみこみ、くつくつ喉を震わる。
「無様だな。騎士の誇りはどこへ行った?」
「俺は平凡な中学生だ。そんなもの、最初からあるわけないだろ」
家の中には他に誰もいないのか、と一馬は疑問に思う。先程壁に衝突したあれは、そこそこの衝撃音だったはずだ。
「お前、一人暮らしなのか?」
「父さんは出張で、母さんも昨日から実家に帰っていて、俺以外には誰もいない。だから大声で助けを呼んでも無駄だ」
玲旺那の説明は、嘘をついているとは思えなかった。
もしこの家に誰かいるのなら、一馬をベッドに寝かせずもっと巧妙に隠すはずだ。それに、自由にしゃべれないよう何かを噛まされていてもおかしくないのだ。
一馬をこの部屋に押し込めている限り、何もできないようにしているのだろう。
「まだ七時前だけど、仕方ないから朝食を食べさせてやる」
「は……?」
部屋から去る玲旺那の背中を見上げながら、意図せず間抜けな声が出てしまった。まさか、そんなに長い間眠っていたとは。
一馬が監禁されてることは誰も知らないだろう。ということは、今は騒ぎになっているに違いない。
家族に心配させてしまった――その次に思ったのは、昨日ベンチに寝かせた瑠璃のことだ。
彼女はちゃんと目覚め、家に帰っただろうか。
一馬が姿を消したことに、責任を感じているかもしれない。
コンビニのパンとお茶を持って戻ってきた玲旺那を、睨みあげた。
「そう怖い顔をするなよ。ちゃんと食料はやるから」
「俺のこと、殺したがってたくせに。何を考えてるんだ」
「説明しなきゃ、わからないか?」
膝の上に、パンがぽいと投げられる。ペットボトルも一馬の手に押し付け、玲旺那はベッドに腰かけた。
「殺したいのに変わりはないけどな。お前だって、人質にできるくらいの価値はある」
(穂積さんに対しての、人質か……)
うかつすぎる自分に、反吐が出そうだ。
瑠璃の足手まといになりたくない、ただその一心だったのに。
こうして玲旺那に捕えられ、その上瑠璃を脅すダシにされてしまうのか。
(ごめん、穂積さん。俺、かっこ悪いことばかりだ。君を困らせたくないのに)
嘆く部屋の外では、新しい一日が平然と始まっている。
(いや、今は考えるんだ。穂積さんがここに来た時、せめて少しでも彼女の助けになるには、それが無理でも迷惑にならないためには、どうしたらいいのか)
玲旺那に何とかして対抗できる術はないのか。パンを少しずつ齧りながら、一馬は考えに没頭した。