ACT32 祈りと、少年の行方
その日の夜、私は星を使って祈ってみた。
カレンデュラの祈りの方法を少しは思い出していたから、真似事であろうともやってみたかったのだ。
部屋の電気は一応消す。決められた祈りの文言があるはずなんだけど、さすがに詳細がわからないので、適当につくってしまった。
他にも祭式道具もあったかもしれない。けれど少しでも祈ればあの世界に良い影響を及ぼす可能性があるから、やってみたい。
とりあえず元いた世界の平穏と安寧のおとずれを、願ってみる。
星についているチェーンを両手で握りしめる。両膝をついて、何となく月の見える窓の方へ体を向けて。
「天より来し、輝かしき救いの栄光よ。絶えぬ光よ、地上に満ちたまえ。いにしえより続く聖なる力で、邪を払い、薙ぎ、非力な人の子を導きたまえ」
そして脳裏に、おぼろげな理想を描いた。
カレンデュラが愛した、家族と身近な人たちと、彼女が住んでいた国。
菜の花に似た植物が、陽光を受けて風に揺れ、喜ばしい春の訪れを告げる。
虫も鳥も人々も、新しい季節の到来と、自然のもたらす恵みを喜んでいる。
星を使っての祈りは、祈る人間の理想を求める強い思いが鍵を握るんだ。
扉の向こうで誰かの足音がして、我にかえる。
星をベッドに隠して、あわてて照明をつけた。
「瑠璃、お風呂空いたわよ」
「うん、わかった」
お母さんはすぐに居間へ戻っていった。はやる心臓をなだめながら、星を確認する。
中に閉じ込められている、銀色のスパンコールみたいな五芒星が、五つ。そのうちのひとつが、ふるふると震えていた。
これは私の祈りによって、何らかの影響が出たってことでいいんだろうか。
それが、悪いものでなければいいんだけど。
唐突に、普段感じない肩コリに襲われた。そういえばカレンデュラも、たまに祈りの後に体調を崩していたな。座っているだけに見えるけど、気力や体力を使う行為なんだなあ。
お母さんが再び顔をのぞかせる前に、私はお風呂場へと直行した。
次の日教室に入ると、異質な緊張感が漂っているのが肌でわかった。
まだ全員登校しているわけじゃないけど、既にいる人でひとつに固まって、何事か囁き合っている。
珍しい行動をしている皆が、私が教室に入ってきたとわかったとたん、こちらへ視線を寄こした。
たくさんの目で見つめられて、たじろいでしまう。
どうしたんだろう。昨日北斗君に抱きとめられたけど、その追求を今からされちゃうのかな、いやまさか。
なんて思っていたら、笹木さんがこちらへ進み出てきた。
「穂積さんは、その様子だとまだ知らないんだね」
深刻そうな彼女に、首をかしげる。
「どうしたの?」
「私のおじいちゃん家は北斗君の家の近所にあってね、町内会の会長をしてるんだ。昨日の真夜中おじいちゃんから電話があって、北斗一馬って中学生を知らないかって聞かれたの」
次いで告げられた内容に、頭が真っ白になった。
「北斗君、昨日から家に帰ってないんだって。今朝お母さんが確認の電話をしてたけど、どうもまだ見つかってないみたいだよ」
いつもより淡々とした出欠確認のあと、平井先生はさらにワントーン下がった静かな口調になった。
「北斗君が、昨日から行方不明になっています」
ざわめく教室。数人の視線が、私を気遣うように伺っている。
私は北斗君に返すつもりで持ってきた、オレンジ色のタオルハンカチを握りしめた。
不安にかられた子たちが、次々と先生へ質問を投げたり好きなように言いあったりする。
「単なる家出じゃないんですか? 親と喧嘩してた、とか」
「誘拐じゃないよね?」
「いや、まだ何が何だかわからないんだろ?」
「どうしたんだろう。昨日までは普通そうだったのに」
「そうだよね。突然いなくなっちゃう理由なんて、なさそうだったよね」
「みんな、静かに!」
眉根を寄せた先生の顔には、精神的な疲労がにじんでいた。
「昨日の放課後に北斗君を見た人や心あたりのある人は、先生に言ってください。普通にすごして、北斗君が無事帰ってくるのを待ちましょう。そして北斗君が戻ってきたら、おかえりって言ってあげてね」
先生は教頭先生に呼ばれて、一度職員室へ戻った。まだ何らかの話し合いがあるんだろうか。
今日は、まともな授業ができるのかな……。
再び教室は喧騒に満ちる。花菜子と笹木さんが、私の席へ近づいてくる。
「瑠璃、大丈夫?」
「穂積さん、一応聞くけど、北斗君から何か聞いてたりする?」
どうしてこうなる可能性に、思い当たらなかったんだろう。昨日の私はどうかしていた。あまりにも間抜けだった。
私にはひとつだけ、誰にも言えない心当たりがある。玲旺那君だ。
北斗君の失踪に、玲旺那君が関わっている確率はすごく高いだろう。
もしそうだとしたら北斗君は今、無事なんだろうか。
――次に穂積さんに近づいたら、命はないと思え、とは言われたよ
肝の冷える、最後通告。
北斗君はそれに逆らって、昨日私と話をした。それに、玲旺那君がすぐ感づいたとしたら。
ああ、あのいやな悪夢が、実現しちゃうかもしれないんだ。
前触れなく、ぽろりと涙があふれた。
「瑠璃っ!?」
「ごめんね、責めるつもりはなかったの。本当にごめん」
頭を振って、私はタオルハンカチに顔を埋めた。嗚咽が、押し殺せない。私が泣いていることを察した皆が黙って、教室が静かになってしまう。
たったひとつの事件で、あっというまに日常が消え去ってしまった。
今日、このタオルハンカチを、彼に返すはずだったのに。
そして昨日の告白の真意を、勇気を出して尋ねるつもりだった。
その前に、北斗君がいなくなっちゃうなんて。
「ごめん、驚かせちゃって……」
力なく謝る私の頭を、花菜子が撫でてくれる。
「気にしないで。保健室、行く?」
また頭を横に振り、残りの涙をぬぐう。
嘆いているだけじゃ変わらない。私には、やらなきゃいけないことがあるんだ。
まず職員室へ向かった。心配した花菜子がついてきてくれたけど、すぐ教室へ戻ってもらった。
昨日北斗君と公園にいたことを、校長先生をはじめとした数人の先生に話す。
黙ってメモをとり続けていた校長先生が、穏やかな声音で言う。
「最初から、確認します。穂積さんは昨日の夕方、北斗君と一緒に公園にいた」
「はい」
理由を探られるかとドキドキしたけど、それはなかった。不純異性交遊だ、なんてお固いこと言われたら嫌だなと思ったけど、プライバシーを探る必要は今はないって判断したんだろう。
「穂積さんがしばらくして眠り込んでしまって、気がついたのが五時半頃。北斗君の姿は見当たらずに、あなたはそのまま家へ帰った……となると、五時ごろまでは一緒にいたと考えてもいいみたいですね」
「はい、たぶん」
その後校長先生たちは、あれこれやりとりを始めた。公園は捜索範囲外だったらしくて、至急周辺に人員配置を要望するみたいな内容が聞き取れた。
「ありがとう。教室に戻ってください」
校長先生に促され、私は授業が始まっていた教室へと引き返した。
人がひとりいなくなることは、確かにおおごとだ。けどそれだけでは、いつもの日常の流れを完全に止めることはないんだろう。
けれどもう、授業に身が入らなかった。中間テスト前だから、プリントやら自習やらが多くて助かった。
昼休み、私は意を決して玲旺那君の教室へ向かう。
「月影君なら、今日はお休みだよ」
演劇部の子に尋ねたら、肩透かしをくらった。風邪だそうだけど、とっても怪しい。
「ねえ、そっちのクラスの北斗君って子が行方不明なんでしょ? 大丈夫なの?」
「まだ探してる最中みたい、ってことしか知らないんだ」
お礼を言って、自分の教室へと戻る。けれどもやもやした気持ちがうずまいて、じっとしていられない。
私はどうしてか、屋上へ足を運んでいた。北斗君と初めてまともに会話して、秘密の共有が始まった場所だ。
首からさげた星を取り出し、目の前に掲げる。
昨夜から中のスパンコールがひとつ、ふるふると震えたままだ。残りの四つは微動だにしていない。
この星が探知機みたいに、北斗君の場所を知らせてくれたらいいのに。
はあ、と遣る瀬無いため息をついた時だった。
「いま一度、祈って。正当な<光の子>よ」
穏やかで、鈴の音が幾重にもかさなるような綺麗な声。エキナセアのものだ。
乞われるままに、指を組んで短く唱えた。
「光よ、導きたまえ」
かつていた異世界の、幸福を思い描く。市井の人々が、何気ない日々を営む。笑いも嘆きも悲しみも、平穏であればこそ享受できるものだ。
そして、カレンデュラが愛した家族たちの姿。エキナセアは病弱だった。部屋にこもりきりだったけど、たまに訪れると笑顔を絶やさない、優しくて素敵なお姉様だった……。
「久しぶりね。カレンデュラ……と、呼んでもいいのかしら?」
目を開けると横に立っていたのは、エキナセア本人。
カレンデュラの記憶よりも少し年を重ねている。二十代後半くらいかな。国が滅んでから数年生き延びたそうだから、そのせいなんだろう。
「今の名は、穂積瑠璃、だったわね。また会えるとは思わなかったわ」
「お姉様……」
思わず口をついた呼び名に、私もエキナセアも目を丸くする。
「嬉しいわ、一度だけでも、またそう言ってくれて」
「あの、どうして姿を現したんですか? あなたは、魂だけの存在なんでしょう?」
「かしこまって話さなくてもいいのよ。昨日から体がとても楽になって、力があふれてきたの。おそらく、瑠璃ちゃんが祈ってくれたおかげね。まず私とマルムに、とてもいい影響が出たみたい。マルムもそのうち、姿を見せてくれると思うわ」
エキナセアも、ジニアと同じくかなりの美人だ。成人後も少女めいた雰囲気を残し、守ってあげたくなるような儚げな部分がある。それでいてきちんと、意思の強いところもあるのだ。
そんな人に瑠璃ちゃんって言われるの、何だか照れちゃうな。
いやそんなことより、私の祈りでさっそく効果が出たなんて吃驚だ。
「力を得たせいか、何が起っているのか少しは理解できるようになったの。かつてアミアンだった子の行方がわからなくて、騒ぎになっているのね?」
こくりとうなずくと、エキナセアは微笑み返す。
「大丈夫。彼は生きてるわ。あなたをおいてどこかに行ったりしない」
「どうして、そんなことがわかるの?」
「自信を持って言いきれるわ。北斗一馬君は、無事よ」
エキナセアの言葉は、他のどんななぐさめよりも私の心を軽くした。
非情にも予鈴が鳴ってしまう。まごつく私に、エキナセアは教室に戻るように促した。
「あとは授業を受けてから、ね。夕方までには、マルムもやってくると思うわ。行動するのはそれからにしましょう、瑠璃ちゃん?」
励ますように微笑む、かつて姉だった人の言葉を信じて、私は階段を駆け下りていった。