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ACT31 甘いささやき

「穂積さん、飲み物でも買ってこようか?」


 再び北斗君と二人きりになった私は、まだベンチに座っていた。


 花菜子はマルムが引っ込んだ後、「あれ? どうしてここに座ってるの?」と首をかしげていたけど、北斗君が私の肩に手を回しているのを確認して満足そうに去っていった。


「穂積さん?」


 返事をしない私を、北斗君が気遣わしげに覗きこんでくる。


「吃驚したよな。あんなこと聞かされて」

「ごめん、北斗君、離れて」


 目を見開いた北斗君は、少し悩んでいたけど、その通りにしてくれた。

 座りなおした彼の視線を、まだ感じる。私は顔を手で覆った。


 ああ、もうだめ。情報量が多すぎる。私はどうしたらいいの?


 北斗君を守るために、玲旺那君に従うべき?

 今日見た悪夢を正夢にしないために、北斗君から離れた方がいい?

 前世の私がいた異世界のために、今すぐ駄目元で祈るべき?


「祈る……この、私が?」


 顔をあげてつぶやく。しばらくしてから、北斗君がタオルハンカチを差し出してくれた。


 ふかふかのやわらかい、オレンジ色のタオルハンカチを遠慮なく受け取って、目尻にあてる。

 涙が静かにあふれてきて、頬を濡らしていく。


「ねえ北斗君、カレンデュラを、馬鹿だと思うよね?」


 自嘲めいた響きに、帰ってきたのは沈黙。

 服の上から、ぎゅうっと胸をわしづかむ。


「だってそうだよ。すごく大切な役割があったのに、恋に夢中になって溺れて、好きな人を困らせて傷つけちゃって。祈りが上手くいなかくて、世界の均衡が崩れた。最終的には、国を滅ぼしちゃうことになって……」


 それでいて息耐える間際まで、アミアンのことで頭がいっぱいだったのだ。

 闇の跋扈を許し、災いを招いた元凶のくせに。


「馬鹿だよ。本当に、馬鹿だった……!!」


 ああもう、この重苦しい気持ちは、一生たっても消えないと思う。


 激しく後悔している。でも過ちが大きすぎて、後悔する資格すら与えられていないと思う。

 カレンデュラの苦しみがコンクリートみたいに凝縮して固まって、私を押しつぶしそうだ。


 ひく、と喉が息を求めて鳴る。激しい嗚咽が漏れそうで、口をタオルハンカチで押さえる。

 すると。


「もう、泣かないで」


 優しく、それでいて攫うような、温かい抱擁。

 横から抱きしめられて、北斗君の吐息を、すぐそばに感じた。


「穂積さん、カレンデュラだけが責任を感じる必要はないよ。そんなことを言うなら、アミアンにだって責任はあるんだ」


 北斗君の声が、強張った私の体を、ゆっくりとほぐしてくれるみたいだった。


「カレンデュラに一番最初に告白されたとき、アミアンは彼女に恋心は抱いてなかった。けどあることがきっかけでだんだんカレンデュラが気になり、好きになっていった。それを隠し続ければよかったんだ。ただの騎士として振舞えば、違った未来が訪れたかもしれない。嘘をつき続けるか、カレンデュラから遠ざかればよかった。それをアミアンはしなかったんだ」


 私は両手を膝の上に降ろした。震える私の手に、北斗君の手のひらが重なる。陽が下がってきたからか、人肌の温かみがよりわかる。


「恋は、二人の意思で始まるんだ。カレンデュラの恋は、アミアンも一緒になって始めた。だから、カレンデュラが恋に溺れた責任はアミアンにもある」

「それは、違うよ。カレンデュラが我儘だったの。我儘だったから、アミアンは罰を受ける羽目になったの。全部カレンデュラが悪いんだよ」

「違わないよ」


 首筋に、北斗君の息がかかる。近づいて、顔を埋めているんだ。


「北斗君……?」


 私はただ、困惑する。これはすでに、なだめるためだけの抱擁じゃない。


「アミアンだった時は、気づいてあげられなかった。孤独を押し隠し、皆の期待に必死で応えようとしていたあなた様が、俺と離れた後、ここまで悩んでおられたなんて」


 顔をあげた北斗君は、座高が高い分、私を見降ろすことになる。

 切なさと恋しさが交じった表情で、私を見ている。


 北斗君、その瞳に映しているのは、一体誰なの?


「騎士としても恋人としても、アミアンは失格だった。肝心な時に、側にいてあげられなかったんだ。こんなに情けないことはないよ。好きな人を、支えられなかったんだから」


 近づいてきた囁きを、私は顔をそむけてよけた。


「北斗君、離れて」


 二度目のお願いを、また北斗君は聞いてくれた。その代わり私の片手を持ち上げ、中指と薬指の付け根に一度口づける。


「えっ」


 カレンデュラだった時に何度かされた。騎士の挨拶のひとつだ。

 真っ赤になる私を、北斗君のまなざしがからめとる。


 私の手に唇をよせたまま、話を続けた。


「アミアンは何も持ってなかった上に、何も出来ない男だった。身分も金もない。カレンデュラ様をさらうことも、奪い去ることもできない。周囲は僕達を認めてくれなくて、ソティスがあなた様に強引に触れていたときだって、文句のひとつすら言えなかった。挙句の果てに、ソティスに操られたあげく、あなた様を殺そうとしてしまったんだ」


 眉根をよせて、悔恨のため息を吐いた彼は、たぶん北斗君じゃない。

 私は首を横に振る。


「やめて、北斗君まで。私たちは、今ここで生きてるんだよ? 前世なんて関係ないでしょ?」

「関係ないのなら、穂積さんが猊下の過ちで、ここまで苦しむ必要はな……」


 突然北斗君は、夢から覚めたみたいにぱちくりとまばたきする。それで私の手をとっていることにあわて、ベンチのふちまで後ずさった。


「あ、今、なんてことを……」


 片手で頭をがしがしかく北斗君は、耳まで真っ赤で。

 元に戻ったんだ、とわかると、私も気が抜けてしまった。


「さっきのは、アミアンの気持ちだよね?」

「う、うん。どうも最近、過去の気持ちの方が強く出ちゃうことがあるんだ。俺たちはきっともう、前世を無視することができなくなってるんだと思う」


 俺たちには、北斗君と私以外に、玲旺那君も入ってるんだろう。

 かつての三角関係に再び、決着をつける必要があるみたいだ。


 そして、カレンデュラが犯した罪を、きちんと果たせなかった、大事な役割を。

 穂積瑠璃である私が、引き受ける必要があるんだろう。


 責任の重さに、胸がつぶれちゃいそうだ。

 膝の上で握りしめた両手に、また北斗君の手が重なった。


 こちらを見る北斗君の目は、たぶんいつもの、クラスメイトの彼のもの。


「俺じゃ情けなくて、何も頼りにならないけど。穂積さんを心配してるし、すごく気にかけてるよ。それだけは、覚えておいてくれると嬉しい」

「うん、ありがとう。私も北斗君が危ない目に遭わないように、気をつけるから」


 一瞬、北斗君の目が険しくなった。


「俺のせいで、月影に脅されてる?」


 びくん、と強張った私は何も弁明できなかった。その数瞬の間を、肯定だと受け止められる。


「あいつ、好きな人なのに何てことしてやがるんだ」

「で、でも、北斗君だって、玲旺那君に脅されてたんでしょう?」


 そうだ、これは私が聞きたかったこと。


 三人の前世を知った、あの演劇部室でのこと。玲旺那君は、北斗君に何か耳打ちしていたじゃないか。

 北斗君は、苦り切った表情で白状する。


「次に穂積さんに近づいたら、命はないと思え、とは言われたよ」


 私は青ざめて、辺りを見回した。


「穂積さん、慌てないで。俺は大丈夫だから」

「私、もう帰る。北斗君から、離れないと」

「待ってくれ!」


 腰を浮かした私の腕を、北斗君がつかんで引き寄せて。


 体が反転した私の後頭部に手をそえ、唇に、やわらかいものが触れる。


 刹那の、羽のようなささやかなキスだと認識するまでに、しばらく時間が必要だった。


 あまりのことに呆然としてしまう。自らの罪を告げるような、北斗君の押し殺した声が耳に届く。


「穂積さん、君が、好きだ」


 その辛そうな色をたたえる瞳は、北斗君のものなのか、アミアンのものなのか。

 悲しいことに、何が何だか、もうわからない。


○○


『大叔母様……』


 広大な神殿の真横にある草原で、私はひとり涙に濡れていた。ここも神殿の敷地内にはなるので、部外者が立ち入る心配はない。


 時は夜だ。満天の夜空の明かりは、私の足元を銀のまろやかな光で照らしてくれる。


 昼にはけぶるように咲き誇る花々は涼しい夜の風に揺れ、また違った美しさを見せている。

 胸元まで伸びた植物は、私の姿を少しでも隠してくれるだろうか。


 神殿の自室からこっそり抜け出して、ここまでやってきた。皆は今頃、血相変えて私を探しているかもしれない。


 こんな無茶な真似をしたのは、今回が初めてだ。それほどまでに、私はひとりきりになりたかったのだ。


 けれど静寂は、ひとつの声によって破られた。


『カレンデュラ猊下……?』


 涼しい風に乗って、背中越しに声が届く。


 振りかえった先にいるのは、アミアンだ。数日前に私が想いを告げてしまった、私に仕える騎士の一人。


 ちなみに<光の子>に仕える騎士は、最大八人までの叙任が可能だ。けれど大抵は、多くとも五人までが騎士になるのが慣例となっている。現在はアミアンを含め三人の軍人が、私の騎士として務めを果たしてくれている。


 こちらを慎重に伺うアミアンの視線を、今は受け止めたくなかった。


 先日の彼は突然の告白を、受け入れもしないし断りもしなかった。

 はぐらかされて、答えは宙ぶらりんになっている。けど、それは仕方のないことだと理解していた。


 私が恋心を隠しもせず接している時、彼はひたすら困惑していた。きっと、王族の気まぐれなんか迷惑だと思っているに違いない。


 近づいてきた彼は、いつも見せる騎士の表情をしていた。

 そう、彼にとって私と接するのは、あくまで仕事。


『戻りましょう。皆が心配しております』


 私は沈黙で、ふてくされていることを言外に伝える。

 そっぽを向いて数歩前へ進むと、アミアンは律義についてきた。


『ついてこないで』

『そういうわけには参りません。戻りましょう』

『嫌よ!……あっ』


 石に足をとられた私は転び、地面に体を打ちつけた。駆けてきたアミアンに起こされ、ばつの悪い思いをする。


 上着をはおってきたとはいえ、今は夜着を身につけているのだ。普段アミアンが見ている姿とは全然違う。王族の威厳も、<光の子>の神聖性もあったものじゃない。


『お怪我はありませんか?』

『平気よ』


 あくまで礼儀正しくするアミアンに、すねたままの自分が馬鹿らしくなってきた。


 アミアンは星明かりを頼りに、私の体についた土や草をはらってくれる。その時不必要にふれることがないよう、袖口を使っていた。

 すぐに手を止めたアミアンが、さらに尋ねてくる。


『どこか痛むのですか?』

『いいえ、転んだ衝撃が残ってるだけよ』

『しかし、泣いておられるようですが』


 手を自分の頬にあてる。アミアンが現れる前にいっぱいだった悲しみがまた膨れ上がって、新しい涙があふれる。


『カレンデュラ猊下?』


 声音から明らかに、アミアンは狼狽している。それに構うことなく、涙を流し続けた。


 乱暴に目元をこすっても、新しい涙が枯れることはない。嗚咽を隠したくて両膝を抱え、そこに顔を埋めた。


 アミアンにこれ以上、呆れられたくないのに。


『猊下、何がお辛いのか言ってくださらないと、こちらにはわかりません。夜中に神殿を抜け出すくらいですから、よほどのことがおありになったのでしょう? 卑しい僕が相手でもよろしければ、その苦しみを少しでも吐きだしてみませんか?』


 おそるおそる伺うと、アミアンは穏やかな顔で、何か言いだすのを待ってくれていた。


 彼は、十七歳の私より二歳年上だ。妹や弟が何人かいるそうだから、年下の人間のあしらい方を知っているんだろう。


 たとえ兄弟に対するような態度でも、彼が私を見ていることが、嬉しいだなんて思ってしまう。


『大叔母様が亡くなられたことは、知ってるわよね?』

『ええ、猊下の前に<光の子>であらせられた、ルドベキア様ですね』


 祖父の妹であるルドベキア大叔母様は、兄よりも甥、つまり私の父に年齢が近かった。


 末子だった彼女は約四十年の長きにわたり、<光の子>としての務めを果たしていた。私の父の世代に該当者がいなかったため、長期にわたり<光の子>としてあらねばいけなかったのだ。


 五年前に引退したあとも凛として上品で、私を導いてくださった、とても尊敬できる大切な御方だ。

 けれど病のために、数日前にあっけなく旅立たれてしまわれた。


『もっとたくさん、聞きたいことがあったの。私を励まして、叱って、導いてほしかった。甘えた考えなのはわかっているけれど、心のどこかで、大叔母様をとてつもなく頼りにしていたの』


 好きなアミアンとはまた違った方向で、私にとって、重要な意味をもつ人だったのだ。


 叔母様が現役の頃の姿を、そう多く目にした覚えはない。けどわずかな記憶の中で生きる叔母様は、常に背を正し、まっすぐに前を向いていた。


 いつだったか、とても穏やかで静かな瞳で、私を見てくださったことを覚えている。あの落ち着きを手に入れるまでに、どれほどの葛藤があったのだろう。


 自由への渇望――単なる王族として、もしくは単なる女性として生きるはずだった別の道――を空想し、苦しんだ夜もあっただろうと思う。


 それでも叔母様はこんな貧弱な私と違い、すべてを背負って人生を全うされたのだ。


『こんな重圧を、あの細い肩に負われていたなんて信じられない。とてもしっかりした、強いお方だった。私は、あんなふうにはなれないわ。怖いの、大叔母様のように、いつも背を伸ばし前を向いて、生きられる自信がないの……。それに最近、上手く祈れた感覚が、無い時があるから、だから……神殿にいるのが、辛くて、どうしようもなくなって』


 また涙があふれ、上着で拭う。こんな情けない私を、アミアンはどう思うんだろうか。


 そっとうかがうと、彼は私の視線に気づいたのか、いけないものを見たとばかりに顔をそらした。


 ほら、失望されちゃった。

 こんな姿、彼だけには見られたくなかったのに。


 ずっと意地を張り続けて、立派に役目を果たす女の子でいたかった。

 想いが届かないのならば、せめて情けない姿を見せたくなかった。


 肩を落とす私に、アミアンは自分の上着を脱いでかけてくれた。


『アミアン?』

『風が冷たいです。このままでは、お風邪を召してしまいます』


 いたわるような笑みに、私は目を丸くする。


『猊下にお仕えしておきながら、まったくあなた様のことを存じあげなかった自分に、驚いているのです。そこまで、辛い悩みを抱えておられたのですね。けれどあなた様は、いつも明るく笑い、ふるまっていらっしゃる。その笑顔になごんでいる者も、いるはずです』


 私は視線を落とす。そうだろうか。

 困ったちゃんと思っている女官や神官のほうが、多そうな気がしているのだけど……。


『今の自分がつかめないものでも、研鑚をつめば望む場所へ到達できるはずです。これだけ悩まれ涙したことが、いつか必ず、カレンデュラ様の糧となります。お側で見てきた僕は、あなた様ならば大丈夫だと、心より信じております』


 それは、下級貴族から<光の子>の騎士にまでなったアミアンだからこそ、説得力の出る言葉だ。

 彼の上着を引き寄せながら、銀色の光に照らされる、私の騎士を見る。


 綺麗だ。低い家格の出身でありながら、嫉妬といやがらせに負けずちゃんと仕事をこなすアミアンが、今日は一段と頼もしくみえる。


 彼にまた、ほれなおしてしまったかもしれない。

 その後アミアンの説得もあって、神殿へと戻った。


 神官長は私たちの姿を目にするなり、まずアミアンに雷を落とした。


『カレンデュラ猊下に不敬なことを』


 何のことか理解するのに、時間がかかった。


 私の肩にかかっている、アミアンの上着が問題なのだ。これをはおっているということは、アミアンが夜着姿の私に近づいた、ということ。


 四角四面の神官長が、このことを快く思うわけがなかった。夜着はそれなりに薄いのだ。そのような格好をした<光の子>に、家格の低い騎士が近づいた。それが無礼に無礼を上掛けしたようなもの、と感じたのだろう。


 神官長が気にくわないアミアンが騎士になったのには、ちゃんとした理由がある。軍属なら誰でも参加できる、直近の剣術大会で優勝したからだ。これまでの慣例にのっとっただけなのに、家柄も低く軍人としての経験年数も少ない彼を騎士にすることに関しては、反対の声が多かった。


 準優勝のマルムには、誰も何も言わなかったのに。

 アミアンはマルムと同じく、正当な理由で騎士になったというのに。


『申し訳ございません』


 彼は何の言い訳もせず、私の後ろで片膝をつき、頭を下げている。

 あまりの理不尽に、声を荒げる。


『違います、神官長。寒いので、私が彼の上着をよこせと命じたのです』

『それは本当でございますか?』

『勿論です』


 夜に任務外のことをさせられ、私を見つけたのに叱られるアミアン。彼は、ここでは弱い立場なのだ。


『ではそれを真に受けるとして、もうすこし自覚を持っていただきたいものですな、猊下。女官たちはあなた様の不在を知った時、今にも倒れそうでした。先代はこのような馬鹿な真似とは、とんと無縁でした。下々の者に気を配ることも、あなた様の務めではないですか?』

『ええ、今後肝に命じます。私が<光の子>であることは、私自身がよく理解しています。皆を心配させてしまい、申し訳なく思っています。今夜一晩、しっかり頭を冷やしますわ』

『確かに、もう夜も遅いです。早くお休みください。明日の祈りの時間には、いつもどおりの務めをお願い申し上げます』


 神官長が去った後、女官たちが私を寝室へいざなおうとする。


 それを一度押しとどめ、アミアンに近づいた。人の目もあるせいかより低頭する彼に、そっと上着をかぶせて。


『助かったわ、ありがとう』


 そして二人にしか聞こえないように、おまけでささやく。


『あなたが最初に私を見つけてくれて、本当によかった。お願いだから、私が泣いたことは秘密にしておいてね?』


 ぴくり、と動いた彼に背を向け、女官たちにわびる。


 柱の立ち並ぶ廊を進む最中、後ろを振り返ると、アミアンが体勢を変えないまま、ひそかにこちらに顔を向けていた。


 その周辺にはもう誰もいないのに、立ち上がらないなんて律儀だな、と可笑しくなる。

 もう一度心の中でお礼を言い、一度は逃げ出した、元の場所へと戻ったのだった。


○○


「大丈夫かな?」

「救急車を呼んだ方が……」


 私はがばりと身を起こした。


 いつの間にか、ベンチで眠りこけてしまったようだ。近所の小学生やら、散歩中のおじいちゃんまで私の様子を伺っている。


 何ともないです平気です、と集っていた人たちに謝り解散してもらった後、公園の時計を確認した。

 五時半か……いったいどれだけ、眠っちゃっていたんだろう。


 また、夢を見た。カレンデュラが初めて、アミアンに弱音を吐きだした時の。


 これ以降、アミアンのカレンデュラに対する態度が少しずつ変わっていく。そしてついには、アミアンがカレンデュラに告白し、二人は両想いへと至るのだ。


 カレンデュラにとってあの夜は、嬉しくて甘くて、切ない夜だった。


「あれ、北斗君?」


 周辺を回ってみたけど、クラスメイトの姿がどこにもいない。

 帰っちゃったのかな。起こしてくれてもよかったのに。


 握りしめたままの、オレンジ色のタオルハンカチに目を落とす。


 ――穂積さん、君が、好きだ


 とりかえしのつかないことをしたかのように、告白してくるなんて。


 驚いちゃった。でも北斗君のその気持ちは、アミアンにすごく影響されてるんじゃないだろうか。

 それがわかっているから、あんなにも辛そうだったのかな?

 それとも、他の理由があるの?


 答えを聞きたくても、当の彼は見当たらない。


 ちゃんとハンカチを洗って、明日お礼を言わなきゃと思いながら、私は帰路についた。

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