ACT30 騎士が告げるかの世界
今日は私、固まりすぎだ。でも状況についていけなくてこうなるのは、仕方がないと思うんだ。
「おいおい、この子に俺のこと、何にも言ってなかったのかよ?」
「仕方がないんだ。月影の目がどこにあるかわからなかったし。あとカレンデュラ猊下って呼び方は、穂積さんは好きじゃないと思うから止めておいた方がいい」
私を差し置いて、北斗君は声の低い花菜子と普通に話している。
あれれ。私、この声に聞き覚えがある。
そうだ、アミアンと仲良くしていた、騎士仲間のマルムのものだ。
「あなたはマルムなの?」
「ああ、さすがですね、穂積さん」
ほほ笑む花菜子は、マルムの意識が前面に出ているせいか、いつもと印象が違う。
っていうか、私に対する態度と、北斗君に対する態度が微妙に変わってるよね。
元同僚と元上司だから、無意識に区別しちゃうってことなんだろうか。
花菜子は――いや、マルムは再び北斗君に話しかける。
「ついでに確認するけど、ソティスだった奴は、誰だ?」
「月影玲旺那だけど、顔はわかるか?」
「この子の記憶を覗かせてもらうから、それは大丈夫だ……うわあ、この世界でもすっげえ顔がいいんだな。こりゃあ、穂積さんがひっかかるのも頷ける。しかしまあ、顔と本性の落差がひどすぎるだろ」
どうやら、マルムはかなり私たち三人のことを把握しているらしかった。
「北斗君、いつから花菜子はこんなふうになってたの?」
「俺が気づいたのは、演劇部室であの件が起きるちょっと前だよ」
「実はもう少し前から、俺はこの世界にはいたんですけど。誰にのりうつるのが一番いいか、うかがっていたんです」
ずっと立たせるのも気が引けたので、マルムにもベンチに座ってもらった。
私が北斗君とマルムに挟まれる形になってしまう。うーん、ちょっと恥ずかしいな。
マルムが、北斗君にむかってニヤニヤ笑いを浮かべる。
「俺たち三人がこうして同じ長椅子に座っても、誰にも怒られないんだな。面白いな、この世界って」
そう、現代日本だから、身分差なんてものはフィクションの中にしかないようなものだ。
あちらでは、カレンデュラが王の娘、マルムが大貴族の子息、アミアンは吹けば飛ぶような下級貴族。見えない壁が、れっきと存在していたのだ。
「若山先輩にのりうつっていた女の人とあなたは、知り合いなんですよね?」
私なりに正解をほぼ分かっていたけど、念のためそう質問する。
「ええ、エキナセア様です。カレンデュラ猊下の実の姉上で、あなたにとにかく早く星を渡さなければいけないと焦るあまりに、あいつに感づかれてしまった」
歯ぎしりしそうなマルムに、私は面をふせる。
あいつとは、勿論玲旺那君のことだろう。
「もっと早く伝えるべきでしたが、エキナセア様は若山柚子という少女のことを、大層心配しておられました。自分のせいでその少女が危ない目に合ってしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった、と」
「……そうだったんだ」
若山先輩に乗り移っていた、謎の女性の正体。
うすうす気づいてたけど、それはカレンデュラの姉であるエキナセアだったのだ。
星は息絶える寸前のカレンデュラの予想通り、エキナセアの元へ行っていたのだ。
「若山先輩はもう元気に登校してますよ。そう伝えてください」
「わかりました。エキナセア様はまだこの世界にいますので、近くお伝えします。それと、俺に丁寧な言葉使いは不要ですよ、穂積さん」
そう言われても、すぐに普段通りに喋れるかなあ。
私が心配している傍らで、北斗君が話をきりだした。
「マルムが現れているうちに、いろいろ聞いておきたいんだ。どうしてエキナセア様もマルムも、この世界にやってきたんだ? 何か意味があるんだろ?」
「ああ、俺たちはカレンデュラ猊下だった穂積さんに、お願いがあるんだ」
「え、私?」
そこでマルムは真剣に、私の目をひたと見据えた。
「どうかあなた様の祈りで、俺たちの世界を再び救っていただきたいのです」
マルムが告げた内容は、衝撃的なものだった。
「これは、俺が死んだ後に知ったことですが。あの戦で生き残ったトゥデヤン国の王族は、エキナセア様だけでした。トゥデヤン国はヴィクライ国の支配下におかれ、エキナセア様は名目上だけですが、ソティス黒太子の妻にされてしまった」
家族と国を突然失い、病弱だったエキナセアはどれほど心細かっただろう。
と、私はあることに気がついて背筋が寒くなった。
北斗君も、同じタイミングで思い当ったみたいだ。
「じゃあ月影は、前世で形だけでも妻だった人を追い出すために、若山先輩にあんなことをしたのか」
そんな。
北斗君が、両の拳を震わせている。義憤にかられてるんだろう。
マルムは淡々と説明を続ける。
「エキナセア様は敵方に下った後、星を使って祈ろうとなさいました。けれどその時、光と闇の均衡は既に危うくなっていたのです。おまけにソティス黒太子が魔物を使役するようになっていて、国策で魔物を戦に使うことも始めていたそうです。エキナセア様は止めようとなさったけど、戦争から数年後に、病をえておかくれになられました」
「あなたが死んだ後のことなのに、どうして知っているの?」
「亡くなったエキナセア様から、直接聞いたんですよ。どうも星は、光と闇の調節を行うだけでなく、死した者の魂が再び生を受けて生まれ変われるよう、循環装置のような役目も果たしていたみたいなんです。だから俺たちの魂は、今でもあの世界を漂っている。まれに奇跡がおきて転生する者も少数いるんですが、その地上が、もはや……」
マルムは口をつぐんだ。北斗君が続きを促す。
「もしかして、星による祈りが無くなったせいで、大変なことになってるのか?」
「ああ、伝えられている暗黒の時代と、似たり寄ったりの惨状になってる」
私は両手を握り合わせた。
それは、闇の力と魔物達が跋扈して、人々の生活が脅かされている、ということだ。
人々がせっかく築きあげたものも、崩れ去っているのかもしれない。かつてトゥデヤン国が滅ぼされたように。
それを招いた直接の原因は、<光の子>の祈りが無くなってしまったからだ。
けど、祈りが失われた因果の元をときほぐすと、それは……。
「エキナセア様は死後も自らの元にある星を使い、祈ろうとなさいました。けれど何も変化はおこらなかったのです。そこで何人かの歴代の<光の子>の魂を見つけ、祈っていただくようお願いしてみました。けれどそれでも、星は反応してはくれなかった」
そこで最後の頼みの綱が、最後の正当な<光の子>であったカレンデュラの魂を見つけることだったのだ。
「エキナセア様の仮説では、自分は正式な手続きもなく星を継承したから、本来であれば妹に渡した方がよいだろう、とのことでした。しかし俺も手伝わせていただきましたが、カレンデュラ様の魂は見当たらなかったのです。時間ばかりが過ぎていき、俺たちはどんどん焦るばかりでした」
「世界を、早く助けたかったんだね」
かすれた声で、私は問う。
「それもありますが、他者の魂の苦痛を少しでも減らしたかったのです。これも不思議なことなんですが、魔物によって命を落とした魂が、徐々に弱りだしたのです。俺は結果的には自害し、エキナセア様は病死だったので何ともなかったのですが……その、王やジニア様や、レルモン上官などが、少しずつ元気を失っていきまして」
具体的な人物名をあげる際に、マルムは躊躇を見せた。
私の体が、めまいを感じて無意識に傾ぐ。北斗君が抱きとめてくれた。
ああ、この腕が、とても温かくて安心できる。
と、重い話をしていたはずのマルムが、突如北斗君に意味ありげな視線を寄こした。
「いやあ、俺は嬉しいよ。本当にここは身分なんて関係ないんだな。あれだけ悩んでたお前がそうやって好きな人の肩を抱いても、咎められないんだな」
からかいを含んでいた声音は徐々に、友を気遣う優しいものになる。
ん、マルムって、少し勘違いしてるよね?
「穂積さんは、普通のクラスメイトだよ」
北斗君の声にわずかな陰りがあるのに、気がついた。
問う前に、マルムが先程の話を再開する。
「事態を打開できないまま、そして猊下の魂の行方がつかめないまま、かなりの時間が経ったと思います。エキナセア様はある時、星から知らされました。遠い彼方の世界に、星が行きたがっていたのです。そこに猊下の行方を探るきっかけがあればと、危険をかえりみずに向かいました」
その向かった先が、この地球だったんだ。
どうして私と北斗君と玲旺那君は、異世界の住人だった私たちは、この現代日本に生まれたのか。
それも同じ年齢で、同じ地域で暮らすことになった。
これはいだいても無駄な、疑問なんだろうか。
問うても意味のない、質問なんだろうか。
私たちは誰もが、生まれる時代も、国も性別も、何もかも選べない。それだけが確かなんだ。
「猊下を知る者の中で動けたのは、俺とエキナセア様だけでした。そのため二人でこちらまでやってきたのですが、それは無駄ではなかった。けれど猊下の側にソティスの気配があると、エキナセア様は見抜かれました。妹に危険が迫っていると知ったエキナセア様は、とりあえず星を渡せば守ってくれるはずだと賭けに出て、急いであの少女に乗り移ったのです……後は、ご存知のとおりです」
マルムは私の片手をとって、両手で包みこんだ。マルムの乗り移った花菜子は、こんな表情も出来たのかというくらい、やわらかい笑みを浮かべる。
「この時まで耐えた甲斐がありました。星は、穂積さんに無事託されたそうですね。星があなた様の側にあるのであれば、あとは祈っていただくだけです。どうか俺達を、その力でお救いください」
熱烈で切実な訴えに、私は天を仰ぎたくなった。
どうしてなんだろう。
この人たちにとっての救世主は、私しかいないのか。
恋に溺れ祈りがおろそかになった、この私だけしか、すがる相手がいないのか……。
それならばあまりにも、世界は滑稽で残酷すぎやしないだろか?