ACT27 蛇と短剣
部室には、訪問者が一人増えていた。
玲旺那君だ。副部長の彼がここにくるのは、不自然なことじゃない。
そんなことより、玲旺那君が北斗君の首を絞めているのは、どうしてなの?
「……てめえ」
「瑠璃に近づくなって、言っただろ?」
北斗君は膝を床について、両腕が背中に回っている状態だ。腕は何かでぐるぐる巻きにされているみたい。だから、立ち上がった状態で首を絞めてくる玲旺那君に抵抗できないでいる。
私は、二人の姿を衝撃と共に凝視した。うまく身体が動かず、声も出ない。
腕をいましめられた北斗君の背中で、闇が一筋動く。あれは、蛇?
かつて北斗君を襲った、黒い蛇だ。北斗君の腕を捕えているのは、あの蛇なんだ。
からん、と北斗君の手から何かが滑り落ちる。最近授業で使っている彫刻刀だ。いつの間に準備していたんだろう。
「そんなもので、歯向かうつもりだったのか? 馬鹿だな。せめてカッターナイフにしろよ」
「く、そ……ぐ……ぅっ」
私が目覚めたことに、二人とも気づいていない様子だ。
赤ちゃんのように手をついて這いながら、私は玲旺那君に近づいた。
「やめ、て……」
「瑠璃、起きてたんだな」
玲旺那君の腕にしがみつく。その両手は、北斗君の首を捕えたままだ。
このままじゃ、北斗君が死んじゃう。
「やめて、こんなことしないで」
玲旺那君の目が、憎悪にたぎっている。瞳が一瞬だけ、不自然なくらい赤く光った。
玲旺那君って、こんな表情をする人だったの?
いや、脅えてなんかいられない、早く止めないと。
「ぁ……ぐっ……」
言葉にならない声が、苦痛に顔をゆがめた北斗君の喉からもれる。
どうしてこんなひどいことを、平気そうにできるわけ?
「こいつは俺との約束を破ったんだ。それなりのけじめはつけないといけない」
「やめてよ、玲旺那君!!」
叫んだ私に呼応するように、胸に下げた星のペンダントが光る。
北斗君の背中側にいた蛇が、消失する。玲旺那君は何故かすばやく身を引き、私達二人から距離をとった。
ひどく咳き込む北斗君の背を、さする。
「ごめん。また、穂積さんに助けてもらったね」
苦笑する北斗君を、衝動的に抱きしめた。
「やっぱり、瑠璃はそいつがいいのか? 俺じゃあ駄目なのか?」
戸惑いと怒りが交じった声で、玲旺那君が聞いてくる。
玲旺那君は片腕を押さえていた。つんとした匂いが鼻をつく。彼の制服が、血に染まってゆく。
無理やり立ち上がった北斗君を支えながら、否定してほしい質問を投げかけた。
「玲旺那君が、敵だったの?」
彼は突然、子どもをあやす母のような顔になった。
「人聞きが悪いな。俺が気に食わないのは、そこの弱い男だけだよ」
あごで示した先にいるのは、当然北斗君で。
「いろいろと思い出したみたいだから、また瑠璃に近づいたんだな。脅すだけじゃ足りなかったのか。こんなことなら、さっさと殺しておいてもよかったな」
怪我を負ったその腕に、黒い蛇がくるくると巻きつく。
一瞬で思い当った。
「まさか、玲旺那君がソティス?」
信じたくないけど、北斗君を蛇に襲わせたのも、若山先輩を突き落としたのも……。
玲旺那君は感心したように目を細める。
「そうか、やっぱりわかっちゃったんだ?」
あっけなく肯定されてしまう。いやいや、ちょっと待ってよ!!
無性に神様仏様とかに対して、とにかく人間が想像できうる限りの上位の存在へ文句を言いたくなった。
私は昔、地球上にはない異世界で生きていた、カレンデュラという女の子だった。
北斗君が、カレンデュラの悲恋の相手である、アミアン。
そして玲旺那君が、カレンデュラに片思いしてたけど全く振り向いてもらえなかった、ソティスだなんて。
いきなりそんな事実を突きつけられて、どうしろっていうの!
「このまま、瑠璃を俺のものに出来るかと思ったのに……どうして、上手くいかないのかな」
それは昂りきった恋慕なのか、肉食獣の食欲なのか。
玲旺那君の深い視線につらぬかれ、息が出来なくなる。
一度それに捕えられてしまったら、きっと逃げられない。
怖いと、また思ってしまった。
玲旺那君は、私の好きな人なのに。
ひるんだ私を、北斗君が背にかばう。
「また俺のものだとか、そんなくだらないこと言ってるのか。穂積さんは穂積さん自身のものだ」
「はっ、弱いくせにヒーロー気取りか? 一人前に説教とか、何様のつもりだ?」
玲旺那君の酷薄な笑みに、北斗君がいきり立つ。
「穂積さんが好きだっていうなら、彼女が脅えるようなことはするな。欲しいとか言ってるくせして、そんなこともわからないのかよ!」
怒鳴った北斗君の息が、荒い。彼だって、玲旺那君を恐れてる。
一歩こちらへ近づいてきた玲旺那君に、北斗君が身をこわばらせた。
私は後先考えず、二人の間に割り込んだ。
「玲旺那君、何が目的なの? 何をすれば、北斗君を見逃してくれるの?」
「あの男の命乞いを、どうして瑠璃がするんだ?」
「答えてよ! あなたは何が望みなの?」
目の前の人が、私の知ってる玲旺那君なのか、礼儀正しいくせに強引なソティス黒太子なのか。
見極めれるはずはないのに、睨みつけて、無理矢理虚勢をはる。
「俺が望むのは、目ざわりな奴をすべてを排除した上で、君を手に入れることだよ?」
「私は、カレンデュラじゃない。穂積瑠璃よ」
「勿論、知ってるよ」
玲旺那君の片手が私の頬に伸びた。
その手は、怪我をした腕を押さえていた方の手だ。でも血が一切ついていない。
もう治したっていうの?
玲旺那君の制服についていたはずの血が、綺麗になくなっている。
どうしよう、この人は普通の人間じゃなくなってるんだ。
ああ、でもそれは、私もか。
「瑠璃が、俺がずっと探していた女の子だったんだ。間違いない」
抱き寄せられて、肌が泡立つ。
違う、何かが違う。
瑠璃という女の子が好きな人は、玲旺那君なのに。しっくりこないと、私の中の何かが叫ぶ。
顎に指をかけられ、唇が、無遠慮に重なった。
「うんっ……ふ、うっ……」
もがこうとした両腕ごと、玲旺那君の片腕の中に閉じ込められる。
押さえつけて力の差を思い知らせる、強者の行動だ。
「やめろ!!」
北斗君が引き剥がそうとするけど、玲旺那君は意に介さない。
しばらく経って私が解放されたのは、玲旺那君がわざとそうしたからだ。
たたらを踏んだ私は、北斗君の肩にすがる。膝に力が入らない。
玲旺那君はキスで赤くはれた自分の唇を、ぺろりと舐めた。
「また、ゆっくり味わうから。その時こそ逃げるなよ? 他の男のところに行くのは、絶対に許さない」
そこでなぜか玲旺那君は、笑みを浮かべた。
私のよく知る、部活で皆を盛り上げる、ムードメーカの素敵な笑顔。
「俺が好きなのは、瑠璃だから」
「……っ!!」
卑怯だ。私が動揺するのをわかってて、計算してやってるに違いない。
「俺のキスでふらふらなのに、どうしてもそいつを選ぶっていうのなら、ちゃんと教えてやらないとな。俺の言うことに従わないと、いずれどうなるかを」
目を酷薄に細め、くっ、と喉を鳴らす玲旺那君に、私も北斗君も絶句したまま固まっていた。
緊張と焦りと絶望が漂う、そんな中で。
「どうしたの、三人とも?」
がらっと扉があいて、日常の空気をこれでもかと纏った、知尋が入ってきたのだった。
「あれー、ここに借りた漫画が置いてあるはずなんだけどなー。瑠璃、知らない?」
「……う、ううん。知らない」
「おかしいな、誰かがどこかに移動させたのかな? あー、探すの面倒くさいなあ」
知尋は、未踏の地と部員達から言われているロッカーと本棚のごちゃごちゃした中を、ぶつくさ言いながら発掘している。
今彼女が触っている場所は、いろんな出版社から出てる脚本を置いてある本棚とは、また別の領域だ。何年前から放置されているかわからない脚本のコピーやら、未完成の創作脚本やら、衣装に使ったとみられる布の切れ端や壊れた小道具などがぐちゃっと詰め込まれている。
こここそ掃除しなきゃと誰もが思いながら、誰も手をつけず幾星霜、だそうだ。
どうしてこんなところに漫画を置いたのかといえば……万が一先生に見つかって、余計な物を持ち込むなと叱られるのを、避けるためだろう。
さっきまで大騒ぎをしてたこちらからすると、文句を垂れながら漫画を探す知尋が壮絶に呑気だと感じてしまう。
いやいやこの場合、私たちの状況が非日常で、非現実的なんだ。
この現代日本に生まれる前――いわゆる、前世か――で、三角関係。
そして今も前世をひきずり、まさかの三角関係。
こんなの、フィクションでしかありえないよ! これこそ夢だよね? 誰か、そうだと言って!
「これじゃないかな?」
玲旺那君が颯爽と歩み寄り、埋もれていた紙袋を指差す。
すごい切り替えの早さだ。ちゃんと、いつもの部活で見せる顔になっている。
芝居が上手い利点が、こんなところで生かされちゃうなんて。
「あ、あった。これこれ」
紙袋の中を確かめ、ご機嫌な知尋は去っていこうとした。
あれ、となると、また私達三人になっちゃうわけで。
まずい、強すぎる玲旺那君に、戦えない私と北斗君が再びいたぶられてしまう。
けど私の焦燥は短く済んだ。
「そうだ、ねえ瑠璃、久しぶりに一緒に帰らない? しばらく会ってなかったからさ、話したいこともあるし」
「ああ、うん、そうしようそうしよう!」
渡りに船だと思ったものの、そうなると玲旺那君と北斗君はどうしよう。
二人きりにしたら、今度こそ北斗君の命が危ない。
「じゃあ、俺も帰るよ」
拍子抜けするほどあっさりと、玲旺那君は誰にともなく宣言した。
知尋はさらに、私に話しかけてくる。気もそぞろになりながら、私は二人の様子を伺った。
玲旺那君と北斗君は、数秒間無言で視線をぶつけていた。その後、玲旺那君が北斗君に何かを耳打ちし、部室から出ていく。
私もすぐに部室の鍵を閉めて、職員室へ返却しに行った。
下駄箱で、私達より先に帰っていたはずの北斗君と会った。
「大丈夫?」
小さい声で問うと、優しい笑顔で頷いてくれた。
「うん、助けてくれてありがとう」
「さっき、玲旺那君は何て言ってたの?」
北斗君は、一瞬だけ間を置き、首を横に振った。
「たいした内容じゃないよ。穂積さんが自分のものだって、念押ししていっただけ」
「そう……」
嘘をつかれている気がする。でも笑顔の北斗君に、これ以上問い詰めれない。
今ならわかる。北斗君は私の関知しないところで玲旺那君に脅され、苦しんでいたんだ。
私を無視していたのも、きっとそのせい。
玲旺那君をおそれていたのに、こうして話しかけてきてくれたのは、アミアンの記憶を思い出したからに違いない。
勇気があるな、北斗君。
……私は正直なところ、カレンデュラのことを、ずっと無関係の他人だと思っていたかった。
北斗君とまた話せたのは嬉しいけど、私に前世のことを思い出させた彼が、少し恨めしい。
「瑠璃、まだー?」
知尋がこちらへやってきたので、あわてて靴をはきかえた。
途中まで私達三人は一緒だった。北斗君と別れた後、何度も後ろを振り返る私の腕を、知尋がつつく。
「ねえ、モテ期ってやつじゃないの?」
「え、モテ期? 何のこと?」
玲旺那君が北斗君に危害を加えないか、ただそれだけが心配だった私は、知尋のらんらんと輝く瞳に圧倒された。
さながらクリスマスの豪華絢爛なイルミネーションのように、好奇心をこれでもかときらめかせる知尋の脳内では、すさまじい妄想が爆発しているらしい。
「さっきから聞きたくてたまらなかったの! 玲旺那君と北斗君、二人で瑠璃の取り合いでもして喧嘩になっているのかなって、勝手に思っちゃった。そんな感じの雰囲気だったよね。校内屈指の人気者と、優しげな転校生二人に求められるなんて、瑠璃ったらやるねえー」
えーとたぶん……知尋は半分悪ノリで言ってるんだろう、と思う。
今まくしたてたことをすべて、真実だとは考えてないと思う。けどそういう妄想を助長しかねない雰囲気だったのは、認めるしかないかな。
ていうか、玲旺那君と北斗君が私を巡って喧嘩してるって、当たらずとも遠からずだから、どうかこれ以上探らないでほしい。
「とうとう春がきたんじゃないの、瑠璃?」
「やめてよ、知尋」
「わかってるって。冗談だよ。瑠璃の片思いの相手は、玲旺那君のままなんでしょ? だから北斗君の出る幕はない、って感じかな?」
ぴく、と頬がひきつりかけた。
知尋にすら、私と玲旺那君が付き合ってることを白状してない。部内恋愛禁止だから、誰にも悟られないようにしようって玲旺那君と決めたんだ。
玲旺那君と両想いだってわかった後は、どこまでも舞い上がっていけそうなほど幸せだったのに。
あれから二カ月も経ってない。その幸福は、はるか彼方へ飛び去って、二度と戻ってこないのかもしれない。
玲旺那君が見ていたのは、瑠璃じゃない。瑠璃になる前だった、女の人だ。
「でも、さっき思ったんだけどさ、北斗君って素敵だよね?」
無邪気な雑談に、現実に引き戻される。友達の何気ない笑顔が、とてもありがたく思う。
「そうだね。クラスの男子も、よく見るとけっこう格好いいだろって言ってた」
「そうそう、玲旺那君みたいに華やかできらきらしたイケメンじゃないけど、色白で、目鼻立ちは整っているよね。穏やかさとか優しさが、じわじわにじみ出てる感じ。女子にきゃあきゃあ騒がれるタイプじゃないけど、こっそり人気がでるタイプかもなあ」
穏やかさと優しさか――カレンデュラが、アミアンにより惹かれた理由のひとつだ。
だめだ、さっきから、私たちの過去の姿のことばかり考えが及んでしまう。
どうして、思い出さないといけなかったのかな。
玲旺那君と、普通の恋人でいたかった。
北斗君と、普通のクラスメイトでいたかった。
過去の自分自身の――カレンデュラであったころの愚かさと罪を、思い出したくなかった。
泣きだすのをこらえるために、私は知尋とひたすら話して、笑いあった。