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ACT26 遂に知る

「穂積、部室の掃除か? 感心感心」

「あはは、ちょっと暇だったんで、ついでです」


 たまたま部室を訪れたヤマセンへ愛想笑いをする。ヤマセンは古めかしい脚本を何冊か手に取ると、すぐ去っていった。


 再び一人きりになり、ため息をつく。

 放課後、突然部室の掃除をしようと思い立った私は、床にモップをかけたり棚の雑巾がけをしたりしていた。


 部活愛から来る行動、じゃない。もやもやした気分を、いつもと違うことをして晴らしたかったのだ。

 だからヤマセンに褒められて、ちょっと後ろめたさがあったんだよね。


 壁にかかったカレンダーを見る。もうすぐ十月だ。あと数日で、演劇部は活動再開する。

 それは楽しみなんだけど、私にはひっかかることがいくつもあった。


 まずひとつめは、この数日間玲旺那君と話をしていないこと。

 先週初めておじゃました玲旺那君の家で、玲旺那君が突然豹変して。


 怖かった私は、突然例の幻覚を見た。再び目が覚めたら、どうしてか玲旺那君が手に怪我をしていた。

 彼は「俺が悪かったよ」と何度も謝ってくれたけど、その後、ひとつも話をしていない。


 そしてふたつめは、あの日に見た幻覚だ。

 掃除用具の片づけを終えて椅子に腰かけ、メモ帳をめくった。順調に内容が書き足されている。


 あの時の幻覚で、わかったこと。

 私が最初に何度も見た夢の意味だ。見知らぬ男の子が、笑いながら私を殺そうとする夢。


 あれは、操られていたアミアンがカレンデュラを刺そうとした光景を元にした夢だったのだ。


 その後を見ていないから、これは想像でしかないけど……アミアンは途中で我にかえり、カレンデュラを害しようとしたことに絶望して、再び操られてしまう前に自ら命を絶ったのだろう。


 この予想が正しい場合、その後カレンデュラはどうなったのかな。


「なんか、悲しい恋だな」


 たまたま出会った男の人と女の人が、恋に落ちて。

 でも身分差が激しくて、周囲が認めてくれない許されざる恋で。

 そのうち他国から侵攻され、そして滅んでしまう。


 他人事のはずなのに、胸が重くなった。

 ううん……もしかしたら他人事じゃないのかも、しれない。


 私は、あり得ない結論に辿りつこうとしている。

 でもそれを共有してくれそうな唯一の人とも、話せていないのだ。


「北斗君、まだ教室にいるかな?」


 時計を見上げ、そんなわけないよね、と首をふる。


「失礼します」


 遠慮がちに部室の扉が開き、現れた人の姿を見て、目を疑った。


「北斗君?」


 話をしたかった人が、あまりにもちょうどいいタイミングで現れる。こんなことってある?


 私以外に誰もいないことを確認した北斗君は、廊下を見渡して、扉をしめた。ずいぶん警戒してるんだな。


 静かにこちらへ歩んできた北斗君を、立ち上がってむかえる。

 思い出す、文化祭の前を。


 あの時私は、北斗君が怖くってしょうがなかった。刺されるって、ひどい錯覚をしたくらいに。

 けれど今は、彼が私の目をまっすぐ見てくれていることに安心する。


「北斗君、話したいことがあるの」

「俺もだよ、でもその前に」


 北斗君は、意を決したように頭を下げてきた。


「今まで、本当にごめん。何も説明しないで無視したりして。おまけに、先週変なこともいっぱい言っちゃって、本当にごめん!」


 そのままの体勢でわずかに震えている北斗君に、私はそっと声をかけた。


「大丈夫。ショックだったけど、何か理由があったんでしょ?」


 再び顔をあげた北斗君は、とても傷ついているように見えた。


「怒ってないの?」

「ちょっとは怒ってるよ。でも、そんな顔されちゃったら、怒れないよ」


 彼は唇をかみしめた。泣くのをこらえているみたいだ。


「でも俺、ひどすぎることしたよな……無視したあげく、失恋しただの好きなひとがいるだの、いろいろ余計なことをしゃべっちゃって」

「……そういえば、そうだった」


 罪悪感で顔を赤くした北斗君と、あさっての方向を見る私。しばらく部室内に沈黙が降りる。


 幸い、北斗君の爆弾発言の影響はあまりない。花菜子が一度だけ「好きな人教えてよー」とつついてきたけど、私がしどろもどろになりすぎたせいか、話題をすぐ変えてくれたのだ。


「ねえ、どうしてあんなこと言っちゃったの?」

「無責任だけど、俺もあの時の自分に聞きたいよ。ついでに殴ってやりたい」


 本当に最悪だ……と心底後悔する彼の姿に免じて、理不尽な仕打ちは忘れようかな。


「本当にごめん、穂積さん」

「ううん、ありがとう。またこうして話しかけてくれて」


 私には北斗君の状況がわからないけど、こうして謝ってくれるまでに、すごく決心が必要だったんじゃないかなと思う。


 もう気にしないでほしい、という思いをこめて笑顔を見せたら、また北斗君は耳まで真っ赤になった。


「あれ、風邪でもひいたの?」

「いや、違うんだ、何でもないよ。ともかく俺は、例の幻覚について話したいことがあるんだ」


 なぜかうろたえる北斗君は、強引に話題を切り替える。確かに、それは大事な本題だよね。

 咳払いした彼は、さっそく衝撃的なことを言った。


「つい最近見た幻覚の中に、アミアンって男の人が出てきた」


 どくん、と心臓がはねる。手の中にあるメモ帳を握りしめた。


「この名前に、聞き覚えがある?」

「う、うん」

「じゃあ、話が早いね」


 一度目を閉じた彼は、静かに告げた。


「アミアンは、たぶん俺なんだ」


 要領を得ない説明なのに、私は北斗君の言いたいことがわかる気がした。


 いくつもの下書きの線を、ペンでくっきりとなぞることで、輪郭がひとつに定まるように。

 北斗君は私より一足早く答えを導き出し、辿りついたのだ。


「俺は、北斗一馬になる前は、アミアンだった」

「ちょ、ちょっと待って」


 私は下を見た。どうしてか、膝が細かく震えている。


 こちらを強く見つめてくる北斗君が、何を言いたいのか、はっきりと想像がつく。

 でもそれ以上言わないでほしいと、心のどこかで願っている。


 真実はもうそこに転がっているのに、見たくないし聞きたくもないから、すべての感覚器を塞いでしまいたい。


 知りたかったはずなのに、蓋をあけるのが、怖い。

 そこを覗いたら、戻れなくなるかもしれないから。


「やめて、北斗君……知りたくない。怖いの」


 蚊の鳴くような声は、届かない。


「穂積さんは、穂積瑠璃になる前は」


 ぐらり、と視界がゆらいだ。


○○


『私の騎士を返してください、お兄様!』


 膨れ上がる怒りを押さえられないまま、私は王宮へ乗り込んだ。


 お兄様は、お姉様の部屋にいると告げられた。そうと知った直後、お姉様の部屋に向かう。

 侍従の言うとおり、そこにはジニアお兄様と寝台から身を起こしたエキナセアお姉様がいた。


『あら、久しぶりね、カレンデュラ』


 エキナセアお姉様は、生来病弱な人だ。一年の大半を自室の寝台で過ごしている。私が王宮まできた理由を知るよしもない彼女は、綺麗な声を愉快そうにはずませた。今日は体調が良いらしい。


『エキナセア、私はカレンデュラと話がある。これで失礼するよ』

『ええ、またお顔を見せてくださいね』


 無言の合図をした兄に、私は足音高くついていく。

 執務室に入ると、お兄様と二人きりになった。お兄様配下の者達と、私を心配してついてきてくれたマルム達は、廊下に待機している。


『どかどかと足音を立てて歩いていたな。品のないことをするな』

『アミアンに会わせてください。今すぐに!』


 お兄様は、苛立たしげに息を吐く。そんな言外の威圧など、意味はない。私の闘争心に火をつけるだけだというのに。


『あの者は、既に王太子である私のあずかりの身だ。<光の子>に会わせる理由はない』

『アミアンは私の騎士よ! 王宮の配属じゃない、私のものなんだから!!』

『私のもの、か。本心を言ったな、カレンデュラ』


 お兄様に頬を拭われる。泣いていることにも気づかないほど、この時の私は激昂していたのだ。


『返してください。彼を返して、お願い……』


 今朝まで、アミアンは私の側にいてくれた。それがいけなかったのだ。


 数日前、お兄様にアミアンの罷免を検討していると伝えられ、私は気が動転してしまった。

 神殿の自室に二日間こもった私を、皆外へ出そうと尽力した。機嫌をとろうとする皆を無視し、私はアミアンだけを部屋に招き入れ、不安と愛しい気持ちを彼にぶつけた。


 彼は私の手を握り、涙を優しくぬぐってくれただけだ。けど妙齢の男女がひとつの部屋で朝まで過ごすなんて、あやまちがあってもおかしくないと周囲は邪推してしまうものだ。

 それも<光の子>と、その想い人である騎士となれば、なおさら怒りを買う。


 仕える主人の、浅慮で子供じみた我儘を忠実に受け入れたせいで、アミアンは罰を受けた。

 私を裁くことが難しいせいで、彼一人が咎を引き受けるはめになったのだ。


『仮に会ったとしても、ムチ打ちの刑を執行したせいで痛みにうめいているだろう。会話は思うとおりにできないかもしれないぞ? それに、血で汚れた罪人を<光の子>に見せるような真似を、誰がすると思うか?』


 あっさり言われ、頭が真っ白になる。

 言葉をなくした私をよそに、お兄様はひとりごちた。


『以前から不可解だったのだが、あの者のどこがいいのだ? 決して醜くはないが、顔の造形はお前のほうが遥かにいい。確かに剣術大会での成績は、経験の浅い割に目を見張るものがある。あれは天から与えられた才能だろうが、しかし家柄も、後ろ盾も何ひとつない。貴族ではあるが、平民のパン屋育ちとほとんど変わらない。ただ真面目で誠実なだけの、面白味のない男だ』


 私はお兄様を睨んだ。興味深そうにお兄様が頬笑み返す。


『兄をそのような顔で見るとは。よほど籠絡されているな。今朝、乗り込んできた他の騎士たちもそうだった。あの男にそのような価値があるのか? 身分の高い人間を次々手玉に取るとは、その方法をご教授願いたいものだ』

『アミアンを貶めるのはやめて!!』


 身分なんて関係ない。彼以上に凛々しく、清廉で笑顔の素敵な人を私は知らない。


 彼が好きだった。狂おしい程の恋慕を、二人で分かち合いたかった。

 たったそれだけの願いだったのに。


『良い機会だ、目を覚まさせてやろう。あの者は、お前を恋人でないと言っていたぞ』


 背中が冷えていく。嘘だ、アミアンがそんなこと言うはずない。


『アミアンは、私を愛しているはずです』

『だが、あの者は恋人でないと断言していた。お前達の間で何があったかは知らないが、あの男のことはすっぱり諦めろ。これからは<光の子>としての務めを果たすのだ』


 わかったなと念を押して、お兄様が執務室から出ていく。


 ぽつんと取り残された私は、膝から崩れ落ちた。気づけば、涙がほろほろと流れていく。

 今朝、アミアンはまどろみと現実をさ迷う私に、こう言ってくれた。


 ――今後、僕の様子や言葉がどのように伝わろうとも、僕の気持ちを信じてください。つらい仕打ちを受けようとも、カレンデュラ様と出会ったことを、後悔などしません。


 ふっきれたように笑うアミアンの表情が、寝ぼ空の明かりが、部屋に少しずつ入ってきているせいだった。明かりが、部屋に少しずつ入ってきているせいだった。


 私は唇を動かした。行かないで、と。

 アミアンは私の髪をすくい、それに口づけ、囁いた。


 ――愛しています。この世の誰よりも。


 胸をつく彼の笑顔をいつまでも見ていたかったのに、泣き疲れていた私は、すうっと意識を手放した。


(あれが、最後の別れだというの?)


 涙があふれてとまらない。自分の愚かさが憎くてたまらない。


 騎士でありたいと、アミアンは散々強調していたではないか。彼はちゃんとわかっていたのだ。

 私たちは簡単に引き裂かれてしまうから、周囲が納得するような関係を保つ必要があるのだ、と。


 <光の子>とそれに仕える騎士であることが、私たちが共にいることを許される、ただ一つの必要にして絶対な条件だった。


 けど、私はその関係性だけでは満足できなかった。

 そして我儘を言い駄々をこね続けた結果が、これだ。


 もう、アミアンには会えない。謝ることもできない。

 私の命令を都度聞いてくれただけの彼が、なぜ鞭で打たれる必要があったのだろう。


 この恋が罪深いというのなら、巻き込まれたアミアンではなく先に始めた私を、何百回でも打ちすえればいいのに!


『ごめんなさい、アミアン、ごめんなさい……』


 そっと近づいてきたマルムにも気がつかず、私は、届くことのない懺悔を呟き続けた。


○○


「いや、やめて……」


 暗闇の中で、私は頭を抱え涙を流していた。


 本当は、何となく察しがついていた。

 北斗君がアミアンじゃないか、と思った時はすでに、私がカレンデュラかもしれないと思ったのだ。

 でも、気づきたくなかった。


 それは自らの罪を詳細に、思い出してしまうことになるから。


『アミアン、もう、苦しくないわよね……?』


 視線の先で、カレンデュラがアミアンを抱きしめている。

 これは、先日玲旺那君の家で見た幻覚の続きなのだろう。


 幻覚? いや違う、これは前世の私の記憶だ。


 アミアンは既に息をしていない。折れた剣を胸から生やし、口の端からは赤黒い血の跡が流れてこびりついたまま。


 ソティスに操られていた彼は、カレンデュラを刺す前に自らを刺したのだ。錯乱する少女の前で、青年は別れの言葉を言い、息絶えた。


『騎士でないのに、私のところに来てくれて、ありがとう』


 カレンデュラの声はかすれている。彼女が力尽きるまでは、時間の問題だった。


 血で汚れた胸元が、きらりと光った。そこから何かが浮かびあがり、彼女の眼前に漂う。

 例の星だ。私、穂積瑠璃が、若山先輩に乗り移った女性から貰ったものと、同じ。


 カレンデュラにとっては、先代の<光の子>から代々受け継いだ、とても大事なもの。


『次の使命を背負う者のところに、行くのね……もしかしたらエキナセアお姉様が、ご無事なのかしら』


 じゃあ、私はもう長くないのかもしれない、とカレンデュラは目を閉じる。


『私は、あまりに愚かだった。たったひとつの恋に溺れて、その恋を取り上げられてからは、きちんと祈ることが出来なくなった。光が闇に浸食されていることがわかっても、焦っても、どうにもできなかった』


 星は、カレンデュラの前にただまたたいている。


 彼女の慙愧に堪えぬ思いを聞いているのか、いないのか。

 あるいはひとりの少女の迷いなど、歯牙にもかけてないのかもしれない。


『いいえ、本当は恋を取り上げられる前から、祈りが上手くできなくなったの……どうしてこんな私が、<光の子>のままだったの?』


 カレンデュラはアミアンを抱きしめたまま、固い床に倒れた。星が遠ざかっていく。

 上下もわからない、闇に閉ざされた中で、カレンデュラはアミアンの抜け殻にすがった。


『やっと二人きりになれた。もう、誰にも邪魔されない。私とアミアンだけ』


 だが、自分に温かな思いを向けてくれた人は、もう冷たい。


『私ったら……こんな時でも、アミアンとの恋が大事なんだ』


 国がどうなったか、誰が無事で生き残っているのか、何もかもわからないのに。


 王族として、<光の子>として務めを果たしたいと、そう願っていたはずだ。

 なのにいつの間にか、こんなに卑小でおろかな女に成り果てるとは。


 でもおろかであったと思い知ったからこそ、ようやく本心を口にできる。


『この命が絶えても、愛してるから。あなただけよ。これからもずっと。私の魂の生きる限り』


 アミアンの冷たい額に唇を寄せた感覚が、カレンデュラの最期だった――


○○


(いやだ、思い出したくなかった……!!)


 涙で濡れた私は、いつの間に倒れていたのか。

 ワックスが剥がれかけている部室の床がひんやりとしていて、覚醒をうながす。


 目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

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