少年の視点4
買い物に付き合ってほしい、という友の提案を真に受けた自分が馬鹿だった。
「昨日のあれは、あのままにしたら駄目だ。穂積さんは許してくれるって」
「そうそう、謝るついでに、また前みたいに話せばいいんだよ」
一馬はげんなりしながら、目の前に座る紘輝と美臣から目をそらす。
きのう瑠璃に対し、いきおい余って怒鳴ってしまったことが、一馬の心を重くしていた。
だから紘輝からの誘いを、罠だとは気づかずに承諾してしまったのかもしれない。休日に家にいるよりも、人ごみの中にまぎれたかったのだ。
三人で来たのは、この近辺では一番規模の大きいショッピングモールだ。
厳密にいうと校区外にある店なので、生徒だけで出かけることのないように、と中学校では口を酸っぱくして指導しているが、守っている人間が果たしてどれだけいるか、と一馬は思う。
紘輝は修正液とボールペンの替え芯を、美臣は漫画の最新刊を買い、目的はつつがなく果たされたはずだった。
だが二人には、昨日の出来事と一馬の傷口を思う存分ほじくり返して追求する、という楽しみが残っていたようだ。
混み合うフードコートで適当に注文したジュースを飲むうちに、いつの間にかそんな話題になってしまったのだ。
「もういいだろ」
精神的疲労がひどいあまり、半眼になってしまう。目の前の二人に気力を吸い取られたのかもしれない。
「一人が気まずいなら、俺らも一緒に謝ってやるから、な?」
紘輝がぽんぽんと一馬の肩を叩き、美臣がうんうんとうなずく。
紘輝は普段の言動から大胆かついい加減な変わった奴、というイメージがあったのだが、昨日今日でおせっかいな面もあるのだと知った。
(謝る、か……無理だ、そんなこと)
プラスチック製カップのジュースを、テーブルにことんと置く。
本当なら、瑠璃にあんな仕打ちをしたくなかった。
彼女は何ひとつ悪くない。いきなり無視されて戸惑いながらも、自分を心配してくれたのに。
一馬が遠ざけたかったのは、玲旺那だ。
昨日彼がこちらに一瞥くれただけで、震えあがってどうしようもなくなってしまった。それで結果的に椅子から崩れ落ちるという、情けないことになったのだ。
何日も前の、理科室での一方的な敗北以来、玲旺那のことが恐ろしくてならなかった。
今思い出しても、呼吸が乱れそうになってしまう。
(あの日以来同じことを何回も考えたけど、今の俺に出来ることはない。それに穂積さんが安全なら、それでいいじゃないか)
それでも情けなさがぬぐえず、気を散らそうと拳を握りしめたのを、美臣が勘違いしたようだ。
「なあ、諦められないのか? 穂積さんのこと」
一瞬何のことか理解できず、はた、と思い当たる。
そういえば、『失恋した』という嘘をついてしまったのだった。
(そうだった。なんであんなこと言っちゃったんだ……)
まさか、不思議な力を操る玲旺那が恐ろしくて瑠璃から遠ざかったのだ、なんて事実を言えるわけがない。野次馬化したクラスメイトがそれなりに納得し、かつこれ以上この話題に触れなさそうな、絶妙な嘘をつかないといけない。
そう思ってあの場でひねり出したのが『失恋』だったのだが、余計に周囲の関心を燃え上がらせただけのようだ。
「いや、その……諦められないっていうか何というか」
いまさら、彼女は秘密を共有する単なるクラスメイトだ、ということもできない。
後戻りできない嘘などつくべきではなかった。完全に出方を間違えた。
その結果こうして、紘輝と美臣につつかれることになってしまったのだから。
「別に諦めることはないって。穂積さんに好きな人がいても、一馬が穂積さんに片思いする権利はあるんだぞ」
再びジュースに口をつけていた一馬は、ぶはっと吐きだしてむせた。
げほげほ、と咳き込みながら青ざめる。
(俺、けっこう最悪なことしてる……ひどすぎる)
瑠璃の好きな人本人をばらした訳ではないが、好きな人がいることをばらしてしまった。
脳裏に、口パクでばか、と言ってきた瑠璃の姿が思い浮かぶ。
咳の止んだ一馬は、机に突っ伏した。
おーい、と紘輝が頭を軽く突いてくる。
「大丈夫かー。失恋に弱いって言ってたけど、そんなんじゃこれから先も生きていけないぞー」
「もしかしてさ、一馬って失恋初めてか?」
好きなことをやいのやいの言う友人二人に、一馬は短く宣言した。
「近いうちに俺一人で、穂積さんに謝る。絶対ついてくるなよ」
だが核爆弾級の失言の数々を、彼女は許してくれるだろうか。
一馬は深いため息をついた。
よろよろと顔を上げる前に、知った声がかかる。
「あれー? さっそく北斗君をなぐさめてあげてるの? やっさしいー」
「いやあ、それほどでも」
大袈裟に照れてみせる紘輝の隣に、花菜子が立っている。昨日一馬を追い詰めた役者達が、なぜかまた出揃っている。
一馬はまた半眼になってしまった。
「おい、わざとか?」
「いやいや、東堂さんがここにいるのは偶然だって」
美臣が手を横に振り、花菜子もうなずく。
「私はお父さんと弟たちと来てるんだけど、そっちは? どうせ自分たちだけで来たんでしょ?」
「先生に告げ口はやめろよー?」
「しないわよ。わかってるって」
花菜子と紘輝の軽妙なやりとりを、一馬は何とはなしに見ていた。
転校前も今も、休みの日に遊ぶほど仲の良い女子がいないので、花菜子の私服姿が新鮮に映る。
ジーンズにスニーカーの取り合わせが、元気ではきはきしている花菜子らしい。
(穂積さんだったら、どんな格好するんだろ)
ふと抱いたささいな疑問に、動揺してしまう。
(なんで、穂積さんのこと考えたんだ?)
そういえば、と一馬は思い出す。
昨日ばか、と真っ赤な顔で言っていた彼女を、正直なところ、可愛いと思ってしまったことを――
顔がやや熱くなってくるのを感じたところに、すかさず美臣が突っ込みを入れる。
「一馬、恋わずらいだな?」
「は、はあっ?」
ぼんっと、音が出そうなほど頬をいっきに染めた一馬は、三人のクラスメイトにさんざんからかわれるはめになってしまった。
(もう、家に帰って寝ようかな)
一人トイレにやってきた一馬は、ハンカチで手を拭きながら本日何度目かのため息をつく。
紘輝と美臣の元へ戻るにはありったけの勇気も気力もいるので、時間を置くべくトイレの入り口付近にあるソファーに腰かけた。
ちらほらと人の出入りがあり、その流れを目に留めながら、玲旺那の発言を思い出す。
――思い出していない癖に、瑠璃の周りをうろつくのはやめろ。
――五日前は瑠璃に助けられたけど、いつもそういう幸運が続くと思うなよ?
玲旺那のこの、思い出していない癖に、という表現が気にかかる。
文化祭の際にも、思い出して、という女性の声を聞いた。
自分は、そして瑠璃は、一体何を忘れているというのだろう。
(あの言い方じゃあ、月影は何かを知ってるんだよな。でも俺が仮に思い出したとして、月影から身を守れるのか? 自分のことだけじゃなくて、穂積さんもまとめて?)
自分を一度は死の淵まで追いやった、真っ黒い蛇を自在に操る玲旺那に、どうやって立ち向かえるというのか。
想像ができず、一馬はまた拳を握りしめる。
(この不思議な出来事については、何もかも穂積さんに教えてもらってばかりだ。蛇から助けてくれたのだって彼女だし)
瑠璃を遠ざけて以来、それらしい幻覚は見てない。
彼女が新たな夢や幻覚を見ているのか、追加で気づいたことはあるのか、それすら知らない。
思い出す以前の問題で、一馬からしたら進んでいることは何もないのだ。
一人きりであれこれ考えても答えはでず、堂々巡りを繰り返している。
(こんなんじゃだめだ。穂積さんに話して……いや、そんなことできるのか?)
玲旺那に睨まれるのを覚悟の上で、瑠璃に近づく勇気は、ない。
天井をあおぐ時に後頭部が壁に当たり、ごん、と音がする。
その拍子に、ショッピングモール以外の光景と音が脳裏に流れ込んできた。
○○
『なぜ私がお前を呼んだか、わかっているだろうな?』
『はい、承知しております』
目の前に、初めて見る男性がいた。二十代半ば程の美形が、険しい顔で自分を見ている。
誰だこの人、と思うと同時に、彼を知っていることに気がつく。
(ジニア様だ。カレンデュラ猊下の兄上で、このトゥデヤン国の王太子殿下……え?)
すらすらと覚えのない単語が思い浮かび、一馬は戸惑う。
さらに驚いたことに、一馬は両膝を床につき、両手首を背の後ろでいましめられるという体勢をとっていた。片側にはジニア配下の騎士が立ち、一馬を見張っている。
(これは、新しい幻覚なのか?)
ジニアは続けた。
『私は数日前、カレンデュラにお前の罷免について話をした。妹の今後の態度によっては、お前の処分を先延ばしするつもりだったが……昨夜は一晩中、妹の部屋にいたそうだな、アミアン?』
最後の詰問で、ジニアの語気がするどくなる。
貴族とはいえ、下級のさらに下級の家柄であり、もはや平民同然とも言える自分が高貴な人々の姿を軽々しく目にするのは、とんでもない非礼にあたる。このトゥデヤン国は、いつのまにか厳しい階級意識が貴族たちの間で醸成されていた。その壁を越えろとあっさり言ってきたのは、カレンデュラくらいだ。
アミアンはわずかに下を向いたまま答えた。
『事実でございます』
『何をしていた?』
『猊下が嘆いておられましたので、落ちつくまでお側にひかえておりました』
深い深いため息の後、ジニアは怒鳴った。
『やってくれたな! 誰がそんな言い訳を信じると思うか!』
執務室にこだまがひびく。ジニアは単に怒っているだけではない。妹と、その想い人のうかつさに呆れているのだ。
『これまで妹にも忠告してきたが、お前にも何度か言い聞かせてきたはずだ。カレンデュラは<光の子>だ。役目を代われる者はすぐに現れない。その<光の子>が恋におぼれ、祈りがおろそかになり、光と闇の均衡が崩れるのは何としても避けなければならない』
なのに、とジニアは歯ぎしりする。
『この醜聞は隠しようのないほど広がっているぞ。お前がカレンデュラの恋人であることは、公然の秘密だ』
『恋人では、ございません』
静かな断言に、ジニアの声音から少し怒りが削がれる。
『何だと?』
『僕は猊下にお仕えする騎士のひとりです。これまでもそうでしたし、これからもそうありたいと、強く願っております』
今言ったことは本当でもあり、嘘でもあった。
先に想いを告げてきたのはカレンデュラだ。その頃アミアンにとってカレンデュラは、自身が仕える高貴な少女、という存在でしかなかった。だがその後あることを境にして、弱さも快活さも併せ持つ彼女に、戸惑いながらも惹かれていった。
想いを通じ合わせ、はじめて唇を重ねてしまった時は、罪悪感よりもとろけそうな陶酔がまさった。
アミアンは騎士であり続けることを願いながらも、許されざる恋の道を歩み続けた。
その二つを両立させることなど、ありえない。痛いほど、わかっていたはずなのに。
(終わりの時が来たんだ。案外、早かったな)
『ですが、カレンデュラ猊下の名誉を守るためであれば、僕をいかようにでもお裁き下さい。いと高き<光の子>を惑わせる愚か者として、どんな処罰でも受け入れます』
『どんな処罰でも、と自ら言うとは生意気だな。それに、そのようなことを簡単に言うものではない。罪人の命など、私の言葉ひとつで消すことも可能だ。それを理解してのことか?』
『王太子殿下の命じるままに、すべてを受け入れる所存です』
頭を下げ、粛々と次の言葉を待つ。
だが聞こえてきたのはジニアの声ではなかった。
『どうぞお待ち下さい、殿下!』
『殿下、なぜアミアンを御元へ連れてこられたのですか?!』
アミアンは息をのみ、思わず振り返る。
制止を突破して部屋に入ってきたのは上官のレルモンと、同い年の騎士仲間であるマルムだ。
『どうして……?』
愕然と呟きながら、二人の姿をあおぐ。
配下の騎士が二人につかみかかろうとしたのを、ジニアが制した。
『止めずともよい。ここへ』
許しを得た二人は床に片膝をつき、頭を下げる。レルモンが口を開いた。
『突然押し掛けたにもかかわらず非礼をお許しくださり、お礼の言葉もございません』
『何の用だ? 想像はつくが、ひとまず聞こう』
レルモンは今一度頭を下げ、息を吸い込んだ。
『恐れながら申し上げます。このアミアンは私の部下であり、<光の子>に仕える騎士です。この者に指示を出し、指導し罰するのは神殿と私の役目であります。殿下の御手をわずらわすことではございません』
『殿下が噂で御心を痛めていることは承知しております。ですがアミアンの処罰については俺たちに一任くださいますよう、僭越ながらお願い申し上げます』
続いてマルムまで赦しを求めたから、アミアンはただ呆然とした。
マルムは大臣を輩出したこともある家系の出でありながら、なぜか自分と仲良くしてくれている酔狂な男だ。はじめて会話して以来かなりの変わり者だとは思っていたが、まさか下級貴族を庇うために王太子に異を唱えるほどだとは思わなかった。
レルモンへの驚きはそれ以上だ。彼はこれまでアミアンが接してきた者たち同様に、アミアンを見下していたはずだ。
王宮が神殿の人事に手を出すのが面白くないのだとしても、こんな早急に押しかけてくるとは一体どういうことだ、とアミアンは思う。
『おやめください、上官、マルム。これは、僕ひとりのあやまちです。僕だけが責めを負うべきことです』
『黙っていなさい』
レルモンはちらりとこちらを見、すぐジニアへ向き直る。
『アミアンを連れて今すぐ神殿へ戻りたく存じます。そのお許しをいただきたく、こうして参った次第でございます』
『既に神官長殿とは話をつけてある。今回の件に限って、王太子の私が手を出してもよいと』
レルモンとマルムは、衝撃のあまり顔をあげた。
二人程の家格であれば、ジニアの姿を目にとめても咎められることはない。
『本当でございますか?』
『私の妹が関わっているのでな。神官長殿と私だけで、以前から話をしていたのだ。カレンデュラはとうの昔に神官長殿の話を聞かなくなっていたので、悩んだ挙句私に打ち明けられた、というわけだ。アミアンの行動が目に余るようであれば、私の思うとおりに罰を下してもよいと、そういうことになっている。ああ、ちなみに』
ジニアは目線をアミアンへ移し、数秒押し黙る。部屋にいる他の者も、自然とアミアンの方へ目をやる。
いくつもの視線が刺さるのを感じ、アミアンは唇をかみ、目を閉じた。
『アミアンにはそのことを何度も言い聞かせてきたぞ。神官長殿がお怒りだと。ついでに私の考えもな。だがこの者は聞く耳を持たず、妹を惑わし続けたのだ。愚かなことだ』
アミアン、とかすれたレルモンの声が耳に刺さる。
いましめられた手を、背の後ろで固く握る。
『そうなのか?』
到底信じられない、という思いが交じるマルムの問いに、アミアンは無言で首肯した。
『そんな。一体どこで、殿下と会ってたんだよ?』
『……猊下につき従って王宮へ行った時に。一度だけじゃない。何度も、お叱りを受けたんだ』
『聞いたか? その者は私の忠告を無視し続け、今日に至ったというわけだ。』
これ以上何も説明することはない、とジニアは押し掛けてきた二人を交互に見る。
アミアンはただ震えていた。
これから受ける罰が怖いからではなく、上官と友に軽蔑されただろうから、だ。
(でも、俺が選んだことだ)
カレンデュラと両想いになったその瞬間から、幸福へ至る道は閉ざされた恋だ。
この想いを貫こうとするなら、失うものはどうしてもあるのだ。
『僭越ながら申し上げます』
マルムがいつもより低い声で言い、突然立ち上がる。
王太子の前で礼を欠いた態度だが、かまわずマルムはまくしたてた。
『殿下もご存じのとおり、アミアンの家柄は決して高くはありません。彼は野望も欲もない、たまたま<光の子>に仕えることになった、普通の男です。俺は近くで見てきたからよく知ってますが、こいつは身分を気にしながらも、自らを必要以上に卑下することなく、与えられた役割をこなそうと熱心に務めを果たしてきました。それに、俺たちの中で一番家の権勢が弱いせいで、何度気にするなと言っても、ずっと他の者に遠慮していました』
あわてたレルモンが肩を押さえて座らせようとするが、マルムは上官の腕をはらいのけた。
『おわかりいただけますか? 彼は生まれ持った、彼自身の意思で決めたわけでない身分のせいで悩み苦しみ、それでも騎士の誇りを失うまいと努力していたのです。そんなクソ真面目が取り柄のこいつが、やんごとなき方々の言うことを無視できるでしょうか? 王太子殿下には妹に近づくなと言われ、かたやその妹殿下には側にいてほしいと言われ、どれだけこいつが苦しんだか。アミアンがカレンデュラ猊下の近くに常にいたのは、そう命令されたからです。<光の子>に仕える騎士が、<光の子>を無視できるとお思いですか? アミアンは、言われたことを守っただけです! こいつが裁かれるとしても、その点をぜひご考慮ください! どうぞ寛大な処置をお願いいたします!』
『マルム、もういい!!』
レルモンが叫んでマルムを止め、王太子へ深々と頭を下げる。
『部下の非礼は上の責任です。罰するならどうかわたくしめを』
ジニアは淡々と応じた。
『神官長殿と話がついているのは、アミアンに関してのみだ。今のことは忘れる。ただちに立ち去れ』
さらに物言いたげなマルムをレルモンが引きずり、二人は去っていく。
アミアンは上官と友の姿が見えなくなっても、扉から視線を外せなかった。
(マルム、僕はそんなふうに庇ってもらう価値はないんだ)
彼は知らないのだ。アミアンはカレンデュラから距離を置こうとしながら、命令を逆手にとり、彼女に触れていたことを。
(猊下の命令を、都合良く利用したんだ。堂々と触れることは叶わない方だから、そうするしかなかった。臆病なくせに命令を盾にしたんだ。僕は、卑怯者なんだよ)
『とんだ嵐の襲来だったな。話の続きをしよう』
ジニアの言葉に、慌てて正面に向き直り頭を下げる。磨かれた革靴が、アミアンの視界に入った。
『アミアン、そなたには<光の子>の名誉を汚し、神殿の秩序を乱した罰として、ムチ打ち百回の刑に処す。当然<光の子>の騎士も辞めてもらう。次の役目が決まるまで、お前の身は私のあずかりとする。よいな?』
『仰せのままに』
何とか平静を保てて返事ができたことに、ほっとする。
もうこれで、二度とカレンデュラと会うことはないだろう。これが、恋を貫こうとした結果だ。
願わくば、今朝彼女の部屋を辞去する際に自分が言った言葉を、夢うつつだった愛しい少女が聞いていたと信じるしか、ない。
○○
「また会ったねー、北斗君……ん、大丈夫?」
文字通り魂が抜けていた一馬に、通りがかった花菜子が話しかけてくる。
「ああ、うん……」
上の空で返事をし、再び意識が先程の幻覚の内容に向かった。
これまで見た中では、あまりに鮮明なものだった。
(何なんだ、今の。俺がアミアンって人になってた。アミアンはカレンデュラって人と両想いなのに、それを周囲が許してくれない。そういう内容だったな)
カレンデュラとは以前に見た、白く輝く少女のことではないか。確証はないが、そんな予感がする。
そして<光の子>という単語も何度か出てきた。推察するに、それはカレンデュラのことを指しているのだろう。となると。
(例の声も、<光の子>って言ってたな。カレンデュラと穂積さんは、関係があるのか?)
「具合悪いなら、武内達に来てもらう?」
「いや、いいよ。ここで少し居眠りしちゃっただけだし」
「こんなところで? 疲れてるんだねー」
大変だねえ、としみじみ言われ、その原因の一端は誰にあると思ってるのか、と一馬は内心毒づく。
「やだもう、そんな怖い顔しないでよー」
べしっと肩をはたかれた。苦い思いが表情に出てしまっていたらしい。
「で……思い出したのか?」
一馬は息が止まりそうになった。花菜子の唇からこぼれた声は、彼女のものではなかった。
自分よりいくつか年上の、青年の声だ。
さらに驚くべきことに、一馬はその人物に心当たりがあった。
「マルム……?」
「お、正解。やるじゃん」
返ってきた笑みに、一馬は絶句する。
先程の幻覚に出てきた人物が、どうして花菜子の身体に宿っているのか。
「その様子じゃあ混乱しているみたいだし、話はまた改めてするか。あいつにも気をつけないといけないし、また適当にころあい見計らって話しかけるから」
じゃあな、と手を振って花菜子が去った後も、一馬は椅子に座ったまま、休日のショッピングモールの喧騒に取り残されていた。