ACT24 亀裂
うう、なんか、情操教育上よくない夢ばっかりみているような気がするな……。
なんてことを思いながら、私は朝の教室でぼんやりしていた。
そろそろ九月も終わりに近い。けどまだ季節は夏を引きずっていて、暑さを感じる日の方が多い。
いろんな意味でへろへろになりながら、私はポケットのメモ帳を取り出してめくった。
夢を見過ぎるから、ひとつひとつの内容を忘れちゃわないようにと、いつしか書きとめる癖がついたのだ。
夢に出てくる人物で名前が判明しているのは、三人。カレンデュラと、アミアンと、ソティス。
カレンデュラは王族の女の子で、<光の子>と呼ばれている、巫女みたいな地位についている。アミアンにべた惚れだ。
アミアンは彼女に仕える騎士。かなり下級貴族みたいで、カレンデュラと両想いなんだけど、身分差が邪魔してくっつきそうでくっつかない。じれったい!
ソティスは異国の王子様。カレンデュラに片思いしている。もったいないほどのイケメンなのに、すがすがしいほどの当て馬っぷりなんだよね。でもちょっとカレンデュラの前では強引すぎるかな。あれじゃあいくら顔が良くても、怖がられちゃうよ!
……っと、やや茶化して整理してみたものの。
なぜ私は、この三人に関連する夢を見ているんだろう。
厳密にいうと、ソティスの登場回数は少ない。ほとんどカレンデュラとアミアンばっかりだ。
そして夢を見ている時の私の視点は、常にカレンデュラに置かれている。
おかげでアミアンという知り合いでもない男の人と、何度も抱きしめ合っているのだ。
夢の中とはいえ、これは堪える。
二人はかなりラブラブだけど、未成年に悪影響な展開には絶対にならない。とはいえ、何度もそういったシーンを見るのは複雑なんだよね。
うーん、と唸りながら眉間を揉む。今日は早く目覚めたせいで、いつもより相当早く学校へ来てしまったのだ。
朝練をしている運動部の掛け声が、小さく響いてくる。朝の学校が見せる気配って、人が少ないだけでこんなにも違うというのが面白い。
今日見た夢は、こんなさわやかさとは縁遠い、切なくて赤面したくなるような内容だった。
カレンデュラは兄と思われる人物から、改めてアミアンとの仲を咎められる。
アミアンを罷免することもちらつかされ、絶望した彼女は神殿に戻り、二日間部屋にこもってしまった。
何とか彼女を説得したのはこれまたアミアンで。
カレンデュラにお粥のようなものを食べさせた後、二人はいつものように、気持ちを確かめ合うのだ……。
あー、思い出したら、またげっそりしてきた。
夢で見るシーンがそういうシーンばっかりだから、カレンデュラは自分の悲恋にどっぷりつかってしまっているのか、と最初は誤解した。
でも回数を重ねるごとに、気がついたのだ。彼女はアミアンを好きでいることを責められることはあっても、それ以外は特に何も注意されていない。
つまり彼女なりに役目を果たしていて、それを周囲は理解しているけど、恋路については良く思われてないということだ。
でも<光の子>っていうのが何なのか、よくわからない。
そこが今、最も知りたいことのひとつなんだけどなあ。
どうも私が見る夢の内容は、限定されちゃうみたいだ。
今は、カレンデュラとアミアンの悲恋がメインなんだろう。
一時期、私を男の子が殺そうとする夢に悩まされていたな。あの頃も、夢の内容が変わってゆくまで、何日もかかったっけ。
「あ……」
久々にあの夢を脳内で反芻したせいか、私はあることに思い当った。
例の男の子と、アミアン。二人は似ている気がする。
あの男の子は、顔がフードで隠れてほとんど見えないけど、この直感は間違いない。
「まさか、同一人物?」
小さくつぶやくと、どくん、と心臓がはねる。となると。
必然的に、アミアンと北斗君が同一人物だってことに、なるんじゃないかな?
一見とんでもない思いつきだ。でも、正解から遠くない気がする。
北斗君に話して、意見を聞いてみたい……でも、難しいかも。
実は夢の内容が変わったことを、北斗君は知らないのだ。なぜかというと。
がら、と教室の戸が開く音に、そちらを振り返る。
「北斗君」
偶然か、今考えていた人が入ってきた。
でも彼は、私と目を合わそうとしないままあいさつしてくる。
「おはよう」
短くそれだけ言って、私の斜め後ろの席につく。テキパキと鞄の中身を出して、鞄を教室後ろの棚に放り込んで。
自席に戻った彼は、本を開いて読みだした。
教室には、私達二人しかいない。無言が、痛くて悲しい。
一週間以上前からこの調子だ。なぜか北斗君は、私に関わろうとしない。
彼がよそよそしくなったのは、二人で理科室を確認した翌日からだ。
わけを聞きたくても、徹底的に避けられているからそのきっかけすらつかめない。
私達をからかっていたクラスメイト数人もこの妙な距離感にしっかり気がついて、最近は何も言ってこないのだ。
「北斗君……」
名前をもう一度呼ぶ。返事はない。
ページをめくる音が響いた。
「ねえ、北斗君」
「本を読んでるから、静かにしてくれる?」
私は唇を噛む。
この越えられない溝は、いったいどうして出来あがったんだろ。
息を吸い込み、こわごわと言う。
「お願い、話を聞いて」
その勢いのまま、続けようとしたら。
北斗君は本を閉じて、無言で教室を出ていってしまった。
立ち上がり追いかけようとして、足が止まる。
あんな状態の彼に、どんな言葉をかけたら通じるというのだろう。
数秒後、北斗君が出ていったのと反対側の扉が開き、花菜子が入ってくる。
「おはよー、瑠璃今日は早いね。めずらしい」
鞄を机に置いた花菜子は、ついでのように聞いてきた。
「さっき、北斗君が廊下を歩いていたけど……瑠璃?」
花菜子の問いかけに、すぐに反応できなかった。
「どうしたの、瑠璃?」
きっと私は、ひどい顔をしているに違いない。
何とか笑みを貼り付ける。
「おはよう、花菜子」
胸にぽっかり穴があいたような、虚無感。
おだやかな陽の照らす朝に似つかわしくない、悲しい空白だ。
膠着した状況をひっくりかえす事態は、その日の放課後におこった。
鞄に教科書やらをつめ終えて、教室の時計を確認する。玲旺那君との待ち合わせまで、あと十分もある。
部活の練習再開は十月からの予定だから、放課後は暇なんだよね。両足をちょっとぷらぷらさせて、鞄の上に顎をのせる。
勉強熱心な人なら、この隙間時間に暗記でもするのかな。
そういえば、英単語の小テストが近かったな。今のうちに少しでも覚えちゃおうかな。よし、面倒だけどそうしよう。
再び鞄をあけた私の隣を、武内君がすっと横切る。
「一馬、帰ろうぜー」
こっそり後ろを伺った。北斗君が武内君に微笑んでいる。気安い友達に向ける笑みだ。
そういえば、あんなふうに優しく笑う人だったな……。
不思議な出来事を共有している時は、彼の近くでいろんな表情を知ることができたのに。
英語の教科書を見つけ、引っ張り出した時だ。
武内君の大声が、私の背を打った。
「ところでおまえらってさあ、喧嘩したの?」
誰を指しているのか、すぐにわかった。うっかり教科書が、手から滑り落ちてしまう。
私はゆっくりと武内君を見た。彼は私と、立ち上がりかけて中腰で固まる北斗君を交互に見ている。
「あ、やっぱ気にしてるんだな。無関心になったわけじゃないんだ?」
あっさりと言う武内君の背後に、辺見君が駆け寄ってくる。
私の隣には、花菜子がやってきた。彼女は武内君に向けて親指をたてる。
「さすが武内、見事な切り込み隊長だったねー!」
辺見君はいつの間にか、北斗君の両肩を押さえて再び座らせていた。
どうして、こんなチームプレーが展開しているんだろう。北斗君も苦い顔をしている。
「で、どうなのよ、瑠璃?」
花菜子がずいっと顔を近づけてきた。有無を言わさない迫力だ。
「ごまかして逃げようと思わないでね。瑠璃でも北斗君でもどっちでもいいから、答えて」
「関係ないだろ」
静かに拒絶の言葉を吐いたのは、北斗君だ。
そんな彼の頭を、ぺちっと辺見君が軽く叩く。どうして。
「野次馬を最後まで楽しませてくれよ」
「はあ? 紘輝も美臣も、ふざけてるのか?」
武内君は肩をわざとらしくすくめてみせた。
「俺は俺なりに真剣だ。一馬と穂積さんは、俺からしたら無茶苦茶しっくり来るコンビなんだからな。コンビはちゃんとコンビであって欲しいし、解散するんならちゃんとした方法で解散してほしいんだ」
彼なりの理屈を滔々と語る。武内君、マイペースなところがあるなと思ってたけど、ちょっと変わってることも言うんだな。
「何にたとえりゃいいんだろうな。陰と陽っていうか、裏と表っていうか。片方にもう片方が絶対に寄り添ってる、みたいな。引き離したら絶対にだめ、って雰囲気があるんだよ」
びく、と私は震える。
その武内君の例え、夢の中のカレンデュラとアミアンに通じている、と思ったからだ。
アミアンは、北斗君と同一人物な気がする。今朝、そう思ったのだ。
じゃあそうなると、カレンデュラは……。
「北斗君、瑠璃は今朝、傷ついてたんだよ」
「花菜子」
私は驚いて声をあげた。彼女の制服をつかんでしまうけど、花菜子は喋るのを止めない。
「瑠璃は私の友達なの。友達を泣かせるような真似はしないで。瑠璃に言いたいことがあるなら、はっきりしてよ」
三人から思わぬ形で弾劾された北斗君は、俯いたまま動かない。
机の下の手が、きつく握られている。それに触れたいと、思った。
手をとって気に病まなくていいんだよって、北斗君に言ってあげたい。
でも彼は、私の言葉を受け取ってくれるの?
北斗君は片肘を机について、額を押さえ、たっぷりと息を吐く。長すぎる沈黙のあと、彼はあまりに予想外のことを言った。
「あのさあ……失恋したんだから、放っておいてくれよ」
「は?!」
「え?!」
私も花菜子も武内君も辺見君も、それぞれオーバーリアクションしてしまう。
最初に我を取り戻したのは、花菜子だ。
「どういうこと? いつの間にコクったの? それでふられたの? ああーっ!! 残念、見逃したあーっ!!」
最後の台詞が聞き捨てならない。見逃したって、テレビ番組じゃあるまいし。
「穂積さん、一馬のどこがいけなかったんだ?」
聞いてきたのは辺見君だ。私は首をぶんぶんと首を横にふる。
「ち、違うの、あのねっ」
「違うって、こいつが彼氏になるの、嫌だったんだろ? 何が違う、なんだ? 一馬はけっこうオススメ物件だぞ。優しいし、よく見るとかっこいいだろー?」
「いや、その、あのっ」
ふったふられたの話なんて、北斗君とはこれっぽっちもしてないの!
恋愛のレの字なんて一切なかったの!
衝撃が強いせいで、ただそれだけのことが説明できず、私はかるくめまいを覚える。
頬を染めながら、北斗君を睨んでしまった。
せっかく話してくれたと思ったら、こんな意味不明なことを言うなんてひどい。
北斗君と久しぶりに目が合った事実にも気がつかず、小さく馬鹿、とつぶやいた。
直後に目をそらした北斗君は、自嘲するように唇を持ち上げる。
「穂積さんには、俺は何も言ってないよ。彼女には、好きな人がいるんだ。それが分かって失恋したってだけ」
それもまた爆弾発言だった。今度は主に花菜子が色めき立つ。
「瑠璃の好きな人って誰なの?! 知ってるなら教えてよ?! 瑠璃ってそういう話、あんまりしてくれないんだよねえ。同じ部活の玲旺那君にあこがれてる、ってのは聞いたことあるけど」
ぎく、と肩がこわばる。
花菜子が名前を出したその人こそ、私の秘密の彼氏なのだ。
花菜子の視線から逃れ、ふと不審に思う。
どうして北斗君は、私に好きな人がいるって知ってるんだろ? まさか、玲旺那君との関係がばれてるのかな。
そう思って彼の姿を目にとめる。
……北斗君、何かに脅えてる?
気のせいだったみたいで、北斗君は続けた。
「好きな人がいるのに、横から奪うなんてできないよ。それだけ。俺の方が可哀そうな奴なの。でも一方的に傷ついただけなのに、穂積さんにはひどい態度とっちゃったな」
また目を合わせ、北斗君は「ごめん」と言ってくる。
彼は再び、うつむいてしまった。
武内君と辺見君は二人で、失恋残念だったねパーティーの計画を立てはじめている。
花菜子は彼らの会話に加わりたそうに、ソワソワしていた。
……どうしてこの三人は、私と北斗君で遊ぼうとしてるんだろ。
私と北斗君をおいてきぼりで盛り上がるみんなを、冷めた目で眺めていた時だった。
「穂積さん、お取り込み中いいかな?」
よく知った声が頭上からする。そこにいたのは玲旺那君だった。
教室の時計を見ると、さっきから既に十分は経っている。
ありゃー、そんなに長く話しこんじゃってたんだ。
「どうしたの?」
「先生が呼んでるから、一緒に来てくれる?」
「え……うん、わかった」
すぐに玲旺那君の言っていることが、私を連れ出すための嘘だとわかった。
ここに居続けても気まずいし、あることないこと追及されそうだから、退散してもいいよね。
「花菜子、私行くね」
「うん、またねー」
立ち上がり椅子を戻した私の背後で、がたんと大袈裟に音がした。
「おい、一馬!」
武内君と辺見君が、椅子からずり落ち床に倒れた北斗君を支える。
北斗君は青ざめ、顔をしかめて胸を押さえていた。
「大丈夫か? 保健室に行くか?」
武内君の問いに、北斗君は弱く笑う。
「いいよ、昨日寝不足だったんだ。寝たら治るよ」
「なら、いいけどさ」
大きく息を吸って吐き、北斗君は自力で身を起こした。辺見君が彼の背中をさする。
「どこか、痛いのか?」
「そういうのじゃない……」
言葉とは裏腹に、はあはあ、と北斗君は苦しそうに息を繰り返す。
胸に当てた片手が、ぎゅうっと制服をつかんでいる。
私はたまらずかけよった。
「北斗君」
目をいっぱいに見開く彼の手をとり、自分の手のひらで包みこむ。
「何か悩んでることがあったら、誰にでもいいから、ちゃんと相談してね」
若山先輩の飛び降り現場にいた私をなだめてくれたのは、彼だ。
北斗君のおかげで、私の心は助かったから。
彼が困っているというのなら、少しでも支えになりたいのだ。
「やめろ」
北斗君の反応は、苦々しい拒絶。
手も振り払われてしまい、突き放された悲しみが襲ってくる。
けれど諦められなくて、危なっかしく立ち上がった北斗君の腕をつかんだ。
「北斗君、話したいことが」
「勘弁してくれ! 迷惑なんだよっ!」
普段穏やかな北斗君の怒声は、教室いっぱいに響き渡った。
わんわんと耳にこだまするそれが、思考力を奪っていく。
荒い息をする彼を、ただ見ていることしかできない。
私以上に泣きそうな北斗君の唇が、動いた。ほづみさん、と。
逃げるように教室を後にする彼を、武内君と辺見君が追いかけていく。
閉められた扉が、なによりも私達を隔てているように思えた。
玲旺那君との帰り道、私は心ここにあらずな状態だった。
「瑠璃、元気ないな」
「あ、ごめん……」
そう返した直後、暮れかかっている空に目をやる。
まだ暑いのに、日は確実に短くなってきてるんだな。
「さっきのあいつ、転校生だろ? 瑠璃にあんなこと言うなんて、ひどい奴だな」
玲旺那君の言葉に、さっきの北斗君の態度を思い出す。
――迷惑なんだよっ!
彼がここにいるわけでもないのに、また怒鳴られた気がしてしまい、身がすくむ。
冷たい氷が背中に流し込まれたみたい。
私は想像以上に、ショックを受けているのだ。
どうして北斗君は、ああなってしまったんだろう。
私が無自覚に、怒らせるようなことをしたのかな。
彼が豹変するほどのことを、しちゃったのかな。
それとも、他に理由が……?
どんどん沈んでく私の心を繋ぎとめるように、玲旺那君が手を握ってくれる。
「玲旺那君」
指もしっかりからめて、玲旺那君は微笑んでくれた。
とろけそうな甘さが、今の私にはとってもありがたい。
「瑠璃には、俺がいるだろ? あんまり落ち込むなよ」
「ありがとう……」
北斗君のことは気がかりだけど、玲旺那君に心配かけたくない。
幸せに浸りながら、ゆっくりと家路を辿った。