ACT22 言葉のひきがね
放課後、私と北斗君は念のため別々に教室を出て特別教室棟に向かった。
場所は、二階の理科室前の廊下。
私の後に到着した北斗君は、長いため息をつく。
「どうしたの? 具合でも悪い?」
「いや、また紘輝と美臣がからかってきてさ」
紘輝は武内君で、美臣が辺見君のことだ。
転校生の北斗君を男子の輪に溶け込ませようとしてたのはこの二人だから、北斗君にとっては恩人なんだろうけど。
何度説明しても私との仲を探ろうとしてくるので、北斗君は怒りを通り越してもはやげっそりとしている。
「大変だったね」
何と言うのが適当なのかわからなくて、短い言葉で疲れをねぎらうことしかできなかった。
「いい加減にやめさせないと、穂積さんも気分悪いよな、ごめんな」
「そんな。謝らないでよ」
同じ被害をこうむっているのに、北斗君が責任を感じる必要はないのに。
「衝動的に穂積さんを抱きしめたりしたのが、悪かったんだ」
言ってから、なぜか北斗君は少し顔を染めた。私もつられて耳が熱くなってしまう。
「で、でもっ! 北斗君のおかげで私は落ちつけたんだからっ、ねっ?」
舌がうまく回らない。私まで恥ずかしがってどうするの。軽く咳払いした。
「あの時、本当にありがとう」
北斗君がいなかったら、取り乱し過ぎてどうなってしまっていたか。
北斗君は顔を赤くしたまま、横を向き、小さくつぶやく。
「でも穂積さんには、彼氏がいる……」
そこまで言ってから、はっとしたように口を押さえた。
聞き取れなかったので、私は首をかしげる。
「北斗君?」
「何でもないっ! 早くここを調べよう!」
不自然に話題が変わったけど、そもそもそれが目的だったので、私たちは廊下の真ん中に立ち、理科室と窓を交互に見た。
若山先輩が落ちたと思われる窓に近づく。
校舎の他の窓と全く一緒のつくりで、特段かわったところはない。私の胸あたりから下は壁だから、身を大きく乗り出さないと墜落なんかしないはずだ。
若山先輩は私より背が高いけど、それもせいぜい五センチくらい。となると。
窓を開け、窓枠に両手をついたまま、床を蹴る。ぴんと伸びた両腕で、全体重を支える。
鉄棒の前回り寸前のような体勢のまま、中庭を見おろした。
うーん、二階とはいえ、けっこう高いよね……。
廊下に足をついて、北斗君に向き直る。
「若山先輩が自主的に飛び降りようとしたら、今の私みたいにしないといけないはずだよ」
「うん。あるいは、誰かに突き落とされたとしたら」
ことわりを入れたうえで、北斗君は窓枠に手をついた私に近づいた。
「例えば、若山先輩が窓の外を見て油断している隙に、肩を押して墜落させた」
言ってから、北斗君は私の肩を軽く両手で押した。その後腕を組み、うーんと唸る。
「普通に考えたら、こんなことされたら抵抗するよな? それに、肩を押しただけで人がここから落ちることはないと思う。多分、足とかも持ち上げないといけないはずだ。」
「そうだよね。そんなことしてる間に、先輩が叫んだり助けを呼んだりすることも、ありえたはず」
でも、若山先輩は声も音もたてず二階から落ちた。それは私がよくわかっている。
「北斗君は、何も見てないんだよね?」
「走って疲れてたのと、穂積さんに意識がいってたから」
悔しそうに北斗君がうつむく。私は彼の手をとった。
「北斗君、自分を責めちゃだめって言ってくれたけど、あなたもそうだからね?」
目から鱗が落ちたように、北斗君ははっとする。
「そうだね。穂積さんにかっこつけたくせに、忘れるところだった」
私たちは理科室の中に入った。
誰もいない放課後の理科室は、薄暗くてどこか寂しい。北斗君が電気をつけ、きょろきょろと見まわす。
箱型の大きな机が、全部で九。それとは別に、教壇にも机が配置されている。ここに来ると必ずグループで座るから、退屈なはずの授業なのにちょっと気分が変わるんだよね。
だから私は、移動教室がわりと好きなのだ。まあ、グループの面々によってはやりにくいこともあるんだけど……。
「前の授業の時に思ったけど、実験器具が多いよね」
確かに、既に使ってないと思われるものまで、処分されずに残ってるのだ。
試験管やフラスコなんて、欠けてて危ないでしょ、ってものまで、棚の隅っこに鎮座している。先生がそこまで、手が回らないのかもしれない。
北斗君、ちょっと目がきらきらしてる。理系志望なのかな?
壁に並ぶ棚は、扉が全部透明なプラスチック製だから内部が見える。興味深そうにしている彼に、私は注意しようかどうか悩んだ。
ここには、私たちなりに調査をしにきたんだけどな。
たぶん忘れてないだろうけど、北斗君のわくわくした雰囲気に疑いをもってしまう。
「北斗君」
「わ、これカエルのホルマリン漬け?! いつ作ったんだろ。こんなものまで……あ」
私を振り返った彼は、申し訳なさそうに肩を縮めた。
「ごめん、理科が好きだから、つい」
「いいよ」
また顔を赤くしている北斗君に、怒る気になんてなれない。
手分けして、机の下や黒板付近、棚の中も確認したけど、不審な点は見当たらない。
そもそも何をもって不審なのかといえば、それが曖昧なんだけど。
あえて言うなら、私か北斗君が奇妙に思うことはなんでも、かな。
私は教壇にある先生用の椅子に腰かけた。北斗君は黒板に寄りかかる。
「この理科室は、文化祭の時は使われてなかったんだよな?」
「うん、そうだよ」
実験道具がいろいろある関係で、基本的に使用は不可能なのだ。
ここの特別教室棟は、学校関係者以外立ち入り禁止になってたはず。
「じゃあ若山先輩がここに来た理由は、客観的には見当たらないってことなんだ?」
「うん、先輩のクラスの出し物はスタンプラリーだったけど、ここにチェックポイントはなかったって」
これは、若山先輩と同じクラスの元演劇部の先輩に聞いたから、間違いない。
先輩は、来る理由のない場所へ来て、わざわざ窓を乗り越えて身を投げた。
自殺という線も考えられただろうけど、そう断言できない要素がある。
二階という高さが中途半端なうえ、先輩自身にそうする動機が全く見当たらない。
警察も、私たちが導き出した推論と同じことを考えているはずだ。
だから、一応事故のようだ、という曖昧な結論になったわけで。
「警察や先生がわからなくても、俺たちならわかるかもしれない」
北斗君が重くつぶやく。
確かに、私たちは別の情報をつかんでいる。
若山先輩が中庭に落ちた直後、私と北斗君が聞いた声だ。
私は。星のペンダントを制服の下からひっぱりだす。あの声の忠告を守って、ほぼ一日中首にかけているのだ。
あの声は、他に何て言ってたっけ? 声に出してみる。
「思い出して。ただひとつの残された希望。あとは、私の妹」
若山先輩を介して、私に星のペンダントをくれた女の人。彼女が、姉だというのだろうか。
ちなみに私は一人っ子だ。お父さんもお母さんも互いが初婚だし、隠し子もいるわけないと思う。
「他にもあった……ひかりのこ、だっけ?」
北斗君がそう言ったとたん、目の前に光景が立ち上がった。
どこまでも続く花畑。菜の花に似た黄色の花弁が、やわらかい陽光にまどろんでいる。
その中で私は立ち、一人の人を見降ろしていた。
片膝をついて頭を下げ、折り目正しく礼をとる、たぶん男の人。
私が何か、言ったらしい。男の人は頭を下げたまま、首を横に振る。
私は臍を曲げて、そっぽを向く。そのままでいると、男の人はしぶしぶといった体で立ち上がり、私へ近づいてきた。
『ご命令であるならば、いやしい身ではありますが、恋人のように振舞いましょう』
『命令じゃないの。何度言ったらわかるの? それに身分なんて関係ないわ! お兄様もわからず屋だけど、あなたはもっとよ!』
『わからず屋は、そちらの方ではないですか』
押し殺した声とともに、私は引き寄せられ、抱きしめられる。
『同じ想いをひそかに秘め、お側に仕えるだけでよかったのに。それ以上の贅沢など、この世には見当たりません。なのに猊下は、僕の理性を容赦なく壊そうとなさいます。恐ろしいのです。この気持ちがいずれ、破滅を招くのではと。僕ひとりが皆から責められ滅びるならまだしも、あなた様まで巻き込みたくはないのです』
『私のせいで、あなたは苦しんでいるの?』
『僕は、この苦しみすら嬉しいのです。猊下と出会わなければ、こんなに誰かを愛することはなかったのですから』
男の人が身を離し、キスをしてくる。
かすめるだけのものなのに、気持ちを燃え上がらせるのには充分過ぎた。
『私が、普通の女の子だったら、一緒にいてくれた? 恋人になれたの?』
『可能性は、今よりも高かったかもしれませんね』
『王族なんかに生まれた私が、悪いのね……』
『いいえ、僕は、たとえ何があっても、あなた様だけを愛したでしょう。ですので、そのようなことをおっしゃらないでください』
再びきつく抱きしめられた後、男の人は距離を置き、再び片膝をついた。
私の胸の内に暗雲が立ち込める。
近づきたい人が、同じ想いのはずの人が、自分との間に絶対的な線をひくつもりなのだと理解してしまったから。
『ごめんなさい。困らせるつもりはなかったの……でも、心が騒いで……。あなたのことを考えると、自分が変になっちゃうの』
涙は、顔をあげた男の人の笑みでも癒せなかった。
『どうぞ僕には、<光の子>に仕える騎士としての役割を、お与えくださいますようお願いいたします。そうすれば僕は、ずっとお側にいられるのですから』
みずからの頬に落ちる涙を感じながら、私は思い出す。
そうだ、彼にその呼び名で呼ばれることが、一番面白くなかった。
その反発が罪深いとわかってはいても、彼には、私自身を見てほしかったのだ。
そして花畑の幻影は消えて……。
映像がぼやけているから、詳細はわからない。けれど、緊迫した雰囲気を感じる。
炎と、破壊と、悲鳴と、喧騒と、怒号と。それらが視界も耳も汚し、心がすさんでいく。
その中で私は、男の人に背を向けて嘆いていた。
『いけないわ。今さら、あなたに甘えるなんて駄目よ。私のせいで……私が馬鹿だったから、ひどい目に合わせてしまったわ』
『それは違います。――様。僕は、あなた様をお守りするため、自分の意志でここに馳せ参じたのです』
首だけで振り向いて、何も反応を返せないでいる私に向かって、男の人は片膝をつき、強い意志に燃える瞳を向けてくる。
『あなた様のために、僕の命と剣を捧げます。そのことをどうか再び、卑賤の身にお許しくださいますようお願いいたします』
愚かな私は、嬉しいと思ってしまった。
酷い目に合わせた、大好きな人。
私の元に、また来てくれるなんて。
ああ、けれどももう、ここは――――
「穂積さん?」
焦点が結んだ映像に、ぎくっとなった。
北斗君が、私の顔を覗きこんでいる。近い!
しかも、彼の両手が私の背中に回っている。どうやら床に倒れてしまって、北斗君が抱きかかえてくれたみたい。
私は光速レベルですばやく立ち、熱くなる顔を手で仰いだ。
「貧血かな? 大丈夫?」
北斗君、さっきまで何回か赤くなっていたのに、今は平気そうだ。ちょっと悔しい。
「平気だよ、びっくりさせちゃったね」
はて、と私は頭に手を当てる。
さっき、とても肝心なものを見た気がする。
以前のように男の人と女の人が出てきて、それから、二人はいろいろ喋っていて……。
嘘でしょ、忘れちゃった!
せっかく新しい情報を知れるチャンスだったのに!
再び椅子に座り込んだ私は、そのまま机に突っ伏した。
慌てた様子の北斗君に、力なく詫びる。
「ごめん、せっかく新しい幻覚が見れたのに、何も覚えてないの」
しおれる私を、また北斗君は励ましてくれた。
「きっとまた、見れるよ。焦りすぎないで」
「うう、でも……」
両腕を組んでそこに顔を埋め、自己嫌悪の海におぼれる。北斗君がより近づく気配がした。
そこに。
「いたいた、穂積さん」
がばり、と私は顔をあげる。北斗君が数歩離れていく。
振り向くと理科室の入り口に、笑みをたたえた玲旺那君が立っていた。
「どうしたの?」
意外に思って、彼までかけよる。昨日帰り道で一緒だったはずなのに、久しぶりに会ったような不思議な気分だ。
「穂積さんこそ、どうしてここにいたの? クラスの人に聞いたら、特別教室棟に行ったのが見えたって言っててさ。忘れ物でもした?」
玲旺那君の純粋な問いに、私は固まった。
夢のことも、幻覚も不思議な声も、何ひとつ玲旺那君には伝えてないから。これは、私と北斗君だけの秘密なのだ。
だってこんな突拍子もない話、玲旺那君にだって話せないよ。変に思われちゃう。
幸い玲旺那君はそれ以上追及してこなかった。
「先生が探してたよ。冬の公演の脚本係に用があるんだって」
「そうなの? ありがと」
演劇部の次の公演は、冬休み前におこなう。その年によって、既存脚本だったり創作脚本だったりするのだけど、今回は創作脚本の予定だ。
私を含めた何人かの脚本係でアイデアを出し、先生がそれを元に執筆する。練習は再開する見込みはないけど、それ以外の作業は進んでいるものもあるのだ。
通学鞄を抱え、職員室まで急いだ。
私がいなくなった後、玲旺那君と北斗君が、どんなやりとりをしているのかも知らずに。