ACT21 少女の決意と野次馬たち
若山先輩は、一命を取り留めた。
落ちたのが二階からだったことと、その先がやわらかい地面だったのが不幸中の幸いだったらしい。
けどあれから五日経つのに、先輩はまだ入院先の病院で目覚めないままだ。
警察の人も何人か学校に出入りしてて、先生も生徒もしばらくは落ち着かなかった。
若山先輩の飛び降りは、当面は事故だということで対応することになるそうだ。
勿論詳細は本人の意識が戻ってから、ということになるんだろうけど。
若山先輩の件以来、ショックを受けた子が部員に何人か出たので、文化祭後の演劇部の練習再開予定は空白になってしまった。
自然と、玲旺那君と一緒にいる時間が減ってしまう。
その代わりといってはなんだけど、北斗君と話す時間が増えたのだ。
「若山先輩も大変だよな。これから受験だっていうのに。親御さんも、こんなことになっちゃって、本当に気の毒だよ」
給食を食べ終えてすぐ、私と北斗君は教室から一番近い渡り廊下付近で話しこんでいた。ここは今の時間は人通りが多くないから、話をするのに都合がいいのだ。
私から若山先輩の容体を聞いた北斗君は、痛ましげに眉を下げる。
北斗君は、人の痛みにこんなに敏感なところもあるんだ。
彼につられるように、私は両手できゅっとスカートを握った。
若山先輩がこんなことになってしまったのは、こちらからは見えない敵が、何かしたからだろう。私はそう思っている。
北斗君も、きっとそうだろう。
「穂積さん、前も言ったけど、自分を責めちゃだめだよ」
「うん……」
そう慰めてくれても、気が晴れることはない。
「若山先輩は三年生だけど、どうしても文化祭には出たいからって、受験勉強と部活を両立させてたの」
うちの部活は、三年生は四月の新入生歓迎公演をもって引退する人がほとんどだ。なかには、もう数カ月裏方として在籍する人もいるんだけど、若山先輩のように役者を続ける人はあんまりいない。
若山先輩は声も通るし、お芝居も上手い。それに去年の文化祭は、ひどい風邪でどうしても舞台に立てなかったから、その分今年の上演に熱を入れていたんだ。
「なんで先輩が、こんな目に遭わないといけないんだろ」
涙が溢れそうになるのを、何とかこらえる。
泣いたって、得られるものなんてないんだ。
こうしている間にも、敵は容赦なく襲いかかってくるかもしれない。
考えないといけないんだ。
北斗君は傷つき、若山先輩はまだ目覚めない。
これ以上被害が出ないように、私は、少しでも考えなくちゃいけない。
五日前に、あの不思議な声が言ってたじゃないか。思い出して、って。
「穂積さん、最近夢を見る?」
なだめるように、北斗君が聞いてくる。私は首を横に振る。
「内容は、前と変わらないの」
例の男の子が、私を刺しかけるけど我にかえり、そして自分を刺してしまう。
助けることも問いかけることもできない、悲しい夢だ。
声に従って何かを思い出そうとするなら、あの夢が鍵になるのは間違いないのに。
「そっか」
北斗君はどこかを見上げたかと思うと、再び私を静かに見る。
「穂積さん、よかったら放課後、若山先輩が飛び降りた場所へ行ってみないか?」
思いもかけない提案に、体がわずかに震えた。
「どうして?」
「もう警察の捜査はとっくに済んでいるし、怒られることもないと思う。それに、俺たちにしかわからない痕跡が残ってるかもしれないだろ」
「痕跡……」
黒い蛇の姿が、頭をよぎる。
答えをじっと待ってくれている北斗君の目が、優しい。
脅えてばかりじゃ、いられない。
「わかった、そうしよう」
北斗君がふうっと、安心したように息を吐いた。
そのタイミングに合わせたように、ばたんと音がする。
二人して同時に振り返ると、廊下の曲がり角で何人かのクラスメイトが束になって倒れていた。
そこには花菜子と、北斗君とよく喋っている武内君と辺見君まで交じっている。
「花菜子……?」
名前を呼ぶと、彼女はわざとらしく舌打ちしてみせた。そして、冗談めかして言う。
「あーあ、せっかく瑠璃の青春の一ページを覗き見するはずだったのに」
「えっ、覗き見?!」
そういえば若山先輩の事件の後、もうひとつ困ったことが起きたのだ。
いや、困ったというか、何というか……。
あの日取り乱した私を、北斗君は落ち着かせようと抱きしめてくれて。
そのこと自体は、私は変なふうにはとらえてないし、別にいいんだけど。問題は、それを皆の注目を集める中庭でやってしまった、ということ。
当然、私たちの姿を目撃したクラスメイトも何人かいたわけで。
中学生男子が中学生女子を、何の理由もなくぎゅっと抱きしめるわけがない! との理屈から、私たちは一部の人たちから恋人疑惑をかけられているのだ……。
私も北斗君もそんな関係じゃないとさんざん説明したんだけど、既に格好のネタを与えてしまっているわけで、噂と疑惑が独り歩きしている。
あの日以来、私と北斗君が話す時間が増えたことも、皆の妄想に拍車をかけてしまっていた。
「いいよなあー、かずまぁー、俺も彼女欲しい」
身を起こしぼやく武内君に、北斗君は「違うって」と何度目かわからない否定の言葉を投げかける。
「隠すことないだろ」
「隠してることなんてないよ、なあ、穂積さん?」
「うん、北斗君は普通の友達だよ?」
その瞬間、覗き見を試みていた集団からするどいまなざしを投げかけられ、喉がひきつった。
「嘘つくなんて、照れてるの?」
にやにやと意地悪く笑う花菜子に、ため息をついてがっくり肩を落とす。
もう、こっちは乾いた笑いしか出てこない。