ACT10 そして少女は見る
場面はいよいよクライマックス。
とうとう、クラディウスとレオナルドの仲が、両家にばれてしまった。
その責任を感じた姉妹の召使いは、自ら命を絶とうとするんだけど、クラディウスとレオナルドに止められる。
そこで、私の出番は終わりだ。舞台にはもう上がらないけど、舞台袖で頑張ってラストまで見守ることにした。
照明がかわる。夜。追っ手から逃げてきたクラディウスとレオナルドが、二人きりで海辺にいる。
○○
クラディウス:レオナルド様、わたくしはもう、走れません。
レオナルド:ならばここで、休憩いたしましょう。
クラディウス:ですが……。
レオナルド:大丈夫です。かなり走りました。少しとどまるくらいなら、平気です。
クラディウス:レオナルド様……。なぜわたくしとあなたは、このような運命をたどったのでしょうね。
レオナルド:僕も、繰り返し考えたことがあります。あの日、あのとき、気まぐれをおこして父と共に王宮に行かなければ、あなたに会うことはなかった。
クラディウス:そうです。本当はわたくしたちは、すれ違うことすらなかったでしょうに。
レオナルド:でも、出会ってしまいましたね。クラディウス。
クラディウス:はい、レオナルド様……レオナルド様、どうしてあなたとわたくしは、一緒にはなれないのでしょう? なぜ夫婦として添い遂げることが、できないのですか? わたくしは、あなたへの想いが抑えきれなくて、こんなにも苦しんでいるというのに。
レオナルド:それは、僕にもわかりません。できることなら、僕も魂の朽ち果てるまで、あなたと共にいたいと望んでいます。それ以上に、何を望めばいいのかわからない。それ以外の幸せなど、ないとも考えてます。けれど、運命の女神が、僕達を引き裂くおつもりなのでしょう。
クラディウス:なぜですの? なぜ、そのよう、な……どうして? こんな不運を、よりによって、レオナルド様を知ったあとの私に、巡り合わせるのですか?
レオナルド:泣かないでください。愛しい方よ。どうか、そんなに悲しい顔をしないで。
○○
客席もそして舞台裏も、みんな息をのんで二人の劇を見守っていた。
そこは講堂じゃなくて、劇の中の世界。そこは舞台じゃなくて、星またたく夜の海辺。
役者は、悲劇の恋人たちになりきっている。若山先輩は若山先輩であるけどクラディウスでもあり、玲旺那君は玲旺那君であるけどレオナルドでもある。
生まれるそばから消えていく、一度しかこの世に現れない劇。再演はいくらでも可能だけれど、演劇はなまものだから、演じるごとに姿を変える。
私は、そんな演劇を面白いと思った。一年前の四月、先輩達の劇を見て、とてつもない興味と魅力を感じて入部した。そして引っ込み思案の私は、今回初めて舞台に立った。
だから私は、見守りたかったんだ。
初めて役を与えられた劇を、最後まで見届けたかったんだ。
けれど私は、舞台裏の隅っこで一人うずくまっていた。
頭が痛い。でも必死で我慢する。あまりの鈍痛に声をあけでわめきたかったけど、そんなこと、許されない。みんなが仕方がないと言ってくれても、私は自分を許さない。
頭の中で響く声が、さっきよりひどい。ひどいなんてものじゃない。暴れてる。誰のものかわからない声が暴れてる。たくさん暴れてる。錯綜して交差して、言葉の端々だけが聞き取れて、会話にまるでなってない。
『ねえ……よね? よかった。もう、会えないかと思ったわ……』
『お前達の間で何があったかは知らないが、もうあの男のことはすっぱり諦めろ』
『お初にお目にかかります。僕はこの度騎士の任務についた……と申します』
『……を貶めるのはやめて!!』
『恐ろしいのです。この思いがいずれ、破滅を招くのではと』
『そんなに辛いなら、こっちにくればいいのですよ?』
『……騎士として、の、務めを果たせず……何と、お詫びすればいいか』
『あなたは諦めたふりをしながら、すべてを捨て去ってでも、あの男との恋を成就させることを、心の片隅で望んだのだ』
『返してください。彼を返して、お願い……』
『この命が絶えても、愛してるから。あなただけよ。これからもずっと。私の魂の生きる限り』
(わめかないでよ!)
私は心の中で叫んだ。ようやく部員が何人か、私の異変に気がついた。
もうだめ。もう無理。全身が汗ぐっしょりだ。頭がずきずきと痛すぎて耐えられない。場所が場所だからうめくこともできない。
頬を、つと涙が流れた。まだまだ、声は続いている。
『せめて僕の前だけでは、お嘆きになることなく、笑っていただきたいのです』
『奴らが攻め込んできたぞ!』
『本当に、魔物を連れてきてやがる! どうかしちまったのか?!』
『私が……だったら、一緒にいてくれた? 恋人になれたの?』
『いいえ、僕は、たとえ何があっても、あなた様だけを……』
『ごめんなさい。困らせるつもりはなかったの……でも、心が騒いで……。あなたのことを考えると、自分が変になっちゃうの』
『早くお逃げください!! 他の者のことなど考えず、とにかく猊下は生きのびるのです!!』
『あなた様のために、僕の命と剣を捧げます。そのことをどうか再び、卑賤の身にお許しくださいますようお願いいたします』
そして、声は唐突にやんだ。
何の前触れもなく。ぷつっと乱暴に途切れて。
入れ替わるように強制的に、映像が脳裏を流れる。
悲しいほどに柔らかな陽光。静かに晴れ渡る青空。
開けた草原と、広大な花畑。ぽつぽつと、黄色い花が新緑の茎からこぼれそうだ。
痛みに耐えるなかで、菜の花に似た花が美しいと感じた。
けぶるように咲き誇る花畑に、真っ白い服を着た人が、二人。向かい合ってじっとしている。
顔は、被ってるフードのせいで見えない。
二人は、どちらからともなく抱きしめあって、そして、キスした……ように見える。私からだと、唇が合わさっているかどうかよく見えないから。
たぶん、この二人は幸せなんだ。なんとなくそう思った。
きっと、どうしようもなく愛し合ってる恋人同士だ。
やがて二人は離れて、男の人だと思われる方が、もう一人の頬をいとおしげに撫でた。
そして何の前触れもなく、男の人は倒れた。
仰向けに、ゆっくりと。女の人は、一瞬固まる。
静かすぎる沈黙の後に、絶叫。
頭から胸にかけて、真っ赤な血で染まった男の人。
状況が理解できず、わめき続ける女の人。
ふと男の人の右手が、動くのがわかった。
その手に握られているのは、短剣。
そう、短剣だ。
あの、夢の中の男の子が握っていた短剣に、あまりにも似ていた。
逃げて!と、私は叫んだ。
男の人は起き上がって、女の人を…………。
「いやああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
それは、ちょうど照明が完全に消え、幕が降りた後。
私の絶叫が、講堂に満ちた。
それに気づく余裕もないまま、私は、痛みと恐怖のあまり意識を手放した。