1.皇太女アリエノールの死
ごきげんよう、エルンスト。
ああ、遂にプロム伯爵の「授業」を受けたのね。
プロム伯は筋金入りの帝室信奉者だから、例の「三つの奇跡」については熱弁を振るっていたでしょう?
……ふふ、やっぱり。
ねえ、エルンスト。
あなたは、実際のところ、我が一族に月の女神様が授けた「三つの奇跡」をどう見ているかしら?
第一の奇跡は、「聖なる魔法」。
「帝国において、皇子または皇女の称号を持って生まれた者は、女神様から一人につき一つ魔法を授かる」
その魔法は10歳の誕生日前後に発現するの。
魔法の種類は様々あるけれど、古い伝承によると過去には「自己回復」、「治癒能力」、「記憶改竄」、「精神統制」なんて魔法を授かった皇子や皇女がいたみたい。
え、私の魔法?それは内緒。
「『聖なる魔法』を持つ者は夫婦や親子、兄弟姉妹であっても、自分の魔法の内容を明かしてはいけない」ってプロム伯に教わったでしょう?
第二の奇跡は、「夫婦の護り」。
「帝国君主やその後継者は、月女神に祝福された配偶者と誓いのキスをすると、『死がふたりを分かつまで』特別な保護を与え合うことができる」
これは私も詳しい内容は知らないの。
お父様は「おやおや、アリエノール、君も結婚すればわかるさ」なんておっしゃるけど……。
……あら、笑ったわね?お父様の真似、そんなに似ていたかしら?
いよいよ最後ね。
第三の奇跡は、「君臣の絆」。
「帝国君主やその後継者は、臣下を一人選んで強固な絆を結ぶことができる」
選ばれた臣下の左手首には第一の臣下として主の紋章が刻まれ、生涯主の命に背くことができなくなるわ。
それと引き換えに主は自分が亡くなるまでその臣下を庇護するわけだけれど……。
臣下の方に不利過ぎやしないかしら?
臣下は命令遵守の義務に背くと死んでしまうけれど、主の庇護義務には特に罰はないの――せいぜい主の体面が傷つくだけ。
でも、私は深刻に捉える必要ないわね。
だって、あなたと結ぶのだから。
それにしても、ね。
プロム伯やその仲間は、この「三つの奇跡」が帝国の帝室の正当性の根拠で、更には、「三つの奇跡」を与えられた帝国こそ大陸全土を治めるべきなんて言うけれど。
正直どうなのかしら?
他の国……例えば、あなたの故国ヴァルト王国の君主は「三つの奇跡」なんてなくても立派に国を治めてきたわ。
かえって、そういう君主が治める国の方に正当性があるのではないかしら?
あなたはどう思って?エルンスト。
***
(ねえ、エルンスト――)
アルジャン帝国暦1814年冬、柘榴月の25の日。
エルンスト王子が目覚めたのは、昨夜の満月が西の地平線に沈んでから二時間ほど経った後のことだった。
彼はベッドの中でまだ重い瞼を半分ほど開けて、優雅な天井画に、そして、部屋の中の見事な調度に視線を走らせた。
そこは、アルジャン帝国首都郊外にある宮殿の東棟2階に与えられた彼の寝室だった。
王子は、一瞬だけ故国ヴァルト王国の城の自室にいるつもりになっていた自分を内心で笑った。
アルジャン帝国に移り住んでもう半年になるというのに。
彼は現在アルジャン帝国で暮らしてはいるが、元は帝国の東側の隣国ヴァルト王国の第七王子だった。
エルンスト王子はベッドの中で一つ伸びをした。
今日は、アルジャン帝国やヴァルト王国含め、大陸の国々が信仰している月女神の祭日だ。
昨夜は宮殿内の聖堂で祭日前夜の礼拝が行われ、王子も帝国の帝室一家と共にその礼拝に出席した。
そして、その後は――。
王子は一つため息をついた。
昨夜はあまり眠れなかった。
それから一時間もしない内に侍従が起床を促しにきたので、彼は意を決してベッドから出た。
ふと窓の外に視線を遣ると、真冬にしてはよく晴れていた。
アルジャン帝国でもヴァルト王国でも真冬の首都はどんよりと曇っていることの方が多い。
更衣の間に移動した王子がシャツとグレーのウエストコート、ブリーチズに着替えて鏡の前に座ると、早速侍従が整髪を始めた。
彼はあまり身なりにはこだわらないが、放っておくとすぐクシャクシャになる黒髪には手を焼いていた。
金に糸目をつけなければ、魔法が使えるヘアドレッサーを雇うこともできるが、流石にそれはやりすぎに思える。
結局今朝もいつもの侍従が苦労の末に、宮殿内で嫌味な貴族に出くわしても笑われない程度には整った髪型にしてくれた。
髪型さえなんとかなれば、自分の容姿は中の上くらいではあるかもしれないと王子は思っていた。
しかし、故郷のヴァルト王国では、上に6人も兄がいたので、彼に関心を寄せる女性はいなかった……おそらく。
この大陸諸国では、千年ほど前から長子相続が基本となっている。
ちなみに、当初は男子優先の長子相続だったが、500年ほど前からは性別も不問だ。
更に、ここ数十年の医療魔法の急激な進歩により、身分問わず乳幼児死亡率は減少し、平均寿命は大幅に向上した。
そんな世の中で、第七子ともなれば王位を継ぐ見込みもなければ、成人や結婚を機に王室から分与される財産も期待するほどあるか怪しかった。
彼のような王子の使い道は限られていた。
――でも、アリエノールは私の青い瞳をきれいだと言ってくれた……。
彼女の輝くシルバーブロンドの髪と満月色の瞳を思い出したところで、王子ははっと我に返った。
いつの間にか侍従が彼の首に巻かれたクラバットを調整していた。
サイドボードの銀の置き時計を見ると、もう朝食が運ばれてくる時間だった。
毎朝、王子は朝食を自身の応接間でとることにしている――今、宮殿の東棟2階の一帯は彼の居室として使われているのだ。
応接間に着くころには、広いテーブルの上に、いつも通りコーヒーとパン、ハム、ベーコン、卵、そして、好物のルバーブジャムが供された。
ルバーブジャムは彼の故国から取り寄せたものだ。
しかし、今朝の王子はルバーブジャムには手を付けなかった。
昨夜、新しい瓶を開けたばかりだが、どうしても口にする気にならなかった。
――昼には帝室ご一家と共に祭日の祝宴に参加しなければならない。
――薬園を見に行くなら、この後しかないな。
王子はコーヒーカップに口を付けながら考えた。
半年前に、王子がこの帝国の宮殿に移り住んで以来、南東の庭には薬草の研究が趣味の王子のための薬園が設えられている。
王子の政治的努力及び皇帝と皇太女の存外の気前の良さにより、彼に与えられた薬園だった。
彼はそこに日に一度は足を運ぶことにしていた。
しかし、結局、その日の朝、薬園に行くことは叶わなかった。
食後のコーヒーを飲み終える前に予定外の客人がやって来たからだ。
そして、その客人は思わぬことを告げた。
「王子殿下、謹んで申し上げます。昨夜、帝国の皇太女アリエノール殿下が薨御なされました」
それを聞いた瞬間、王子は自分の心臓が強く鼓動するのを感じた。
真っ先に浮かんだのは何故か亡き妹ミミのことだった。
15年前、まだ5歳だったミミは万能薬すら効かない難病で命を落とした。
その日も今日と同じ、真冬にしてはよく晴れた日だった――。
王子はゆっくりとコーヒーカップをソーサーに戻した。
飲むのを止めるためではない。
手の震えを隠すためだった。
ヴァルト王国の第七王子エルンストが、半年前の22歳の誕生日に故国を離れ、帝国に移り住んだのは他でもない、皇太女との婚儀のためだった。
つまり、帝国の皇太女アリエノールは彼の婚約者であり、近く彼は彼女の皇配になるはずだった。
(エルンスト、助けて――)
皇太女の声が聞こえた気がした。




