1章第7話 方向性
鍛冶場の空気は、店の中とはまるで違っていた。
埃と油の匂いに、かすかに焦げた鉄の臭いが混じっている。
地下だというのに、ひんやりはしていない。
むしろ、息を吸うたびに胸の奥が重くなる。
セラが戻って行ったあと、俺はしばらく扉の前に立ったままだった。
中に入っていいと言われた。
好きに使えとも言われた。
それなのに、すぐには足が動かなかった。
炉は冷え切っている。
金床には薄く埃が積もり、ハンマーは壁に掛けられたまま、長い間使われていないことが分かる。
ここは、眠っている場所だ。
誰にも呼ばれず、役目を与えられず、それでも壊されずに残っている。
棚に目を向ける。
古い紙束がいくつも重ねられていた。
端が擦り切れ、文字はところどころ薄い。
専門的な言葉が多い。
温度、角度、打つ回数。
どれも、今の俺にはよく分からない。
それでも、乱暴な書き方ではなかった。
試して、失敗して、書き足した痕跡がある。
一枚目の端に、短い一文があった。
直せないものもある。
無理に使うな。
それだけだった。
俺は紙を戻し、鍛冶場の中央に立つ。
まず何をすればいいのか、分からない。
勇者だったら、訓練書があり、命令があり、段階があったはずだ。
でも、ここには何もない。
とりあえず、昨日の剣を持ってきた。
刃こぼれした剣。
値札もつかなかった剣。
炉で熱した後、金床の上に置くと、音が響いた。
澄んだ音ではない。
鈍い、重たい音だ。
ハンマーを持ち上げる。
思ったより重い。
腕が一瞬で疲れる。
「……こうか?」
誰に聞くでもなく、呟く。
振り下ろす。
カン、と音が鳴った。
思ったより大きな音で、胸に響く。
剣がわずかに跳ねた。
もう一度。
今度は、力を入れすぎた。
刃に当たらず、横を叩いてしまう。
三度目で、手が痺れ始めた。
うまくいかない。
当たり前だ。
分かっていたはずなのに、胸の奥が少し冷える。
勇者の失敗作。
役に立たない。
頭の中で、昔の言葉が勝手に並びそうになる。
俺はそれを振り払うように、ハンマーを置いた。
一度、深く息を吐く。
直す、という言葉を思い出す。
使い道を変える、という言葉も。
刃こぼれを完全に戻す必要はない。
切れ味を求めなくてもいい。
この剣が、何に使えるのか。
それを考える方が、先かもしれない。
剣を横にして、形を眺める。
重心。
柄の歪み。
刃の厚み。
「重すぎるな」
もしこれを振るなら、腕力がいる。
長時間は無理だ。
ふと、勇者たちの姿が浮かぶ。
昨日、倒れていた三人。
同じような剣を持っていた。
同じように振って、同じように消えた。
胸の奥が、少しだけざわつく。
俺は剣を炉の近くに置いた。
今日は、これ以上やらない。
無理に叩けば、壊すだけだ。
階段を上がり、店に戻る。
セラは、いつも通り棚の整理をしていた。
「どう?」
顔を上げずに聞かれる。
「……難しいです」
「そう」
それだけだった。
失敗したかどうかも、聞かれない。
期待していたかどうかも、分からない。
それが、少しだけ楽だった。
昼、簡単な食事をとる。
午後も、俺は鍛冶場に降りた。
叩く回数は少ない。
紙を読んで、剣を眺めて、触るだけの時間が多い。
それでも、不思議と苦ではなかった。
夜。
腕が重く、指先がじんじんする。
何かを成し遂げた感覚はない。
だが、何もしていないとも思えなかった。
そうして、今日が終わった。




