1章第4話 勇者の姿
名前をもらった夜は、眠りが深かった。
胸の奥がじんわりと熱を持っているのを感じた。
朝、目を覚ますと、昨日よりも空気がはっきりしていた。
匂いも、音も、距離感も。
世界が少しだけ、こちら側に寄ってきたような感覚。
以前とは明らかに違う。
心地よい朝だった。
店の方から、いつもの物音がする。
俺は布を畳み、ゆっくりと部屋を出た。
「おはよう、ミナト」
「おはようございます」
名前を呼ばれたことに、嬉さを感じつつも、やはり少しの違和感を感じる。
セラはそれを気にする様子もなく、棚を指す。
「今日は整理する。」
言われた作業をこなしながら、俺は店の中を見回す。
昨日までと何も変わらないはずなのに、感じ方が違った。
棚の一角に、値札を外された品が集められていく。
売ることをやめた物。
使い道を失った物。
それでも、捨てられてはいない物。
「……これらは」
思わず口に出る。
「処分しないんですか」
セラは手を止めずに答えた。
「しない。今は」
「今は……?」
「必要になる時が来るかもしれないでしょ」
理由はそれだけだった。
必要になるかどうかは、分からない。
役に立つかどうかも、分からない。
それでも、ここに置いておく。
胸の奥で、何かが静かに共鳴した。
作業をしていると突然、通りの向こうから、悲鳴が上がった。
続いて、重たい足音と、地面を叩くような音が重なる。
魔物だ。
セラは、すぐに店の戸を閉めた。
「奥に行って」
言い方は静かだったが、急いでいた。
俺は店の奥へ下がり、壁際に立つ。
外の音が、はっきり聞こえる。
叫び声、走る音、何かが壊れる音。
そして――
違う音が混じった。
剣が振るわれる音。
魔法が放たれる、空気を裂く音。
「勇者がきたぞ!」
誰かが外で叫んだ。
それからしばらく、激しい音が続いた。
店の中にいても、胸に響く。
やがて、大きな衝撃音が一度だけ響き、
その後、急に音が減った。
静かになる。
完全な静寂ではない。
だが、戦いが終わったことだけは、分かった。
セラは、少し間を置いてから、戸に手をかけた。
「……外、見るわ」
俺も、黙ってついていく。
通りには、人がまばらに立っていた。
皆、恐る恐る顔を出している。
勇者は、四人いた。
そのうち、立っているのは一人だけだった。
残りの三人は、道の端に倒れている。
誰も声をかけない。
近づきもしない。
生き残った勇者は、剣を下ろし、周囲を見回していた。
助けを求める目ではない。
誇る目でもない。
ただ、疲れ切った目だった。
街の人々は、勇者に駆け寄らなかった。
感謝の言葉も、歓声もない。
皆、分かっている。
勇者は、戦う。
そして、死ぬこともある。
それが、この世界の仕組みだ。
セラは、静かに息を吐いた。
「……戻りましょう」
俺は頷いた。
店に戻る途中、誰かが小さく言った。
「また、減ったな……」
それだけだった。
店に戻った後、セラはしばらく黙っていた。
セラは、棚の方を見る。
値札の外された古道具たちが、そこにある。
ランプの火が、静かに揺れていた。




