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1章第2話 境界の内側

街へ行ってみることにした。

遠くに見えていた街は、近づくにつれて輪郭をはっきりさせていった。


建物が増え、人の気配が濃くなるほど、俺の足は重くなった。もうずいぶん遠くにきてるから、背後を振り返っても、勇者製造施設はもう見えない。

ただ、その方向だけが妙に静かだった。音も、匂いも、何も届かない。世界から切り離された場所。そう表現するのが、一番近いだろう。


街の入り口は、思っていたよりも簡素だった。高い門も、兵士の検問もない。ただ、人が行き来するための道が続いているだけだ。

それでも、俺はすぐには踏み出せなかった。


腹が鳴った。

はっきりとした音で、現実を突きつけてくる。

空腹という感覚を、俺は初めて強く意識した。

俺は、街へ足を踏み入れた。


街は、施設とはまるで別の世界だった。石と木でできた建物が並んでいて、生活感がある。

人の声が重なり、匂いが混じる。焼いた肉、汗、土、油。雑多で、生きている匂いだ。


人は多い。

だが、誰も俺を気に留めない。


それが、少し怖かった。


本当に短い時間とはいえ、施設では「使えるかどうか」を基準に見られた。視線には意味があった。

ここには、それがない。俺は判断される前に、最初から対象外だ。


歩きながら、自分の服を見る。簡素で清潔だが、この街では浮いていた。

生活の跡がない。通りすがりの人が一瞬こちらを見るが、すぐに視線を外す。警戒ではない。ただの無関心だ。


店先に並ぶ食べ物に、目が吸い寄せられる。湯気の立つ鍋、焼き色のついた肉、硬そうなパン。唾を飲み込むと、喉がひりついた。

しかし、もちろん俺は無一文だ。


俺は、店の前で立ち止まり、覚悟を決めて声をかけた。


「仕事は、ありませんか」


自分でも驚くほど、声は小さかった。男は俺を一瞥し、短く聞き返す。


「名前は?」


その言葉の意味は分かる。だが、出せるものがない。


「……ありません」


それだけで、会話は終わった。男は呆れたようにため息をついた後、俺に背を向け、次の客を呼ぶ。怒られもしない。

ただ、最初からそこにいなかったかのように扱われる。


別の店でも、同じだった。

何度繰り返しても、結果は変わらない。


日が傾き、街の色が変わり始める。影が長く伸び、人の流れが少しずつ家路へ向かう。

俺は壁際に腰を下ろした。石は冷たく、硬い。それでも、立っているよりはましだった。周囲では昼間開いていた店が片づけられると同時に、別に店では灯りがともり始めている。


――このままだと、夜を越せない。

そう思ったとき、誰かの足音が止まった。


「……大丈夫?」


声は、柔らかかった。


顔を上げると、女性が立っていた。街に溶け込んだ服装で、特別目立つわけではない。だが、俺をちゃんと見ている。値踏みでも、警戒でもない。ただの確認だった。


「……少し、休んでいるだけです」


自然と、敬語になった。理由は分からない。そうした方がいい気がした。

彼女は周囲を一度見回し、それから俺に視線を戻した。


「ここ、長く座ってると追い払われるわよ」


初めて知った。この街にも、ここにいてはいけない場所がある。


「仕事、探してる?」


短い問いだった。


「……はい」


答えた瞬間、胸の奥がわずかに熱くなる。選ばれたわけじゃない。ただ、話しかけられただけだ。それでも、確かに前に進んだ気がした。


「泊めてあげる。その代わり、私の店、手伝って。」


彼女はそう言って、通りの奥を指さした。

十分だった。

今日を越えられるなら、それでいい。


「お願いします」


即答だった。


彼女は少しだけ驚いたように俺を見たが、すぐに歩き出した。


「ついてきて」


俺は彼女について行った。


「ここ」


彼女が立ち止まったのは、小さな倉庫の前だった。

扉は半分開いていて、中から油と埃の混ざった匂いが流れてくる。灯りは弱く、奥までは見えない。


「運ぶのは、この中身。あっちの倉まで」


そう言って、木箱を指さす。見た目より重そうだった。


「できる?」


試すような口調ではなかった。ただ、事実確認だ。

俺は箱に手をかける。持ち上げた瞬間、ずしりと重さが腕に伝わった。

箱に手をかけた瞬間、俺は後悔した。

重い。

想像していたよりも、はるかに。


腕に力を入れても、箱はびくともしない。指が滑り、木のささくれが皮膚に刺さる。思わず息が詰まった。


「……無理?」


「……」


否定したかった。

だが、体が言うことを聞かない。


もう一度、腰を落として持ち上げようとする。だが姿勢が崩れ、箱が傾いた。

慌てて支えようとして、膝を石畳にぶつける。鈍い痛みが走った。


「待って」


彼女が近づき、箱の反対側を持つ。


「一人でやらなくていい」


二人で持ち上げると、ようやく箱は動いた。それでも腕が震える。情けない。

運び終えたとき、俺は肩で息をしていた。汗が額から落ちる。


「……ごめんなさい」


自然と、その言葉が出た。

女性は、俺をじっと見た。


「なんで謝るの」


責める口調ではない。

だが、当たり前のことが分からない人間を見る目だった。


「できないなら、できないって言えばいい」


「……」


「向いてない仕事を、無理してやる必要はない」


その言葉に、胸の奥がざわつく。

できないと分かったら、切り捨てられる。

そういう場所に、俺はいた。


「今日だけよ。軽いのだけ運んで」


そう言って、さっきより小さな箱を指さす。

箱を持ち上げてみた。これなら持てる。


「うん。それでいい。」


“それでいい”


俺は今、初めて自分の存在を認められた気がした。

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