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1章第17話 弔い

耳鳴りが、世界を支配していた。

頭の芯を巨大な鐘で叩かれたような、不快な音が脳をかき回す。

意識の底から這い上がってきたとき、最初に感じたのは、逃げ場のない「重さ」だった。


俺は起き上がり、あたりを見渡した。


敵兵は撤退しているようだ。

少し離れた瓦礫の脇。

気絶する直前に見たときと同じ、不自然な角度で地面に伏せている、一人の女性。

彼は彼女の元へ這い寄り、彼女の名を呼んだ。


呼んだ声は、乾いた風に一瞬で溶けた。

彼女の体は、驚くほど静かだった。

石畳に広まった血の海は、夜の間に冷え固まり、彼女を世界に繋ぎ止める黒い鎖のようになっていた。

震える手で、彼女の肩を抱き寄せた。


軽い。

あの日、スープの入った器を俺に渡したときの、あの生きた人間特有の「重み」が、今の彼女からは失われていた。


彼女の開いたままの瞳を見つめた。

そこには、空虚な空が映っている。

かつてその瞳に宿っていた、捨てられたガラクタへの慈しみや、真摯な光は、もうどこにもない。


静かに彼女の額に顔を寄せた。

冷たくなった皮膚に、自分の唇を押し当てる。


セラの冷たさを、自分の中に刻みつけた。

この冷たさこそが、今の自分に残された唯一の真実だ。

温もりを失った彼女の額から唇を離したとき、俺の瞳から光が消えた。


セラの遺体を背負い上げた。

重い。


先ほど「軽い」と感じたのは、魂が抜けたことへの錯覚だったのか。

死後硬直が始まる前の、独特の沈むような自重。

彼女の腕がミナトの胸の前で力なく揺れ、彼女の首が俺の肩に預けられる。


それは、かつて彼女が俺を抱きしめてくれた時と同じ形なのに、伝わってくるのは、ただの凍てつくような「無」だった。


「少し、待っててくれ。店まで帰ろう」


一歩、踏み出した。


一歩。また、一歩。

背後から、かつての隣人たちの死体の臭いが追いかけてくる。


「意味なんてなくていい」


彼女の言葉が、耳元で鳴り止まない。

国は、捨てた街を「戦略的後退」として地図から消し、次なる防衛ラインを引く。

そこには「重み」がない。


だが、背中にあるこの重みはどうだ。

歩くたびに肩に食い込む、この不快な重圧。

息を切らし、汗を流し、膝を震わせなければ運ぶことのできない、この非効率な「一人の人間」という名の質量。


その重みに救われていた。

重ければ重いほど、彼女が確かにこの世界に存在していたという、消し去ることのできない「抵抗」に感じられた。

誰にも求められず、誰にも顧みられない、一人の女の死体。

それを運んでいる俺だけが、今、この狂った世界で唯一、正しい重力を踏みしめている。


半壊した店にたどり着いた時、空は不吉なまでの黄金色に染まっていた。

夜明けが、すべてを平等に照らし出す。

焼けた看板は灰となり、二階部分は崩落して一階のカウンターを押し潰していた。

だが、奇跡的に、店の一角、彼女がいつも座っていたあの椅子だけが、瓦礫の隙間に残されていた。


セラの遺体をそっと下ろした。

椅子の背もたれに彼女の背を預け、崩れ落ちないように、傍にあった布で固定する。

「……少し、休んでてくれ。もう、走らなくていい」


店の中には、まだ彼女の気配が残っていた。

埃と油の匂い。

棚から転がり落ちた、値札のないガラクタたち。

ひび割れたランプ。用途の分からない古いネジ。歪んだ鉄の匙。

それらすべてが、彼女の「意味を求めぬ愛」の証人だった。

世界がどれほど「無価値」と断じようとも、この小さな空間だけは、それらがそこに在ることを許されていた。


店を出る準備を始めた。

金床。ハンマー。

そして、彼女が重要なものをまとめて入れていたバッグ。


最後に一度だけ、椅子に座ったままの彼女を振り返った。

彼女はもう、何も言わない。

朝日を浴びた彼女の横顔は、皮肉なほど穏やかに見えた。


「行ってくる、セラ」


俺は店を出た。

火を放つことはしなかった。

ここは、彼女の場所だ。


俺はヴォルダ王国方面の荒野へ向かうことにした。

この国に、俺の居場所はない。

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