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1章14話 呼吸の音

肺が焼けるようだった。


吸い込む空気が熱すぎて、喉の奥がチリチリと痛む。

逃げ惑う人々の叫び声と、建物が崩壊する轟音。それらすべてが混ざり合い、耳の奥でひどい耳鳴りになっていた。


石畳の上には、さっきまで誰かが持っていたであろう荷物や、持ち主を失った靴が転がっていた。

かつての活気はもうどこにもない。ここは今、ただの「燃え殻」だった。


角を曲がったとき、前方からあのどす黒い靄が見えた。

ヴォルダ王国国の兵士だ。

彼は、倒れた自警団の男の前に立っていた。


「……ッ」


俺は咄嗟にセラの腕を掴み、路地裏の影に身を潜めた。

壁に背を預けると、石の冷たさがかえって死の気配を際立たせる。


隙間から見えたヴォルダ王国兵たちは、やはり異常だった。

彼らの呼吸は荒く、皮膚のすぐ下で血管が蛇のようにのたうち回っている。

剣を振るうたびに、彼らの肉体自体が悲鳴を上げているような、歪な音。


路地の向こうで、赤ん坊が泣き声を上げた。

崩れた荷馬車の陰。若い母親が、泣き声を抑えようと必死に赤ん坊を抱きしめている。

兵士たちが、ゆっくりとその方へ顔を向けた。

感情のない、血走った瞳。


「行かせない」


考える前に、俺の右手が鞄の中の「重み」を探っていた。

昨日、俺が打ち直したあの短剣。

売り物にはならない、誰の期待も背負っていない鉄の塊。


「待って、ミナト!」


セラの制止が聞こえたが、足が動いていた。

英雄になろうなんて思っちゃいない。

ただ、俺のような「失敗作」ですら見捨てなかった女の目の前で、新しい命が「ゴミ」のように捨てられるのを見るのが、我慢できなかった。


俺は路地を飛び出し、兵士の足元に向かって短剣を突き出した。


硬い。

石を叩いたような感触が腕に跳ね返る。

 だが、俺が施した「重心の移動」が、未熟な筋力を補ってくれた。刃先は兵士の足元をえぐり、黒い魔力の靄を噴き出させた。


「ギャ……ァァッ!」


兵士が耳障りな叫び声を上げる。

痛みを感じている。それは、勇者にはない、生々しい「人間」の反応だった。

俺は怯んだ兵士を突き飛ばし、母親の腕を掴んだ。


「こっちだ、早く!」


呆然とする母親を促す。

よし、逃げ切れる。助けられる。

そう思った瞬間——。


ドォン!


背後から巨大な衝撃波が降り注いだ。

砂埃と血肉が舞い上がり、視界が真っ赤に染まる。

唖然とした。


「ミナト、ぼさっとしないで!!」


霧の向こうでセラの声がした。

俺は無我夢中で、短剣を握りしめたまま走り出した。


街の外縁部にたどり着いたとき、ようやく空気が少しだけ冷たくなった。

振り返ると、俺たちの住んでいた街が、夕焼けよりも赤い色で夜空を染めていた。


「……ハァ……ハァ……」


俺は膝をついた。

泥と煤で汚れた自分の手を見る。

短剣の刃は、少しだけ欠けていた。


成功作である勇者たちは、この光景を見ても何も感じなかっただろう。

命令に従い、次なる地点で「正しい」守護を行うだけだ。

だが、俺の心臓は、壊れそうなくらい激しく、不快なほど熱く波打っている。


彼女は、鞄を抱えたまま、燃え盛る故郷に一度だけ背を向けた。


俺たちは歩き出した。

どこへ向かえばいいのかも、これからどう生きればいいのかも分からない。

ただ、この「重たい体」と「汚れた剣」だけが、俺に残された唯一の意味だった。


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