1章第13話 決断
外では、誰かが叫び、誰かが泣き、そして何かが壊れる音が絶え間なく続いていた。撤退した勇者たちが残した静寂は、今やヴォルダ王国兵たちの狂気によって埋め尽くされている。
「……逃げましょう。ここも長くは持ちません。」
俺はカウンターの陰にいたセラの腕を掴んだ。
だが、彼女は動かなかった。
視線は、煤けて見えなくなった看板や、棚に並ぶガラクタたちに向けられたままだ。
「いいえ。私は、ここに残るわ」
その声は、驚くほど静かだった。燃え盛る街の喧騒の中で、そこだけが凪いでいるように。
「何を言ってるんだ! 外を見ろよ!」
「分かってる。でも、ここが私の全部なの」
セラは、棚の一角にある古びたオイルランプをそっと撫でた。
「ひいおじいちゃんの代から続いてきた。勇者製造なんてものができる前から、ずっと。もしここを離れたら、私はただの『避難民』になる。この店と一緒にいない私に、何の意味があるの?」
「意味なんて、どうでもいいだろ!」
俺は怒鳴っていた。
自分でも驚くほどの大きな声が、喉の奥を焼いた。
「意味なんてなくていい。セラが言ったんじゃないか! 俺に、意味に縛られない名前と場所をくれたのは、あんただろ!」
セラの肩が、びくりと跳ねた。
彼女の瞳に、激しく燃える外の火の色が反射する。
「あんたが死んだら、その記憶も全部ゴミになるんだぞ。それでいいのか」
「……」
「俺を一人にしないでくれ」
最後の一言は、懇願だった。
俺という失敗作を拾い、初めて「人」として見た女性。
彼女がこの場所で消えてしまったら、俺を繋ぎ止める楔が、世界から失われてしまう。
セラはしばらく、燃える天井を見上げていた。
パチリ、と古い木材が爆ぜる音がする。
やがて彼女は深く息を吐くと、カウンターの下から一つの重い箱を取り出した。
「……そうね。ゴミにされるのは、癪だわ」
彼女は素早く、店の中で最も重要ないくつかの品を鞄に詰め込んだ。
「行くわよ、ミナト。この街に、もう私たちの居場所はない」
その決断を下した瞬間の彼女の顔は、古道具屋の店主ではなく、「生き残ろうとする一人の人間」のものだった。
俺たちは店の裏口を蹴り開けた。
外の熱風が、肺の奥を突き刺す。
背後で、店の一部が崩落する音がした。
セラは一度も振り返らなかった。
生きていれば、また店は作れる!
俺は自分に言い聞かせるように叫んだ。
火の粉が舞う路地裏を、俺たちは走り出した。
国の守護から外され、世界から「無価値」の烙印を押されたゴミ捨て場で。
それでも心臓だけはずっとうるさく、熱く、鼓動を刻んでいた。




