灰色の魔女と終わりなき冬の森
灰色の魔女と終わりなき冬の森
第一章 灰色の来訪者
異世界に落ちてきたのは、雨の降る高速道路のサービスエリアだった。
次の瞬間、目の前は雪だった。
骨まで凍るような風が吹きすさび、私はスマホを握りしめたまま、膝から崩れ落ちた。
最初の一週間は、ただ死なないために動いた。
雪の中で見つけた廃屋に潜り込み、腐った干し肉をかじり、凍傷になりかけた指を火打石でこすって火を起こした。
言葉は通じない。文字も読めない。
でも、雪は読めた。これは「死ね」というメッセージだと。
八日目に、私は初めて魔法を使った。
怒りと恐怖が爆発して、目の前の魔狼(雪原を疾走する三メートルの獣)を灰に変えた。
灰は風に舞い、雪と混じって消えた。
そのとき決めた。私は生きる。生きて、帰る。
第二章 白銀の噂
森の外れの村で出会った老婆が、私に「灰色の魔女」と名付けた。
「白銀の魔女がいるなら、灰色の魔女もいて当然じゃろ」
老婆はそう言って、凍てついた芋を分けてくれた。
白銀の魔女。
三百年前に現れた異世界人。
王に永遠の命を捧げられし代償として、この世界に永遠の冬をもたらしたという。
人々は彼女を神と呼び、悪魔と呼び、そして忘れようとした。
けれど忘れられない。なぜなら、太陽が昇らないから。
私は決めた。
彼女を殺す。
それが、私が帰るための唯一の方法かもしれないと思った。
第三章 雪に埋もれた街道
王都への道は、死体の道だった。
凍死した旅人、飢えた盗に殺された商人、魔物に食い散らかされた馬。
私は灰色の外套を深く被り、足跡を消しながら歩いた。
途中で出会ったのは、少年だった。
銀髪で、瞳は凍りついた湖のよう。
名前はルディ。飢えで死にかけていた。
「魔女様……お恵みを」
震える声で言われたとき、私は初めて、自分の力を「救う」ために使った。
灰色の魔力で雪を溶かし、小さな火を灯し、干し肉を温めた。
ルディの瞳に、ほんの少しだけ光が戻った。
「一緒に来る?」
私が訊くと、少年は首を横に振った。
「僕は、母さんを待ってるんです。王都で」
だから私は、一人で行くことにした。
でも、別れ際に小さな灰の結晶を握らせた。
「困ったら、これを握って私の名前を呼んで」
少年は不思議そうに首を傾げた。
「魔女様のお名前は?」
私は答えた。
「まだ、決めてない」
第四章 王城の雪
王都は、巨大な氷の要塞だった。
城壁は凍りつき、旗は千切れ、門番は死んでいた。
私は灰の魔力で門を溶かし、中へ入った。
玉座の間に、白銀の魔女はいた。
噂よりも美しく、噂よりも儚かった。
白いドレスは雪のようで、長い髪は氷のよう。
ただ、瞳だけが燃え尽きた後の灰だった。
「お前も、同じ穴のムジナね」
彼女は立ち上がりもせず、ただ微笑んだ。
「違う。私は帰りたい」
「帰る場所なんて、どこにもないわ」
「それでも、帰りたい」
「だったら、私を殺して。永遠の冬を終わらせて」
私は杖を構えた。
けれど、彼女は最後に呟いた。
「ねえ、あなたは誰かを愛したことがある?」
その瞬間、元の世界の記憶が洪水のようによみがえった。
母の声、友達の笑顔、好きだった人の背中。
全部、言えなかった言葉ばっかりだった。
私は杖を下ろした。
「殺せない」
「どうして?」
「あなたを殺したら、私もあなたと同じになるから」
白銀の魔女は、初めて泣いた。
氷の涙が頬を伝い、床に落ちて小さな花になった。
第五章 春を呼ぶ灰
私は彼女を抱きしめた。
冷たかった。でも、震えていた。
「一緒に終わらせよう」
「どうやって?」
「あなたの命を、私が引き受ける」
私は自分の胸に手を当て、灰色の魔力を渦巻かせた。
永遠の冬の呪いを、私の身体に取り込む。
白銀の魔女は目を丸くした。
「やめて! あなたまで……!」
「いいの。私は、もう帰らないって決めたから」
呪いが流れ込んできた。
骨が凍り、心臓が止まりそうになった。
でも、私は笑った。
「これで、みんな春が来る」
白銀の魔女は、私を抱きしめ返した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「いいよ。私も、寂しかったから」
そして、彼女は雪と化した。
同時に、世界が割れた。
雲が裂け、太陽が顔を出した。
三百年ぶりの光が、王都を、森を、すべてを照らした。
雪が溶け、川が流れ、凍てついた大地が泣いた。
私は倒れた。
永遠の冬の呪いが、私の中で暴れていた。
でも、死ななかった。
灰色の魔女は、灰にならないと決めたから。
第六章 灰色の家
それから五年。
私は森の奥に、小さな家を建てた。
煙突からはいつも煙が立ち上り、薬草が庭に咲き乱れている。
ルディが来た。
もう少年ではなく、立派な青年になっていた。
「母さんは、春が来る前に亡くなった。でも、最後に笑ってた。『太陽が見たい』って」
私はルディを抱きしめた。
「見てて。今、たくさん見えるよ」
村の子供たちが来た。
「魔女様、魔法教えて!」
私は灰色の魔力を、小さな花の形にして見せた。
「魔法ってね、誰かを幸せにするためにあるんだよ」
時々、雪が降る。
それは、白銀の魔女がまだ私を見ている証拠。
私の髪は、もう完全に灰色じゃない。
少しずつ、色づいてきている。
ルディが言う。
「魔女様の瞳、今日は緑色だね」
私は笑う。
「明日には、もっと違う色になるかも」
春は来た。
夏も、秋も、冬も。
季節が巡るたびに、私は少しずつ自分を取り戻していく。
灰色の外套は、もう着ていない。
代わりに、誰かが編んでくれた虹色のマフラーを巻いている。
私はまだ、ここにいる。
誰かが来るのを待ってる。
誰かが、私の本当の名前を呼んでくれる日まで。
でも、もう急いでない。
なぜなら。
この世界が、私の帰る場所になったから。
完




