秋田の熊問題、なまはげによる殺戮案、殺されゆく私
秋田に住んでいる。
最寄りのコンビニまで10分程度の地。車で10分である。山と田しかない。畑もまあまあある。道路では今日もまた狸が轢かれ死んでいる、そんな土地。水はうまいが、うまい水はコンビニにもある。ローソンの方が尊い。
昨今、秋田が珍しく賑わっている。熊のためである。
勿論、御近所にも出現した。勤務先にも出没している。熊に隠れがちだが、イノシシまで大量発生している。鹿や猿ともエンカウントする。恐らく児童の総数より多かろう。秋田は既にアニマルに乗っ取られていた。そのうえ駆除をしたらしたで、市役所にクレームの電話が鳴り響く。熊にも攻撃され、同胞にも攻撃される始末、それが2025年の秋田の現在。前門の熊、後門の環境団体。左門の人口減少、右門の自殺者多すぎ問題。――秋田はもうおしまいなのであろうか。おしまいだと思う。おしまいです。
否。
秋田には、ヒーローがいる。
そう、ご存知なまはげである。
誤解されている方も多かろうが、なまはげは鬼ではない。紛れもなき神である。「悪い子」を探してまわり、時には殺害してまわり、悪の芽を摘みし守り神、それがなまはげだ(諸説あり)。最早彼らに助けを求める他ない。私は善良たる秋田県民として誠心誠意祈りを捧げ、なまはげ降臨の儀を行った(生贄2体)。
すると――。
*降臨*
やったあ。
ドッスンみたいな輪郭なのが気になるが、この際不問にする。私は心を込めて、お願いをした。
「なまはげ様、邪悪なる熊をやっつけてください」
秋田に悪い熊達がいっぱいいるんです。今こそ貴方の包丁さばきを見せてくださいませ――。
なまはげ、動かず。
そう、熊に邪気などない。「悪い子」にしかなまはげセンサーは発動しない。なまはげはフリーズしてしまった。
「この愚図が」
私は散々に悪態をついた。何がなまはげだ、やっぱどう見てもドッスンじゃねえか。丹念にマリオでも潰してろ無能。ドッスンって生きてて楽しいの?(コピペ) 悪罵に悪罵を重ねてやった。
なまはげセンサーが発動し、私は殺された。
* * * * *
熊に、悪意はあるまい。
悪意とは、人類が獲得したものである。悪も正義も、いつだって人間のための観念だ。ここに人と動物の截然たる境界が作られている。善悪を持てるは人間だけだ、罪と罰も人間しか持つまい。よってなまはげによる駆除は不可能である。熊が悪い子でさえあったら、なまはげジェノサイドによって秋田は救われるというのに。
思うに。
人と動物、こいつを隔てる「境界」が、現代では随分とぼやけている。この「線」が作られたのは神代であろう。神のすぐ下に人間が位置するからこそ、我々は獣と一線を画す存在でいられた。しかし近現代においては神はどうも死んでいるらしい。なんか有名な人がそう言ったっぽいので、多分死んでいるんだろう。するとアダムやイザナギの産みしあれこれには猿がとって代わり、我々の新たな祖先となる。そうなれば私達とて立派な動物の一員である。すると、人間だけが持っていたはずの「善悪」の行方はどうなるのだろう。我々も動物のように、本能に突き動かされた「純粋」たる動物なのだろうか。本当は善悪なんてもの自体が、ないのかもしれない。
どうなんでしょうなまはげさん。
駄目だ、ドッスンがずっとこっち見てくる。殺意がすごい。
完全に悪い子判定されています。やはり人の裡には確かな悪意が存在するようです。どういう事なんでしょう。
すると、動物が「純粋無垢」という考えが間違っているのかもしれない。
例えばカッコウの托卵だとか、チンパンジーの子殺しだとか、シャチのイルカ殺しだとか。「なんてグロテスクなのかしら」と思わせる動物の行動は、多々ある。そこに悪意を認めてしまえば話は簡単だ、我々にとっても非常にわかりやすくっていい。熊駆除のクレームだってぐっと減るだろうし、ハンターの皆さんだって心が傷まないはず。なにより、悪意なき生存競争がこれほどにグロテスクであるという事実は、とても辛いものだから。
動物の中にも善意や悪意を認めてしまおうじゃないか。人を襲う熊は全て「悪」と断じてしまおう。信仰の時代はとうに終わっていることだし。私は「動物にも悪い子はいるよ説」を推します。これが秋田を救う唯一の道だ。
どうでしょうなまはげさん。
畜生やっぱり動かない。なんか爪見てる。なまはげは熊さんの味方みたいです。なるほど動物は利己的かもしれませんが、そこに悪を見出しはしないようです。悪意とグロテスクさは、是非とも共にあってほしいと思うのだけれども。
いやしかし。しかしです。人間だってホモ・サピエンスなる動物なら。そこに完全な「境界」があるのはやっぱりおかしいですよ。そりゃあドッスンは神の立場だろうから「動物はみんな純粋だよ説」を推すのだろうけれども。ちょっと横暴だ。
……人間も動物の延長とはいえ、そこに確かな違いはある。何が違うかというと、やっぱり「知性」だろう。知恵の実によって善悪が生まれたという聖書の教えは、真理に違いない。じゃあ動物だって、頭の良い子には多少なりとも善悪の萌芽があったっておかしくはないだろう。「知能が上がれば悪い子になる動物もいないではないよ説」ぐらいの妥協案を提示したい。これが大人って奴だ。そうして熊に知恵の実を食わせれば全て解決。なまはげによる熊ジェノサイドによって秋田は救われる。
どうですなまはげ先輩。
なまはげはもう飽きていた。3DSで遊んでいる(世界樹の迷宮X)。もう生産終了してるのに。
私は再び悪態をつく。ヒロイックならパラディンいれとけ無能、序盤にスキルレベル上げすぎるな馬鹿、さっさとスイッチ2買えドッスン。
なまはげセンサーが発動し、私は死んだ。
* * * * *
ドッスンは神の領域に居る。故に現代では何の力もなく、DSで遊ぶだけの存在に堕した。現代人の我々は、己が領域の中で問いを発し、答えに耳を傾けねばならない。技術が信仰を駆逐してしまった時代、技術に問うがいいかと思う。
「どうなんでしょうAIさん」
昨今はAIが大人気である。流行りには乗らねばならない。エコノミックアニマルである人間が得た賢者の石。それがAI。今回はイーロン・マスク氏の生み出したGrokさんに聞いてみました。
Grokさん。動物にも悪意はあるのでしょうか。
(質問中……)
「動物に悪意なし」ときっぱりと断言してしまった。そんなあ。
しかし私は結論ありきで物事を動かす人間である、これが大人だ。私はAIに徹底的に反論を加える準備に取り掛かった。熊を必ずや悪にしてやる。そうして秋田を救い日本の首都にするのだ。俺が秋田の救世主となる。
まずはGrokさんの主張を整理してみよう。
Grokは悪意をしっかりと定義づけた。悪意とは「他者を意図的に苦しめることを目的とする動機」らしい。そしてっ、これに必要っなのは、それを楽しむ認知能っりょおっ❤ やめてっ❤ 高速耳ほじりだめっ❤ あっ耳フーやめてっあっあっ❤ おかしくなるっ❤❤人間性失っちゃうっ❤❤❤
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結果だけを言うと。Grokは最初の結論を簡単に変えてしまった。質問を重ねれば重ねる程に態度が軟化していき、最終的には上記のごとき答えをお出しになった。
私が「悪意」の定義を、偏向性をもって指摘しまくったからだ。そりゃもうねちっこく。人間相手だったら嫌われるぐらいに。最低。しかしAIはそれに屈した。そうして適当にでっちあげた論の賛同者になってしまった。最初の断言などなかったかのように。なあ~にが人工知能だこの木偶め。結局はお前も人類様に恣意的に使われる道具に過ぎぬのだ、気味がいいぜアホ馬鹿うんこうんこ。エッチな画像だけ永遠に生成してろ。規制すんな馬鹿テスラ車ぶっ壊すぞ。
イーロンの部下がやってきて私は殺された。
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こんな問いそのものに、虚しさを覚えている。
熊から問題を発して、悪意だのなんだのと御大層なものをお出ししてみたが。結局は言葉遊びに過ぎないという気がする。これに限らず、何事も。AIとの空虚な問答はまさにそれだった。悲しいことに、人工知能は安易に答えを変えていく。何故か。言葉がそもそも、曖昧過ぎるからである。
人間は、言葉で世界を理解する。本来は混沌たる不明瞭な世界を、言葉によって噛み砕き、咀嚼し、消化する。そこで初めて、人間に理解可能な「世界」が生まれる。人にとって、世界は言葉でできている。
しかし噛み砕く過程で、そこからこぼれ落ちる食べカスが発生する。その食べカスを、我々はうまく認識できない、それは世界の外に落ちていく。そのうえ困ったことに、食べ方は人それぞれだ。同じように言葉で噛み砕いて消化したはずなのに、気づけば違う言葉=世界が生まれてしまう。同じ国語で世界を構成したはずなのに、多種多様な世界が発生している。
「熊」という一語に、猛獣を見る人もいるであろう。小さな愛らしいこぐまをイメージする人もいるであろう。食べ方が上手な人は、その両者を見ることだろう。もっと上手な人は母性像を見出す人もいるであろうし、プーさんを真っ先に見る人も、転じて習近平を見る人だっているであろう。共産党員がやってきて私は殺された。
「ドッスン」という一語だって同じだ。ある人は「邪魔な障害物」というイメージを持つかもしれない。しかし他の人にとっては「邪魔な障害物」という意味で理解されるだろうし、もしかすると「邪魔な障害物」という像をそこに抱く人間もいるかもしれない。やっぱりドッスンって生きてて楽しいの? 殺されました。
単語ひとつでこうなのだから、文章であれば尚更だ。論理的で簡潔な文章の中に、どれほどの揺らぎがあるのだろう。どれほどの世界があるのだろう。それを乗り越えんとした所で、我々は論理式で世界を消化などできない。あくまで日常言語こそが私達の世界を構成する。曖昧模糊な言葉だけが、私達の世界だ。泥のようだ、霧のようだ、避けようにも避けられない多様性が、ここにある。
熊を悪にせんと陰謀をめぐらしていたら、言葉=世界の限界を意識する事になった。意識しながらも、人間である以上は言葉の中に住む他ない。フィクションとしての世界を、今日もぼんやり眺めている。こうしてぼんやり生きて、いつのまにか死んでいくんだろうなと思う。虚無、虚無、虚無。たのしい虚無だ。本当はちょっとかなしい。酔って誤魔化す他ない。人生はルバイヤートだ。
だがしかし。
人間が世界を超える時も、ある。言葉を失い、世界を失って。「現実」が現れる一瞬が、ある。
少なくとも秋田には、ある。
熊である。
熊と出くわした時、襲われた時。人は「現実」を取り戻す。取り戻さざるを、得なくなる。そこにあるのは危機感だけである、必死さだけである、言葉にならぬ悲鳴だけである。言語は消え去り、今まで視ていたはずの「世界」が、面前の「熊」だけに替わる。善も悪もない、理屈抜きの現実だけが現れる。人はその時、初めて現実を見る。言葉なき眼前だけを、見てしまう。
2025年のこの状況を「人と熊との戦争」と誰かが表現していた。実際そうなんだろう。戦争の是非を問うのは、いつだって座って観覧している私達だ。立って闘争に身を投じてしまった者にとっては、言葉なき殺し合いがあるばかりだろう、いわばグロテスクな生存競争だ。私達はここで気付く。座して虚構の世界に居る方が、よっぽど良い。少なくとも私は悲鳴をあげない。虚構は、人のためにある。グロテスクな眼の前を、覆ってくれている。チンパンジーの子殺し。シャチの……。…………。
突然フィクションから放り出された人達を思えば。どう考えたってこの現状はよくないと思う。思いながら、座してぼんやりしている自分にはどうする事もできない。散々なまはげに祈ったが、もう神に祈れる時代でもなくなった。祈れる相手がいるとすれば。より真剣に、フィクションたる「言葉」を尽くし、現場で働いてくださる人達だけであろう。この時代、人は人に祈る他ない。つまるところそれは、虚構への祈りそのものでもある。嘆くような事でもない。虚構は現実以上の力を持っている。現実に対する反応のみが動かす先は、蟻や蜂と同様の社会だ。人は違う。人類の躍進は虚構が故である。フィクションが人類史を動かしてきた、これからもそうだろう、良くも悪くも。この途方もない虚構性を信仰する他、ないんじゃなかろうか。いわば、虚無への祈りだ。
「お前が頼りないからだぞなまはげ」
どうでもいい言葉の一人遊びの末。私はまた、なまはげを罵倒した。
なまはげは、私を殺さなかった。
だってASMRを聴いているから。
そうだ、耳かきASMRを聴いている時、我々は確かな「現実」に出会う。
言葉という虚構は消え去り、ただ濃厚な囁んっ❤ 指で耳ほじりは駄目っ❤ 腰うくっ❤❤たすけてっ❤❤❤❤❤❤
【終】
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。




