顔面至上主義令嬢の婚約者は苦労が耐えない
「顔面至上主義令嬢は自分にしか興味がない」がじわじわと見ていただけていたようで…。先月は何回かランキングにも掲載されていたらしく。
本当にありがとうございます!
感謝の気持ちで書きました。
少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
僕の愛しい婚約者――ティリノーアは、とても可愛い。すれ違った人が百人いたとしたら、百人が振り返って五度見するくらい可愛い。
――実際にそんなことする奴がいたら、二度と日の目が見れないほどにしてやるけど。
つまりティリィは、可愛いし、優しいし、振る舞いだって王妃に足るほどしっかりしている。友人には、「お前にはもったいない」と言われるくらい素敵な女性だ。
ティリィとの初めての出会いは、王宮が主催したお茶会――国中の貴族を招いた、盛大なパーティーだった。子供も参加しやすいようにと昼間から開催されたが、交流会の名目とは別に、お見合いの意味も含んでいたのだと思う。
たくさんの子息息女が集まっていて、正直全員の顔と名前は覚えられなかった。人が多すぎたのも理由のひとつだけれど、それ以上の理由は、ティリィがいたから。
彼女は会場の壁側にひっそりと立っていたけれど、彼女の華やかさは隠れることがなかった。有象無象が集まる中で、彼女だけが輝いている。
会場に集まる全ての人間が、視線を奪われていた。
そして我先にと、美しい少女に近付いて声をかける。
その中には、騎士のリディルやロワーフ侯爵の嫡男ナイル、留学に来ている隣国の王太子オリバーまでもがいた。
彼らはひとことふたこと話して、去っていく。相手にされずあしらわれたのだろうが、それでも彼女と言葉を交わした男の顔は、愉悦で染まっていた。
彼女に群がる男の一人になるのは、業腹である。けれど彼らより出遅れるのは、もっと受け付け難い。
意を決して、彼女に近づく。
シャンデリアの光を取り込んだ大きな瞳が、僕を射抜く。たぶんこのときには、ティリィに落ちていた。
「はじめまして、テオドール・ランバルドと申します。僭越ながら、あなたのお名前をうかがっても?」
「ティリノーア・ミュラトランです。お会いできて光栄ですわ」
ティリノーアは、スカートをつまみ、軽くお辞儀をする。誰にでもする、挨拶だった。
僕の知るご令嬢は、僕に話しかけられれば、顔を真っ赤に染め上げて、喜びに満ちた表情を浮かべる。上擦った声で、もっと引き留めようと距離を詰めてくる。
それほど、僕の顔と身分は強い後ろ盾となっている。これは思い込みではなく、事実だ。
でも、ティリノーアは違う。彼女にとっては、僕でさえも、ほかの男と変わらない。
何も言わなければ、このまま去るしかない。
なにか。彼女を繋ぎ止める言葉を。
「……お疲れではありませんか? よろしければ、休憩室にご案内します」
はじめて、目があった気がした。ちゃんと、僕を見た。
ふっと口角が上がり、片手を差し出してくる。「よくできました」と褒めるように。
背筋が粟立った。歓喜で体が震える。
僕は、許されたのだ。今まで誰も許されなかった、ティリノーア・ミュラトランに触れる権利を。
視線が集まるのを感じる。彼女に声をかけた男全員の嫉妬と羨望が、向けられている。誰もが、僕の立場を焦がれているんだ。
震える手を誤魔化すように恭しく、差し出された手をとる。
壊してはならない、汚してはならない、傷ひとつつけてはならない。彼女はこの国の至宝だ。
彼女の手を優しく包み、ゆっくりと引く。
ここで手を離してしまえば、忽ち男が我先にと群がり、汚されてしまう。
そんなことは許されない。
天啓だった。なんとしてでも、彼女を手に入れなければならないと。大切に、傷ひとつつけないように、守らなければならないと。
そうできるだけの権力を、僕は持っているのだから。
――――――――――――――
なんとか婚約を取り付けたあとは、最高に幸せな時間だけが待っていた。
ティリィと愛称で呼ぶことが許された。僕をテオと、愛称で呼んでくれた。
相変わらず男は寄ってくるけれど、ティリィは歯牙にもかけなかった。
よく王宮に遊びに来るようになって、宝石が飛び散るほどの笑顔を僕に向けて、駆け寄ってくる。
彼女のまわりがやけに輝いているせいで、その他の景色がまるでモノトーンの油彩画、人々は路傍の石の集まりだ。
少し息を切らせて、上目遣いに僕を覗いてくる。そのまま抱き寄せたいのを我慢して、同じように笑顔を返す。
「テオ、新しいドレスはあるかしら? 汚れてしまったの」
「ドレス? もちろん、いくらでも用意するよ。でも汚れたって――」
彼女の顔から視線を下に向け、はじめてその惨状を目の当たりにする。
淡く柔らかい生地で作られたイエローのドレスが、胸元からスカートにかけて、茶色くくすんでしまっている。まるで、なにか液体を被ったような――
「あちらのご令嬢が、手を滑らせて零してしまったの。こんな格好でお茶会を続けられないでしょう? 着替えるものが欲しくて」
「紅茶? 怪我……火傷はしてないか!?」
「ぬるくなっていたから、怪我も火傷もしてませんわ」
「ティリィが無事なら何よりだよ。でも、零したって? かけられたの間違いだろう」
零したなら、濡れるのはテーブルより下、スカートの部分のはずだ。だけどティリィは胸元から濡れている。
故意にかけられた証拠だ。
ティリィがお茶会をしていた方向を睨む。
そこでは、紅茶やお菓子が並べられた丸テーブルを少女たちが囲み、談笑している。歳の近いご令嬢で親交を深めるよう、僕の母が企画したお茶会だ。
異様な空気ではないことから、ティリィは雰囲気を壊さないようにさり気なく離席してきたのだろう。その気遣いあっての今だと、彼女たちは気付かないのか。
ティリィはこのドレスを、お気に入りだと言っていた。だから、王妃主催のお茶会には、一番お気に入りのドレスをと、楽しそうに言っていた。
そのドレスを汚されても、一切怒らない。穏やかに微笑んで受け入れる。
愛しい婚約者に無礼を働いた者を決して忘れないように、目に焼き付けていたとき。
くいっと袖が引かれる。
「テオ? 彼女だって、わざとじゃないんですのよ。うふふ、私が眩しすぎて、目がくらんでしまったんだわ。あまりに美しく輝く宝石を初めて見たら、驚いて手が震えてしまうでしょう? それと一緒よ」
たまに、不思議な例えをする。
ティリィが美しいのは、産まれたばかりの赤ん坊すら理解する公然の事実だ。宝石に例えることすら烏滸がましい。
未だに笑顔を絶やさないティリィに、僕の上着を被せる。大きな瞳が、ぱちりと瞬いた。
「風邪を引いてしまうよ。はやく着替えよう。替えのドレスは――僕が選んでいいかな?」
「まぁ、テオが選んでくださるの? 嬉しいわ」
被せられた上着を、照れたように両手できゅっと握る。その仕草のなんと愛らしいことか。
そのまま腰を抱き、更衣室へエスコートする。
「――僕なら決して、その美しい宝石を汚すことはしないよ」
「はい?」
「僕も人間だから、この世にふたつとない宝石を見れば、震えるし一瞬我を失うかもしれない。それでも、誤って落とすことも傷つけることも、絶対にしない。真綿で包んで、大切に守ると誓う」
「――――――」
そのときの、ティリィの表情を今でもよく覚えている。
いつもの純粋無垢の笑顔ではなかった。
「あなたにできるのか?」そう、問いかけているような瞳で、僕を見ていた。
――試されている。そう感じた。
分かっている。彼女はこんな言葉で、簡単に靡いたりはしないのだと。
僕にはティリィが必要だけど、ティリィにとって僕は、必ずしもそうではない。
そんなこと、初めてティリィを目にしたときから知っている。
僕を見ているようで、どこか違う何かを見ている。そんな気が、たまにする。
たぶん、少しでも彼女の定めたルールから外れれば、すぐさま見限られるのだろう。
それでも構わない。もし見限られることがあるなら、きっとティリィを傷つけたことに他ならないのだから。
ちゃんと約束したとおり、柔らかい真しおなるきろ綿で優しく包んで、決して傷つけず、大切にするから。
――だからどうか、そんな顔をしないで。
「お初にお目にかかります。私、ミモレット子爵が娘、アイラ・ミモレットと申します」
大きな瞳が、動揺したように揺れる。小さな唇が震え、僅かに重心が後ろに下がった。
だが、それも一瞬のことで、ティリィはすぐに完璧な仮面を貼り付けて感情を隠す。
怯えている。直感的にそう感じた。
ティリィは、彼女を知っているのだろうか。なにか、嫌な思いをさせられたことがあるのか。
思い出すのはあのお茶会だが、ミモレット子爵のご息女はいなかったはずだ。
僕の知らないところで、なにかあったのかもしれない。あとで調べさせなければ。
「顔をあげてください。私はテオドール・ランバルド。彼女はティリノーア・ミュラトラン、私の婚約者です」
僕の言葉に従って、ゆったり顔を上げた彼女を視界にいれたとき。
息ができなくなった。まるで心臓を鷲掴みにされたようだ。鼓動が激しくなる。胸が苦しい。
――この感覚は、なんだ。
心はティリィにあるのに、体が言うことをきかない。思考がぼやける。引き寄せられる――
「テオ」
揺れかけた体が、金縛りにあったようにガクンと止まる。頬を張られた気分だ。
現実に引き戻され、冷や汗が頬を伝う。
――今、僕は、一体なにをした?
体が、足が、ミモレット子爵令嬢のもとに行きたいと叫んでいる。なぜだ。
「ぁ……ティリィ……」
許しを乞うようにティリィに顔を向けて、ぎくりとする。
そうだ、この瞳だ。忘れたことはない。
試すような、観察するような、問いかけてくる瞳だ。
何かが動き出している。大袈裟かもしれないけれど、目に見えない力が働いて、僕をつき動かそうとしている。
「アイラ嬢、入学おめでとうございます。楽しい学園生活をお送りください」
「ありがとうございます」
手を組んで、照れたように微笑む。その姿がまた、魅力的で、心臓が早鐘を打つ。
違う。僕が惹かれるのは、この子じゃない。
「それでは、失礼します。よい夜を」
「あの――」
なにか言おうと口を開けたミモレット子爵令嬢に小さくお辞儀をして、静かに隣に立っていたティリィの腰に手を回す。抵抗することなく、僕のエスコートについてくる。でも、何も言わない。こちらを見ない。
「ティリィ、疲れてない? 休憩室で、甘いものでも食べよう」
ようやく、その瞳が僕を映す。
そしてニッコリと微笑んだ。
「そうね――私、ガトーショコラが食べたいわ」
そう言って、僅かに体を僕の方に寄せてくる。ぐっと全身の熱が上がった気がした。
――そうだ。やっぱり、ティリィなんだ。
今も、体は引き返したいと叫んでる。許されるわけがない。
だって、完璧な女性の隣には、完璧な男性が立っていないと。ね?




