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あゆみ~小さな本屋さんと誕生日~

作者: 藤井桜



 昔からその本屋さんはそこにあった。商店街の小さな本屋さん。この町には、三件の本屋さんがあった。そこに通うのが少女の日課だった。



『あゆみ書店』



 学校帰りの高校生が立ち読みしたりするごく小さな小さな本屋さん。本屋は一人のおじいさんが経営していたのだが、そのおじいさんも亡くなり店を継いだのはおじいさんの孫だった。

 仙台の大学を卒業して社会人となり平凡なサラリーマンをしていたのだがおじいさんが亡くなりその後を継いだのだった。

 孫も本が好きじゃなかったらおじいさんの後など継いでいなかっただろう。父も母も普通に仕事をしていたし辞める気も無いらしい。

 おじいさんが亡くなったのを機会に店を閉めるつもりでいたらしい。しかし、孫にとってはちょっと寂しかった。

 幼い頃より慣れ親しんだ本屋なのだ。父と母を説得し自分が会社を辞めて後を継いだのだった。自分の意志で決めたことに両親も何も言わなかった。


 彼はもう分別のある大人なのだ。しかし、仕事を辞めて本屋の仕事がこんなにも退屈なものだとは思わなかった。

 お客といえば学校帰りの学生や発売日に本を購入しにくる主婦と近所に住む人たちばかりだ。

 レジの置いてある台の後ろはすぐに自宅だった。柱に寄りかかりながら、ぼーっとTVを見ていた青年は大きな欠伸をした。机の上に置かれた帳簿に昨日の売上を纏めていくが大した量ではない。

 自分の部屋にパソコンはあったが祖父が昔からつけていた帳簿だ。それを無くすのも惜しい。



「こんにちはー」



 店の出入り口に自動ドアなどない。がらがらと音がして横開きのドアが空いた。ガラス越しに紺色のブレザーが見えた。近所の高校の高校生だ。顔は知っている。祖父が亡くなる前から毎日、通ってきてくれる女の子だった。


 彼女は祖父のために涙を流してくれた。誰よりもこの本屋を好きで居てくれる。



「いっらしゃい」



 そう声を掛けて青年は少女に視線を走らせた。ずぶ濡れだ。いつの間にか外は雨が降っていた。TVの音量で気付かなかった。



「お姉さん」

「あの、雨宿りさせてもらえます?」



 今日の天気予報に傘マークはなかったはずだ。いくら晴れマークが出ていたとは、にわか雨の可能性もあるのだ。



「ちょっと待ってな」

「?」



 少女が不思議そうに青年を見つめると青年は家の中に消えた。そして手にタオルを持ってやってきた。少女の頭にそのタオル乗せた。



「ほれ、これ使え」

「あ、ありがとう」



 きょとんと青年を見つめていたが少女はタオルを受け取ると素直に礼を言った。少女は、借りたタオルを使って頭を拭く。



「ちょっと店番、頼むわ」

「何処行くの?」

「濡れてちゃ風邪ひくだろ? 温かい飲み物でも淹れてくるよ」



 青年は優しかった。こんな風にしゃべるのは初めてのような気がした。青年とおじいさんの姿が重なる。

 おじいさんは何時も無口でこの二年間、まともにしゃべった記憶はない。おじいさんとは自然に話すことを避けていたような気がする。

 だから名前も知らない。お店の脇に自宅の玄関があってそこの表札に『渡辺』という苗字がある以外には。

 青年はコーヒーを二つ持って戻ってきた。その一つを少女に渡してくれた。



「ほれ」

「ありがとう…」



 コーヒーからは温かい湯気が出ていた。少女は素直にお礼を言った。甘い香りがする。ミルクと砂糖が入っているのだろう、その甘さはほっとする。冷えた身体に優しく染み渡る。



「響か?」

「へ?」

「学校」



 ああ、少女は彼が何を言いたいのか理解した。こくんと首を縦に振った。この町には、高校は一つしかない。響高校だけだ。



「この近所って響しかないじゃないですか」



 そう言って、少女は苦笑した。遠くまで通うことを嫌った少女は近くの家から通える範囲の響高校を受験したのだ。



「ああ、そう言われればそうだな」



 青年は口元に笑みを浮かべた。始めて笑ったのを見たような気がする。二人は自宅と店の間の段差に腰を下ろしていた。



「実は俺も」

「渡辺さんもなんですか?」

「意外?」

「ええと…」



 少女は困ったように下を見た。ここから学校までの距離はたいしたことはない。少女のように近所だからという理由で選んだのかも知れない。



「この辺は響しかなかったんじゃないのか?」

「そうですね」



 少女は可愛い舌を出した。コーヒーカップは持っているだけで身体を温めてくれる。



「若いね」

「お年よりみたいなこと言ってますねー」

「まぁね」



 さして興味なさそうに青年はコーヒーに口をつけた。外はまだ雨が降り続いていた。当分、止みそうには無かった。雨が降ると客足も極端に減る。



「篠原奈美さん」

「何で私の名前…?」



 青年は胸元のネームプレートを指差した。彼女の胸元にあるネームプレートには学校名と名前、学年クラスが書かれていた。



「ああ」



 少女はくすりと微笑んだ。そして程よく冷めたコーヒーにまた口をつけた。優しい時間が流れる。



「おいしい」



 

 ふと彼女の目にカレンダーが目にとまった。一月十五日に赤丸がつけてある。『丈人、誕生日』とかかれていた。

 自分で書くはずはないだろう。母親辺りが書いたのではないか。

 視線を青年に戻すと青年は無口だった。何か悪いことでも言ったっけ? 奈美は首を傾げる。

 それから思い出したようにかばんからチョコレートの箱を取り出した。学校で食べるおやつのチョコ。今日は、他の子がおやつを持って来てくれたので食べなかったものだ。



「渡辺さん、あげる」

「ん?」



 青年は首をかしげた。何故、彼女はチョコなどくれるのだろうか。バレンタインデーは一ヶ月後だ。もらう理由が分からない。



「お誕生日おめでとうございます」

「は?」



 青年はきょとんと少女を見つめた。何故、自分の誕生日を知っているのだ、そう言いたそうだ。



「あれ」



 そう言って奈美はカレンダーを指差した。カレンダーの赤丸は結構、目立つから、気付いた。このお店には、いくつかのカレンダーが貼ってあるが、赤丸が付いているのはそれだけだ。



「今日は渡辺さんの誕生日なんじゃないですか?」

「何で俺だって分かる?」

「前にお店にきたときに渡辺さん、タケちゃんって呼ばれていたでしょ? それを思い出したの」

「なるほど」



 青年は少女からチョコを受け取った。ごく普通のチョコレートだ。安い普通のチョコですみません、来月ちゃんとしたものあげます、って言ってくれた。



「カレンダーを見て今知ったから」

「ああ、ありがとう」



 少女は満足げに微笑んだ。誰かに誕生日を祝ってもらうのは嬉しい、きっとそう思ったから。だから、青年に母はカレンダーに丸を付けたのだろう。



「あれは母さんが…」

「うん、そんな気した」

「年甲斐もなく…」



 ぶつぶつと呟く青年が可愛かった。そういいながら頭を掻いている。そう言ってコーヒーを飲み干した。書架から離された目の付くところにストーブが置いてある。それと、さりげなくだが、青年は少女の近くに自分の側にあったストーブを移動させてくれていた。



「お、雨やんだな。服大丈夫そう?」

「あ、はい。ありがとうございました」



 服もストーブのお陰でかなり乾いていた。ぺこりと少女は頭を下げた。



「ご馳走さまでした」

「ああ。お得意様だからな」



 そう言って青年は笑った。家族以外の人に誕生日を祝ってもらったのは何時以来だっただろうか。青年は口元に笑みを浮かべた。

 

 窓の外には虹が出ていた。来月はきちんとしたチョコレートを上げようと少女は虹を見上げてそう思った。それと、『あゆみ書店』の名前の由来も聞こうと決めた。



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