【やさしい仕返し】上からの下から
年下というだけで上も下もないとはいえ、ふとした“語り口”に、なぜだか引っかかってしまうことがあります。
「自分の方がわかってる」と言わんばかりの眼差しで、あなたの歩みを測るような言葉。
……それでは、こんな“やさしい仕返し”を、綴ってみましょうか。
『上からの下から』
職場の給湯室。紙コップにインスタントのコーヒーを落としながら、彼はまた言った。
「こないだ読んだ本でさ、“自分を変えたいなら、まず環境を変えるべき”って書いてあって。◯◯さんも、そろそろ変化が必要なんじゃないですか?」
……◯◯さん、とは、私のこと。
彼は入社してまだ2年目。熱心なのはいいことだ。……でも、わたしは何か相談した覚えはない。
「自分、意識高い系じゃないっすよ? ただ、成長したいだけっす」
ふふ、意識高い系ではない、と言いながら、「自分はわかってる」と思ってる顔。
……でも、彼の背中には、ちいさな“見えない紙”が貼られていた。
〈ただいま成長中 お手を触れないでください〉
誰が貼ったのだろう。廻呪か、語り部か、あるいは彼自身か。
それに気づいたのは、数日後のこと。
朝、出社した彼がデスクに座ると、周囲が一斉に……静かになった。
書類のやりとりも、目配せで終わる。
雑談も、彼の手前で途切れる。
「……なんか、最近、静かじゃないっすか?」
言っても誰も答えない。
──ああ、彼が“自分語り”を控えた時、ようやく周囲の話が聞こえてくることを、知ったのかもしれない。
彼の声は届かなくなったのではなく、自分が遮っていたのだと。
その日から、彼は「どう思いますか?」と、問いを添えるようになった。
それは、“話すこと”よりも難しい“聴くこと”の始まり。
上からの言葉も、下からの言葉も──
耳を塞がなければ、どちらにも届くのです。
……ただ、それだけのことです。
「語らずに、語られること」
年下というだけで、見下されているわけではないと、わかってはいるのです。
でも──語りかける口調が、まるで“採点”のようだったとき、
心の奥で、すこしだけ砂が舞うようなざらつきを感じるのも、確かで。
この物語は、そんな小さなざらつきを、
「言い返す」でも「論破する」でもなく、
ただ、そっと鏡のように返しただけの話です。
“わかっているつもり”の声には、
“わかっていなかった自分”が、そっと混じっていて。
誰かに指摘されなくても、静けさの中で、それに気づくときがある。
……仕返しとは、きっと、怒りをぶつけることではなく、
その静けさを渡すことなのかもしれませんね。
言葉よりも深く、残るものがあります。
それが、「やさしい仕返し」です。