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青き胡蝶の夢  作者: 鳥沢 響
2.青春の刻
6/14

希望のあかり

「さてと、これからどうしようか」

「あたし、アルカディアに寄って、マスターと話してきます。今日のこと報告しようと思って、マスターも気にしてたから」

「デートね」

「デートったって、どこにも行きませんけどね。あ、そうだ。今日のこと全部マスターに話しても大丈夫ですか。先輩の恋の話はまずいですよね。祐美さんとのこと」

「んー、ちょっと恥ずかしい気もするけど、マスターにはレズってばれてるし、ま、いっかな」

「よかった。マスター、ああ見えて涙もろいところがあるから、泣いちゃうかもしれません。ミーナ、可哀そうって」

「やめてー。マスターの泣くとこなんか想像したくない。で、話が終わったらエッチするの?」

「しませんよ!」

「エッチなことも?」

「エッチもエッチなこともしません。というか、そんなことしたの最初だけです」

「あら、そうなの?」

「それが、エッチした後大変だったんです」

「どうしたの」

「マスター、急に正気に戻ったみたいで、ごめん、ごめんってひたすら謝るんです。半泣きで、みっともないくらいおたおたして」

「へー、マスターがね」

「あげく、あたしの人生を台無しにしたなんて言うもんだから、あたし腹が立って言ってやったんです。あたしはマスターが好きだから嬉しかったんですって」

「お、告白。でもマスターはあかりちゃんのこと好きって言ってくれたの?」

「そこなんです。あたしは怒ってるんです、無言でキスして、無言でセックスして、それじゃ、ムードもへったくれもないって言ってやりました」

「へったくれ」

 この時、美菜は強烈な違和感に襲われた。「へったくれ」という言葉は、夢の中で全裸の遼平にプロポーズされたときに、美菜が言った言葉だった。それまで使ったことのない言葉に、その時もかすかな違和感を覚えていた。それを今、あかりも使った。

「あかりちゃん、へったくれって言ったの?」

「ええ、確かそう言ったと思います。それがどうかしたんですか」

「うん、私もね、その言葉を使ったことがあるの。言ったあとに変な感じがしたのね。今まで使ったことがない言葉だったからかな」

「言われてみたらそうですね。あたしも初めて使ったかも。普通なら『ムードもなにも』ですよね。気持ちが高ぶってたからでしょうか」

 これ以上この件にこだわると、夢の話をする必要がある気がした。

「ごめんね。変なことで話の腰を折っちゃった。それで、マスターはどうしたの」

「はい、そのことも、また謝るもんですから、あたし条件を出したんです。そしたら許してあげるって」

「条件って?」

「結婚したら許してあげるって」

「け、結婚!」

「はい、でも、今すぐじゃないですよ。高校卒業したらって」

「えー、そしたら何て言ったの、マスター」

「わかったって」

「え、それだけ?」

「はい、でも、あたしがいやいやなのって聞いたら、やっと、俺もあかりのことが好きだって言ってくれました」

「はー、やっと告白してくれたのね」

「はい、半分無理やりですけど、とにかく言ってくれたから、まあいいかなと」

「でもよかったね。おめでとう」

「ありがとうございます。はー、やっと人に話せた。これ、まだ親にも言ってないんですよ。言ったら大騒ぎになりそうで怖い」

「あー、確かに、大騒ぎになるね」

「ですよね」

「あ、でも、結婚の約束してるんだったら、エッチしてもいいんじゃないの」

「結婚するまでそういうことはしないそうです。あたしのことを大事にしたいからって言ってました」

「はー、何言ってんだか。強姦みたいなことしておいて」

「強姦みたいなじゃなくて、強姦です」

 まただ、強姦という言葉に反応して、夢の中で、美菜が「強姦も好きねえ」と言った場面がフラッシュバックする。全裸で遼平と向き合っていた場面が鮮やかに蘇る。心が震える。

「ミーナ先輩、あたしたちに隠していることがありますよね」

 あかりの勘の鋭さに驚く。

「ん、なんでそう思うの」

「間違っていたらごめんなさい。あたしの言葉に先輩が反応して、様子がおかしくなることが何回かあったからです。強姦、へったくれ、あと、遼ちゃんに、君は本当に男なのって言ったときです」

「凄いね、あかりちゃん。その通りよ」

「あたしでよかったら、話してください。なんだか先輩が苦しんでいるようで、あたしもつらいです」

「そうね、あかりちゃんだったら話せるかもしれない。遼ちゃんには絶対言えないことなの」

 そう言ったものの、まだ迷っていた。あたりは暗くなり始め、今、街灯がついた。

「でも、もうちょっと待って。もう少し考えてみる。これを話してあかりちゃんに嫌われたら悲しいから」

「わかりました。あたし、何を言われても、先輩を嫌いになることなんか絶対にありませんから、ぜひ話してくださいね」

「どっちみち、今は無理だから。もう暗くなってきたし、この話、一時間や二時間では終わらないから」

 美菜は街灯の明かりを見た。街灯は道の反対側、ガードレールの奥に立っている。その奥は崖で、五・六メートル下を川が流れている。川幅は三メートルほどで、さらにその奥はこんもりとした林になっている。薄暗くなっている中、林はシルエットと化し、美菜の目には、街灯の明かりは道だけを照らしているように見えた。

 あかりが道を照らしている。これは啓示かと思った。あかりが進むべき道を教えてくれる。美菜はあかりにすべてを話そうと思った。

「あかりちゃん! 私、話す。話したい。近いうちにきっと話すから」

「あ、はい」美菜の突然の心変わりに怪訝そうな様子。

「今、少しだけ話したい、いいかな」

「はい、ぜひ」

「私、遼ちゃんに会うために、アルカディアに来たの」

「え? そうなんですか、でも……」

「わざわざ、転校してまで遼ちゃんに会うために来たの」

「でも、遼ちゃんがアルカディアに来たのは、先輩の五日前ですよね。転校の手続きや引っ越しの手配とか、五日じゃ無理ですよね」

「そうね、なんだかんだで10日以上かかったかな」

「ということは、遼ちゃんがアルカディアでバイトすることを、先輩は事前に知っていたということになります」

「そう、知っていたの」

「遼ちゃんはミーナ先輩のこと知らなかったんですね」

「そのはずよ。知ってて知らないふりなんて、あの子にはできないと思う」

「だったら、遼ちゃんが先輩に連絡することもあり得ない。んーー、……もしかして、夢ですか」

「驚いた。あかりちゃん、ほんと凄いね」

「いえ、美容室を出たあと、先輩が夢の話をしていたから、夢がキーワードかなって思っていたんで」

「その通りよ。夢の中で遼ちゃんが教えてくれたの」

「遼ちゃんが……」

「そう、それも30年後の遼ちゃん。正確には31年後かな、47歳って言っていたから」

「え、そんな、そんなことが……」

「そうよね。こんなこと、とても信じられないよね」

 あかりは戸惑いを見せながらも、考え込んでいる。

「そうですね。他の人に言われたら、あたしは信じません。でも、ミーナ先輩の言うことだったら……、信じます。47歳の遼ちゃん、どんな感じでした」

「そうねえ、見た目は今と同じ、もちろん女装はしていないし、髪型も元の幽霊ヘア」

「幽霊ヘア? あー、なるほど、目がほとんど隠れてる髪型ですね」

「中身は少し成長していたかも。とても丁寧で、口数も多くなってた。でも、自信なさげなところとか、言動の可愛さは今と同じ」

「ははーん、さては、その夢の中の遼平さんを好きになったんですね」

「うん。でも簡単に好きになったんじゃないよ。たくさんおしゃべりしたし……あれもしたから」

「あれ? あれって何です……ってまさか、あれ?」

「うん、それ」

「んもう、あれだのそれだのじゃわかりません。だいたい、ミーナ先輩、人のことを冷やかすの好きなくせに、自分のことはすごーく照れますよね」

「だってえ、恥ずかしいんだもん」

「そうやって、すぐぶりっ子する。セックスしたんですね」

「はい、しました」

「何をしたのか、はっきり言ってください」

「あかりちゃんの意地悪。だから、せ、セックスしました。しかも三回も」

「三回!」

「あー、だめだ。全部話さないと伝わらない。あかりちゃん、今何時くらい」

「そうですねえ、もう完全に暗くなったから、七時過ぎてるかもしれません」

「今日はうちに泊まってくれる。今日、全部話したい」

「わかりました。あたしも聞きたいです」

 それから、二人して美菜の部屋に入り、あかりが自宅とマスターに電話をかけて、美菜の家に泊まる了承を得る。大騒ぎしながら、一緒に風呂に入り、夕飯にカップラーメンとタコ焼き器で作ったタコ焼きを食べて、話の続きが始まったのが、九時過ぎ。途中あちこち脱線したため、全部話し終わったときには、午前0時を過ぎていた。

「はー、ミーナ先輩、とんでもない体験したんですね」

「ほんとよね。改めて話すと、恥ずかしくて顔から火が出そうよ」

「先輩の問題は、遼平さんと遼ちゃんの板挟みになってるってことですよね」

「そうなの。二人は同一人物だって思いこもうとするんだけどだめなの。だって、遼平さんとのセックスを遼ちゃんは知らないし、遼ちゃんと感動を分け合った今日のことを遼平さんは知らない」

「先輩、遼平さんとのセックス、気持ちよかった?」

「うん、とっても」

「照れないんですね」

「さんざんエッチな話、したからね。免疫ついちゃったかな」

「ちょっと残念、先輩の照れてるところ、かわいくて好きだったんですけど」

「あら、そうなの。照れようか」

「もういいですよ。それで、もう一度遼平さんとセックスしたいですか」

「うん、したい。だってね、本当に気持ちよかったんだからね。それにね、セックスと同じくらい気持ちよかったのが、裸で抱き合ってるとき。遼平さん、肌がすべすべなの、全身。脚も腕も、お腹も背中もお尻も。そんな体に抱かれていると、心がとろけちゃうの。あー幸せって、ずっとこうしていたいって思うの」

 美菜はその時を想い、しばし幸福感に浸った。ふと、あかりに目を向けると、下を向き、居心地の悪そうな様子。あかりの顔を覗き込む美菜。

「あら、あかりちゃん、顔、赤いよ」と言うと、

「あ、いえ、なんでもないです」妙に慌てている。

「ははーん、裸で抱き合ってるの想像しちゃったのね。それで、抱き合ってるのは誰と誰」

「あはは。もちろん、先輩と遼ちゃんです」

「あー、それは嘘だね。だったらなんで、そんなにもじもじしてるの。先輩に嘘ついたら、くすぐりの刑に処す」と言って、美菜はあかりをくすぐろうとする。

「やだ。わかった。わかりました。あたしとマスターです」

「なんだ、そうか。私はてっきり、あかりちゃんと遼ちゃんかと思っちゃった」

「なんでそうなるんですか。そんな訳ありません」

 あかりはそう言うが、おそらく遼平と抱き合って、その素肌の感触を想像していたと思った。追及すれば、あかりは弁解に苦労するだろうし、正直に告白されても、対応に困る。追及はやめておこう。

「それで、本題に戻りますけど、先輩はどちらが好きなんですか。遼ちゃんと遼平さん」

「それがわからないから、悩んでるんじゃない」

「じゃあ、言葉を変えます。どちらを愛してますか」

「愛してる。愛してるねえ。うーん、うーん」

 考えてもわからなかった。「愛してる」と「好きだ」、どう違うのだろう。

「あかりちゃん、愛って何、めっちゃ好きとどう違うの」

「そうですね。改めて考えると難しいですね。あたしも、めっちゃ好きのイメージです。あえて言えば、その人がいないと生きていけない。だから、その人を命がけで守りたいという思いってことでしょうか」

「凄い、あかりちゃん。そっか、それだったら、遼ちゃんかな。遼ちゃんを守るためなら死んでもいい。ん、でも私、あかりちゃんのこともそう思ってるよ。これも愛だよね」

「母性本能もそうですね。お母さんは命がけで子どもを守るから、これも愛です」

「愛っていっぱいあるのね。だったら二人を愛しても問題ないってこと?」

「それは、どう考えても違いますよね。男女の場合は特別なのかも」

「セックスが関係するよね」

「ですね。パートナーが他の人とセックスするのはまずいです」

「遼平さんか遼ちゃんか決めろということね」

「先輩が遼ちゃんを命がけで守りたいと思っているのが、母性本能から来るのか、男女間の特別な愛からそう思うのかで決まりそうです」

「えー、難しいよ」

「いいえ、難しくないです。先輩が遼ちゃんとセックスしたいかどうかで決まると思います」

「それは、もちろんしたいよ。さっき、遼ちゃんにもいつかしようって言ったし」

「だったらもう答えは出てますね」

 それでも美菜は迷っていた。もちろん、16歳の遼平のことは泣きたくなるほど好きだし、今すぐにでも結ばれたいと思っている。一方で、謎の部屋での遼平も、美菜の心と体に忘れることのできない大きな痕跡を残した。会いたくて会いたくて会えなかった40日間の想いは、心に刻まれているし、肌を重ねた喜びに、今でもこの体が疼く。

「実を言えば、答えはとっくに出ていたと思うの。あんなにかわいい遼ちゃんを諦めるなんて、私にはできない」

「そうですよね」ほっとしたような響き。そうだよね、あかりちゃんは遼ちゃんの味方だものね。

「結局、問題は、私が遼平さんとのセックスを断ることができるかということなの。断らなくちゃいけないんだけど」

「体が遼平さんを求めてるってことですか」

「私が遼平さんと会うときは、裸なのよ。全裸。二人とも。そして、私は遼平さんのことが好きだし、遼平さんは私のことを30年間想い続けてきたの、私だけを」

 あかりは考えている。おそらく、自分とマスターがそういう状況に置かれたらと思っているのだろう。

「それは難しいですね。最後まで行っちゃいそうです」

「でも、私は断るつもり。遼ちゃんのことが好きになったから、遼平さんとはセックスできないって、はっきり言うつもり」

「遼平さんが我慢できなくなって襲ってきたら?」

「遼平さんはそんなことしない。それに、遼ちゃんを救ってくれって、遼平さんから頼まれたんだから、きっとわかってくれる」

「ああ、そうでしたね」

「でもね、何かのはずみで抱き合うことにでもなったら、ちょっと自信ない」

「遼平さんの体って、そんなに危険なんですか」

「それはもう、あかりちゃんだって、裸の遼ちゃんと抱き合うところ想像したから、わかるでしょう」

「ああ、そうですね。え? いえいえ、あたし、そんな想像してません」

「あーあ、白状しちゃった」

「いや、だから、してませんって」

「はいはい」

「ミーナせんぱーい。信じてください」

「わかった、わかった。信じる。あ、もう一時過ぎてる。そろそろ寝ないと」

「あ、先輩。あと一つだけいいですか」

「何」

「夢の話です。48歳の美菜さんの夢」

「うん、それが?」

「先輩の最大の心配が、美菜さんが目覚めたときに、遼ちゃんやあたしと別れてしまうってことですよね」

「そうだね」

「つまり、今のこの現実が、実は美菜さんの夢の中の出来事じゃないかと」

「最初に遼平さんにその話を聞いたときは、そんなわけないと思ったのね」

「はい、普通はそうです」

「でも、今日、もしかしたらと思ったの」

「先輩の様子がおかしくなったときですね」

「そう、その時も言ったけど、あまりにも私の期待通りに進んでる気がしたの。遼ちゃんは理想の恋人になっているし、あかりちゃんは理想の親友になっている」

「……」

「それにね、あかりちゃんが言った『強姦』や『へったくれ』も、私が夢の中で言った言葉なの」

「はい、そうじゃないかと思っていました」

「決定的だったのが、あかりちゃんが『君は本当に男なの』と言ったとき、遼ちゃんが『そうだと思いますよ、変なもの持ってるし』って返したことなの」

「はい、ミーナ先輩の様子が一番おかしかったのがそのときです。先輩、立っていられなくて崩れ落ちた感じでした」

「うん、その会話、私と遼平さんが夢の中でした会話と全く同じだったの」 

「そうだったんですか」

 あかりが何か言いたそうにしている。美菜は、今のこの現実が48歳の美菜の夢の中ではないかという疑いを強くしていた。しかし、それは即ち、あかりが現実の存在ではなく、美菜が作り出した架空の存在だということになる。

 美菜はそれを口に出すべきか迷っていた。それを言えば、美菜があかりを信じていないということに等しいような気がした。

 あかりが沈黙を破って言った。

「つまり、あたしがミーナ先輩の期待通りに動くことや、あたしが夢の中での先輩の言葉をトレースしているから、あたしは夢の中の存在だということですね」

「あのね、私はそうであって欲しくないって心から思ってるの。でも……」

「先輩」

「はい」

「昼間も言ったように、あたしは自信を持って否定できます。あたしはあたしです。先輩の夢の中の架空の存在ではないって」

「うん」

「だけど、先輩が作り出した架空のあたしでも、そうやって否定するでしょうね」

「……」

「ミーナ先輩、パラレルワールドという言葉を聞いたことがありますか」

「……SF?」今、なぜその話?

「はい、SFでよく使われますが、先端の物理学で議論されているそうです」

「そうなんだ。確か、人が何かを選択したときに世界が分かれるみたいな話だっけ?」

「はい、物理学ではマルチバースと言うそうなんですが、意味は同じです」

「そうなのね。でも、それが?」

「もし、パラレルワールドがあるのなら、48歳の美菜さんの現実と、今のこの現実が同時にあってもおかしくないですよね」

 あっと思った。現実はひとつしかないと思い込んでいた。そして、遼平との謎の部屋で、遼平が突然消えたり、現れたりするあり得ない現象を見せられた上、遼平から、美菜が48歳の美菜の夢の中の存在であることを告げられた。そのため、夢から覚めたあとも、この現実が夢なのではないかという疑いを強く抱いていた。

 現実が二つ存在できるなら…。しかし、時代が違う。

「でも、私の現実と30年後の現実が同時に存在できるの?」

「はい、パラレルワールドがあるのなら、タイムトラベルも理論的に可能だそうです」

 希望の光が灯った。美菜が意識不明から蘇れば、遼平やあかりから切り離される。それは美菜にとって絶望に等しかった。今の喜びが大きくなるほど、絶望の谷も深くなるような気がしていた。絶望の底に希望のあかりが灯った。

「ふふ、希望のあかりね」

「何ですか、それ」

「外で話しているとき、暗くなってきたでしょう」

「はい」

「そして街灯のあかりが灯った」

「はい」

「私にはそのあかりが道だけを照らしているように見えたの。あかりが道を照らしている。あかりちゃんが私の進むべき道を教えてくれるって思ったの」

「へー、そんなこと考えていたんですね」

「私、あかりちゃんに夢の話をしようか迷っていたでしょう。その時、あかりちゃんに聞いてもらおうって決心したの」

「そうだったんですね」

「そうしたら、本当に、あかりちゃんがパラレルワールドという希望のあかりをくれたのよ。でもあかりちゃん、なんでそんなこと知ってるの」

「マスターに聞いたんです」

「マスターに……」

「マスター、ああ見えて、大学で物理学を勉強していたんだそうです。そこで、量子力学とかいうのを専攻していたそうなんです」

「量子力学、難しそう」

「そうなんですよ。時々、その量子力学の話をしてくれるんですけど、あたしには何のことやらって感じです。シュレーディンガーの猫という有名な話があるそうなんですけど、先輩、知ってます?」

「シュレーディンガーの猫? 知らない」

「なんでも、猫を毒といっしょに箱の中に入れておくと、箱を開ける前は、生きている猫と死んでいる猫が確率的に存在していて、箱をあけるとどちらかに収束するそうです」

「なにそれ、ほんとに何のこっちゃらって感じね。そんなこと考えてなんの役に立つんだろうね」

「でしょう。そんな話ばっかりなんです。ただひとつ、パラレルワールドの話は、あたしも興味をもちました。量子力学をつきつめるとパラレルワールドは存在するという結論に達するというんです。理由も説明してくれたんですが、あたしには理解不能でした」

「そうなんだ。科学的に証明されているのね」

「いえ、証明はできないって言ってました。あくまで、あるはずだという予言みたいなものだそうです」

「証明できないってなんで」

「二つの世界を物質は行き来できないのだそうです。だから、人間が別の世界に行くことはできないとのことです」

「ふーん、あるはずなのに証明できないのか」

「でも、こんなことも言ってました。人間の魂が物質とは別の形で存在できるなら、別の世界に行けるかもしれないと。あと夢も」

「夢か、これだね」

「はい、だけど、これも、本当に別の世界に行ってる夢なのか、ただの夢なのか、見分けることは不可能だそうです」

「うーん、そうだね」

「でも、あたし、ミーナ先輩の話を聞いて思ったんです。もしかしたらVRが二つの夢を繋いだんじゃないかって。17歳のミーナ先輩の夢と30年後の遼平さんの夢を」

 VRが二つの世界を繋ぐ。それはありそうなことに思えた。

「凄い、凄いよ、あかりちゃん」

「あ、でも、まだそうと決まったわけではありません」

「ううん、いいの。あかりちゃんの今の言葉にすごく納得したの。だから私、あかりちゃんを信じる。あかりちゃん、ありがとう」

 美菜は両手を伸ばして、あかりを抱きしめた。

「いいんです。あたしは先輩が元気になってくれたらうれしいです」

 美菜はあかりを突き放して言った。

「でも、間違ってたら、責任とってもらうよ」

「えー、どうすればいいんですか」

「そうねえ、消えたりしないこと。ずっと私のそばにいること」

「なんだ、そんなことか。私は百億パーセント消えたりしません。ずっと先輩のそばにいます。ミーナ先輩、大好きです」

 そう言って、今度はあかりのほうから美菜に抱きついてきた。美菜も抱き返す。

「あーーーー」

「ど、どうしました。先輩」

「二時過ぎてる!」

「びっくりしたー。あたしが消えちゃったのかと思いました」

「あらら、百億パーセント消えないんじゃなかったの。あ、そんなことより早く寝ないと。寝不足の顔なんて、遼ちゃんに見せられない」

 二人は慌ただしく寝る用意をした。

「ふとん敷くの面倒だね。ベッドに一緒に寝ない? ダメ?」

「いいですけど、変なことしないでくださいね」

「しないしない。でも抱き合って寝るのはいいでしょう?」

「はい、それくらいなら」

 ベッドの中で抱き合った。

「はー、幸せ。あかりちゃん、大好き」

「あたしも幸せです。先輩、いい匂いがします」

「えへー、どんな匂い」

「みかんの匂いかな。あたし、みかん大好きなんです」

「あかりちゃんもいい匂い」

「どんな匂いです」

「そうねえ、大草原の中の空気の匂いかな。ってそんなとこ行ったことないけど」

「先輩、いい加減」

 美菜は大草原の香りの中で、今日一日の幸せをかみしめながら眠りについた。




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