胡蝶の夢
次の日、結菜は綾と一緒にボイストレーニングに出かけた。遼平はデニムのミニスカート姿になって一階のリハビリルームにリハビリに行った。汗びっしょりで戻ってきた遼平に誘われて、一緒に風呂に入った。遼平に抱かれて湯船に浸かった美菜は、またひとつ二人の遼平が重なった気がした。
ミニスカート姿の遼平を見たあかりが、涙を浮かべて「遼ちゃーん」と遼平に抱きつき、目を白黒させて照れる遼平を見て、美菜とあかりは笑った。
午後は遼平とあかりと三人で、結菜のアルバムを見たり、思い出話に花を咲かせたりしてのんびりと過ごした。
結菜たちは午後五時過ぎに戻ってきた。ボイストレーニングの後、事務所の社長やレコード会社の担当者の前でテストを受け、無事合格して、来週レコーディングが行われることになったそうだ。
夕食後、美菜たちの前で出来栄えを披露することになった。曲名は「ここにいるよ」
美菜たちの部屋のベッドを壁に寄せてスペースを作る。美菜、遼平、あかりは、美菜を中心にベッドに腰かけて手を繋いだ。綾はCDの操作のため丸椅子に座った。
結菜はセーラー服で、ポニーテールに青いリボンという昨日と同じ恰好。ただスカートが少し短くなっている気がした。
綾がCDをセットしてスタートボタンを押した。悲し気な切ないイントロが流れ出す。
昼にほほえむ花を見ても
夜にまたたく星を見ても
ぼくの心は君をさがしている
君と過ごした日々は短いけれど
ぼくの心のすべてに君がいる
ぼくはここにいるよ
君はどこにいるの
探しているのに見つからない
会いたいよ、ぼくを見つけてよ
ぼくはここにいるよ
君は泣いているの
泣いている君を抱きしめたい
会いたいよ、君に会いたいよ
切々と唄う結菜の声に涙が溢れ出す。繋いだ両手に力が入った。遼平やあかりの想いも伝わってくる。
この唄は美菜に対する結菜の想いであり、美菜と遼平の想いでもあると思った。
あかりも綾も涙を浮かべて聴いている。あかりや綾が、そして結菜がどれほど美菜と遼平が目覚めるのを待っていたか。どんな想いで待っていたか、結菜の切ない唄声を通して心に刺さった。
間奏に入り、結菜のダンスが始まった。
切れのいい動きで、蹲り、伸びあがり、回転する。スカートが翻り、結菜の白く輝く脚が目に染みる。
そして気づいた。この踊りにも結菜の想いが込められている。
美菜に会いたいという結菜の切なる想いが、真っすぐに伝わって来て、美菜の心を震わせた。
「ああ、ユーナ」
涙が止まらない。
結菜が上体を斜めに倒し、美菜に向かって右手を差し出した。
そして笑顔。
その瞬間、何かが弾けるような音が聞こえた気がした。
背景がすべて消え失せ、結菜だけがスポットライトを浴びているように輝いて見えた。
曲調が変わった。明るく、希望に溢れた音色が流れ出す。
ぼくはここにいるよ
君がとなりにいる
笑っている君を抱きしめた
離さない、もう君を離さない
ぼくはここにいるよ
君と飛んでいこう
空色の羽をはためかせ
高く、高く飛んでいこう
空の色と溶けあって
ぼくらの心もひとつになるまで
後奏に入り、ゆったりした旋律に変わった。
いつの間にか暗くなり、目の前に青い蝶が飛んでいた。
ああ、そうか。結菜が後ろを向いて踊っている。リボンが蝶に見えたのだと気づいた。
なんだか心地よい。自分もそのリボンの蝶と一緒に飛んでいる気分になった。
心もふわふわと飛んでいる。
美菜は心地よさに引きずり込まれるように眠りに落ちた。
気がつくと空を飛んでいた。
空といっても地上数十センチ、下は白い花が無数に咲いているお花畑だった。
飛んでいるというよりふわふわ浮いている感覚だった。自分で羽を動かしている感覚もあった。
そうか、突然理解した。私は蝶だ。
驚きはなかった。なんの違和感もなく受け入れた。
これは夢かもしれないし、これが現実なのかもしれない。
そんなもの、どちらでもよかった。
大切なのは自分が幸せだということ。満足感と至福の想いが胸に満ち溢れている。
なぜこんなに幸せなんだろうと思いながらゆらゆらと飛んでいるとき、体に衝撃が走った。
鳥に襲われたようだ。左の羽を根元から持っていかれた。
美菜は片羽になって真っ逆さまにお花畑に落ちた。
片羽ではもう飛べない。残念だけど、どのみちそう長い命ではない。
ただ、見たい景色があった。
花の茎を伝って登っていく。片羽ではバランスが悪い。慎重に登り、花びらの上に立つと快晴の空が広がった。
いた!
数メートル先、お花畑の上すれすれを美しい真っ青な蝶が飛んでいる。
「遼ちゃん」心で伝えた。
「ミーナ」遼平の心が返って来て、青い蝶がこちらに向かってくる
吸い込まれるような美しい青にため息が出る。しかし、裾の方はぼろぼろで痛々しい。
遼平が広げた羽を美菜に向けて、目の前に降り立った。
美菜が遼平の背に乗ると、遼平は羽を閉じ、美菜を両羽で包み込んだ。
美菜は幸せだった。出会うべきパートナーと出会い、その腕の中で命尽きる。これほどの幸せがあるだろうか。
意識が薄れかけてきたとき、遼平に促されて空を見た。
何十羽という青い蝶が二列縦隊で飛んでいる。
先頭のひときわ鮮やかな青が結菜だ。それに続く濃淡様々な蝶もすべて美菜と遼平の子どもたちだ。
美菜は感動に打ち震えながらも、子どもたちの幸せを願った。
どうか、素晴らしいパートナーに出会って、たくさんの子どもたちを残してくれますように。
子どもたちは別れを惜しむように、美菜たちの周りを二周したあと大空へと飛び立って行った。
羽の青が空の青へと溶け込んで見えなくなったとき、美菜の意識も消えた。
完




