至福の刻
目覚めたら遼平の顔が目の前にあった。頬杖ついて美菜を見ていた。結菜はいない。
「遼ちゃん……、ユーナは?」
「ご飯食べに行った」
「そう、よかった。夢じゃなかったのね」
「夢? 何が」
「私ね、今日初めてユーナに会ったのよ。それなのにもう、私の心の真ん中にあの子がいるの、遼ちゃんの隣に。もうあの子なしではいられないくらい」
「うん、そうだね。俺もそうだ。初めて会ったのにあんなに打ち解けたのはユーナが初めてだ。ああ、ミーナと夢の中で会ったときもそうだった」
「だからね、夢じゃないかって怖いの。ユーナは私の願望が生み出した幻なんじゃないかって」
「夢か、そうだね。俺の現実は病院で眠っているから、これは夢なんだね。だけど、こんな楽しい夢なら大歓迎だよ。ミーナがいる。ユーナという魅力的な息子もいる。もうすぐユーナの子どもにも会えるし、綾さんやあかりさんとも家族になれる」
「だけど、夢なら覚めるかもしれない」
「そうだね。そう思うと少し怖い気もするけど、現実だって同じじゃないかな。明日何が起こるかわからないんだし、でもそれを怖がって今の幸せを喜べないって悲しいよ」
「それ、あかりちゃんや遼ちゃんにも言われた。私って全然成長していない」
「それも含めてミーナなんだ。ミーナ、大好きだよ」
遼平が美菜を抱きしめた。
「こうやってミーナを抱きしめられる。30年の願いが叶ったんだ。明日死んでも悔いはない。俺、本気でそう思ってるよ」
「遼ちゃん……」
「でも、エッチもしたいけどね。人間って欲張りだね。あかりさんから、ミーナの体調が戻るまでは控えるよう言われてるけど」
「もう、遼ちゃん、ムード台無し」
美菜は別世界に旅立った遼平の言葉を思い出していた。死んでもまた会えるという希望があれば、今を、今の幸せを心から楽しめると言ったことを。
「そうね、夢から覚めても、離れ離れになっても、また会えるんだよね、遼ちゃんにも、ユーナにも」
「そうだ。遼平いいこと言ったんだね。そう考えると何も怖くないな」
「自分で言ってるし」
美菜は笑いながら思った。もう怖がることはやめよう。遼平と一緒の幸せを満喫しよう。結菜もいる。結菜の子どもが生まれる。結菜や綾によく似た子どもが。そして、自分と遼平との子どもを作ることもできる。
「私が眠ってるとき、ユーナと何か話した?」
「ああ、たくさん話したよ。ミーナは三時間くらい眠ってたからね」
「どんなこと」
「ユーナがママにどれほど会いたがっていたか、切々と話してくれた。俺、聞いてて涙が出てしょうがなかったよ」
「そう」
「例えば、この写真」
そう言って、遼平は枕元に置いていた写真を取った。
「この写真、いいな。ミーナの笑顔、なんとも言えない。この笑顔を見ると、ミーナが遼平と一緒でどんなに楽しかったか、幸せだったかわかるよ。ユーナはこの写真を見て、どんな気持ちになったか、俺に話してくれた」
「どんな気持ち」
「こんなふうに笑ってるママに会いたい。ママに抱きしめてもらいたいって、ずっと泣いてたって言ってた」
「うん、あかりちゃんから聞いた」
「それが今日、全部叶ったって泣いてた。生まれてきて今日が一番幸せだって言って、ミーナにしがみついて泣いてた」
「そう、そんなこと言ってたの」
美菜は胸がいっぱいになって、涙となって溢れた。17年間、物心ついてからも10年以上、美菜が目覚めるのを待ち焦がれていた結菜の気持ちを思うと、申し訳ない思いと結菜への愛しさに胸が張り裂けそうになる。
「それから、パパはママのどんなところが好きなのか聞かれた」
「それ、私も聞きたい」
「とんでもなくきれいなところ。笑うと胸が痛くなるほどかわいいところ。真っすぐできれいな脚」
「なにそれ、見た目ばっかり」
「でもね、一番好きなのはパパを好きでいてくれることって答えたら、ユーナも、ママに『ユーナ、大好きよ』って抱きしめられて、ママを好きな気持ちが10倍くらい大きくなったって言ってたよ」
「そう? 遼ちゃんとユーナの心が繋がったのね。なんだか嬉しい」
「俺、ほんとにミーナのことが好きだったんだよ。まあ、テレビの中だからほとんど見た目ばっかりだけど。どうしようもなく好きだった。だからVRに感謝してる」
そう言って、遼平は美菜を強く抱きしめた。
「あのね、遼ちゃん」
「うん、何」
「私よく思うの、遼ちゃん、あの時よく私を強姦できたなって」
「えー、それは夢だと思っていたから」
「そうなんだけどね。もしあの時、私の方が先に目覚めてたら、遼ちゃん、私を襲うことできた?」
「うーん、考えたことなかったけど、たぶんできなかったかな」
「でしょう。遼ちゃんの性格じゃ、無理やりはできないよね。それに私の方も泣き叫んで遼ちゃんを近づけなかったと思う」
「そうなの?」
「だって、私、男の人が嫌いで嫌いで……というか、怖かったのよ。また先生のように襲われるんじゃないかって」
「そうなんだ。でも結局同じことやってしまった」
「それがね、全然違ったの。先生の時は嫌悪感しかなかったけど、遼ちゃんの時は……」
遼平の耳元で囁いた。「気持ちよかったの」
「そう言えば、感じてたとか言ってたね」
「そうだけど、これってある意味先生の時より酷い状況よね。だって、遼ちゃんは私のことを知っていたかもしれないけど、私は遼ちゃんを全く知らなかったんだし、遼ちゃんを突き飛ばして、泣きわめいてもおかしくない状況よね」
「そうか。でもミーナは冷静だったよね」
「そうなのよ。たぶんセックスまでされちゃってたから、これ以上酷いことはないっていう開き直りみたいなものもあったんだと思う。でも一番大きいのは気持ちよかったこと、嫌悪感が全くなくて鳥肌も立っていなかったことね。今思うと、この人なら私を変えてくれるかもしれないなんて思ってたんじゃないかな」
「ふーん、じゃ強姦して大正解だったんだ」
「だからね、私、遼ちゃんのことが心配なの」
「え、俺?」
「あ、違う。パラレルワールドに行った遼ちゃん。遼ちゃん、強姦なんて絶対できないし、私の高くて頑固な心の壁を破れるかなって心配なの。なんとか破って欲しい。遼ちゃんには幸せになって欲しい」
「そうだね、そっちのミーナにも幸せになって欲しいね」
「遼ちゃん、言ってたの。あっちのミーナに会ったときに、嬉しくて思わず抱きついたんだって、ミーナさーんって」
「あ、やりそう。俺も」
「そしたら、どうなったと思う」
「んー、突き飛ばされたとか?」
「そう、それも私のことだから思いっきり突き飛ばしたと思う。それに何度も抱きついて、その度に突き飛ばされてるって言ってたし。遼ちゃん、諦めたりしてないといいけど」
美菜はもどかしかった。遼平の愛を受け入れ、その胸に飛び込みさえすれば、二人とも幸せになれるのに。
「大丈夫、俺なんか30年もミーナのことが好きだったんだから、あいつも簡単に諦めたりしないって。それに大家さんの話で笑ってくれたんだろう。心を開いてきてるんじゃない?」
「そうか、そうだよね」
「そうだよ。今頃はエッチしまくってるかもしれないよ」
「いやだ、遼ちゃん」
その世界の美菜と遼平が抱き合っているところを想像した。嬉しかったが、少し、ほんの少し胸が痛かった。目を閉じれば、ウエイトレス姿の遼平、デニムのミニスカート姿、青いミニワンピース姿、白いTシャツ姿の遼平がまざまざと思い浮かぶ。その遼平が、自分ではない美菜と抱き合っている。
「遼ちゃん……」
涙が滲んだ。だけど泣いてはいけないと思った。ふたりの遼平はひとつになったはずだ。遼平の胸に抱かれて、もうひとりの遼平を想って泣いてはいけない。だけど、だけど胸が痛い。堪えようとしたら嗚咽が零れた。
「我慢しなくていいよ。ミーナは遼平のこと好きだったんだろう。あんなに楽しいことや怖いことも一緒に体験したんだし。その遼平と別れたんだ。あいつのために泣いてやるといいよ」遼平が優しく言ってくれた。
「うん、うん、大好きだった。ごめんね、遼ちゃん。ちょっとだけ、ちょっとだけあっちの遼ちゃんのために泣くね」
そう言って、美菜は泣いた。少しだけ泣くつもりだったのに、泣き出すと歯止めが利かなくなった。声を上げて泣いた。
「遼ちゃん、遼ちゃん」と、遼平にしがみついて泣いた。
いたずらっぽく「キスしたから赤ちゃんできたかもしれない」と笑っていた遼平、観覧車の中で、美菜の胸で大泣きしていた遼平、ミニスカートを翻して「ミーナさーん」と、満面の笑みで抱きついてきた遼平が心に浮かぶ。
その遼平にもう会えないと思うと涙が止まらない。
遼平は何も言わずに美菜の二の腕を擦ってくれていた。
美菜はその感触の心地よさに意識を集中させた。胸の痛みを忘れさせてくれた。大丈夫だ。自分にはこの遼平がいる。
「もう大丈夫。ごめんね、遼ちゃん」
「ほんとに好きだったんだね」
「うん、大好きだった。遼ちゃん、嫉妬してる?」
「なんで俺が嫉妬するんだよ。今こうやって大好きなミーナを抱きしめてる。むしろ、あいつに申し訳ないって思ってる」
「そうなんだ。でも私も少し胸が痛かっただけ。遼ちゃんとあっちのミーナが結ばれることを心から願ってる」
そして思った。あの可憐な姿の遼平を見て、美菜が惹かれないはずがない。美菜を想う一途な心に、美菜が心動かされないわけがない。
「あ、そうだ。私、謎の部屋で遼ちゃんに言ったのよ。そっちのミーナとたくさんエッチするんだよって」
「いやだ、ミーナさん、エッチ」笑いながら遼平が言った。
「なんなの。あっちの遼ちゃんと全く同じリアクションするのね」
美菜も笑いながら言った。遼平も笑っている。
その時、美菜は結菜のことを思った。その世界にはまだ結菜はいない。
「そうか、あっちにはユーナはまだいないんだ」
「でも、二人がエッチすると……」
「そうね。ユーナが生まれるのね」
美菜は想像した。もう一人の美菜が赤ちゃんの結菜におっぱいをあげている姿を。そして、その二人を嬉しそうに見つめて、二人を優しく抱きしめる遼平の姿を。
『遼ちゃん、ほんとにありがとう。幸せになってね』美菜は心から願った。
「俺たちも、赤ちゃん作ろう」
「そうだね、そうだね。遼ちゃん、愛してる」
美菜は遼平を抱きしめて言った。
「俺もだ。ミーナ、心から愛してる」
「遼ちゃん、ありがとね」
「ん?」
「私を見つけてくれて、私を30年も好きでいてくれて、それと、私を強姦してくれて」
「あはは、最後のはいらない気もするけど、俺も、ミーナには感謝してる。遼平に会いに行ってくれて、ユーナを産んでくれて、そして、俺を好きになってくれて、本当にありがとう」
遼平が美菜を強く抱きしめた。
「さあ、明日から俺はミニスカート穿いて、リハビリ頑張らないと」
「そうだね。遼ちゃんのミニスカート姿、楽しみー」
また楽しみが増えた。これが幸せということなんだ。
「遼ちゃん、腕を擦って」
遼平が美菜の浴衣の袖を捲って腕を擦ってくれた。
「これ、好きなんだね。おっぱいとかより気持ちいいの?」
「バカ、そゆことユーナ」
そう言って、二人で笑った。
「遼ちゃん、大好きよ」
美菜は遼平の腕の中で眠りについた




