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青き胡蝶の夢  作者: 鳥沢 響
4. 胡蝶の夢
12/14

家族

 部屋では、結菜が遼平に抱きついている。遼平は驚いた顔をしている。

「ユーナ、いきなり抱きついたら、パパがびっくりするでしょう」

 あかりが言った。

 美菜は車椅子をベッドの脇に進め、遼平の手を取って言った。

「遼ちゃん、お帰り。遅かったね。いつもいつも私を待たせるのね」

「ごめん、ミーナ。でもこの人たちは?」

 遼平は美菜の顔を見て、ほっとした様子だが、戸惑っている。

「こっちはアルカディアのあかりちゃん。遼ちゃん、知ってるでしょう」

「ああ、あかりさん。お久しぶりです」

 あかりが会釈する。複雑な表情。

 あかりが遼平の頭からVRをはずし、全身につけられた線をはずしていく。結菜が手伝う。遼平も全裸だったが、あかりが股間を毛布で隠してくれた。遼平に寝間着を着せ、ベッドの背に寄りかからせた。

「ミーナさんは遼ちゃんの隣に」

 そう言って、あかりと結菜が美菜を遼平の隣に座らせてくれた。

 残りの三人は、ベッドのそばに椅子を持ってきて座った。

「この子はユーナ、遼ちゃんと私の子ども」美菜が遼平の腕を抱いて言った。

「ああ、いきなりパパと呼ばれて抱きつかれた。だけど覚えがない。その…リアルでミーナとは……」

「私も産んだ記憶はないの、意識を失っていたから。だけど私の子で間違いないの。だったら遼ちゃんの子よ。それは確実なの」

「ああ、そうか。16歳の遼平か。ミーナ、約束を果たしてくれたんだ」

「あ、パパって遼平さんのほう?」

 結菜が突然叫んだ。

「え、ユーナ、遼平さんのこと知ってるの?」

「うん、お母さんが話してくれた」

「ミーナさんと遼ちゃんの物語は、全部ユーナに話しています。遼平さんのことも。それから、この子、綾にも」

 そう言って、あかりは横に座っている若い女性を抱き寄せた。風呂場でユーナを呼んだ女性だ。

「綾さん? もしかして郁美さんの……」

 綾に郁美の面影を感じて、美菜は言った。

「はい。娘の綾です」

「そうだ。郁美さんは、無事だったの?」

「いえ……」

「郁美さんは、あの時お亡くなりになりました」

 代わりにあかりが答え、綾を引き取ることになった経緯を話した。

 郁美は手の施しようがなく、それでも病院に運ばれたが、すぐに死亡が確認された。

 綾は父親が面倒を見ていたが、その父親が海外赴任することになり、その間、あかりの家で世話をすることになった。あかりがマスターと結婚してからは、あかりが面倒を見ているという。最終的には、あかりとマスターの養女にしたという。

「そうだったの。綾ちゃん、本当にごめんなさい。私のせいで、お母さんを奪ってしまって」

 美菜はそう言って頭を下げた。二歳だった綾が20歳の立派な女性に成長している。郁美に似て、切れ長の涼し気な目をした美人になった。意志が強そうな印象を受けた。

「いえ、ミーナさんのせいではありません。悪いのは母を刺したあの男ですから。それに、お母さん、あかりさんが私を大切に育ててくれましたし、ユーナにも出会えたので、むしろ感謝しています」

「綾はユーナの恋人なんですよ」あかりが言った。

「え、そうなの?」

「はい、私ユーナが小さいときから、ユーナのことが大好きなんです。ユーナが中学生になったとき、男からも女からも告白されてると聞いて、心配になって私から誘惑しました」

「ユーナも綾ちゃんが大好きだよ。綾ちゃんのおっぱい、とってもおいしいから。ママと同じくらい」

「ユーナ!」

 綾の大きな声に結菜は跳び上がった。

「そゆことユーナって何度言ったらわかるの!」

「綾ちゃん、ごめんなさい。もうしません」

「ミーナさん、ごめんなさい。ユーナはとてもいい子なんですが、性的なことに羞恥心が全くないんで、こういうことを平気で言っちゃうんです」綾が言った。

「ああ、そうみたいね。私も最初驚いたけど…やっぱりよくないよね。綾ちゃんが叱ってくれてるのね」

「ユーナ、そゆことユーナって何回言われた」と、笑いながらあかりが言った。

「うー、毎日最低二・三回は言われてるから、10歳からとして、七千回は言われてる」

「えー、そんなに」と、美菜も笑いながら言った。

 結菜は年の割に幼いし、どこか危うい感じがしてたが、綾のようなしっかりした恋人がいれば大丈夫な気がした。

「あかりちゃん、どうして綾ちゃんを預かったの。遠縁かなにか?」

 美菜が尋ねた。

「いえ、ミーナさんが入院してたときに、綾がお父さんと一緒にお見舞いに来られたことがあって。その時、綾がミーナさんの手を握って帰ろうとしなかったんです」

「そうだったの。私のことを心配してくれてたんだ」

「私は二歳だったので覚えていません。ただ、ミーナさんがよく私の家に来てたのはなんとなく覚えていて、たぶんその頃からミーナさんのことが大好きだったんだと思います」

「綾のお父さんが海外赴任するのに、綾の世話を頼める身内がいなくて、困っている様子だったので、あたし、思わず言ってしまったんです。あたしが預かりましょうかって」

「あかりちゃん、綾ちゃんのこと以前から知っていたの?」

「いえ、その時初めて会ったんです。だから、なんでそんなこと言ったのか自分でも不思議なんです。今思うと、綾がミーナさんを心配そうに見ているのを見て、自分と同じ気持ちでいるのが嬉しかったんじゃないかと」

「そう」

「それで、最初は二年間の約束だったんですが、ずるずる延びて……六年後だったかな。そうだよね、綾?」

「そうです。突然パパから電話が入って、向こうで結婚したから、私も来ないかって言うんです」

「向こうって?」

「ブラジルです。そんな言葉も通じないところに行きたくなかったし、来ないかって言いながら来てほしくない感じもあったので断りました」

「それで、その時正式に綾を養女にしたんです」

「そうだったの。綾ちゃん、後悔はしてないのね」

「ええ、全く後悔してません。お母さん、お父さんを本当の両親だと思ってますし、私、ユーナのことがかわいくて仕方がないんです」

「あたしも、綾が本当の娘のように思ってますので、残ってくれて嬉しかったんです。それに、綾はほんとに頼りになるんです。ユーナの悪いところをきちんと叱ってくれますし、ミーナさんや遼ちゃんのお世話もずいぶん手伝ってくれました」

「お世話って、お風呂?」

「ああ、お風呂もそうですね。この子たちが大きくなってからは、あたしはリフトの操作だけで、お二人の体を洗うのはこの子たちに任せてました」

「え、遼ちゃんも? 綾ちゃんが?」

「はい。遼平さん、きれいな体ですべすべしてて、全然いやらしい感じがなくて、洗うの楽しかったです。その……変なもの以外は」

 綾が遼平の方を見ずに言った。顔が赤らんでいる気がした。

「そうだね。綾ちゃん、パパのちんちん、一度も洗わなかったよね」

 あーあ、結菜、言っちゃった。

「ユーナ!」綾が叫ぶ。

「あ」結菜が両手で口を塞いだ。

「そゆことユーナって! お尻ぶつよ」

「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません」

 美菜は笑いながら、肘で遼平の脇腹をつっつきながら言った。

「だってさ。遼ちゃん、なんか言ってあげたら」

「えー、なんて言えばいいんだ」

「そうねえ、ありがとうかな」

「綾さん、ありがとう。……っておかしくないか」

「うん、おかしい」笑いながら美菜は言った。みんな笑っている。

 綾が真っ赤になっている。あれ、綾ちゃん、もしかして……

「ユーナはいくつなの」遼平が尋ねた。

「17歳、高校二年生」結菜が元気に答える。

「17歳!」

 うん、まあ、驚くよね。精神年齢は小学校高学年ぐらいだものね。

「17歳の女の子がちんちんはまずいよな」あ、そっちか。

「違うの。ユーナは男の子なの」

「は? おとこのこー」

 うん、いい反応よ。

「だって、セーラー服着てるし、こんなにかわいいのに、男の子!」

「パパがユーナのことかわいいって。パパ、本当に?」

「うん、かわいいよ。こんなかわいい子見たことない」

「ママより?」

「ママはかわいいというより、きれいだから。あ、ママも笑うとすごくかわいいね。それと同じくらいかわいい」

「あら、あたしはもう一人同じくらいかわいい子知ってますよ」

 あかりが美菜と顔を合わせ、微笑みながら言った。

「ユーナ、壁の写真を持ってきて」

「はーい」

 結菜がスカートを翻して走って行く。取ってきた写真を「はい、パパ」と言って手渡した。

「あ、ミーナだ。幸せそうに笑ってる。隣は誰だ。見たことあるような。え、でもミニスカート穿いてるし……え、これ、これが……あたし?」

 みんな笑った。

「なに、遼ちゃん、あたしって」美菜が笑いながら言った。

「いや、つい。あんまりかわいかったから」

「自分で言ってるし。だから言ったでしょ。遼ちゃん、女装するとかわいくなるって。16歳の遼ちゃんも女装して自信を持って、私を助けてくれたの。いろいろな思い出を私に残してくれたの。たった二週間しかいっしょにいられなかったけど。その遼ちゃんに頼まれたのよ。遼ちゃんと私の物語を遼平さん、こっちの遼ちゃんにも話してくれって」

 美菜はパラレルワールドに旅立った遼平との会話を話した。

 ひとりぼっちになった遼平が、その世界の美菜を救おうと頑張っていること。こちらの遼平も自分と同じように愛して欲しいと頼んだこと。そして、おそらくもう戻ってこれないことを。

「遼ちゃん」あかりが両手で顔を覆って嗚咽を漏らした。

「あかりちゃん、泣かないで。遼ちゃん、頑張ってるの。祐美に失恋して、教師に強姦されてボロボロになった私を、あっちのミーナを救おうと頑張ってくれてるの。だから私も頑張るって約束したの。この遼ちゃんも遼ちゃんなの。ただ記憶がないだけ。だからね、話してあげよう。私と遼ちゃんとあかりちゃんの物語を」

「そうですね」

 美菜はアルカディアから始まった三人の物語を話した。ウエイトレス姿、デニムのミニスカート、ミニワンピース姿の遼平に感動し、美容室の鏡越しの可憐な姿に心奪われた。その帰り道で三人の心が繋がった。

 あかりの初体験の話は、結菜も綾も初めて聞いたようで、「お父さん、やるね」だの「やるときはやるんだ」と、妙に感心していた。

 ナポリタンの奇跡、観覧車、コウノトリさんの話では、結菜と綾は大笑いして聞いていた。あかりから百回以上聞かされた話だというのに、目を輝かせて聞いていた。

 遼平も目に涙を浮かべて嬉しそうに聞いていた。

「ありがとう、ミーナ。いい思い出が何もなかった俺に青春をくれた」

「あかりちゃんと三人で、ほんとに、ほんとに楽しかったね」

 美菜は遼平の目を見つめて言った。

「私の方こそ、遼ちゃんに救われたのよ」

 結菜がなにか言いかけたのを、あかりが口を塞いで止めている。

「私、あの部屋で遼ちゃんにひとつ嘘をついてたの」

「高校教師の話だよね。傷はほとんどないって言ったこと」

「なんだ、わかってたの?」驚いた。

「いや、その時はわからなかったけど、目覚めたあとVRの話を聞いているとき、ミーナと俺以外の男との適合率が10%台、嫌悪感だけで口もききたくないレベルだと聞いたから。それはあの事件のせいじゃないかなって思ってたんで」

「私ずっと苦しんでたの。初めて好きになった男の人に裏切られて、絶対に男は信用しないって心に決めてた。でも、心の底では男の人を好きになりたい。そしてその人の子どもを産みたいって思ってた」

「そうか」

「そんな時遼ちゃんに出会えた。こんな私のことを30年間も想い続けてくれた遼ちゃんに。私がどんなに嬉しかったかわかる?」

 遼平も美菜の目を見つめている。ちょっとまずい雰囲気。

「俺の方こそ、30年の想いをミーナが受け止めてくれた。ミーナには感謝しかない。心から愛してる」

 やばい。これってキスするパターンだ。子どもたちの前なのに。 

「おふたりさーん、子どもたちが見てますよー」

 あかりが止めてくれた。

「いやだ、あかりちゃん。外見ててって言ったじゃない」

 この美菜の言葉が結菜と綾に受けた。「観覧車だ!」と、喜んでいる。

「あかりちゃん、ありがとう。変なムードになっちゃった」

「いーえ、照れ屋のミーナさんだから、困ってるだろうって思って。それに、大事な話がまだ残ってますよね」

「そうね。嫌な話だけど、これを話さないとふたりの遼ちゃんがひとつになれないね」

 美菜はミートソース髪の毛事件を遼平に話した。美菜と遼平がお互いに庇いあったこと。そして涼子の話。遼平が涼子の言葉に触発されて、強くなったこと。

 死んだら終わりという絶望の中ではなく、死んでも生まれ変わってまた会える希望の中で、今を楽しんで生きていこうという遼平の言葉を伝えた。

「そうですか。今を楽しんで…素晴らしいですね。遼ちゃんがそんなことを……」

 あかりが言った。

「遼ちゃん、日ごとに逞しくなっていったね。私が守ってやらないとって思ってたのが、いつの間にか私が守られていた気がする」

 美菜は次の日の強姦未遂事件の話をした。

「でもなんで遼ちゃん、助けに来れたんだろう。私、『いやー』って一言しか言ってないのよ。声を出したらナイフで刺すって脅されてたから。それもそんな大声じゃなかったのに」

「遼ちゃん、ミーナさんを迎えに行こうとしてたんです。そしたら、急にミーナさんの声が聞こえたと言って、事務室からバットを取って来て物凄い勢いで飛び出して行ったんです。あたしもマスターもミーナさんの声は全然聞こえませんでした」

「そう、そうだったのね」

「さあ、ここからはあたしも知りません。だからこの子たちも知りません。ちゃんと話してくださいね」

 あかりが言った。

「えーー、恥ずかしい。遼ちゃんだけじゃだめ?」

「だめだよ、ママ。ここでユーナができるんだから、ユーナも聞きたい」

「そう、じゃあ話すけど。あかりちゃん、絶対に冷やかさないでよ」

「はい、真剣に聞きます」

「真剣に聞かれてもって気もするけど……」

 そう言いながらも、美菜は話した。動けない美菜を遼平が抱いてお風呂に入れてくれたことを。優しく丁寧に、心を込めて美菜の全身を洗ってくれたことを。

 そして、風呂から上がったときに、遼平と結ばれたことも話した。

 あかりも結菜も綾も嬉しそうに聞いていた。

 遼平の様子がおかしい。何か考え込んでいる。

「遼ちゃん、どうした」

「うん、俺、知ってる」

「え、何を」

「だから、ミーナを風呂に入れたこと。ミーナと結ばれたこと。その後、遼平が『俺、ミーナさんとセックスしちゃった』って言ったことも知ってる」

「えーーー」

 驚いた。目覚めてから驚いてばかりだ。

「じゃあ、私を助けてくれたのは遼ちゃん?」

「ミーナさん、それじゃわからなくなるから、今だけこっちの遼ちゃんは、遼平さんと呼ぶことにしませんか」

 あかりが言った。

「あ、そうね。遼平さんが全部やってたの?」

「いや、それは違う。やってたのは16歳の遼平のほうだ。俺はただその場面を知っているだけで何もしていない」

「ん、どういうこと」

「俺もよくわからない。頭の中に霧がかかっているようで。はっきり覚えているのは、VRでミーナに二回目に会ったとき、ミーナが突然消えたこと」

「それは私も覚えてる。いきなり目が覚めて自分のベッドにいた」

「それからの記憶がないんだ。病院には戻っていない。あとはずっと夢を見ていたような気がする。VRの夢みたいにリアルじゃない、普通の夢のようだった。さっき目覚めたときは全部忘れてたんだ」

「いつ思い出したの」

「観覧車の話のころかな。ミーナとキスしたのもなんとなくだけど。だけどコウノトリさんは、はっきり覚えてる。遼平といっしょに笑ってた」

「そう、遼ちゃんと遼平さんが……あとは、あとは何を覚えてるの」

「そうだな、はっきり覚えているのは、ミーナを襲った奴をバットで殴ったときと、ミーナを抱いて風呂に入ったこと。ミーナと結ばれたこと。最後に大男と戦ったことかな。あとは霞がかかったような感じだ。だけど、泣いているミーナを抱きしめて腕を擦っているのもぼんやりとだけど覚えている」

「そう、そうだったの。でも不思議ね。どうしてそんなことが……」

「遼平さんは意識を取り戻したんですよね。その…一回目のVRで」

 あかりが言った。

「ええ、それからミーナを救うために二回目のVRに繋いでもらいました」

「でもその後、病院には戻っていない。つまり意識が戻っていないということですね」

「あかりちゃん、何かわかったの」

「いえ、もしかしたら、遼平さんはまだVRに繋がれていたんじゃないかと」

「18年間も?」

「いえ、今じゃなくて、18年前のあの時です。VRを通して遼平さんの意識が遼ちゃんの体に入ったのじゃないかと」

「ああ、そうか。でもそこには遼ちゃんの意識があるから、遼平さんはお客さんみたいになって、夢心地だったのかな」

「そうですね。でも推測ですから本当のところはわからないですね」

「そのはっきり覚えているところは遼平さんが遼ちゃんの体を動かしていたってことはないの?」美菜が聞いた。

「いや、それはないと思う。ミーナとの一回目のセックスの時、そんなに激しく動いちゃだめだって止めようとしてもだめだったから。遼平は俺が心の中にいることは気づいてないんじゃないかな」

「ミーナさん、遼ちゃんと二回したんですね」あかりが小声で話した。嬉しそうだ。

「そうなの。遼ちゃん、一回目は五秒くらいしか保たなかったの。ってこんなこと言うとユーナが喜んで変なこと言うかもよ」

 そう言って結菜を見ると、いつの間にか綾が結菜のうしろに立って、結菜の口を押さえている。

「あらら」

「だけど、その時以外は、遼平の動きと俺の考えがほぼシンクロしていて、自分が遼平の体を動かしている気分になれた。だから、ミーナとの二回目は嬉しかった」

 遼平が照れ笑いを浮かべた。16歳の頃とほとんど変わらない笑顔だった。ときめいた。

「大男と戦ったときもそうだ。俺はお客さんだったから冷静だったのは当然だけど、あいつは生身だし、怖かったと思うんだけど、冷静で勇敢だった。包丁を取って、視界に入らないように床すれすれの位置に構えて、躊躇なく飛び込んだからね」

 そう、美菜を守るために勇敢に戦ってくれた。

「俺が16歳の頃を思うと考えられないくらい勇敢だった。それもミーナのお陰だと思うし、あいつのお陰で俺はこうしてミーナと一緒にいられる。なんだかあいつに申し訳ない」

「大丈夫、あっちの世界にもミーナがいる。男嫌いでガチガチに固まった心を持った昔の私が。きっと遼ちゃんがその心を溶かしてくれるって信じてる」

「そうか、そうだったね」

「だからね、遼ちゃんに負けないように私たちも幸せにならないと。ユーナといっしょに」

 そう言って、美菜は結菜を見た。結菜の目が輝いた。

「ユーナ、おいで」

 結菜がベッドに飛び乗り、「ママ」と叫んで美菜に抱きついた。

 美菜も「ユーナ、大好きよ」と、抱きしめ返した。

 それから、結菜の体を遼平と美菜の間に移した。

「パパ」遼平に抱きついた結菜を後ろから抱きしめた。

「パパー、ママー」結菜が泣きながら叫ぶ。それから大声で泣き出した。

 美菜は幸せだった。結菜が美菜と遼平をしっかりと結び付けてくれる気がした。これから親子三人で幸せに暮らしていける確信が湧いた。

「ユーナ、よかったね。本当によかったね」

 もらい泣きしながら、あかりが言った。

「あたし、この光景を涼子さんに見てもらいたかった」

「涼子さん…今どうされてるの」美菜が尋ねた。

「一昨年、亡くなられました。九一歳でした。息を引き取る寸前まで、ミーナさんと遼ちゃんのことを気にされていました」

「そう…涼子さん、私もお会いしたかった」

 美菜は涼子に対して、同志のような感情を抱いていた。同じレズという生きづらい性癖を抱えて、痛みや苦しみを心から分かち合える存在だった。

 さらに涼子は、その言葉で遼平を力づけ、あまつさえその命も救ってくれた。涼子のお陰で、今、親子三人抱き合える幸せを味わうことができた。

 あかりの言葉が身に染みた。涼子に幸せな自分を見て欲しかった。そして心からの感謝の言葉を伝えたかった。

「それだけではありません。涼子さんがミーナさんと遼ちゃんを救うために、VRを開発したんです」

「え、VRを涼子さんが……あかりちゃん、どういうこと」

 そして、あかりがVR開発までの経緯を話してくれた。

 美菜と遼平が涼子によって助けられ、しかし意識を取り戻すことなく、結菜が生まれた頃、涼子がVR開発のため立ち上がった。言うまでもなく美菜と遼平を救うためである。

 まずは弟の沢井健太郎社長と話をつけ、新会社沢井VRコーポレーションを設立し、涼子自ら新会社の社長に就任する。先行するVR開発会社を買収し、さらに大学との共同研究機関も立ち上げ、五年で単体のVR開発に成功した。

 VRが完成したことで会社は潤沢の資金を得た。すなわち、VRのノウハウをゲーム会社等に格安で提供することと引き換えに、ゲームソフトやパイロット養成等の各種シミュレーションソフトの莫大な販売ロイヤリティを得たのである。

 その資金を元手に、ツインVRに必須のAIの開発に乗り出す。しかしこれが困難を極める。AIを駆使しても二人の夢を繋ぐ方法がわからず十年の歳月を費やしてしまう。

 そんなとき、社長の涼子が病に倒れる。その後を継いだのが涼子の甥の沢井慎之介、マスターだった。

「マスターが社長? アルカディアはどうしたの」

「マスターが新会社の専務になったときに閉めました。涼子さんがお父様と取引したんです。新会社を作ってくれればマスターをその会社に入れて、ゆくゆくはお父様、健太郎社長の後を継がせるって」

「そうだったの。マスターまで巻き込んじゃったのね。マスター、家を継ぐのが嫌で喫茶店やってたんじゃないの?」

「それがやる気満々だったんですよ。ミーナと遼平を救うんだって。俺にはミートソース事件の責任があるとか言って。今は社長になったので世界中を飛び回っています」

「そう? マスターにも迷惑かけちゃったのね。あかりちゃんにも、お風呂とか大変だったでしょう。毎日のことだし」

「いえ、お風呂はリフトのお陰でそんなに大変じゃなかったんですが、大変だったのはストレッチです」

「ストレッチ?」

「はい、お二人ずっと眠ったままですから、筋肉が弱くなって固まっちゃうそうなんで、毎日二時間ずつ筋肉を動かしてました」

「毎日二時間ずつ……じゃあ、四時間」

「まあ、ちょっと大変でしたけど、この子たちと一緒に楽しくやってました」

 毎日四時間、それを18年間、感謝の言葉もなかった。涙が溢れそうになった。

「あかりちゃん、ありがとう。とんでもない迷惑かけちゃったね」

「いえいえ、実はそれがあたしの仕事なんです。会社から給料ももらってます」

「え、どういうこと」

「今やVRはグループ内で一番の稼ぎ頭なんです。ミーナさんたちはVR開発のきっかけをくれた功労者なので、会社が、というか涼子さんがミーナさんと遼ちゃんのためにこの家を建ててくれたんです。あたしたちもここに住ませてもらっていますし、あたしはミーナさんたちのお世話係として会社に雇ってもらってるんです。だから、むしろあたしたちがミーナさんと遼ちゃんに感謝しています」

「そうだったの。だとしても大変だったのは変わりないよね」

「まあそうですけど、楽しんでやってました。特に夏場は。ね、ユーナ」

「そうだね。夏は汗びっしょりになるから、みんな真っ裸でやってたんだよ」

「え、みんなって、あかりちゃんも? 綾ちゃんも?」

「そう、みんな。パパとママも裸だよ」

「えー、そうなの」

「最初の頃は服を着て、エアコンがんがんかけてやってたんですが、理学療法士さんに温度が高いほうが、血行がよくなってストレッチの効果が高くなると聞いたんで、じゃあ裸でやろうかということになったんです」と、あかり。

「私は女同士だから、別に構わないけど。遼ちゃんは? どう思う」と、美菜が言うと、

「俺も構わないよ。意識なかったんだし、俺たちのためにやってくれたんだから、むしろ感謝しかない」と、遼平が言った。

「そうね、あかりちゃん、ほんとにありがとう。綾ちゃんもユーナもありがとう。18年も眠っていたのに、こうやって体を動かせるのはみんなのお陰だね」

「どういたしまして。あたしたちもお二人と抱き合うのは楽しかったんです。綾なんか遼ちゃんと抱き合うのをとても楽しみにしてたんですよ」

「お母さん、やめて。恥ずかしすぎる」

 綾が結菜の口を塞ぎながら言った。

 美菜は、綾と結菜が仲良くしているのを見て嬉しかったが、同時に微かな違和感を覚えていた。

 VRの夢の中で美菜が心を痛めていた二つのこと、綾を不幸にしてしまったという思いや結菜を産めなかったという後悔が解消され、当の二人が目の前で幸せそうにしている。

 あまりにもできすぎていて、これも夢なのではないかという、これまで何度も美菜を悩ませてきた思いが再び芽生え、目の前の幸せを心から喜べずにいた。

「ミーナさんと遼ちゃんに報告しなければならないことが二つあります」

 あかりの言葉で現実に引き戻された。

「ん、何」

「実は、綾が妊娠してるんです、ユーナの子どもを」

「え? えーーーーー」

 思わず綾の顔を見た。真っ赤になっている。

「綾ちゃん、ユーナとしたの? その…、そゆこと」

「は、はい。間違いなくユーナの子どもです」

「いつから」

「ユーナが中学一年生の時からです。私は高校一年生でした」

「中学一年生……そうか、誘惑したというのはそういうことか」

 結菜が綾の束縛から逃れようと足掻いている。その姿を見て、美菜は大きな不安に襲われた。幼すぎる、無防備すぎる。小学生にしか見えない結菜が父親になる。

「あかりちゃん、綾ちゃんとユーナは、戸籍上は姉弟になるの」

「違います。ユーナはミーナさんの籍に入れていますから石谷結菜です。綾は私の養女で、沢井綾ですから、結婚できます」

「そう、そうなのね」

 結菜が綾の手を振り払って叫んだ。

「ママ、ユーナ、パパになっちゃう。ほんとはママになりたかったのに」

「それ、無理だから。それで、ユーナは綾ちゃんと結婚するつもりなの?」

「うん、そのつもり。いつするかはお母さんと相談中。あ、ママとパパも戻ってきたから相談しないと」

 だったら大丈夫かもしれない。綾が結菜や生まれてくる子どもを守ってくれる。あかりや遼平や自分もいる。みんなでこの若すぎる夫婦を支えていけばいい。

 不安が消えるとその背後から大きな喜びが沸々と湧き上がってきた。結菜の子ども、自分の血を継いだ子どもが生まれる。その赤ん坊を抱いている自分を想像すると涙が溢れるのを止められなかった。

「ミーナさん、ごめんなさい。私、ユーナを他の女の子に取られたくなかったんです。ユーナはおっぱいが好きだし、エッチな誘いにすぐ乗っちゃいそうで、ちょっと焦ってました。ミーナさんを悲しませるつもりなんてなかったんです」

 綾が言った。

「ううん、違う。私嬉しいの。綾ちゃんがユーナの子どもを身籠ってくれて、本当に嬉しい」

「ミーナさん」

「私、VRの夢の中で苦しんでたの。郁美さんと綾ちゃんに申し訳ないことをしたって。私、綾ちゃんが大好きだったのよ。その綾ちゃんからお母さんを奪ってしまった。償いきれないって思ってた」

「ミーナさん、私もミーナさんが大好きです」

 綾が目を輝かせて言った。

「だからね、綾ちゃんがあかりちゃんやユーナと楽しそうにしてるのを見て嬉しかったのよ」

「私こそ、ユーナを産んでくださって、ミーナさんには感謝しています」

「私も妊娠してるなんて夢にも思わなかったから、目覚めてユーナに会えて本当に嬉しかったのよ。VRから目覚めたら私は48歳になってると思ってたから。子どもを作るのは無理だろうな、ユーナには会えないだろうなって思ってた」

「ママー」

 結菜が甘えた声で抱きついてきたた。

「ああ、ユーナ」美菜は結菜を、力を込めて抱きしめた。

「だからね、夢の中で心配していたことが、夢から覚めたら二つともなくなっていたのよ」

 そう言って美菜は結菜を抱いたまま綾に向かって左手を広げた。

 綾はベッドに上り、美菜に抱きついた。

「ミーナさん、嬉しいです」

「綾ちゃん、ユーナのことよろしくね」

「はい、ミーナさん、私もユーナみたいにママって呼んでいいですか」

「もちろんよ。私も綾ちゃんみたいな娘が欲しかったよ」

「ママ、ママ」

 泣きながら強く抱きしめてくる綾を、美菜も抱きしめ返した。

「あ、思わずいいって言っちゃったけど、あかりちゃんごめんね。綾ちゃんを取ったりしないから」

「いいえ、構いませんよ。ユーナと綾が結婚すれば、ミーナさんは綾の義理の母ですから。それに、綾がミーナさんと遼ちゃんを好きだったことを知ってますから」

「そうなんだ」

 美菜は綾の耳元で囁いた。

「遼ちゃんとも抱き合ってみる? 私に遠慮しなくてもいいよ」

「いえいえ、とんでもないです。私の心臓が止まってしまいます」

 その反応で確信した。綾は遼平を好きなんだ。それも多分、異性としての遼平を。

 別に不快とは思わなかった。むしろ、綾と自分が遼平に対して同じ想いを持っているのが嬉しかった。

「で、赤ちゃんはいつ生まれるの」

 美菜は綾のお腹を擦りながら言った。

「予定日は来年の3月15日です」綾が答える。

「そう、待ち遠しいね。私、赤ちゃんだったユーナを知らないから、その子を早く抱っこしたい」

「でも、ミーナさんもあと一人や二人、十分いけますよ。たった二回でユーナができたんだから楽勝ですよ。相性抜群で羨ましいです」あかりが言った。

「そりゃそうよ。適合率82%だからね。遼ちゃん、頑張ろうね」

「え? う、うん」

「なに、照れてるの?」

「い、いや、その、ミーナとリアルでするのは初めてだなって思って、どきどきしてる」

 赤い顔して遼平が言った。

「いやだ、なにかわいいこと言ってるの。こっちが恥ずかしくなる。しっかりしてよ。遼ちゃん、もうすぐおじいちゃんになるのよ。あ、そうか、私もおばあちゃんなんだ」

「そうですね。あたしもおばあちゃんです」と、あかり。

「うわ、私、心は17歳なのにおばあちゃんなのね」

「おばあちゃ~ん」結菜が笑いながら抱きついた。

「やめて、ユーナ。あなたのおばあちゃんじゃないから」

 美菜も笑いながら、結菜の脇腹をくすぐった。結菜がキャッキャ言いながら寝転がって暴れている。

「それで、あかりちゃん、もうひとつの報告は何」

「はい、心の準備はいいですか」

「もう何でも言って。おばあちゃんなんだから怖いものない…よね」

 美菜は深呼吸した。

「ユーナが芸能界デビューします」

「え? えーーーーー」

「ほら、やっぱり驚いた」

「そりゃ、驚くでしょ。何やるの」

「歌手です。アイドル歌手」

「歌手……ユーナは歌うまいの?」

「今特訓中です。ボイストレーニングとダンスを頑張ってます」

「いつデビューするの」

「来年早々ですね。もうデビュー曲も決まってます」

「そう、もうそこまで進んでるのね。でも、どうなんだろう」

 美菜は心配だった。自分もデビュー直前までいっていた。売れたら眠る暇もないほど忙しいと聞いている。48歳の美菜もそれで体を壊した可能性がある。

「未来のミーナさんのようになるんじゃないかということですね。あたしたちもそれが心配だったんです。ですから事務所の社長と話をつけました。テレビの歌番組とコンサートだけに限定します。ユーナに無理はさせません。CMも一社か二社に絞ってくれるそうです」

「そう、だったら大丈夫なのかな。ユーナは、やってみたいの」

「うん、やってみたい。歌もダンスも楽しい」

「そう、うまくやれてるの?」

「うん、ダンスは筋がいいって褒められてる。歌も表情や感情表現はいいって、時々音程が乱れるのともう少し声量を上げないとって言われてる」

 結菜の笑顔の魅力、思いを真っすぐに表情に出せる表現力を思えば、アイドル歌手の素質はあるのかもしれない。それでも美菜は不安だった。物怖じしない、思ったことをすぐに口にしてしまう結菜の性格、しかも幼い。あの業界の厳しい現実や誹謗中傷に晒され、結菜が傷つくのではないかと恐れた。

「うーん、大丈夫なのかな。ユーナが変なこと口走ったりしないかな。逆にいろいろ言われて、ユーナが傷ついたりしないかな。あかりちゃん、どう思う」

「そうですね。あたしも不安だらけです。でも、ユーナが普通に就職できるかなとも思うし、芸能界向きの性格なんじゃないかなとも思ったりもしています。事務所の社長はいい人で、ユーナを大事に育てますよと言ってくれたので信じてみようかなと思っています」

「そう、綾ちゃんはどう思う」

「私も悩みましたけど、ユーナがやりたいんだったら応援しようと思っています。ユーナは歌がとてもうまいんです。明るい歌を歌えばこちらも楽しくなるし、切ない歌を歌うと涙が出そうになります。だからユーナはきっと成功します」

「そう、綾ちゃんがそう言うなら、私も応援しないとね」

「でも不安もあるんです。ママが言ってくれたのともうひとつ。成功したユーナが私の手の届かないところに行っちゃうんじゃないかって。私なんかよりずっときれいな人を好きになっちゃうんじゃないかって」

「ユーナ、綾ちゃんを悲しませるようなことはしない。約束する」

 結菜が言った。

「それを信じたいけど、人の心ってどうなるかわからないでしょう。好きになってはいけない人を好きになることもあるし、それってどうしようもないことじゃない」

 それは遼平のことを言っているような気がした。

「実は私考えていることがあって、まだお母さんにも言ってないんですけど、病院を辞めて、ユーナの付き人かマネージャーみたいなことができないかなって思っています。あ、ママにはまだ言ってませんでしたね。私看護師なんです」

「そう、ユーナのためにそこまでしてくれるの?」美菜が言った。

「いえ、ユーナのためというより、自分のためです。ユーナと離れていると不安で仕方ないんです。学校について行くことはできませんけど、付き人ならできるかなって思って、私もママたちのように、ユーナと私の物語を作りたいんです。お母さん、いいかな」

 あかりが少し考えて言った。

「そうね、看護師になったばかりで少しもったいない気もするけど、綾がついていてくれれば安心だね。綾のやりたいようにやればいいんじゃない」

「じゃあそうする。ユーナ、明日はボイストレーニングの日だよね」

「うん」

「私も一緒に行って、社長さんに話してみるね。ユーナ、いい?」

「うん、綾ちゃんが一緒だと嬉しい」

 確かに綾が一緒にいてくれれば安心だ。だけど、出産がある。

「ちょっと待って、今はいいけど、綾ちゃん、もうすぐお腹が大きくなるよね。大丈夫?」

 美菜が言った。

「あ、そうか。忘れてた」と、綾。

「私も一緒じゃだめかな。こんな体だと邪魔になるかな」と、美菜が言った。

「ママが来てくれたらこんなに心強いことはないです。ユーナも張り切ると思います」

 と、綾が言うと、結菜も

「うん、ユーナ頑張る。ママにユーナのいいところ見てもらえる」と言った。

「でも、綾が出産しているとき、誰がミーナさんの車椅子を押すのかな。ユーナはできないよね」

 あかりが遼平を見ながら言った。つられて全員が遼平を見た。

「え、俺?」

 一瞬の間のあと、あかりが言う。

「あたしがやりますか」

「待ってください。お、俺がやります」遼平が言った。

「遼ちゃん、人と話すの苦手でしょう。無理しなくていいよ」

 美菜が言った。

「ミーナ、俺も自信持てるようになるかな」

「え?」

「いや、16歳の遼平が女装したら自信がついたって言ってたから、俺も女装したら自信持てるのかな」

「持てるよ。遼ちゃん、ミニスカート穿いたら別人のように逞しくなったもの。私とあかりちゃんを笑わせてくれたし、私を守ってくれたもの。あなたも遼ちゃんなんだから、きっとできるよ」

「そうか。じゃあ俺も穿くよ、ミニスカート。それで、ミーナやユーナの力になりたい」

「パパ、ありがとう」

 結菜が遼平に飛びついた。遼平が結菜の脇腹をくすぐっている。結菜もくすぐり返して、二人でじゃれあっている。

 ほんの数時間前に出会った二人が仲睦まじい親子になっている。嬉しかった。自分も含めて家族なんだという実感が湧いた。そして、もうすぐあかりや綾も家族になる。

「私たち家族になるんだね。あかりちゃんも綾ちゃんも」

「はい、不束者ですが、よろしくお願いします」綾が言った。

「そうですね。あたしはとっくに、ミーナさんと遼ちゃんは家族のようなものだと思ってましたけど、ユーナと綾のお陰で本当の家族になりますね」あかりが言った。

「ユーナって不思議な子だね。宝石みたいにきらきら輝いて見える。ほんとにあんな子が私のお腹から生まれてきたのかな。まだ信じられない」

「ミーナさん、赤ちゃんの時のユーナを見てないからですよ。写真見ますか」

「あ、見たい」

「じゃあ、綾、ユーナのアルバム持ってこようか」

「そうだね。ママ、きっと泣いちゃいますよ」

「え、なんで?」

「ほら、綾、そんなこと言わないで、びっくりさせなきゃ」

「あ、そうだね。じゃ、ママ、ちょっと待ってて」

 そう言って、二人は部屋を出て行った。写真を見て泣く? どういうことだろう。楽しみのような、怖いような複雑な思いで待っていた。

「あれ、お母さんたちは?」

 じゃれあいに飽きて、結菜が言った。

「ユーナのアルバムを取りに行った。綾ちゃんがね、ユーナの写真見たらママが泣いちゃうって言ってたけど、なんで」

「そう言えば、綾ちゃん、ユーナのアルバム見て、泣いてたことがあった」

「なんで」

「知らない。ユーナが、綾ちゃんなんで泣いてるのって聞いたら、うるさいって怒るんだもん。わけわかんない」

「きっと、ユーナは赤ちゃんの時、目が三つあったんだな。怖くて泣いてたんだな」

 遼平がからかって、「そんなわけないだろう! パパ―」と、じゃれあいが復活する。

「お待たせ」

 あかりたちが戻ってきた。一人四冊ずつ、計八冊のアルバムを持っている。

「こんなにたくさん」

 ベッドの端に、美菜を中心に五人が腰かけて、そのアルバムを見た。

 美菜が最初のページを開く。

 ページ全体の大きな赤ん坊の写真。くりくりの瞳でこちらを見つめている。

「なに、かわいい! これ、ユーナ?」

「そうです。生まれて三日目の写真です。かわいいでしょう。生まれたてでこんなにかわいい赤ちゃん見たことないって、看護師さんも言ってました」

 あかりが誇らしげに言った。

 美菜は赤ん坊の視線から目を逸らすことができなかった。これが、自分が産んだ赤ちゃんだと思うと喜びがこみ上げてきて、涙となって溢れた。

「あら、ママ、一枚目で泣いちゃった」綾が言う。

「ママ、そんなペースで見てたら、全部見るのに一年くらいかかっちゃうよ」

 と、結菜が言った。

「いいの、ユーナの17年間の記録だから、ゆっくり見ないと」

 そう言いながらも、美菜は次のページを開いた。

 ミルクを飲んでいる写真、お風呂に入っている写真、あかりに抱かれている写真、綾があやしている写真が並んでいた。

「んもう、かわいいなあ。綾ちゃんもかわいい」

 次のページの写真に、美菜は胸を撃ち抜かれた。

 見開きの両ページに一枚ずつ大きな写真。

 左のページでは右手の親指を指しゃぶりしながら、カメラ目線でにこっと微笑んでいる。

 右のページでは、小さな両手を前に出して、満面の笑みを浮かべている。

「やだ!」

 胸の中で愛しさが炸裂して何も言えなくなった。息が苦しい。涙が次々に溢れ出る。

「ユーナ」

 美菜はアルバムを遼平に渡して、結菜を抱きしめた。

「ママ、どうしたの」結菜は突然泣き出した美菜に戸惑っている。

「ユーナの可愛さに、ママ感動しちゃったのよ。私もこの写真見ると涙が出てくるもの。この可愛さ、反則だよ」

 綾が言った。

「ママ、顔が赤いね」綾がそばに来て美菜の額に手を当てた。さらに美菜の左手を取って脈を測った。

「熱はないけど、脈が速いですね。具合はどうですか」

「大丈夫。ユーナの可愛さにノックダウンされちゃったのかな。少し息が苦しいだけ」

「ごめんなさい。あたしが調子に乗って、ミーナさんを驚かせすぎたんですね」

 あかりが言った。

「大丈夫よ、ちょっと疲れただけだから。少し眠ったら元気になると思う。アルバムは明日ゆっくり見ることにするね」

「それじゃ、あたしたちは夕飯の支度しますね。ユーナと遼ちゃんはミーナさんの様子を見ててください」

 そう言って、あかりと綾は部屋を出て行った。

「ユーナ、おいで」

 美菜と結菜は毛布の中で抱き合った。遼平が後ろから美菜を抱きしめる。

「遼ちゃん、ユーナ、大好きよ。私、幸せだ」

 美菜は遼平と結菜に抱かれ、幸せな眠りに落ちた。



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