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青き胡蝶の夢  作者: 鳥沢 響
4. 胡蝶の夢
11/14

結菜(ユーナ)

 目が覚めたら、ベッドに仰向けに寝ていた。頭に何か被せられ、視界が大幅に制限され、真上しか見えない。手足を動かそうとしたが、全く力が入らない。首は動かせそうだ。左を向こうとしたら、途中で壁が見えたので右を向いた。我ながらぎこちない動きだ。

 目の前に女の子がいた。両肘をベッドに置き、重ねた手の甲に頭を乗せて眠っている。ポニーテールを鮮やかな青いリボンで結んでいる。遼平だろうか。

 もっとよく見ようと思い、横向きになろうとしたが、うまくいかない。渾身の力を込めてなんとか横を向いた。たったこれだけのことで息が切れた。

 女の子の服は見えなかったが、長袖の袖口の二本の線や襟の様子から、セーラー服のようだ。

 女の子の向こうにもベッドがあり、頭にヘルメットのようなものをつけた人物が横たわっている。

 女の子に声を掛けようとしたが、声が出ない。力を込めてやってみたら、「もしもーし」大声になってしまった。

 女の子が飛び起き、美菜の顔を不思議そうに見ている。遼平に似ていると思った。その顔が笑顔に変わり美菜に飛びついてきた。

「ママ、ママ、会いたかったよー」

 え、ママ? どういうこと。

「あ、そうだ。お母さんに知らせなきゃ」

 そう言って、彼女はパタパタとスリッパの音を響かせ、部屋を出て行った。

「お母さーん、お母さーん」と大声で、母親を呼んでいる。

 美菜をママと呼んでおいて、お母さーんと母親を呼んでいる。訳がわからなかった。

 すぐに、足音が戻って来て、彼女が部屋に入ってきた。そのうしろに見覚えのある顔が。

「あかりちゃん?」

「ミーナさん、お帰りなさい」

 あかりが美菜を抱きしめた。「よかったね。よかったね」と泣いている。

 美菜は「ありがとう」と言いながらも、戸惑っていた。なぜここにあかりがいるのか。それにあかりは47歳のはずだ。どう見ても20代後半にしか見えない。そして、この娘は? 頭の中が疑問符だらけだった。

 あかりが掛布団をはいで、美菜の体につけられた無数の線をはずしていく。女の子も甲斐甲斐しくそれを手伝っている。美菜は全裸だった。見知らぬ子に体を見られるのが気恥ずかしくて、あかりに尋ねた。

「あかりちゃん、この子は?」

結菜(ゆうな)よ。ミーナさんの子ども」

 あかりが美菜の頭の被り物をはずしながら言った。

「ユーナ? 私の子?」

 驚いてまじまじとその子を見た。冬服のセーラー服にポニーテールの青いリボン、ミニにしたスカートから可愛らしい膝小僧が見えている。結菜もまっすぐに美菜を見つめ、涙を浮かべている。確かに遼平に似ている。ただ、遼平のどこか陰のある儚げな印象はなく、どこまでも真っすぐな天真爛漫な可愛さがあった。美菜に似ているかどうかはわからなかった。

 あかりと結菜が美菜に寝間着を着せ、ベッドの背に寄りかからせてくれた。

「でも、私、産んだ覚えがない」

「そうですね。意識がありませんでしたから」

 椅子に座りながら、あかりが言った。

「一応確認しますけど、遼ちゃんの子ですよね」

 美菜は結菜を見つめながら答えた。

「私が産んだのなら、間違いない。遼ちゃんの子よ」

 結菜は大粒の涙を流している。

 こらえきれずに、ベッドに上がり込んで美菜に飛びついてきた。

「ママー、会いたかったよ。嬉しいよー」

 大きな声で泣き叫んでいる。

「うんうん、ママもよ。ママもユーナに会えて嬉しい」

 なんとか動いた両手を結菜の背に回して抱きしめた。

 結菜はさらに大きな泣き声を上げながら美菜を強く抱きしめた。

「ママがやっとユーナを抱きしめてくれた。ママ、大好き!」

「ユーナ、よかったね。ユーナはママが大好きなんだよね。毎日この部屋に来て、何時間もママの顔を見てたものね」

 あかりがもらい泣きしながら言った。

「ユーナ、パパも好きだよ。とってもかわいいから。だからね、パパにキスして、それからママにキスして、間接キスさせてあげてるの。でも、やっぱりママが一番好き」

 そう言って泣きながら抱きつく結菜に、美菜は愛しさを感じていたが、いきなりこんなに大きな子の母親となっていたことに戸惑いを覚えていた。

「ユーナは今いくつなの」美菜が聞いた。

「17歳、高校二年生」結菜が答えた。

「え、17歳?」

「中学生くらいにしか見えないでしょう。身長も150センチしかないしね」

 あかりが言った。

「お母さん、ひどーい。152センチですー。ユーナは大器晩成なんだからね。すぐにママを抜かしちゃうんだから。パパは無理だけど。ママもそんなに驚かないで」

「あ、ごめん。ママも意識があったの17歳までだったから……こんなんで母親できるかなって思って」

「大丈夫、ママはママだから。もうどこにも行かないでね。ずっとユーナのそばにいて」

「うん、ずっとそばにいる。それで、そこにいるのが遼ちゃん? パパ?」

「そう、遼ちゃん。遼ちゃん目覚めないですね。ツインVR、失敗だったかな」

 あかりが言った。

「VR! そうよ、なんでVRがここにあるの。私、謎の部屋にいたから、目覚めたら48歳になってると思ってた。あれから何があったの、あかりちゃん」

 美菜は疑問に耐えきれなくなって、あかりに言った。

「あれから18年になります。ミーナさんも遼ちゃんもずっと眠ったままでした。ミーナさんは35歳、遼ちゃんは34歳です。今10月ですから、お二人とも来月ひとつ年をとります」

「35歳……」

「でも、ミーナさん、ほとんど変わっていません。20歳くらいにしか見えません。ユーナのお姉さんみたいです。遼ちゃんも」

「そうだ、遼ちゃん。私、遼ちゃん死んだと思ってた。だって心臓にナイフが刺さってたのよ」

「はい、ほんの少しだけ逸れていたんです。でも見つかったとき、遼ちゃんの心臓は動いていなかったんです。それを涼子さんが……」

 あかりの言葉が涙で途切れた。

「涼子さんが遼ちゃんを助けてくれたんです」

 あかりが泣きながら続けた。

「そう、涼子さんが……」

 あかりがあの日のできごとを説明してくれた。

 あの日、涼子が美菜の様子を見るためにアパートを訪ねて、惨状を目撃する。すぐに救急車を呼び、二人の状態を確かめた。美菜の心臓は動いていたが、遼平の心音が聞こえない。涼子は遼平の胸からナイフを抜いて、止血をやりながら心臓マッサージをやるという神業をやってのけた。救急隊が駆けつけたとき、涼子は遼平の血しぶきを頭から浴びて、鬼気迫る様子だったという。しかし、その処置がなければ、遼平は確実に死んでいただろうと、あかりはその救急隊員から聞いた。

 それから、入院した二人の傷は順調に回復していった。ただ、美菜の傷は脊髄に達していたため、歩けるようになるかどうかはわからないそうだ。

 傷は回復していたが、二人の意識は戻らなかった。遼平は一時心臓が止まっていたためと考えられるが、美菜の意識が戻らない原因はわからなかった。

 そんな時、美菜の妊娠が判明した。

「あたし、随分悩んだんですよ。もしかしたら強姦魔の子どもじゃないかって」

「ああ、そうね。でもそれはない」

「確かにあいつはズボンを穿いていましたが、ことが終わって穿いていたのかもしれないでしょう。ミーナさん、そんな子欲しがるかなと思って、あたしだったら絶対嫌なんで」

「そうだったの。心配かけたのね」

「そしたら、お父さんが、あ、いや、マスターが絶対遼ちゃんの子だって言い張るんです」

「マスターが?」

「はい。で、なんでそんなことわかるのって聞いたら、あの日の朝、遼ちゃんから電話があって、ミーナさんをお風呂に入れてあげたと聞いたって。だったら遼平は絶対ミーナとやっている。俺は遼平を信じているとか、訳のわからんこと言ってました」

「ちょ、ちょっとあかりちゃん、ユーナも聞いてるのよ」

 慌てて美菜が言うと、あかりが言った。

「ユーナ? ユーナはこの手の話、全然平気ですよ。ね、ユーナ」

「はい。だって、パパとママがエッチしてくれたから、ユーナは今ここにいるんですから。それに、ユーナ、パパとママがエッチしてるところ想像すると嬉しくなっちゃうんです」

「いやだ、ユーナ、そんなの想像しないで」

 美菜は両手で顔を覆った。

「あ、ママが照れてる! かわいいー、お母さんが言った通りだ」

「もう、あかりちゃん、なんてこと教えるのよ。恥ずかしい」

 美菜は右手で顔に風を送りながら言った。それから、あかりが、

「はは、それから、マスターが、たとえ強姦魔の子どもであっても、子どもに罪はないし、ミーナの子どもに変わりはない。それに、もし子どもを処置したあとで、遼平の子だとわかったら、俺はふたりに合わせる顔がないって言うんです」と、言った。

「そうだったの。じゃあ、マスターに感謝しないとね」

「はい。お父さんはユーナの命の恩人です。だからお父さん大好きです。お母さんはユーナを殺そうとしたけど、今まで育ててくれたから大好きです」

「おいおい、殺そうとなんかしてないの。悩んでただけ。どっちにしろ、あたしたちにそんな権利はないんだし、最終的には、遼ちゃんのお母さんとミーナさんのお父さんに相談したんです」

「お父さん……」

「遼ちゃんのお母さんは、お任せしますってことでしたけど、ミーナさんのお父さんが孫の顔を見たいとおっしゃったので、産んでもらうことにしたんです」

「そうだったのね」

「はい、それでもあたしは不安でした。生まれた子が強姦魔に似ていたらどうしようって。生まれてしまったらどうしようもないですけど。でも心配無用でした。もう、かわいいのなんのって、遼ちゃんそっくり。あたし、思わず遼ちゃーんって頬ずりしたんですよ。ね、ユーナ」

「そんなの覚えているわけないじゃん。生まれたばっかりで」

「あ、そっか」

「そうか、あかりちゃんがユーナを育ててくれたのね。こんなに明るくて素直ないい子に。ありがとう、あかりちゃん」

 美菜は抱きついて離れない結菜の頭を撫でながら言った。

「んーん、ママー」

 まだ、自分の子という実感はないが、小さい子のように甘えてくる結菜に愛情を感じ始めていた。

「あかりちゃんの子はいないの?」

「はい、頑張ってはいるんですけど、できないですね。でも、ユーナのお陰で毎日楽しく過ごせています。ユーナは基本的にはいい子です。絶対に嘘をつきませんし、だけど、世間の常識からはかけ離れた考えを持ってるんです。これはやっぱりミーナさんと遼ちゃんの子だからだと思います」

「え、何だろう。まさか、レズ?」

「レズじゃないよね、ユーナ」

「うん、違う」

「じゃあ、何だろう。あれかな、エッチな話に平気だってこと」

「ああ、それも少しは関係してますけど、それは些細なことです」

「え、それ些細なことなの。わかんない。なんか怖い」

「別に怖いことじゃありません。ただびっくりすると思います」

「怖い、怖い。なんだかどきどきしてきた。また意識喪失しそう」

 美菜がそう言ったとき、結菜の体が数センチ飛び跳ねたような気がした。

「ママ、だめー」

 結菜が驚いた顔で美菜を見つめている。まあるい目にみるみる涙が溜まり、次々に零れ落ちる。

「だめだよ。やっと会えたのに、またどっか行かないで」

 そう言って、声を上げて泣き出した。ワンワン泣いている。

「ごめん、ごめん。どこにも行かない。ユーナのそばから離れない」

 そうか、この子はこんなにも私が目覚めるの待っていたんだ。寂しい思いに耐えていたんだ。そう思うと、結菜への愛情が溢れてきた。結菜を力一杯抱きしめた。

「ごめんね。ママの冗談、ひどかったね」

 強く抱きしめたことで、結菜の泣き声が治まってきた。

「ううー、ユーナの心臓、どきどきしてる」

 結菜が美菜の手を取って、自分の胸に当てた。17歳にしては胸の膨らみがほとんどない。こんなことも遺伝するのかと思い、自分の子だという実感が少し湧いた。

「ほんとね。すごくどきどきしてる。ごめんね。もうこんな冗談言わないから、ママを許してくれる?」

「うん、ママ、大好きだから大丈夫」

「ミーナさんが目覚めるのをユーナはずっと楽しみにしてたんです。あたし、この子が幼稚園に行く前から、この部屋に連れてきて、あなたの本当のお母さんはこの人、ミーナさんよって教えてあげたんです。今は眠っているけど、もうすぐ目を覚ましてユーナを抱きしめてくれるよって。ユーナはずっと待っていたんです、ミーナさんが目覚めるのを」

 あかりが涙声で教えてくれた。

「そうだったんだ。長い間待たせちゃったね。ほんとにごめんね。なんとか償いしないとね」

「だったら、あのね。ママにお願いがあるんだけど……」

「いいよ。私にできることなら何でも言って」

「それがね。その……」

 結菜は真っ赤になって、言い澱んだ。あかりの顔色を窺っている。

「言ってごらん。ユーナがママにして欲しかったこと」

 あかりが促した。

「うん。あのね、あのね………だめ、ママ、嫌って言うかもしれない」

「大丈夫よ。ママ、嫌って言わない。ユーナのお願い、何でも聞くから」

「本当!じゃあ………だめ、うまく言えない。お母さん、代わりに言って」

「しょうがないね。あんなに楽しみにしてたのに。ミーナさん、この子ミーナさんのおっぱいを吸いたがってるの」

「おっぱい!」

 美菜が驚いた声で言うと、結菜は両手で顔を覆った。

「ユーナは赤ちゃんの頃からおっぱいが大好きなんです。ミーナさん、おっぱいがあまり出なかったんで、ミルクをあげてたんですけど、お腹いっぱいになっても泣き止まないんです。それで困ってしまって、試しにあたしのおっぱいをあげてみたんです。もちろん出ませんけど、形だけ、乳首を含ませると満足して眠ってくれるんです」

「そうなんだ」

「ミルクの時期が終わっても、おっぱいをせがむんで続けてました。あたしもそうやってると、この子がかわいくて仕方なくなって、母親としては必要なことなんじゃないかと思っていました」

「だから、私もユーナにおっぱいを……」

「ママ、やっぱりだめ?」結菜が消え入りそうな声で言った。

「ううん、だめじゃないの。ただね、ママは17歳までしか記憶がないから、ユーナとは年が近いような気がして、母親の意識が………そうか、だからこそ、必要なのかな」

「いきなりこんな大きな子のママと言われたら、戸惑いますよね」

「あかりちゃん、いつ頃までユーナにおっぱいやってたの」

「小学生までは毎日やってました。お風呂に入ったときにせがまれて。中学生以降はたまにですね。怖い夢を見たときとか学校で嫌なことがあったりすると、あたしのお布団に潜り込んできて、泣きながら吸ってます。つい最近も雷の音に脅えて。不思議におっぱい吸うと落ち着くんです」

「それって、あかりちゃんだからじゃないの。ママのおっぱい、全然おっぱいらしくないよ」

「知ってる。いつもお風呂で見てるから。ママのおっぱい、かわいくてきれいだから大好き」

「あ、そうなんだ」

「実は、ユーナ、一度ミーナさんのおっぱい吸ってるんです」

「え?」

「あー、お母さん、それ言っちゃうの」

「ちゃんと言わないと。中学一年生の時だったと思います。この部屋で。私が部屋に入ってきたのも気づかないくらい夢中でミーナさんのおっぱいを吸っていました、泣きながら。私が声を掛けると跳び上がって『ごめんなさい。ママのおっぱいが欲しかったの』って泣いて謝るんです」

「そう、そうだったの」

 美菜は思った。結菜に母親らしいことは何もできていないし、これからもこんな体ではできないだろう。結菜がそれほど欲しがっているのなら、何を躊躇しているのだろう。むしろ、母親の自覚と実感を得られるのであれば、これは必要なことだ。

「わかった。ユーナ、ママのおっぱいあげる」

「本当! ありがとう、ママ」

 結菜の笑顔が弾けた。一瞬にして周りが明るくなり、華やいだ空気が広がった。

 美菜は浴衣の前をはだけて、ベッドに横になった。

「ユーナ、おいで」

 結菜はベッドに上がり、四つん這いで美菜に近づき、美菜の胸を見ている。

「ママ、きれい」

 そう言って、結菜は美菜の乳首を口に含んだ。

「あん」その瞬間思わず声が出た。

「ユーナ、優しく、お願い」

「わかった、ママ」

 美菜は耐えていた。我が娘の行為に感じてはいけない。息をつめ体を固くして、快感と戦っていた。

 結菜は、最初は優しく吸っていたが、徐々に力を込め始めている。

 美菜は目を閉じて、今美菜の乳首を吸っているのは、自分の娘なんだ。欲しくてたまらなかった自分と遼平の子どもなんだと、自分に言い聞かせていた。

 そうすることで、結菜への愛しさが湧き上がってくる気がした。

 しかし、この刺激は快感というより、拷問に近い気がする。結菜が喜んでくれるならと、美菜は必死で耐えていた。

「ママ、ママ」

 結菜が美菜の首に抱きついてきた。泣きながら「ママ、大好き」と言って、美菜にキスした。顔中にキスの雨を降らせた。それが首筋に降りてきて、また胸に戻り、快感との戦いが始まった。

「ユーナよかったね。やっとママのおっぱいもらえたね」

 涙声のあかり。

「ユーナ、今日はもうそれくらいにしておこうか。ママ、慣れてないから壊れちゃうかもよ」

 結菜はそれでも名残惜しそうに美菜の胸を吸っていたが、諦めて上気した顔を上げて言った。「うん、そうする。ママ、ありがとう」

「それじゃ、ユーナ、お風呂の準備してくれる? 今日は起きてるママと一緒に入れるよ」

 と、あかりが言うと、結菜は、

「そうだね、やってくる」

 と、嬉しそうに言って、スリッパの音を響かせて出て行った。

 美菜は浴衣の前を合わせ、上体を起こして、乱れた呼吸を整えた。

「どうでした。少しは母親の実感は湧きましたか」と、あかりが尋ねてきた。

「そうね、ほんの少し……だけど刺激が強すぎて、それに耐えてた感じかな」

「そうですか。でも初日ですからね。何回かやっていれば慣れますよ」

「慣れね。慣れるのかな。ちょっと自信ない」

「気持ちよすぎて? 遼ちゃんに吸われてるみたいでした?」

「そうなのかな。だんだん変な気分になって、自分の娘にこんな気分になってはだめだって、戦ってた感じ」

「娘ね……」

「ん、何」

「いえ、なんでもないです。あ、そうだ」

 あかりが立ち上がって、入り口の方へ歩いていく。入り口の脇に車椅子があり、そばの壁に額に入れた写真が掛けられていた。その写真を取って戻ってきた。

「ミーナさん、この写真、覚えてます?」

 美菜と遼平が並んで座っている。観覧車の中で撮られたものだった。

「もちろん、私にとっては、ほんの数日前のことだもの」

「あたしには18年前のことです。たった二週間です。ミーナさんと遼ちゃんと過ごしたのは。でも、あたしにとっては、その二週間が青春そのものでした」

「そうね、楽しかったね、ほんとに。それがこんなことになって」

「この写真、ユーナも大好きなんですよ。ママ、幸せそう、ママ、きれい。パパ照れててかわいいって、ずっとこの写真見てるんです」

「そう」

「この部屋にいるときは、ずっとミーナさんの顔を見てます。たまに、遼ちゃんの方を見て、遼ちゃんのお腹を触ってます。パパのお腹気持ちいいって」

「そうね、遼ちゃんのお腹すべすべだものね」

「それで、寝るときはこの写真を自分の部屋に持って行って、またずっと見てるんです」

「そう、そんなに私のことを」美菜は胸が熱くなってきた。

「でも、たまに我慢しきれなくなって、あたしの布団に潜り込んで泣くんです。ママに会いたい。あんなふうに笑ってるママに会いたい。ママに抱きしめてもらいたいって」

 あかりが泣き崩れた。

「あの子ずっと我慢してたんです。あたし、ユーナが可哀そうで……」

 美菜も泣いた。その時の結菜の気持ちを思うと、自分のせいでそんな思いをさせて申し訳ないという思い、自分をそんなにまで慕ってくれる喜びが渦巻いて胸がいっぱいになった。

「あかりちゃん、ありがとう。私、いまユーナの母親になれた気がする」

「ミーナさん、あたしも、ずっと待ってたんですよ」

 あかりが美菜に抱きついて声を上げて泣いている。美菜も抱きしめ返す。

「あかりちゃん、心配かけたね。ほんとにごめんなさい」

 その時、結菜が「お風呂できたよ」と言いながら部屋に入ってきた。

 抱き合っている美菜とあかりを見て、

「あ、ママとお母さんずるい。ユーナも」と言って、強引に間に入り込んだ。

「お母さん、なんで泣いてるの」

「お母さんも、ユーナのママが帰って来て嬉しいのよ」あかりが涙を拭きながら言った。

「じゃ、お風呂入ろうか」。

 あかりと結菜が、美菜を車椅子に乗せ、結菜が押して風呂場に向かった。

「私みたいに歩けない人を、お風呂に入れるのは大変なんじゃない?」

「大丈夫です。入浴リフトという文明の利器がありますから」

「そうなんだ」

 脱衣所で美菜は、あかりと結菜の手を借りて浴衣を脱いで裸になる。自分の服を脱ごうとする結菜にあかりが言った。

「ユーナは服脱ぐのちょっと待って。ママをお風呂に入れてからにして」

「ん、そうなの?」

 不審そうな結菜の様子。いつもと違うのかな。

 車椅子に乗ったまま、浴室に入る。

「うわー、立派なお風呂」

 浴槽も洗い場も通常の四・五倍ほどもある。浴槽の横に椅子があった。その椅子の隣に車椅子を横付けにして、あかりと結菜の助けで、その椅子に移った。結菜が洗面器で美菜の体にお湯をかけてくれた。

「ユーナ、もういいよ。服脱いできて」

「やったー」結菜が嬉しそうに脱衣所に戻っていく。

 浴槽の奥の壁に二本のレールが取り付けてあり、椅子とつながっている。あかりが椅子を押すと、レールに沿って椅子が浴槽の真上に来た。さらに、椅子についているハンドルをあかりが回すと、椅子が降りて行き、美菜は浴槽につかった。

「便利ね、これ」

「でしょう」

 結菜がガラス戸を開け、裸で入ってきた。

「え?」

「ユーナ、前隠して」

 結菜は慌てて両手で股間を隠して、とことこと歩いてくる。

「ユーナ、男の子?」

「ごめんなさい、ママ」結菜はそう言って、静かに風呂に入った。

「別に謝らなくてもいいけど……」

「ユーナ、ママに抱きついちゃだめよ」

「わかった」結菜が口の上まで風呂に浸かった。

「ミーナさん、騙したわけじゃないのよ。ただ最初に男の子と言っちゃうと、ユーナにおっぱいをあげてくれないかもと思って。それだとユーナが可哀そうだから」

「……」

 美菜は混乱して言葉が出てこなかった。

「ママ、ユーナのこと嫌いになった?」

 結菜が不安そうに言った。今にも泣きだしそうだ。

「ううん、そんなことない。ただ、ちょっとびっくりしてて……」

「ユーナ、ママに手を伸ばして」あかりが言う。

 結菜がおずおすと右手を伸ばした。

 美菜はその手を掴もうと右手をお湯の上に出した。しかし、広げた指が意志に反して閉じてしまった。

 結菜の顔が曇った。大きく見開いた目にみるみる涙が浮かぶ。

 その顔が遼平の面影と重なった。間違いない。この子は遼平の子だ。そして自分の子だという確信が生まれた。

 その子が母の愛を求めて手を伸ばしている。17年間求め続けた母の愛を。

 美菜は結菜の手を掴んで引き寄せ、両脇を抱えて膝の上に乗せた。

「ユーナ、ごめんなさい。17年も待たせたママを許して」

 美菜は我が子を力の限りに抱きしめた。細い体、父親譲りの滑らかな肌が愛おしい。

「ママ、ママ」

 結菜が美菜の首に縋りついて泣き叫んでいる。

「ユーナ、ユーナ」

 美菜は、結菜への愛情が胸いっぱいに溢れ、結菜の頭を抱えて頬ずりした。

「ユーナ、よかったね」

 あかりがもらい泣きしながら言った。

 その時、ガラス戸が勢いよく開けられ、若い女性が顔を出し、叫んだ。

「ユーナ、パパが目を覚ました!」

 結菜はどうしたらいいかわからずに、美菜とあかりの顔を交互に見た。

「ユーナ、先に行ってパパと話しておいで。あたしたちもすぐに行くから」

 あかりが言った。

「うん、だけど…、わかった」

 結菜は名残惜しそうに美菜の体から離れ、小走りで出て行った。

 あかりが、美菜が座っている椅子を元に戻して、美菜の体をバスタオルで拭きながら言った。

「よかった。遼ちゃんも戻ってくれた」

「うん、ほんとに、ほんとによかった」

 美菜も嬉しかったが、遼平はあかりが知っている遼平とは違う。それを伝えないと。

「おそらく、戻ったのは遼ちゃんじゃない。遼平さんだと思う」

「え、どういうことですか」

「VRに繋がれているときに会ったのが遼平さんだったから。でも、私の中では遼ちゃんも遼平さんもひとつになってるの。ただ、私たちの青春の記憶がないだけ」

 美菜はそう言いながらも、パラレルワールドに旅立った遼平のことを思うと涙が滲んだ。

「詳しいことは後で話すね」

「そうですか。それじゃ、話してあげないとですね。ミーナさんと遼ちゃんの物語を」

 あかりのこの言葉に、美菜は既視感を覚えた。なんだろう、この懐かしい違和感。

「そう、あかりちゃんも一緒の私たちの物語。遼ちゃんにも頼まれてるの」

 美菜は着替えを済ませ、部屋に戻った。


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